上 下
40 / 60

第9話 インフルエンザ その5

しおりを挟む
 

 ドアを開け、深雪が小鳥と共に部屋を出た。小鳥の目は真っ赤になっていた。

「落ち着いたかね」

「はい…すいませんでした、いっぱい泣いちゃって……」

「気にすることはない。辛い話だったからね」

「いえ……ほんと、聞いてくれてありがとうございました。それに深雪さんのこと……深雪さんの、その……話まで聞かせてもらって、すいませんでした」

「いや、聞き苦しい話ですまなかった。他人にここまで話したのは初めてだったのだが、私も少し心が軽くなったようだよ」

「本当にありがとうございました」

「大丈夫かね?」

「はい。おかげで気持ち、軽くなりました」

「またいつでも来たまえ。歓迎するよ」

「はい」

「今日の話は二人の秘密だ。誰にも言わないから安心したまえ。じゃあ、少年のところに戻るとしよう」

 そう言って二人が階段を上ったとき、エレベーターが開いた。

「小鳥ちゃん?」

「菜々美さん」

 中から、大きなコンビニ袋を持った菜々美が現れた。

「小鳥ちゃん、悠人さんは?具合はどう?」

「お見舞いに来てくれたんですか」

「うん。迷惑だって分かってるんだけど、どうしても気になっちゃって。寝てるようなら、これだけでも置いていこうと思って」

「わざわざすいません」

「小鳥くん、こちらの女性は?」

「悠兄ちゃんの会社の方で、菜々美さんです。菜々美さん、この人は深雪さん。下の階の人で、悠兄ちゃんの看病を手伝ってくれた人なんです」

「はじめまして」

「なるほど、君が会社の……」

「その声……今朝、電話で」

「ふむふむ、君も少年病の患者の一人か。いやはや、少年は罪深い男だね」

 そう言って深雪が小さく笑った。




 中は何やら騒がしいようだった。大きな物音と悠人の声が聞こえる。

「悠人さん、起きてるみたいですね。よかった……」

 小鳥がドアを開けた。

「え」

「あ」

「これはこれは」

 目にした光景に、小鳥と菜々美が呆然とした。深雪は腹を抑えてくっくと笑う。
 玄関先で、沙耶と弥生が悠人に馬乗りになっていた。上半身をはだけた悠人が、ズボンをつかんで抵抗を続けている。

「……悠兄ちゃん?」

「こ、小鳥……助けてくれ……」

「遊兎、助けてくれとは人聞きが悪いぞ」

「そうです悠人さん、私たちはただただ、悠人さんの身を案じ看病を」

「これのどこが看病だ!ただの集団レイプだ!」

「だめえええええっ!」

 菜々美が割って入る。

「なにしてるんですか、沙耶さんも弥生さんも。悠人さんは病人なんですよ」

「だからこうして、献身的に看病しているのではないか」

「おおっ、半裸の男の前に新たな女体、これはこれでよい展開……」

「菜々美ちゃん、来てくれたのか……俺はもう……ダメだ……ここまでかもしれない……」

「ぷっ……」

 玄関先で、小鳥と深雪が同時に吹き出した。

「あはははははっ」

 その笑い声に菜々美たちも、そして悠人も思わず動きを止めた。

「悠人さん、こちらのセクシーなお姉さまは?」

 弥生の好奇心が深雪に向いた。

「あ、ああ、こちらは下の階の深雪さん。俺が昨日倒れた時、助けてくれた人なんだ」

「弥生くんと言うのか、こちらのお嬢さんは。いやはや少年、もてない世の男たちがこの光景を見たら、一体何と言うのだろうね」

「そんなこと言ってないで深雪さん、助けてください」

「いやすまない、あまりに面白い光景なもんでね。沙耶くん、弥生くん、それに……菜々美くんだったね。レイプはまた後日にして、彼を解放してあげてくれたまえ。随分元気になったようだが、まだ熱はあるからね」

