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#1『Element』
しおりを挟む西暦2102年、日本でとある革新的「ARTCG(Augmented Reality Trading Card Game)」がリリースされた。
そのタイトルは『Element(エレメント)』このカードゲームはリリースされるや否や今までのTCG、そしてAR業界全体の常識を大きく覆した。
プレイヤーはまず「CRAITH(クレイス)」と呼ばれる対戦戦績などのデータを管理する空間投影型端末を用い、それに加えて専用のゴーグル型のコンソールを装着する。
そうすることで、現実の世界に召喚されたモンスター、魔法の効果等を再現した美麗なホログラムを描写する事が出来るようになったのだ。
その精度は近寄ってよく見ても中々ホログラムだと気付けないほどであり、まるで実際にキャラクターを召喚したり、魔法を使ったりしているような体験をすることが出来た。
では何故カードも架空のもの、つまり「DCG(Digital Card Game)」にしなかったんだ?と思う人もいるだろう。
だが、そこをあえて実際に触れる事の出来るアナログなカードに留めておいた事が『Element』が爆発的な人気を産む要因となった。
実は『Element』の全てのカードは、紙のように薄い基盤の上からイラスト等がプリントされているという特殊仕様で、その一枚一枚には極小の高性能のマルチタスクAIが内蔵されている。
それには効果処理やホログラムの投影を円滑に行うサブコンピュータとしての役割もあるが、それに加えて先程の2つの機器を用いると、何とカードの上に投影された手のひらサイズのキャラクターのホログラムと、自由にコミュニケーションを取る事が出来るのだ。
流石に会話機能があるカードキャラクターは人間型と一部のドラゴンのみだったが、会話の内容や性格まで言語AIによってリアルタイムで更新されるというのだから驚きだ。
その内容も『Element』の世界観に基づいたものかつ、身振り手振り等の動作も何千種とパターンが用意されている。
そのため、まるで異世界に住まう者をこちらの世界に呼び出したかのような気分に浸れるという、今まで空想でしか成し得なかった事をこのカードゲームはやってのけたのだ。
もちろんバトル中もこの機能は有効で、カード自体が効果処理のサブコンピュータとなっている事もあって、例えば「いけっ〇〇〇〇!!プレイヤーにダイレクトアタック!」と指示すればその通りにキャラクターのホログラムが動き、効果処理が働いてくれる。
唯一音声だけで指示した場合、プレイヤーが現実のカードを動かす必要があるという欠点が初期の頃はあったが、現在は各都市に建設された超巨大バトルフィールドを用いればカードの移動も自動で行なってくれる。
その自由度の高さ、カード上のキャラクターとコミュニケーションを取りながら戦えるという夢に多くのカードゲーマーが熱狂し『Element』は瞬く間に全世界を魅了していった。
だが、あまりにも初動から売れすぎてしまったからなのか『Element』の開発・運営を担っていた『アルカディア・エレクトロニクス社』は肝心の対戦環境のインフレを加速させるような効果を持つカードを次々と作り出してしまったのだ。
例えば、先月リリースされた魔法カード『風神裂空』もその1枚である。このコスト7の魔法カードは、相手の場に存在する全てのユニットに対してBP(バトルポイント)+500という強力なバフを付与する事が出来る。
更に、バフをかけたユニットの攻撃成功時に相手プレイヤーに1ポイント(体力の最大値は基本的に10)のダメージを与える事も可能なため、序盤でも中盤でも終盤でも常に安定した戦力となり得る非常に優秀なカードと言えるだろう。
だがしかし、問題もある。それは……
「これで終わりです!嵐顎竜ポルセイドで、プレイヤーにダイレクトアタック!!」
「ぐああぁぁッ!?」
そんなカードを使っても、リリース後1月もすればそう簡単には勝てなくなるという事。
目の前に佇む十数メートルはあろうシードラゴンの放った水レーザーを受け、それに対峙した青年は痛みで悲鳴をーーあげたりはしない。
ダメージを負う時の痛み、つまり触覚の再現は法律に抵触するため『Element』も再現はしていないのだ。そして、青年のライフが0になると共に無機質な音声でアナウンスが流れる。
『WINNER 【Akito】』
「あ~くそっ!!また負けた!」
