Apricot's Brethren

七種 智弥

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序章:混沌に帰す者【File 03:練兵に倣う灰滅】

練兵に倣う灰滅-7-

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 風呂上がり。ドライヤーで髪を乾かした後、さっぱりした気分とふんわりした柔軟剤の匂い、肌触りの良い生地の服に包まれて、僕は執務室へ足を運んだ。扉を開けた先からは何やら揉めている声々が聞こえる。話の流れからして、大方侵蝕者イローダー討伐任務における僕の参戦が議論の発端だろうことは、何となくだが察知した。

「お前らの言いたいことは百も承知の上だが、俺が閣下に食い下がった言い分は全部却下されたんだ。受け入れるしかあるまいよ」

「それでハチが死んだりしたら元も子もないじゃないですか。彼はまだ子供ですよ!」

「運良く戦場で生き延びたとしても、何か重大な後遺症でも残ったらハチがあまりに可哀想だ!」

「その言い分も十分分かっているつもりだ。が、奴は元々総本部の監査役軍人。その覚悟があってこの組織に入隊したことは奴自身一番理解していることだろ。他人のお前らがとやかく言うことじゃない」

「それはそうですが。……でも、彼は今、記憶喪失なのに――」

 ルカさんとティムさんとは対面してまだ一時間も経過していないというのに、彼らから就中なかんずく過分な待遇を受けている気がした。僕がまだ未成年だから、というのもあるだろうが、それ以上に身の危機を案じられているような感触を覚えたのである。
 しかし、今更己に這い寄る危難の影に怯えてなどいられないのである。本を正せば、僕もそこそこの軍歴ある兵の一人だったのだから。

「――何だか僕の処遇について同情的な声が聞こえますけど、二人共そこまで悲観的にならないでくださいよ。僕自身、皆さんと行動する中で失った記憶を見つけられたらいいなと考えているので、現状比較的明るく捉えているんですよ。勿論皆さんには、指導において教鞭を振るって頂く分だけ負担を強いる結果にはなりますけど。けれど、生き延びてやるという気構えだけは固く揺らがない。これから死なない術を沢山叩き込んで頂ければと思っています。だからどうか、僕に憐憫の情を抱かないでください」

 口論を割るようにして嘴を容れると、三人は「いつの間に風呂から戻ったんだ」と言わんばかりに仰天した。議論に白熱していたのか、僕の気配に全く気付かなかったらしい。隠密行動をしていたつもりはないのだが、記憶を失う前の密偵時代の習性が滲み出てしまったのだろうか。なんて、順当に偵察任務をこなしていた自分の後ろ姿が、ありもしない記憶が頭の片隅を過る。舌戦に聞き耳を立てるなんて野暮な真似をした訳でもないにせよ、僕の不在時に僕についての論争をされるのはあまり居心地が良くないのは事実だ。
 言うまでもなく、僕のことを心配する声が上がるのは単純に嬉しい。嬉しくはあるが、ただ心配するだけでは現状が変わらないのは事実であるし、それならば死なない戦術を習得する方が余程合理的である。処遇が決定した段階に、我儘で何もかも全て蹴散らしてやろうとも考えたが、それは桐生きりゅう氏に完全論破されたので、今は悲観的に捉えるより、生き延びる方法を一つでも多く身に付けるべく奔走したいと考えている。故に、僕の身の危険を案じてくれるというのは、ある種の杞憂なのである。

「ハチ自身が現状を受け入れているのなら、僕達はもう何も言えませんね。……君は、強い子です。その歳でこんな危険な環境を受け入れるだなんて、中々できないですよ」

「死なない戦術戦法の習得は俺達に任せとけ。教えられるもの全て座学と実践通してみっちり教えてやる。だから、お前も死に物狂いで付いて来い」

 二人は僕の話を聞いて承引すると、レンさんに対し批判的だった発言を僕に対して協力的な発言へ翻す。徐々に形成されていく、僕とルカさんとティムさん三者の信頼関係。レンさんは一人だけ疎外感を感じていたのか、唐突に僕に優しくしたが、僕はそれをそっけなく躱した。

「包帯はきちんと巻けたか? 俺がまた巻き直してやろうか?」

「いや、大丈夫です。レンさんとテオさんの処置を間近で見ていたし、見様見真似でできました。僕の治癒能力が高いことが関係しているのか分からないですが、鎮痛剤のお陰で傷の痛みも大分治まっているので、後は何とかなりますよ」

 折角の好意を敬遠されたレンさんは、不服顔ながらも「そうか……」と僕の返答を受け入れる。普段なら気の向くままに「いいから俺に任せろ!」と押し付けがましい親切を強要してくるであろう状況。そうしなかった現実に一貫性のなさを感じ取った。随分としおらしくなった姿は逆に薄気味悪くもある。だが、それは僕がいない間部下二人からこってり絞られたことが起因するのだろうと、巧まずして想像できた。

 それで、座学とは一体何を学ぶのか。それが議題に上がる。すると、まず本日学ぶのは禍津子まがつみ侵蝕者イローダーの生態とそれに適応した戦闘スタイルについて、であった。確かに桐生きりゅう氏から触りについては説明を受けているものの、改めて考えると侵蝕者イローダーの生態や生息域・行動域、戦闘における挙動・予備動作についてなどは未知の領域であった。彼ら侵蝕者イローダーの生態を熟知した上で戦闘スタイルを学ぶのは、大いに初歩的で効率的な戦術学習であろう。

 また、以後のスケジュールとして、実戦訓練が投入されるまでの安静期間・三日間で一体何を学ぶか確認しておきたかった。純粋な疑問を問えば、明日学ぶのは対人戦について。明後日学ぶのは、救護作戦における保護方法かつ護衛しながらの戦闘術について。だそうだ。

 てっきり侵蝕者イローダー討伐任務に備えた座学中心になると誤解していただけあって、人間との争い――つまり戦争や紛争への参与で対人戦術が大きく関連することをすっかり失念していた。そうだ、K-9sケーナインズとは特殊精鋭部隊であり、侵蝕者イローダー討伐専門部隊ではない。戦争や紛争に関わることもあれば、要人護衛に就くことも今後十分有り得る話なのだ。
 言うなれば、人殺し。任務遂行過程における殺人行為。それが上官により許容され、強要される場合もあるということ。

 ――ああ、そうか。僕は何か勘違いしていたようだ。
 ここに来るまできちんと認識できていなかったが、これは、如何なる上官命令にも従うという【暗黙の了解に倣うことができるか】を試すための登竜門なのだ。軍に身を置く僕に課せられた、最初の務めであり、そして今後も末永く続く責務。身の安全を脅かされるという表面の恐怖に曝されるだけでなく、自らの手を汚すという裏面の恐怖に侵される。一軍人として要求される本質をそう理解した途端、僕の表情は曇る。
 任務における絶対的命令に対して、一縷の拒絶も許されない身。それを受け止めるということは、有り体に言えば、【人を殺めるという倫理を逸脱した道】を歩むことに準拠するに他ならない。求められている役割に思わず苦悶するのは、一人の軍人として生きていく覚悟が、僕にまだ足りなかった証なのだろう。
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