Ωの愛なんて幻だ

相音仔

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本編

君の居場所でありたい

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  エクレと共に過ごす日々は、まるで生まれなおしたかのように輝いていた。
 私は、彼の一挙手一投足が気になり、彼が少しでも快適に過ごせるようにと、立ち回った。

 言語統一薬を使ったおかげで、エクレの事を知ることもできた。
 彼のいた国では、Ωの扱いが随分と違う事が言葉の端々からうかがえた。
 この国、いや他国においても、法がまともに機能しているなら、Ωが性を売る仕事をする事はまず無い。そんな場所が存在しないといった方が正しいか。
 βの自由で奔放な恋愛を支援するために、色街のようなものはあるが、それでも厳しく管理されていることが多い。
 まだ、信頼を得ていない関係で、とても踏み込んでは聞けなかったが、薬を使うような環境にいたことが、少し信じられなかった。
 一番、驚愕したのは、親に売られたという事だ。しかも、それが別に珍しくないという。
 子どもに対する認識もあまりにかけ離れているようだった。
 
 もう一つ、心配な事がある。エクレは、ほとんど自分の意見を言わなかった。
 買い物に出た時もそうだ。私が勧めるもの以外には興味を持たない。
 いつも選択肢の中からどれかを選ぶ。何度か好きなものを選んで良いのだと、言ったのだけれど、あったら言うからとそれだけで、結局一度も自分で商品を手に取る事はなかった。
 しばらく様子を見ていて、分かったが、彼は自分の趣味や嗜好を育てたり、主張できたりする環境にいなかったのだと思う。
 これからの生活で、好ましいと思うものを見つけていって欲しい。

 彼は、勤勉な性格のようで、毎日言葉を覚える努力をしている。
 一週間が経つ頃には、言語統一薬が無くても、簡単な日常会話は出来るまでになっていた。
 少し舌足らずだった会話が、だんだんしっかりしてくるのを傍で見れた事は喜びだった。
 彼を家において、仕事に行かなければならないのは、残念で仕方なかった。
 一年くらい休んでも、蓄えはあるため問題ないのだが、抱えている案件を放りだすのは、流石に申し訳なかった。
 
 仕事の復帰の時期は伝えていたので、支援施設から彼を良く知る職員が来てくれると連絡があった。
 世話をする名目もあるだろうが、一番は私と彼が問題なく過ごせているかの確認だろう。
 保護先が見つかったからといって、それでΩのことから一切の手を引くことは無い。
 その後の様子をしっかりと見守っていくのだ。

 エンデさんは、私に説明をしてくれた場にいた職員だった。
 2カ月程、エクレの事を、見ていてくださった方だ。この家で、彼が窮屈に感じていないか、見定めてもらえるだろう。
 私は帰宅すると、その日何をして過ごしていたのか彼女に聞いた。勿論、エクレから話を聞くのも楽しみだけれど、彼の様子を客観的にも知りたかった。
 エクレは料理や掃除を一緒にしたがる。出来る事を増やしたいと、言っていたそうだ。
 手先が器用らしく、細々とした作業が得意そうだと聞かされた。
 本も良く読むようだったが、それは楽しいからというより、言葉を覚えたいからという意識が強いようだった。
 私といる時もそうだったが、彼は自分で自由な時間というものをあまり持たない。いつも少しこちらを伺っていて、何かすることを探しているように見えた。

「手伝いをしないと、落ち着かないのかもしれませんね。保護された子どもなどに、よく見られる傾向です」
 エンデさんの所属する政府機関は、Ω保護と支援の活動をしているが、稀に親を亡くした子どもや、犯罪に巻き込まれた子どもの保護もするらしい。
 新しい環境を与えられた子どもは、その環境に馴染もうと、一生懸命新しい家の手伝いをしようとするらしい。
「ここを自分の家として、安心して過ごしてもらえるのは、まだ先ということか」
「それでも、エクレ様は少し楽しそうです。少なくともあの二部屋だけの空間でいた時よりは、表情が柔らかくなられました」
「そうですか? それなら少し安心しました。会話が可能になって、彼の事情も分かりましたから、ここでは楽に過ごしてほしい」
「時間はかかるでしょうね。価値観というものは、生きて来た環境で決まるものですから。エクレ様は、Ωであることにコンプレックスがあるようでした。初めての経験ですよ。βであることを羨ましがられたのは」
 一般的な社会常識を教える過程で、性差の話にもなったらしい。Ωが犯罪に巻き込まれやすいということも、伝えてくれたようだった。