高校生くらいの見た目をした青年は悔しさを表すようにそう声を上げると、視界の上の方に表示されている『YOU LOSE』の文字を睨みつけた。
こんな文字でさえ安っぽいフォントを使わず、灰色がかった金属のような質感を忠実に再現した文字を使用しているのが、青年は今だけちょっと腹立たしく感じていた。
「イオリくん、お疲れ様~」
そんな風に青年が苛立っていると、後ろから聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。
振り返るとそこには7色の羽が付いた大きな羽帽子を被り、真紅のマントを羽織った中世のマスケット銃士のような姿をした『「救世の英雄」ラソス』がこちらに軽く手を振っていた。
ーー彼女はとある小国に生まれた剣の天才で、邪龍アジ・ダカーハ討伐から彼女の英雄譚は始まった。
その後邪龍の隠していた財宝で小国は発展したが、その事を羨ましがったとある国が竜種に対してちょっとふざけた事をしてしまい、世界VS竜種の全面戦争に発展。
その際、各国間の同盟の取り付けと各国からスカウトした仲間を率いて竜の首魁と直接対峙したのも彼女だ。
その後も仲間と数多の英雄譚を残し、時には犠牲を払う事もあったが、最終的に彼女は超巨大な帝国を築き上げてその初代皇帝となった。
だが、皇帝になってからは冒険の途中に受けた加護による代償によって伴侶も作れぬまま孤独に過ごし、最期は誰もいない自室で一人寂しく死んだというーーもちろん、こんな女性が実際に存在するわけがない。
当然これもホログラムの産物だが、生きている人間と見分けがつかないほどその姿にはリアリティがある。
「あっ、ラソスさん……」
「今日も負けちゃったね~」
彼女はイオリと呼ばれた青年の隣に立つとクスっと笑った。
その笑い方はいつもどこか余裕があるように見えるのだが、今の彼女の言葉を聞いてリペアは少し恥ずかしくなり、体育館ほどの広さがある無機質なバトルフィールドの対面に目を逸らした。
そちらでは先程のシードラゴンが自身のプレイヤーにまるで猫のように甘えていた。あまりにも人間とサイズ差があるので、襲われているようにも見えるが。
「いや、あれは相手が強すぎたんですよ!ほら、あの『深海への誘い』とかいう魔法を連投されて、手札が全部吹き飛んじゃったんですから……まぁでも、もう対策は練ってあるんで次は勝ちますよ!」
「ふふっ、イオリくんならきっと次こそ勝てるよ。そうだ、この後プロジェクションルームに寄って、ぼくと一緒にデッキを見直さないかい?」
彼女が言うプロジェクションルームとは、等身大のホログラムを投影するための様々な機器を備えた部屋だ。
大体はバトルフィールドのあるスタジアム内にいくつか存在しており、つまるところ対戦ではなくカードのキャラクターと会話を楽しみたい人向けの施設だ。
もちろん、そこでカードゲームのキャラクターと一緒にデッキを組み、お互いの意見を交換し合う事でより完成度の高いデッキを作り上げる事も可能だ。
「是非、お願いします!」
その申し出を断る理由など無い。
イオリが二つ返事で了承すると、バトルが終了して一定時間が経過したため、ラソスのポリゴンアバターにノイズが入り、その場からかき消えるようにして消滅した。
R18に抵触する行為などは法律で禁じられているため、等身大のキャラクターに会えるのは、運営や他者の目がある専用のフィールドでのバトル中か、プロジェクションルーム内だけとなっている。
だが、それでも『Element』の世界にはたくさんのプレイヤーがいて、彼らはその限られた時間の中で、自分の理想のキャラと出会い、会話をし、触れ合い、共に生きていくのだ。
***
汚れ一つない真っ白な廊下を歩き、プロジェクションルームの前までやって来たイオリは、首から下げたネームホルダーに収められている『「救世の英雄」ラソス』のカードを入り口のゲートに備え付けられたスキャナーに軽くかざした。
すると、ゲートから少し離れたプロジェクションルーム内に先程と同じ、ラソスのホログラムが映し出され、彼女は軽く手を振りながらゲートを潜って入室したイオリの方へと近づいてきた。
「じゃあ早速だけど、新しいデッキの構築について話していこうか。空いているテーブルは……あ、奥の方が空いてるみたいだね」
そう言ってラソスは長い黒髪を揺らしながら、一番近くにあるテーブルへと向かった。
その後ろ姿を見ながら、イオリは彼女の持つ独特な雰囲気に思わず息を呑んだ。
(やっぱり、すごい美人だよなぁ……)
ラソスの事を初めて見た時も、イオリはそんな事を考えていた。
イオリの本名は「妃咲 伊織(きさきいおり)」と言う。
