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041 贖罪の十字架 その8

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 山を降りた柚希が振り返ると、神社の一角が色を失っているのが見えた。

 その規模を見て、柚希は紅音の力を改めて思い知らされ、身を震わせた。

 道中、公衆電話を見つけた柚希は中に入り、十円玉を入れると桐島家に電話をした。



「はい、桐島でございます」

「晴美さん、柚希です」

「あらあらこれは柚希さん。随分と遅いご連絡で……もう花火大会、終わってしまいましたよ」

「晴美さん、先生に代わってください」

「……」

 柚希の雰囲気に異変を感じた晴美が、静かに言った。

「少々お待ちください」

 そしてしばらくして、明雄が電話口に現れた。

「柚希くん……」

「先生……すいません、僕……僕がついていながら……」

「いいんだ、いいんだよ柚希くん……自分を責めないでくれ」

「今、紅音さんは行方が分からなくなってます。恐らく、力が解放された状態で……」

「そうか……」

「家には戻ってませんよね」

「柚希くん、今日はもう家に戻りたまえ。後は私が」

「僕も一緒に探します」

「気持ちは嬉しいよ。だがこれは、父である私の仕事なんだ」

「先生、僕も紅音さんの友達です」

「……柚希くん」

「お願いします。決して無茶はしませんから」

「……分かった。ありがとう、柚希くん」

「僕は今から、街の方を探すつもりです」

「分かった。では私は、反対側を当たろう」

「じゃあ先生、また後で」

「うむ……君も、気をつけるんだよ」



 明雄が水平二連式の散弾銃を手に、玄関に向かう。

 玄関には晴美が、しっかりとした面持ちで立っていた。

「晴美くん、万一紅音がこの屋敷に戻ってきたなら……その時はよろしく頼むよ」

「はい、おまかせ下さい」

「こんなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳なく思ってる」

「旦那様、そのお言葉、無事お戻りになられてもう一度、私にお聞かせくださいませ」

「ああ、そうだね」

「お気をつけて……それからお嬢様のこと、よろしくお願い致します」

「……では、いってくるよ」

「はい、いってらっしゃいませ」

 晴美は扉が閉まるまで、深々と頭を下げ続けた。

 そして扉が閉まると明雄と同じく散弾銃を手に、広間の中央に置かれた椅子にそっと腰をおろした。

「旦那様……私はこの桐島家にご奉公させていただいて、本当に幸せでした。この言葉をお伝えする為にも、どうか……ご無事でお戻りくださいませ……」



 山崎たちは柚希を刺した後、闇雲に走っていた。

 そして今、学校近くのバス停でうなだれる様に座っていた。

 山崎は血で染まった手を、何度も何度も服で拭った。

 しかし何度こすっても拭えなかった。

 頭の中では、柚希を刺した感触が何度も蘇り、その度に息を荒くした。

「山崎、これでも飲んで落ち着けや」

 そう言って渡された缶ビールにも手をつけずにいた。

 人を殺めてしまったことへの罪悪感が、山崎の心を蝕んでいた。

 そしてあの時に見た柚希の眼光……あれは間違いなく、自分の存在を飲み込んでしまう強さを持っていた。

 なぜあんなやつに、この俺が怯えてしまったんだ……その意味がつかめず、山崎は座ったまま呆然としていた。

 他の二人はビールを口に、少し落ち着いた様子だった。

 そして動かない山崎を見て、時折首をかしげていた。



 その時だった。

 辺りが突然、冷気に包まれた。

「なんだ……?」

 二人が辺りを見回す。

 その彼らの前に、一つの影が現れた。

 影がゆらり、ゆらりと揺れながら近付いてくる。

「なんだお前」

 やがて街灯がその影を照らした。

 街灯の元、静かにたたずむそれは、先ほど自分たちが襲おうとしていた女、紅音だった。

「お前、さっきの女……」

 その言葉に、山崎がはっとして紅音に視線を向けた。

「なんだよ、俺たちと遊ぶ気になったのか」

 一人がそう言って立ち上がり、紅音に近付いていった。

「おいっ……やめろっ」

「なんだ山崎。お前、あんなやつ一人殺っちまったぐらいで、まじでびびってんのか。安心しろって、こいつさえいなくなりゃ、他に目撃者はいねえんだからよ。けどその前に……折角だからよぉ、ちょっと俺たちと遊んでもらうぜ」



