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第6話 深夜の邂逅 その2

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 飲み会が終わり、菜々美は小雨が降る繁華街を、一人傘をさして歩いていた。

(悠人さんは……私のことをどう思ってるんだろう……やっぱり、妹なのかな……)

 そんなことを考えながら信号待ちで立っていると、二人のサラリーマン風の男が近寄ってきた。

「君、今一人?」

「よかったら一緒にどう?」

 明らかに酔っている二人が、菜々美の肩を抱いてきた。

「あ、あの……ちょっと、やめてください」

「いいじゃないの。どうせこうして声かけられるの、待ってたんでしょ」

「楽しいからさ、俺たちと一緒に飲みにいこうよ」

 菜々美の肩を抱く手に力が入ってくる。

 男に対してあまり免疫のない菜々美の足が、がくがくと震えてきた。助けを求めようとしても、声も出せなかった。

「あれ、ひょっとして震えてる?大丈夫だよ、僕ら優しいから」

 涙があふれてきた。

「はいはいウブな真似はもういいからね。行こ行こ」

「……菜々美ちゃん?」

 聞き覚えのある声がした。菜々美が顔を上げると、そこに悠人が立っていた。

「ゆ……」

 悠人の顔を見た瞬間、恐怖から生まれていた緊張感が解け、その場にへなへなと座り込んでしまった。

「う……」

 口に手を当てたまま、涙がとめどなく溢れてきた。

「ほんとに泣いちゃったよ」

「てか、お前誰だよ」

「何してるんだ……」

「何だお前、喧嘩売るってか」

「何をしてるんだっ!」

 悠人が傘を投げ捨て、今にも飛び掛りそうな勢いで二人をにらみつけた。その勢いに、二人は一瞬後ずさった。しかしすぐに態勢を戻し、悠人に突っかかっていこうとした。

「ふざけるなお前ら!消えろ!」

 悠人の大声に、通行人たちが足を止めて見物しだした。周りに人が集まってきたことに気付いた二人は、

「けっ、格好つけてるんじゃねぇぞっ」

 そう捨て台詞を残し、その場から去っていった。

「……」

 通行人たちも立ち去っていく。まだその場で座り込んでいる菜々美に、そっと傘を向けると悠人が、

「菜々美ちゃん、大丈夫かい」

 さっきの怒声と同じ人とは思えないほどの、優しい声でそう言った。その声に菜々美が顔を上げると、目の前に大好きな悠人の顔があった。

 悠人さんが自分を助けてくれた。まるで王子様のように……

「うっ……」

 再び菜々美の目に涙が溢れてきた。

「な……菜々美ちゃん」

 菜々美は悠人に抱きつき、声をあげて泣いた。

 さっきとは違う、安堵の涙だった。




「落ち着いた?」

 雨のやんだ夜の公園。

 ベンチに座っている菜々美にホットコーヒーを渡し、悠人が言った。

 あれから悠人はタクシーをつかまえ、菜々美の家まで送ったのだった。
 タクシーを降り、菜々美に帰るよう促したが、菜々美は悠人の腕をつかんだまま離さなかった。

「なんか……大変だったね、菜々美ちゃん」

「……」

 菜々美は缶コーヒーを持ったままうつむいている。

「菜々美ちゃんってさ……ほんとにきれいなまんま大人になったって感じだよね。純粋で素直で……本当に悪い人なんていないはずだ、きっとみんな、心の底ではいい人たちばかりなんだって信じてる……そんな風に俺は思ってたんだ」

「……」

「でも世の中には残念だけど、菜々美ちゃんのように心のきれいな人ばかりじゃない。人の弱みに付け込んで騙すやつもいてる。人が困ったり苦しんでいるのを見て喜ぶ人もいる。そしてそんな人たちの方が、なぜか世の中を支配する側の人間になったりして……正直者が損をするのが世の常みたいになってて……」

「……」

「でもこの一年間菜々美ちゃんを見てて、菜々美ちゃんのような人がまだこの世界にはいるんだ、そう思ってたんだ。誰の言葉も疑うことなく、人が困っていたり悩んだりしていると、いてもたってもいられなくなって、自分を犠牲にしてでもその人のためになろうとする。一体今まで、どんな場所で生きてきたんだろうって思うぐらいにね」



(分かってます……分かってます、そんなんじゃ駄目だってことぐらい……お父さんやお母さんにもずっと言われてきたんだから……悠人さんもきっと思ってるんだ、私が子供だって……)



「でもね、それでいいと思うよ、俺は」

「え……」

 その言葉に菜々美が顔をあげた。

「人によったら菜々美ちゃんのこと、世間知らずだとか子供だとか言うかもしれない。でも俺は、そんな菜々美ちゃん、素敵だと思う」

 意外な言葉に菜々美は驚いた。今まで反対のことを言われたことはあったが、そのままでいいなんて、言われたことなどなかったからだ。

「菜々美ちゃんのような人が近くにいることが、少し嬉しい。菜々美ちゃんには変わらずそのままでいて欲しいって思うよ」

 悠人が菜々美の頭を撫でた。

「でもあんまり無責任なことを言って、菜々美ちゃんが何かに巻き込まれて悲しむのも辛いと言うかなんと言うか……だから繁華街とかでは、あんまり一人で歩かないほうがいいかもね。もし今夜みたいに、俺がいれば頑張るけど」

