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僕は梯子を昇って落とし戸を持ち上げた。
少し迷う。だが、もう時間はない。僕はマッチを擦って下に放り投げ、戸を閉めず建物の外に出た。
深夜である。人通りはない。だがいずれ大騒ぎになるだろう。僕は人家の夜陰に隠れ、じっくりマンガ喫茶の方を見守った。
燃えるのは、あのシェルターのような地下室だけだろうか? それとも建物全部燃えてしまうのだろうか?
どちらでも良いのだが、他の家に類焼が広がってしまうと気が引ける。
煙が外からでも視認出来るくらいになり、だんだん人の声が大きくなってくる。二階玄関についている階段から、パラパラと人が降りてくる。
やがて、悲鳴と共に店内から逃げてくる人間が群れを成し始めた。
一階倉庫に明かりが灯ったが、消化活動しているようには見えない。
窓の下方からちらちらと熾火のような紅が漏れてくる。
『あー、上までいったか』
炎がである。途中で消えてはいけないと思い、落とし戸を開けてきたからであろう。
その意図はなかったのだが、結果的に倉庫に火が移ったようだ。
こうなってしまえば全館が焼けるのも時間の問題だ。
遠くからけたたましい、蟲の鳴き声を思わせる消防車のサイレンが聞こえてくる。見物人も増えてきた。
窓が割れ、炎の舌がチロチロと外気を舐める。次の瞬間、ゴォッと紅炎の渦が巻き上がり建物の外にまで火の粉が飛び散った。
わぁっと歓声が上がる中、消防車が到着しホースで水をかけはじめる。
一階、二階の窓があった場所から、バラバラになって焼け焦げたマンガの頁が毟られた鳥の羽根のように吹き出した。
ああ、終わりだ。僕はしみじみとそう思った。
突然、雷光のような輝く柱が漫喫の中心に聳えた。ように見えた。
下から上に伸びたのか上から下に天降ったのか定かでない。
僕だけに見えたのかと思ったが、群れ為す野次馬からもどよめきが起こったので違うようだ。
雨が降ってきた。最初はぱらぱら、次第に地面を叩く音が強くなってくる。
消化活動も懸命に行われているが、火の手は一向に治まる気配がない。
「終わってしまった」
ふと、隣から声が聞こえた。
社長だ! と思わず声を上げそうになり、寸でのところで押し止めた。咽喉が若干ざらつく。
紀見屋幸一である。確か一度だけ店に来た時に顔を見た覚えがある。何か声を掛けられた気はするが、内容は忘れてしまった。
こちらには気づいてない様子である。
僕は見るとはなしに、この人物を観察してみた。
髭の下の口は寂しそうにモグモグ動いており、来るべきものが来た、というような厳しい眼で彼の店が燃えるのを見つめている。
僕の胸の裡を、ふとどうしようもない寂寥感が掠めていった。
そう、終わってしまった。もう二度と戻らない日々。
僕は影を通りぬけ、可能な限りそっとその場を離れて、人ゴミに紛れた。
火事は続き騒ぎも続く。猛炎が天を明るく染め、そのおかげで僕は空が曇っていることに気付いた。
僕は、雲の切れ間の方角を目指して歩を進める。ほんのりと地上に届く月の光を当てにして駅を目指した。
少し迷う。だが、もう時間はない。僕はマッチを擦って下に放り投げ、戸を閉めず建物の外に出た。
深夜である。人通りはない。だがいずれ大騒ぎになるだろう。僕は人家の夜陰に隠れ、じっくりマンガ喫茶の方を見守った。
燃えるのは、あのシェルターのような地下室だけだろうか? それとも建物全部燃えてしまうのだろうか?
どちらでも良いのだが、他の家に類焼が広がってしまうと気が引ける。
煙が外からでも視認出来るくらいになり、だんだん人の声が大きくなってくる。二階玄関についている階段から、パラパラと人が降りてくる。
やがて、悲鳴と共に店内から逃げてくる人間が群れを成し始めた。
一階倉庫に明かりが灯ったが、消化活動しているようには見えない。
窓の下方からちらちらと熾火のような紅が漏れてくる。
『あー、上までいったか』
炎がである。途中で消えてはいけないと思い、落とし戸を開けてきたからであろう。
その意図はなかったのだが、結果的に倉庫に火が移ったようだ。
こうなってしまえば全館が焼けるのも時間の問題だ。
遠くからけたたましい、蟲の鳴き声を思わせる消防車のサイレンが聞こえてくる。見物人も増えてきた。
窓が割れ、炎の舌がチロチロと外気を舐める。次の瞬間、ゴォッと紅炎の渦が巻き上がり建物の外にまで火の粉が飛び散った。
わぁっと歓声が上がる中、消防車が到着しホースで水をかけはじめる。
一階、二階の窓があった場所から、バラバラになって焼け焦げたマンガの頁が毟られた鳥の羽根のように吹き出した。
ああ、終わりだ。僕はしみじみとそう思った。
突然、雷光のような輝く柱が漫喫の中心に聳えた。ように見えた。
下から上に伸びたのか上から下に天降ったのか定かでない。
僕だけに見えたのかと思ったが、群れ為す野次馬からもどよめきが起こったので違うようだ。
雨が降ってきた。最初はぱらぱら、次第に地面を叩く音が強くなってくる。
消化活動も懸命に行われているが、火の手は一向に治まる気配がない。
「終わってしまった」
ふと、隣から声が聞こえた。
社長だ! と思わず声を上げそうになり、寸でのところで押し止めた。咽喉が若干ざらつく。
紀見屋幸一である。確か一度だけ店に来た時に顔を見た覚えがある。何か声を掛けられた気はするが、内容は忘れてしまった。
こちらには気づいてない様子である。
僕は見るとはなしに、この人物を観察してみた。
髭の下の口は寂しそうにモグモグ動いており、来るべきものが来た、というような厳しい眼で彼の店が燃えるのを見つめている。
僕の胸の裡を、ふとどうしようもない寂寥感が掠めていった。
そう、終わってしまった。もう二度と戻らない日々。
僕は影を通りぬけ、可能な限りそっとその場を離れて、人ゴミに紛れた。
火事は続き騒ぎも続く。猛炎が天を明るく染め、そのおかげで僕は空が曇っていることに気付いた。
僕は、雲の切れ間の方角を目指して歩を進める。ほんのりと地上に届く月の光を当てにして駅を目指した。
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