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042 贖罪の十字架 その9

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 今、どの程度の被害が出ているのだろうか。
 家を出る前に聞いた青年団の無線によると、祭り会場の半分近くが、灰色の死の世界と化したようだ。
 怪我人もかなり出ている。
 覚醒した紅音の能力は、明雄の予想を遥かに超えていた。

 明雄が立ち止まり、月を見上げる。
 穏やかな夜だった。
 虫の鳴き声が聞こえ、時折吹く夜風もまた心地よかった。


 いつかこんな日が訪れる……妻を失ったあの日から、明雄には覚悟が出来ていた。
 決して人に理解されない異能の力。
 決して人に支配されることのない忌まわしい力。
 それはこの世に存在してはいけない物だった。
 それに気付いた時に、本当は決断すべきだったのかもしれない。

 事実明雄は妻を亡くしたあの日、紅音をその手にかけようとした。
 気を失った紅音の処置が済み、晴美が妻の遺体を片付けている時だった。

 混乱していた気持が整理されていく内に、明雄の中に紅音に対する恐怖が生まれてきた。
 この子をこのまま生かしておいていいのだろうか、この異能の力を私は制御できるのだろうか。
 この力は決して世に出してはならない物だ。
 ならいっそのこと、今自分の手で封じ込めた方がいいのではないか、そう思った。

 明雄は震える手で、眠りについている紅音の首を絞めようとした。

 しかしその時、明雄の中に、これまでの紅音との生活が蘇ってきた。
 初めて抱いたあの日、天使の様に無垢で真っ白な我が子に涙が出た。
 いつも自分の側から離れず、声をかけると嬉しそうに笑った顔。
 父の日に自分を描いてくれた時の真剣な眼差し……
 明雄の手が紅音から離れた。
 出来ない、私にはこの子を殺めることは出来ない……

 どれだけ邪悪な力を持っていたとしても、今目の前で眠っているこの子は、私にとってたった一人の愛すべき娘だ。
 例え世界を敵にまわすことになろうとも、私はこの子を守りたい、そう思い泣いた。


 しかし今、明雄は銃を手に紅音を探している。
 正直言って、私は疲れたのかもしれない……夜道を照らす月を眺めながら、明雄は思った。

 これまでずっと、紅音を守ることだけに心血を注ぎ、生きてきた。
 しかしその結果、紅音は人との接触を禁じられ、感情すら押し殺された人形になってしまった。
 紅音にとってみれば、親のエゴによってただ生かされているだけなのではないか、そう思い悩んだ。
 柚希と出会い、生き生きとしている紅音を見た時、そのことを思い知らされた。

 明雄は柚希に賭けた。
 そしてその賭けが最悪の結果を生もうとも、それを受け入れようと覚悟した。
 もしその時が来たなら、この呪われた父子の関係を、自分の手で終わらせようと誓った。



 砂利を踏みしだく音が聞こえる。
 明雄が静かに振り向くと、そこにはかつて、妻が死んだ日に見た時と同じ、変わり果てた娘の姿があった。


 辺りを冷気が包む。

 一歩、一歩と近付いてくる紅音を穏やかな瞳で見つめながら、明雄は銃に弾を装填した。

 紅音の口からうめき声が発せられる。

 その声は、最早自分が知っている紅音のそれとは違っていた。

 紅音に向けて銃を構えると、引き金に指を乗せた。



「……」

 明雄の視界が涙でぼやけてきた。
 紅音には、本当に幸せになってもらいたかった。
 なぜ伝説のあの怪物は、我が子を転生の対象として選んだのか。
 なぜ紅音でなければならなかったのか。

 紅音が普通の娘として生まれていたなら、どんなに幸せな日々だったろうか。
 そんなことが脳裏をかすめ、明雄は涙を流した。

 しかし、自分には責任がある。
 父として、これまで紅音を生かしてきた共犯者として、この悪夢に終止符を打たなくてはならない。



「紅音……父さんを……許しておくれ……」

 既に明雄の体には、異変が生じていた。

 足の感覚がなくなっていく。

 そしてそれはゆっくりと、上へ上へと上ってくる。

 それは紅音の能力によって、自分の体が徐々に石化している為だった。

「紅音……大丈夫だ。父さんはいつまでも、お前と一緒だよ……」

 明雄がそうつぶやき、引き金を引いた。



 ――静かな田舎道に、一発の銃声が鳴り響いた。



「ぐがっ……」

 紅音が跪く。

 銃弾は脇腹に命中した。

 脇腹を押さえる紅音の指の間から、血が吹き出し流れた。

「いた……い……」

 紅音はその場にうずくまり、熱く重いその痛みに体を震わせた。

「ここ……柚希さんは……」

 激痛は、眠っている紅音の意識を呼び覚ました。

 突然その場で意識を取り戻した紅音は、現状が把握出来ず錯乱した。

「……」

 痛みに顔をしかめながら紅音が顔を上げる。

 すると目の前に、銃を構えた父の姿があった。

「……お父……様……」

 そしてその父が、最早人としての姿を保っていないことを知った。

 父の全身は石化していた。

 月明かりが、その父を鈍く照らす。

 その表情は穏やかで、愛おしい娘を見て微笑んでいた。

「お父様……どうして、お父様が……」

 そして紅音の目の前で、石化した明雄の体が砂となり、一気に崩れていった。

「あ……あ……」

 紅音が恐怖に顔を歪める。



「いやああああああああああっ!」



 紅音は四つん這いで父の元へと進み、砂と化した骸に顔を埋めた。

「お父様、お父様あああああっ!」

 紅音がこれまで記憶を失っていたのは、彼女自身が自らを守る為に、無意識の内に封印してきたからであった。

 そうしないと、彼女自身が壊れてしまう、そう彼女の脳が判断した結果とも言えた。

 しかし今、目の前で無残な姿となった父を見た瞬間、紅音の中にあったその忌まわしき記憶が、彼女の脳裏に蘇ってきた。


 傷ついた紅音を、残酷な記憶が容赦なく責めたてる。
 その罪の重さ、自らの醜悪な力に、紅音が錯乱した。


「いやああああああああああっ!」
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