 悠人の優しい瞳に、菜々美は吸い込まれそうになった。胸の動悸が高鳴るのを抑えられない。慌てて缶コーヒーを口にふくむと、ぬくもりが体を包み込んだ。

「あったかい……」

「そっか、よかった」

 悠人が笑って再び菜々美の頭を撫でた。その手のぬくもりに菜々美は、心まであたたかくなっていくのを感じていた。

「今日はその……たまたま買い物に行ってたからよかったよ、ほんとに」

「何を買いに行ってたんですか」

「い゛っ!」

 悠人がいきなり挙動不審になった。変な作り笑いをしながらリュックに手をやる。

「あはっ、あはははははっ」

 リュックの中は男の夢、同人誌。

「……?」

 菜々美がきょとんとした顔で首をかしげる。

「ま、色々と一人暮らしならではの買い物もあったりしてね、あはっ、あはははははっ」

 変な汗をかきながら、悠人が頭に手をやって笑う。その悠人につられて菜々美も笑い出した。

「さてと……落ち着いたかな。冷えてきたし、そろそろ帰ろうか」

 そう言って悠人が立ち上がろうとした。その悠人の袖を菜々美がつかんだ。

「悠人さん……」

「え?」

「私……」

 目を閉じ、深呼吸をすると、これまで胸の内におさめていた思いを口に出した。



「私、悠人さんのことが好きです」



「……」

「ずっとずっと、このことを伝えたくて……今まで苦しかったんです……
 私、大学を出てから就職出来なくてフリーターをして……思ってた都会の生活とはかけ離れたものになって……友達はみんな就職できて、いつも楽しそうにしてるのに私だけこんなことになって、すごく惨めな思いをしてました。
 なんとか今の職場に就職できたけど、小さな工場で話す人もいなくて、ずっと心細かったんです……でも悠人さんが、そんな私に優しくしてくれて……まるでお兄ちゃんのようにあたたかくて……その思いがいつの間にか、悠人さんのことをお兄ちゃんとしてでなく、男の人として憧れる気持ちに変わっていって……
 ずっと、ずっと……好きでした、悠人さん……」



 思いを吐き出した菜々美は脱力感に見舞われ、体を震わせていた。

「菜々美ちゃん……」

「ごめんなさい悠人さん、こんなタイミングで言うことじゃないって分かってます。でも今……どうしても悠人さんに……伝えたいって……」

「ありがとう、菜々美ちゃん」

「え……」

「今までそんな風に俺のこと、見てくれてたんだね。苦しい思いもしたと思う。気付けなくてごめんね」

「そんな……悠人さんが謝ることじゃないです」

「菜々美ちゃんが真剣に告白してくれた。だから俺も、真剣に答えようと思う。
 菜々美ちゃん、今菜々美ちゃんが言った言葉通りかもしれないけど……俺は菜々美ちゃんのこと、ほんとの妹みたいにずっと見てたんだ」

「……」

「菜々美ちゃんはほんとに心のきれいな子だと思う。そんな子から告白されてすごく嬉しい。だけど俺は……俺には遠い昔に一人だけ、心から愛した人がいたんだ。彼女も菜々美ちゃんのように心がきれいな人で、そして強い人だった。俺は彼女のことを心から愛していたし、憧れていた。
 でも俺はその彼女を守ることが出来なくて……彼女を泣かせてしまった。あの時もっと自分が強ければ、勇気があれば……その後悔だけが残ってるんだ。だから俺には、他の女性のことを愛していく自信がないし、これから先も多分、恋愛からは逃げ続けるんだと思ってる」

「そんな悠人さん、いつも私に言ってくれるじゃないですか。勇気は何よりも強いって。その一歩を踏み出せば前進、立ち止まっている間はずっとゼロだって」

「うん……でも、ごめん菜々美ちゃん。俺にとって恋愛だけはその……情けないんだけど駄目なんだ。踏み出す勇気もないし、彼女と違う人のことを愛していくことが出来ないんだ。だからごめん、俺は菜々美ちゃんの気持ちを受け入れることが出来ない」

「……」

 菜々美が悠人から、どうしようもない哀しさを感じ取った。それはこれまで菜々美が感じたことのない悠人だった。
 何があったのかは分からない。でもこの人は、過去に本物の恋をしたのだ。その恋が真剣であったが故に、その思いが呪いとなってこの人を縛り付けているんだ。
 でも……なんてバカ正直な人なんだろう。会社の部下の告白に、そんな過去のことをこの人は話してくれた。確かに臆病なのかもしれない。でもこの人を好きになった自分はやっぱり、間違ってない……



「分かりました悠人さん」

 菜々美が吹っ切れたように、いつもの明るい声で言った。

「悠人さんの気持ち、よく分かりました。私も悠人さんの気持ちを受け止めます。真剣に答えてくれて、ありがとうございました」

「菜々美ちゃん」

「それに……悠人さん言ってくれましたよね、私のことを妹みたいって。なら私にとってやっぱり悠人さんは、ここに来て出会えた大切な家族です。家族なら何があっても離れることはありません。私、今はその妹としての自分を受け入れます」

「……」

「いつか……悠人さんの心にある荷物が軽くなって、もう一度恋をしてみてもいいと思えた時、私がまだそばにいたら、その時にまた告白します。私もふられたばっかりなので、今は気持ちの整理がついていないけど……でもまた、明日からはいつもの自分に戻れるように頑張ります」

「……ごめん、菜々美ちゃん」

「だから悠人さん、謝らないでくださいって。今日は悠人さんとお話できてよかったです。本当にありがとうございました」

 菜々美はそう言って悠人に抱きついた。そしてしばらくして離れると、

「じゃあ……おやすみなさい、悠人さん」

 そう言ってその場から走り去っていった。



 その姿が見えなくなるまで、悠人は彼女の後姿を見つめ続けた。


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