 そう言って深雪が、悠人の上に乗っている三人を一人ずつ起こしていく。

「この様子から見るに、君たちは少年の体を拭こうとしてたのかね」

「うむ」

「ならここは間を取って、私がするとしよう。この空気だと、私以外の人間がすると争いの元になりそうだ」

 最後に悠人を立たせると、

「お邪魔するよ」

 そう言って、深雪は悠人を連れて寝室に入った。

「さあ、座りたまえ」

「いや深雪さん、散々世話になっておいて、流石にそこまでは」

「なら、あの肉食女子たちに頼むかい?」

「いや、自分で出来ますから」

「そう言うな、これでも私は元看護師だからね。乙女たちはひとまず隣にいたまえ」

「私、お茶入れます。悠人さん、何か飲めますか?」

「じゃあ頼もうかな」

「こんな時は生姜湯がいい。菜々美くん、あるかね」

「勿論です」

「じゃあ折角だ、人数分用意してくれたまえ」

「菜々美さん、私も手伝います」

「ありがとう、小鳥ちゃん」

「ならば私は湯飲みを出すぞ」

「お湯を沸かすのは私めに」

「じゃあ弥生くん、45度ぐらいのお湯も頼めるかな、洗面器に」

「了解であります、ビシッ!」

 弥生が洗面器を持ってくると、深雪は襖を閉め、悠人の背中をタオルで拭き出した。

「……すいません、こんなことまでしてもらって」

「病人の特権というやつだよ。どうだ、気持ちいいかね」

「はい、これだけでも気分が楽になります」

 上半身を拭き終わると、タオルを悠人に手渡した。

「後は自分で出来るね」

「あ……はい、すいません」

「着替えを持って来てもらうよ」

 そう言って深雪は出て行った。細かい気配りに悠人はますます、不思議な魅力を深雪に感じていた。




 一騒動終わり、菜々美と弥生は帰っていった。悠人は沙耶にも戻るように言ったが、どうしても首を縦に振ろうとしなかった。

「さて……」

 深雪が口を開いた。

「私もそろそろ御暇おいとまするが、小鳥くんに沙耶くん、君たちは今日もここで寝るつもりなのかね」

「はい」

「無論だ。遊兎をこのまま置いてはおけぬ」

「微熱まで下がったとはいえ、彼の症状はインフルエンザだ。うつったら事だぞ」

「大丈夫です。私、予防接種は受けてます」

「同じくだ。それに例え受けていずとも、病ごときを理由に所有物を見捨てることなど、あってはならぬのだ」

「全く君たちは……」

 深雪が苦笑した。

「いいだろう。だが、しっかりうがいはするんだぞ。あと寝る前に一度、部屋を換気しておきたまえ。少し寒いが、空気を入れ替えておいた方がいい」

「色々ありがとうございました」

 小鳥が頭を下げた。

「じゃあまた明日、様子を見にこさせてもらうよ。少年、ゆっくり休むことだ。油断したらまたぶり返すからね。あと、食欲がある時にしっかり食べておきたまえ。こういうのは体力勝負だ」

「落ち着いたら、改めてお礼にうかがいます」

「楽しみにしてるよ。じゃあ」

 玄関先までついてきた小鳥の肩を叩き、小さく笑うと、深雪は部屋に戻っていった。




 その後、小鳥と沙耶は一緒に風呂に入った。湯船につかると、疲れがどっと出てくるのが分かった。

「小鳥、お前も随分と疲れているようだな」

「そういうサーヤも、自慢のお肌に荒れが見えるよ」

「なにを言う、私の美貌は、これぐらいでどうこうなる物ではない」

「ふふっ。でも悠兄ちゃん、元気になってよかった」

「そうだな、やつのあんな姿、あまり見たくはないものだ」

「私たちって、いつも元気なのが当たり前って思ってるけど、実はその当たり前には、何の根拠もないんだよね」

「うむ。病に落ちて初めて、その当たり前のありがたさを感じることが出来る。昨日遊兎があんな風になって、遊兎が遠くに行ってしまうかもしれない、そう思ったら……不安で体が震えてしまった……
 まだやつとは何もしていない。やっと出会えたのだ、まだまだこれから、やつのことを知りたいし、私のことも知ってもらいたい。もし今、ずっと続くと信じている日常が崩れてしまったら、きっと私は後悔する……そう思った」