「みぃつけたぁ……」



 紅音の口から発せられるその声は、最早紅音の声ではなかった。

 全身が凍てつくような冷たい、低く重い声だった。

「みぃつけたぁ……」

 もう一度そう言った紅音が、近付いてくる男に顔を向けた。

「うわあああああああっ!」

 男が、この世の物とは思えない恐怖の叫び声を上げた。

 そして顔を両手で覆いながら膝をついた。

 山崎の視線が、目の前で跪いた男に釘付けになった。

「あああああああああっ!」

 男の叫び声が続く。

 それは少しずつ小さくなっていき、そしてやがて、その叫びは途絶えた。

 山崎の目の前で、両手で顔を覆った男の動きが止まった。



 ――男は石になっていた。



「ひっ、ひいいいいいっ」

 山崎が恐怖に目を見開いた。

「なんだお前、妙なことしやがって」

 男がどうなったのか気付いていないもう一人が、紅音に向かっていく。

「お、おい……やめ……やめろ……」

「あん?びびってんじゃねえぞ山崎。俺らはな、舐められたら終わりなんだよ。それもこんな女一人にびびって、頭はれるかよ!」

 男は紅音に近付き、紅音の右腕を掴んだ。

「舐めてんじゃねえぞ、女……」

 その男の手を、紅音の左手が荒々しく掴んだ。

「あん……」

 男がそう言って悪態をつこうとした時だった。

 山崎の目の前で、その男はいきなり膝を折って崩れた。

「ひっ……」

 山崎の恐怖で見開かれた目が、その男の最後の姿を映し出した。

 男は崩れたかと思うと突然天を仰ぎ、そしておぞましい声で叫んだ。

「ぎゃあああああああああああっ」

 その絶叫に山崎は椅子から転げ落ちた。

 そして震える足で立ち上がり、その場から逃げ出した。

 走り去る山崎の耳に、男の絶叫が聞こえる。

 山崎が一度だけ振り向くと、紅音に掴まれた男の体が、見る見る干からびて行くのが見えた。

「ひっ、ひいいいいっ!」

 山崎が恐怖におののき、一目散に走り出した。



「紅音さん……」

 柚希が街灯の少ない田舎道を、紅音を求めて走っていた。

「なんで、なんでこんなことに……」


 自分を否定するような考えばかりが頭に浮かぶ。
 そもそも夏祭りに紅音を誘わなければよかったのではないか、山崎とのことを解決しなかったからではないのか。
 いや、ひょっとすればそれ以前に、僕が紅音さんと出会わなければ、こんなことにならなかったのではないのだろうか。

 しかし柚希は、そのどれもを打ち消した。
 ――今、何が最優先なのか。それを考え、行動しよう。

 今一番大切なこと、それは紅音さんを見つけ出し、家に送り届けて治療することだ。
 今はそれだけを考えるんだ。
 後悔は後ですればいい……柚希が自分にそう言い聞かせ、紅音の姿を捜し求めた。


 その時柚希の前に、ふらふらと歩いてくる影が現れ、そして地面に倒れこんだ。

 柚希が駆け寄ると、それは山崎だった。

「や……山崎くん」

「ふ、藤崎……頼む……た……たすけ……て……」

 山崎が恐怖を瞳に宿らせながら、そう言って懇願する。

「何があったの、山崎くん」

「お……女が……女が来て……仲間が、し、死ん……」

 全てを言い終わる前に、山崎はそのまま冷たい石へと変わっていった。

 その表情には恐怖と絶望以外、何も見てとれなかった。

 そしてしばらくすると山崎の骸は、まるで砂山を壊したかの様に一気に崩れた。

 何一つとして、山崎と分からない姿に成り果ててしまった。



「……」

 間違いない、紅音さんは近くにいるんだ……

 柚希は立ち上がり、その場を後にした。
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