「エクレさんの体調は落ち着いてきましたよ。ただΩとしてはまだ不安定と言わざるを得ない」
 週に一度、エクレを診察してくれている医者はそう言った。
「彼からは、甘い良い香りはしていますが、フェロモンの値はまだ悪いですか?」
「私もαですが、彼の匂いは全く分かりません。やはり、貴方に向けて発しているからなのでしょう。年齢の割に、未成熟なのは、長年服用していた薬が大きな原因でしょうね」
「保護した時には、副作用も出ていたと聞きました」
「えぇ、それはこの数ヶ月で薬も抜けて落ち着いたようです。ただ……。リュミエールさん、貴方はエクレさんと番たいとお考えですよね?」
 医者は、難しい顔をして、そう尋ねてきた。
「勿論です。そう彼が望んでくれたらですが」
「エクレさんに通常の発情期がいつくるのか、全く未知数です。もしかしたら、来ない可能性もあります。その場合は当然、正式な番関係はもちろん、お子さんを望むことも難しいでしょう」
 覚悟はしていた。ただ、医師の口から告げられると、多少の動揺はあった。
「それでも、私は彼の傍にいたいです。彼を一目見た時、そう決めました」
 私の返事をきいて、医者は大きく頷いた。
「……それを聞けて良かったです。たった一ヶ月ほどですが、貴方と過ごして、エクレさんの数値には改善が見られています。運命の番が起こした様々な奇跡的な前例もあります。共にいれば、より良い未来もきっとあるでしょう」
 彼を任せるのにふさわしいのか、試されていたのかもしれない。
「私が彼のために出来る事はあるでしょうか?」
「栄養のあるものをきちんと食べて、身体にエネルギーを蓄えること。それから、αのフェロモンに適度に触れることは、悪い事ではないです。言語統一薬を使うときの接触を彼は嫌がっていますか?」
「嫌ではないと思いたいですね。拒否された事はありません」
「それ以外で、身体的な接触はまだ控えている?」
「以前の仕事が嫌いだったと言っていたので、接触は最低限にしています」
「そうですね。デリケートな問題です。ですが、もし彼が望むなら、接触を増やすことは良いと思います。負担にならないようにですがね」
 これ以上触れるのは良くないのではと思っていただけに、医者の言葉はさらに私を悩ませた。

 触れていいと分かったら、こちらからもっと触りたくなるだろう。
 けど、駄目だ。彼はやっとこの世界に馴染もうと頑張っている所だ。
 その上、新たな刺激をあたえるわけには行かないだろう。
 以前の仕事を嫌だったと言っていた。
 もし嫌な記憶を呼び覚ます行為だったとしても、エクレはたぶん私が迫れば断らない。それは、あまりに身勝手に思えた。




 実家から帰ってから、エクレの様子がおかしかった。いや、途中から既に元気がなかったようにも思える。
 初めての人との会話は、負担だっただろうか。
 それとも、家族というものに縁遠い彼を、親に会すのは早計だっただろうか。
 
 珍しく彼の方から、言語統一薬を使いたいというと、随分と情熱的なキスをされた。
 それに応えたい、そのままその唇を貪りたいという気持ちを理性で抑える。
(どうしたんだい? 何か話したかったのだろう?)
(……俺と貴方って、αとΩとしての相性が良いんだよね?)
 エクレも医者から説明を受けていたのか。
(それは間違いない)
(この世界で言う、運命って奴なんでしょ?)
(そう、だと良いなと私は思っている)
(ねぇ、じゃあ確かめようよ。運命の番なら、身体の相性だっていいでしょ)
 そう言って、魅惑的に私を誘う彼の手は震えていた。
 性的に欲求不満になって、迫ってくれたという選択肢はこの時消えた。

 焦っている? 不安がっている?
 そう思わせてしまった自分が腹立たしかった。

 (いつぶりですか? 少し緊張してる?)
 何度目かのキスの後に彼にそう聞かれて、観念した。
 (君は笑うかもしれないが、この年まで夢見がちでね。これはと思う相手にだけしたかった。だからキスも君が初めてだよ)
 自分だけの唯一を求めて、操を立てる。αやΩにはそういう者も多い。私もその一人だった。
(実は初めて薬を使うとき、かなり緊張していたんだ)
 色気の欠片もない初めてとなったが、それがエクレとのちゃんとした会話になるのなら、悪くなかったと思う。
 (うそでしょ?)
 エクレは目を見開いて驚いていた。
 彼の初めては、私ではない。それは分かっている。仕方ない事だとも理解している。
 でも、やはり面白くはない。
 出来るならこの先、深く彼に触るのは私だけであって欲しいと願う。
(ベッドにいこう? それともここで続きする?)
 こちらを煽るようにそう言う彼は、大変愛らしかった。
 返答する間も惜しんで、彼を私のベッドへと運んだ。
 横たえて見下ろすと、彼の瞳が揺れていた。
(エクレ、本当に……)
 このまま続けて良いのか? と聞きたかった私の言葉は、彼に唇に遮られる。