「サーヤの言葉は、いつも深いね」

「なにを言うか小鳥、お前もだぞ。もう大丈夫なのか」

「うん……ごめんねサーヤ。悠兄ちゃんのために動かなきゃいけない時に、足を引っ張っちゃって」

「他人行儀な遠慮はなしだ。小鳥、私たちは友なのだぞ」

「友……」

「そうだ。お前は私にとって、生まれて初めて対等に向き合ってくれた、大切な友なのだ。遊兎を巡ってはライバルでもあるが、私にとっては小鳥、お前も大切な仲間なのだ」

 その言葉に、小鳥が思わず沙耶を抱きしめた。

「……小鳥?」

「ごめんサーヤ。私最近、悠兄ちゃんにどんどん近くなっていくサーヤに嫉妬してた……悠兄ちゃんの恋人になるライバル、一緒に頑張ろうなんて言ってたのに、サーヤに対してすごく嫌な気持ちを持ってた……」

「小鳥……それは私とて同じだ」

「え……」

「お前は私を何だと思っているのだ。聖人君子でもあるまいし、恋敵に嫉妬しない者など、いるはずがないだろう。私は遊兎を自分のものにしたい。それは誰にも負けたくない。無論お前にも……だがな、それと同じぐらい、お前も大切なのだ」

「サーヤ……」

「そのことを教えてくれたのは他でもない、小鳥、お前なのだぞ」

 沙耶が姿勢を正した。

「だからあらためて……これからもよろしくお願いします」

 そう言って、沙耶が深々と頭を下げた。沙耶を見る小鳥の瞳から、ポロポロと大粒の涙があふれてきた。

「私こそ……サーヤ……」




 二人が風呂から上がると、部屋には既に三人分の布団が敷かれていた。

「布団敷いといたぞ。それから空気の入れ替えもしておいたから」

「遊兎、無理するでない。私たちを待っていればよいものを」

「いや、これぐらいはリハビリだよ。ずっと寝っぱなしで、あちこち固まって痛いしな」

「ならマッサージしてやるぞ」

「いやいや、今日はいいよ。まだ復活にはほど遠いから、そのまま襲われたら抵抗できそうにない」

「悠兄ちゃん、ごめんね」

「小鳥、元気戻ったみたいだな」

「え?」

「いや、どうも心配かけすぎたみたいだったから。俺はもう大丈夫だからな」

「……」

「小鳥にはいつも笑ってて欲しいんだ。小鳥の元気が、俺の元気の源だからな」

 そう言って悠人が笑った。小鳥は悠人の前にちょこんと座ると、そのまま悠人に抱きついた。

「ごめんね、悠兄ちゃん……」

「俺もごめんな。これからはもっと、体には気をつけるから」

「うん……」

「沙耶もおいで」

「遊兎……」

「お前にも迷惑かけまくったからな、ありがとう」

 小鳥の横に座った沙耶も、悠人の胸に顔を埋めた。

「バカ者が……二度と心配かけるでないぞ……」

 沙耶の瞳からも涙が溢れてきた。小鳥と沙耶の涙が悠人の胸を濡らす。



 悠人が二人の頭を優しく撫でる。その手の温もりに、二人は心から安心感を覚えた。
 一気に疲れが出たのか、三人は布団に入ると、すぐに眠りに落ちていった。

 悠人の手には小鳥と沙耶の手が、しっかりと握られていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...