現在、寮生活と駅前の花屋でのバイトをそつなくこなしている現役高校生の彼が、電子の英雄と出会ったのは今から3年も前の事だ。
『伊織、今度のスキー旅行楽しみね~。ママ、伊織に追いつけるかしら?』
『伊織は運動神経抜群だからなぁ、将来はプロスキーヤーになれるかもな!何にせよ、来週の日曜日が楽しみだな!』
『うん!』
ーーイオリは小3の冬、家族の恒例となっていたスキー旅行の帰りに交通事故に遭った。
その時イオリはかろうじて生き延びたものの、両親は助からなかった。
後で聞いたところによると、相手側の酒飲み運転が原因だったそうだ。皮肉な事に、AIによる自動操縦の車が市場に出回り始めたのはその1年後の話だ。
それからイオリは遠い親戚の家に預けられた。
その親戚の両親は決して悪い人ではなかった。
だが、事故から何年経ってもイオリの事を両親を失った哀れで何も出来ない子としか見ておらず、いつまで経ってもまるで怪我人を看病するかのように過度に労り続けた。
それに対して、四六時中ずっと他人行儀でいなければならない空間は、イオリにとって居心地の良いものではなかった。
元々その家に年下の娘がいたのも、それに拍車をかけたと言えるだろう。
外出も、食事も、自身の誕生日でさえ、とっくに癒えた傷を舐めまわされているような感覚がして全く楽しくなかった。学校生活も同様だった。
イオリは親戚に迷惑をかけるわけにはいかないという意識から、一度もグレたり荒れたりする事はなかった。
しかし周りからはいつも不気味なほど平然としていて異質な子供に見えたのか、小中と友達は誰一人として居なかった。
誰も、イオリに関わろうとしなかったのだ。
多感な青春時代をそんな家庭環境で過ごしたからか、イオリは中3の頃には寡黙で塞ぎ込みがちな性格になっていた。
そんなある日、インターネット上で『Element』というVRTCCのリリースを知り、使う予定もなかったお小遣いで試しに機器を揃えたのが始まりだ。
その時はまだ、カードの種類も全100種以下と少なく『「救世の英雄」ラソス』はそんな初期のカード群の中の最高レアリティだったため、欲しいと思うプレイヤーは後を経たなかった。
ただし封入率は1/30000枚という超低確率。
『Element』のカードパックはインターネット上でのみ購入可能で、プレイヤーが必要だと思ったカードだけを小売店や専門店で印刷する仕組みであるため、低レアリティのカードがゴミのように積み重なる事はないが、それでも金銭的な問題で入手出来たのはごく僅かな金持ちだけだった。
しかし何の因果か、イオリは『「救世の英雄」エラー』のカードを偶然引き当ててしまったのだ。
たったの1回で。
『初めまして、イオリくん……で合ってるよね?ぼくの名前は「救世の英雄」ラソス。これからよろしくね~』
初めて彼女のホログラムと対面した時の事は今でも忘れられない。
長く艶やかな黒髪に整った顔立ち、透き通るような白い肌。身長は160cmほどで体型は華奢だが、その実しっかりと女性らしい丸みを帯びていた。
目の前に実際に存在するようにしか見えない美しい女性の立体映像に、イオリはしばらく言葉を失ってしまったものだ。
それからというもの、イオリは暇さえあれば彼女と会うために『Element』の世界に入り浸るようになった。
もちろん、現実での学業も疎かにせず両立させながら。
「どうかしたのかい?」
「えっ!?あっ、なんでもありませんよ!」
いつの間にかこちらの顔を覗き込んでいたラソスに話しかけられ、イオリは慌てて誤魔化した。
相手は意思を持った人間のように見えるが、中身はAIである。
だから別に遠慮などしなくても良いのだが、どこか気恥ずかしいものがあった。
「そう?ならいいんだけど……」
ラソスは不思議そうな表情を浮かべると、テーブルを挟んでイオリと向かい合う形で座った。
プロジェクションルーム内は天井がかなり高く、白色を基調とした無機質な部屋となっており、部屋の中央には巨大な円柱状の形をしたホログラム投影装置が備え付けられている。
リペア達の他にも沢山のプレイヤーがこの部屋を訪れており、彼らは皆思い思いに自身の好きなキャラクターとの会話を楽しんだり、試作したデッキを回すために対戦し合ったりしていた。
獣人や悪魔、人魚にエルフといった種族がひしめき合っている様は、何も知らない人が見たら空想が現実となったように見えて腰を抜かすだろう。
リペア達はテーブルの上に自分のデッキを広げ、既存のカードはもちろんの事、リリース予定の新しいカードやそのコンボに対応した修正案などを話し合っていった。