 たまらなかった。彼のすべてに触れたかった。
 私の運命が、いま腕の中にいるのだ。
 何度夢見ただろう。何度、こんな風に抱きしめたいと思っただろう。

 私の手技など拙いものだっただろうに、彼はとても乱れてくれて、多分気持ちよかったのではないかと思う。
 そうであって欲しい。
 下手だと思われたら立ち直れない。
 エクレの反応がかわいくて、何度も啼かせたくて、夢中になってしまった。
 気をやって、プツリと意識を失った彼をみて、なんとか冷静になれた。
 そのまま、彼の全てを貰いたいところだったが、さすがにそれはあり得ないと、必死に自分を抑えた。
 あり余った熱を適当に自分で処理をする。
 きつく絞ったタオルを持ち、エクレの身体を綺麗に拭いた。
 どこもかしこも、私より一回り、二回りも小さく、細い。
 例の仕事でついたのだろう。所々にある怪我や痣の跡は、だいぶ薄くなっているようだった。このまま消えて無くなればいい。
 二度とこんな怪我をするような事態は起こさせない。



「朝まで起きないかと思った。少し遅いが、スープくらい食べれるかい?」
 夜が更ける頃に彼が起きてきて、ほっとした。
(ごめん。俺、ちゃんと最期まで出来なかった。俺が誘ったのに)
 薬の効果はまだ残っていた。エクレは、まるで叱られるのを待っているような様子だった。
(謝らないで、私も君も、フェロモンに酔ったんだ。君は特に耐性が薄いみたいだから、キャパオーバーだったんだろう)
 何を謝ることがあるのだろう。彼がそうなるまで辞めなかったのは私だ。
 負担を強いたのはこちらなのに、彼が申し訳なさそうなのが、腑に落ちない。

(一つだけはっきりさせておこう。エクレ、私は君が好きだ。生涯をかけて愛していきたいと思ってる)
 もっと早く告げておくべきだった。
 あまり、強く迫ると彼は逃げてしまうような気がして、流れのまま説明せずに、傍に置いていたのは良くなかった。
(俺たち、まだ会ったばかりだよ。それに、俺は何も出来ないし、取り柄もない。Ωなだけだ)
 自信がなさそうに俯く彼に、顔を上げて欲しかった。
(君の価値観だと受け入れがたいかもしれないが、直感的に君しかいないと思ったんだよ。他のΩじゃ駄目なんだ。あの日、君に会った日、私は確信したんだ。君が私の唯一の相手だって)
 私の言葉に彼の頬が色づいた。戸惑っているようだけれど、そこに喜びが垣間見る気がして、嬉しかった。
(君には時間をかけて、それを伝えていきたいと思っていた。そのせいで、不安にさせたんじゃないかと。身体を許してくれなくても、私の気持ちに応えてくれなくても、君をいきなり放り出したりはしない。ただ、君が許してくれるなら、私はずっと君の傍にいる)
 信じてもらえないかもしれない。それでも、どうか私の気持ちの一欠片でも、彼に伝わりますように。
(俺、貴方が好きなどうか、分からない。ごめんなさい。そういう気持ちを持てない環境で生きて来たから)
 エクレの返事は、分からないだった。

 私は、それでも嬉しかった。彼は迷って、戸惑っていた。ちゃんと彼の中で、考えてくれようしているのが分かった。
 その場の雰囲気で流されて、好きだと返事をされるよりずっと良かった。
 私の言葉は、彼に考える余地をあたえる程度には、届いたようだ。

(本当に嫌じゃなかった? 最初は君の身体がこわばってたように思えてね)
(最初は、でしょ? 途中から俺、前後不覚になるくらい、ぐずぐずだったはずだけど。俺たち身体の相性、悪くないのかもね)
 そう、悪戯っ子のように笑う。あぁ、本当に可愛いなぁ。
(本当に、そういう事を迂闊に言わない。すぐまた触れたくなるから)
 子どもにするように頭を撫でたが、エクレはどこか嬉しそうだった。
 まったくどれだけの気力で、踏みとどまったのか、彼は分かっているのだろうか。

(ねぇ、スープ、飲みたいな)
 そう言って笑った彼は、少し肩の力が抜けたようだった。
 
 それから、スープを飲みながら、彼はぽつりぽつりと自分のことを話してくれた。
 母親の記憶は全くない事、最初はβだと思って生きてきた事。
 進路を考える際の検査でΩと分かり、父親に店に売られた事を。その日からのΩとしての生活が、決して良いものではなかったため、Ωであること自体に忌避感があるようだった。
 この国と自分の国でΩの環境が違いすぎて戸惑っている事も打ち明けてくれた。

 今まで聞けていなかった彼の話を聞くことができて、私たちは少しだけ距離感が縮まったように思う。





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