Apricot's Brethren

七種 智弥

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序章:混沌に帰す者【File 01:昼中に墜つ白烏】

昼中に墜つ白烏-02-

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 単純に思考放棄というにはやや語弊があるため、思考阻害とでも訂しておこう。実際この怪奇現象に驚くのも束の間、追って全身を襲った猛烈な倦怠感に思考の大部分が飲み込まれてしまったこと自体、紛れもない真実なのだから。

 前日どんな行動を取ればこうも疲れが身に応えるのか不明瞭だが、体調不良と心身疲労が幾重にも折り重なった消耗感とは酷く壮絶なものだ。身体は重く節々は痛む。未知の場所に迷い込むだなんてゲリライベントさえ生じていなければ、凄まじい睡魔に抗いもせず、大手を振って眠りに身を委ねていたことだろう。そう、異色の情景を無視して、事実解明を一擲する余地すらあったのだ。
 それでも辛うじて意識を繋ぎ止めていられたのは、「何故こんな事態に陥っているのだろう」と自らに迫った謎を解き明かさんとする、強固な意志があったからに違いない。「どうせレム睡眠が見せる壮大な夢に決まってる」だなんて漫然と断定できたのなら、今より何倍も楽だっただろうに、そうしなかったのは確固たる意地が根底にあるからこそ。

 そこまで楽観視するには、残念ながら知能やら知識やらが発達してしまっている、という条理的論点も一理ある。だが、一時的に知的活動を中断してなお、未だ解明を諦める気になれないのは、大方元来の負けず嫌いな性分とやらが遺憾なく発揮されているからなのだ。それは、表面上摩訶不思議な境遇に狼狽しつつも、その実謎解きを楽しんでいたと言って差し支えないほどに。

 無意識の内に自力でここに辿り着いたか、はたまた就寝中第三者の手によりここに運び込まれたか。あらゆる仮説を想定するものの、抑々そもそも覚えていないのだから、生憎とそのどれもが定かではない。しかしどう転ぶにせよ、これが【個人では決して推し量ることのできない難題】だという現実のみが、ここまでで知り得た唯一の収穫なのであった。

 くして、どのくらいの間を休憩と称して呆けていたか詳らかでない。けれども、ぼうっと虚空に視線を彷徨わせている最中、床材一面に満遍なく塵埃が溜まっている点に、ふと目が留まった。

 ことの発端に見渡した時こそ、きちんと片付いているように見えた部屋であるものの、よくよく目を凝らせばなるほどそうでもないらしい。モデルルームと看做すには清掃が行き届いていない上、ローテーブルで乱雑に散らばる大量の書類を見る辺り、生活感ぜろとも言い難い。家主が長期間に渡りここを不在にしているとの予測は、極めて容易であった。

 ところが何か妙だった。何が・・とは明言できないが、異様な違和感が確かにそこにはあったのである。
 不審感を覚え、もう一度辺りを一望するも、やはりその得体は知れず。冥々のうち、他人の居住区域に迷い込む――そんな常軌を逸した体験を現在進行形で味わっているにも拘らず、胸の内では更に形容し難い新たな疑念が、徐々に渦巻いていった。

「今、何時なんだろう?」

 それにしても薄暗い部屋だ。元より家主が不在なので、照明が全て消えていようが、カーテンが閉じていようが、当然と言えば当然なのだろうが、流石に室内のどこにも時刻を表示する機器が一切ないのは不便極まりない。光源さえ差し込まぬ部屋の中で時間の予測を付けるなど、無理に等しいことだ。

 依然として窓際に面したベッド上に座り込んでいた僕は、ただ何となしにドレープカーテンのプリーツに右手を伸ばした。「静寂が聞こえるこんな一間でも、この厚い覆いを取り去れば、更なる向こう側には見知った景色が広がっているのではないか?」なんて、もしかしたら、心のどこかでそんな淡い期待を抱いていたのかもしれない。
 そうして僕は、気の向くまま、勢い良く件のカーテンを開放した。

 途端に窓から入り込む目映い陽の光。照明の消えた薄暗い屋内で慣らされた眼には、聊か毒が強過ぎたらしい。唐突に降り注ぐ燦爛たる黄金を遮るべく、両手を翳し視覚を保護するが、それもやがては日差しに順応していく。瞼をゆっくりと開けた瞳の先に広がっていた光景は――。

「なん、だ……これ、は……?」

 ――辺り一面の、白。壁があるでもなく、ただ真っ白な地面が坦々と続いている。こんな場所知らない。こんな場所見たこともない。ここに来て肥大化した異常性に、当然の如く呆気に取られてしまった。
 初っ端から感じたただならぬ静けさを、社会から隔絶された・・・・・・・・・と表現したのは、強ち間違いではなかったらしい。一体何のためにここが存在しているのか、到底理解には及ばぬが、徹底的な隔離を知らしめるよう取り囲む無色無音の世界は、文字通り隔離施設と呼ぶに相応しい。

 誰の思惑とも知れない展開に驚きを隠せない。しかしそれ以上に、己がそこに紛れ込むこと自体、嫌に作為的ですらあった。

 果てさて、一体ここはどこなのか。皆目見当もつかないという当初の認識を超えて、事態はいよいよここが現実なのかどうか訝しむレベルにまで到達した。既にこの状況が夢かうつつかの議論に決着がついているため、この場で定義する現実とは【今まで僕が生きてきた時間軸・地軸・世界軸】を意味する。つまりそれは、今現在直面している光景と、記憶上に残る景色を鑑みるに、時間遡行・空間移動・並行世界の類を怪しむ必要性が出てきたということを示唆する。
 我ながら馬鹿げた発想だと思うが、これを「荒唐無稽」「くだらない」などと一緒くたに否定し切るほどの確証もない。

 まずはこの隔離区域が現実的に存在し得るものなのか、探りを入れなくては。状況把握すらままならぬ危機から、脱しなくてはならない。
 可能ならば、タイムリープ説やパラレルワールド説を棄却し、迷子説を採択したいところだが、そのためには裏付けに相当する物的証拠を発見するしかなさそうだ。

 まず手始めに、この私室から抜け出せないか試してみる。埃の溜まるフローリングをひたひたと歩く度に足跡が付着していくが、そこに真新しい雪原を駆ける時のような愉楽はない。あるのは現状を把握するために遍く証拠を掴みたいという、ただ只管の執念だけ。しかし、がしりと頑丈に閉ざされた扉には錠前があり、鍵を必要とするということは論をたない。参ったことに、部屋から抜け出すのは、今のところ無理そうだ。白色の異界から逃奔したがる身体が喧しくドアノブを回したが、無論それが開かれる奇跡地味たものは一向に訪れなかった。
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