Ωの愛なんて幻だ

相音仔

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本編

最高に幸せな日

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 自信を持って言える。あの日は人生で最高の日だった。
 あんな事件に巻き込まれて、この国のことを嫌になっていないか、私のことが頼りなくないか、不安に思うこともあったのだが、エクレは私を選んでくれた。
 ずっと傍にいてと言われた時、嬉しくてどうかなりそうだった。
 他の誰かじゃ駄目なんだと、私が良いと彼は言ってくれた。
 
 愛する人と心から繋がれるということがどれほど幸せなのか、私は知らなかった。
 うなじを咬んで良いと言われた時は、これ以上の信頼は無いと思った。まさか、それが要因になって、エクレに発情期がくるとは思っていなかったけれど。
 医者には、長期戦だと言われていた。正常な物がくるとは限らない、番にはなれないかもしれないとまで。
 直感的に分かった、彼のうなじを咬んだときに、私にも彼にも大きな変化があった。
 エクレは本能から私を求めて、受け入れてくれた、これを愛と言わずになんと言うのだろう。
 
 初日は私も、必死だった。求められるがままに抱き、エクレの意識が落ちた時にようやく少し冷静になれた。
 それでもまだ頭は熱に浮かされていたと思う。唯一できたことは手元に届く範囲に水や、簡単な食料を持ってくることと、エクレのうなじの処置だった。
 ほぼ無意識だったが、一回で済んだわけもなく、なかなか酷い痕になってしまっていた。血を拭い、簡単に消毒する。早めに医者にみせた方がいいとは分かっていたが、まだ人を呼べる状態ではとてもなかった。
 エクレは少しでも意識が浮上すると、私を求めた。
 Ωの発情期の話は色々聞いていたが、これほど抗えないものなのかと、驚いた。
 私だけを求めて香り、魅力的に微笑むのだ。それに応えないのは無理だった。
 
 二日が過ぎて、ようやくエクレは少し長く眠るようになった。
 私はだいぶ冷静に頭がまわるようになり、必要なところに連絡をいれた。
 まず、観察機関への連絡。正式な番になれたことが認められれば、エクレは国の保護下からも抜けることになる。機関側の返答ははやく、人と会える状態になれば、まず医師を派遣すると言われた。
 そして、職場に休暇の延長申請。エクレの事件があり、休みをとっていたが、それはまもなく終わる筈だった。番が発情期になったのなら、無条件で通るし、この状態のエクレを置いて出勤するのは考えられない。

 あとはずっと彼の世話をしていた。至福の時間だった。
 普段はあまり甘えてはこないエクレが、全てをこちらに任せてくる。ひとたび離れれば、名前を呼ばれるのだ。私は終始彼の傍にいた。