それに伴ってデッキに入れるカード、外すカードと分けていくと、最後にリペアがよく見慣れたカードが残った。
「……別に、気を使わなくても良いんだよ?自分が弱いカードなのは分かってるからさ」
『「救世の英雄」ラソス』は確かに最高レアリティのカードだ。性能も当然それに見合ったものーーだったのは"初期環境"での話だ。
召喚時に相手の10コスト以上のユニット(召喚モンスター・トークン等を含めた呼び名)を破壊する、という能力以外何の能力も持たない上に攻撃力も低めなラソスは、既に上位互換となる他のカードが大量にリリースされている事もあって「最初期の最高レアリティカード」というだけの過去の遺物に成り下がっていた。
「でも、ラソスさんは今まで何度も俺を助けてくれたじゃないですか!そのおかげで、俺はこうして『Element』の世界を楽しめてるんですから!」
「うぅん……それはまぁ、そうだろうけど……」
イオリの言葉を聞いたラソスは、どこか困ったような笑みを浮かべながら頬に手を当てた。
「……君は本当に優しいね。そんな君にお願いがあるんだ」
そう言うとラソスは立ち上がってリペアの方へと歩み寄ると、イオリの耳元で囁くように言った。
別に近づかなくともホログラムのキャラクターの音声はゴーグルを通して耳に伝わるのだが、妙に人間っぽさを感じさせる動きだった。
「ぼくを……捨てて欲しいんだ」
「……え?」
唐突な言葉に、イオリは思わず聞き返した。するとラソスは再び口を開いた。
「正確に言うなら、ぼくを君のデッキから外して欲しいって事さ。君の気持ちは嬉しいよ。だけど、もうそろそろ潮時だと思う。知っての通り、来月には『Element』の新パックが発売される。恐らくその中には、今のぼくの上位互換の更に上位互換にあたるカードも出てくるはずだ」
ラソスの言っている事は正しい。
『Element』のカードは、基本的に毎月新カードがリリースされる度に旧カードの大部分は淘汰されていく。
つまりカードゲーマー達にとっての"旬のカード"というのは、常に最新のカードなのだ。しかし、だからと言ってリペアにラソスを手放すつもりはなかった。
「…………嫌です」
リペアはエラーの肩を掴もうーーとしても相手はホログラムなので触ろうとしてもすり抜けてしまうため思いとどまったが、代わりに真っ直ぐ彼女の青色の瞳を見つめた。
「ラソスさんの代わりなんて、誰にも出来ませんよ……それに、あなたは今までずっと俺を支えてきてくれたじゃないですか!今度は俺が支える番ですよ、これからも一緒に頑張りましょうよ!」
イオリは、自分が彼女に恋愛感情に近いものを抱いている事を自覚していた。
だからこそ、たとえ彼女が自分を必要としていなくても、イオリは彼女の力になりたいと思っていた。
しかし当のラソスはそんな言葉を聞いても悲しげに微笑むだけだった。
「……ありがとうイオリくん。やっぱり君は優しくて強い子だよ。でもね、これは"ゲーム"なんだ。ぼくらはただのデータの塊に過ぎない。いくら君が大事に扱ってくれても、いつかは必ず消える運命なんだ。それにさーーイオリくん、最近笑わなくなったよね」
「っ……!!」
ラソスの指摘通り、ここ最近のイオリは笑顔を見せる事が少なくなった。
元々あまり感情を表に出すタイプではなかったが、それでもラソスと出会ってからは以前よりも笑うようになっていた。
しかしその彼女が原因で『Element』での試合で負ける事が多くなり、理想と現実に板挟みになった結果、また塞ぎ込むようになっていったのだ。
「だから、ぼくを外してまた楽しんでプレイして欲しいんだ。大丈夫、君ならすぐに勝てるようになるさ!このぼくーー救世の英雄が保証するよ!」
「嫌だ!!!」
リペアは込み上げた激情を抑えられず、思わず叫んでいた。
プロジェクションルーム内にいる人の視線が集まるが、そんな事に構っている余裕も無いくらいの剣幕だった。
「俺は、ラソスさんと一緒に遊びたいんだ!!ラソスさんが居なきゃ意味が……あっ……」
一気にまくし立てるように声を荒らげたイオリは、そこまで話して周囲の視線と自身の発言が異常である事に気が付き、落ち着きを取り戻すとそのままため息を吐いて項垂れた。
「……ごめん。まさか君がそこまで思い詰めているなんて、思わなかった……」
ラソスは申し訳なさそうな表情を浮かべると、イオリの頭を撫でるように触れようとした。
だが、ホログラムの身体はイオリの頭に触れる事はなく、そのまま透過するようにすり抜けたのだった。
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