 通常の会話が出来るまでの時間は、兄に聞いているより長かったように思う。
 エクレの発情期が重いのか、初回だからなのかは、今後の様子を見ることになる。



 まだ無理かもしれないとは思ったものの、早めに診断を付けてほしい事と、エクレの微熱が引かなかったので、医者に来てもらうことにした。
「エクレ、先生と入るよ」
 一声かけて、部屋に入ると、エクレの姿は見えなかった。返事はなく、ベッドの上の布団が丸くなっている。ついさっきまで起きていたし、寝てるわけではないと思うのだが。
 医者は不用意には近づかず、私に目線で促した。
「エクレ? 寝てるの?」
 布団を捲ると、不安げに揺れる瞳と目があった。
「……なんでだろ。何処かに隠れたくなった」
「すぐ終わるから、少しだけ頑張ろう。私も隣にいるし」
 そう声かけながら彼を布団から出す。
 その間、医者は気配を消すように佇んでいた。目線が合うとエクレの身体は、目に見えてこわばった。
「ご足労ありがとうございます。あの、平気だと思ってたんですけど……なんか、駄目ですね」
 その声は既に涙声だった。
「突然の発情期で不安定なところに、番ではないαがテリトリーに入ってくるんです。普通じゃなくて当たり前ですよ」
 医者は静かにそういうと、エクレになるべく視線を合わせないようにとアドバイスをした。
 微熱があったため、顔色と喉の確認をした後は、エクレは私の方に向いていた。
 胸元に顔を寄せる彼の頭を、なだめるように撫でた。
 採血の時は流石に、医者が触る。手早く済ませてはくれたが、エクレと繋いでいた手を強く縋られた。
「間違いなく、発情期が来てますね。驚くべきほどの数値上昇がみられます。これほど、早く回復がみられるとは思いませんでした」
 医者はほんとうに驚いているようだった。
「正式に番になれていると考えて良いですか?」
「まず、間違いないでしょう。今、エクレさんのフェロモンは私には香りません」
 平時のエクレからは、私が分かる程度の微妙なフェロモンが香っていた。他のαで分かると言った者はいない。だが、今は発情期中、この部屋にはとても魅力的な甘い香りがしているのに、αである医者には分からないらしい。
「うなじの傷跡もみておきましょうか。稀に膿む人もいますので」
 簡易的な処置はしたものの、しっかりと傷になっているので、当然見て貰った方が良い。
「やだっ!」
 うなじを触られそうになった時に、エクレは強く拒否を示した。必要だと分かっているけれど、こぼれた声と言った感じで、本人もしまったという顔をしている。
「リュミエールさん髪を少しかきあげて下さい。あぁガーゼを当ててるんですね、外してもらっても?」
 医者は無理に触ろうとせず、私に任せて、傷跡をみた。
「いささか強めに咬みましたね。……数回ですか?」
「すいません、正確な数は私も覚えておらず……」
 うなじを咬むのは一度で良い。分かっていてもあの日は止められなかった。
「まぁ、良くあることではあります。化膿するほどではなさそうです。消毒されたんですよね?」
「はい、一応処置はしました」
「では、新しいガーゼと塗り薬を渡しておきます。清潔を保って下さいね。良いですか?ここはもう今回は咬まないように。しっかり番の関係は結べていますので」
 エクレの発情期はまだ終わっていない。求められたらこたえるつもりだったし、ストレスにならないためにもそれは良いらしい。けれど、首はこれ以上咬まないようにと念押しされた。
 最後に、幾度とない交わりで一番負担をかけた箇所をみてもらった。
 小さい機材を入れられて中を確認するときに、エクレは私の腰のあたりにしがみついていた。震えて全身で拒否を示しているけれど、必死に文句は言わずに耐えているようだった。
「ふむ、僅かな傷と炎症が見られますね。飲み薬を出しておきます。毎食後飲んでください。あとは塗り薬ですね。痛みがある時に随時お使いを」
「しばらくは、入れない方が良いですか?」
「その方が早く治るとは思いますが、また強めの波が来ないとも限りません。その際は、状況にお任せします。相手がいるのに中途半端にしか触られないというのは、Ωにとっては苦痛ですので」
 随分と手荒に抱いてしまったと後悔していたのだが、首の咬み痕以外は、状態はそれほど悪くないとのことだった。
「そうは言っても、初めての発情期ですので、あと数日経っても収まらないなど変わった事があったらご連絡を」
 今後どれほどのペースで来るのか等は、終わった後のエクレのフェロモンの数値を計測していけば予想が立つらしい。

 医者が帰ったあと、二度ほど強めの波がきた。触れるだけでエクレだけを気持ちよくしようとしたのだけれど、泣いて縋られたらとても無理だった。
 意識が戻るたびに、エクレは大丈夫だって言ってると、少し拗ねた様になじった。

 日を追うごとに、エクレの状態はおちついていき、5日目の夜には立って家の中を歩き回っていた。
 一人で風呂に入ろうとするけれど、心配でそれまでのように、一緒に入って、一から十まで全部しようとしたら、恥ずかしがって追い出されそうになった。
 なんでもしてあげたいのだけれど、どうやら数ヶ月に一回の楽しみになってしまいそうだ。
 
 おおよそのΩと同じように7日が過ぎると、通常の状態に戻った。
「仕方ないだろうけど、これがまた3ヶ月後にくると思うと少し気が重いよ……」
 エクレは気だるげにそうボヤいた。
「私は嬉しいが、エクレは身体が辛いからね」
「……リュミエールは面倒じゃないの?断片的だけど、俺相当手が掛かって、わがままだったよね?」
「全く。君に尽くせるのが楽しかったよ」
「それなら……まぁ良いけど……」
 番が快適に過ごせるように、αがあれこれ気を回すのは当たり前だった。
 今回は突然だったから、充分だったとは思えない。次回の時はもっと備えておきたいと考えている。



「この度は、おめでとうございます」
 手続きのために家を訪問してくれたエンデさんは、一礼しながら私たちを言祝いだ。
「ありがとうございます。エンデさんには、お世話になったから」
「とんでもないです。エクレ様本当に、良かったです。……施設にいた頃とは見違えました」
「ですよね。俺、つまんなさそうに生きてたから」
 エクレはしみじみとそう呟いた。
「この度、番届を出されると言う事ですので、エクレ様の保護者は正式にリュミエール様になられます。ですが、何かありましたら、お気軽に当機関にご相談に来てください」
 番届は婚姻届とは別にある。同時に出す者もいるが、私たちはとりあえず番届のみを出す事にした。
 必要になるのは当人同士の情報、医師の診断書で、他に親や証人を立てる必要はない。

「あー、誕生日が分からないや」
 書類を書く途中にエクレはそう困ったように言った。
「君の国とは暦が少し違ったからね。季節は何時ごろだったの?」
 私の質問に少し考えたあと、彼はこういった。
「ううん、いいや。俺とリュミエールが最初にあった日って分かる?」
「もちろん忘れたりしないよ」
「その日にする。リュミエールと会った日が、俺の誕生日!」
 本当にかわいい事を言ってくれる。
 無邪気にそう笑う彼の事を、愛おしいと思った。



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