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009 過去の傷跡 その1

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「うそ……」


 中間試験から一週間がたったある日、廊下の壁に貼り出された主要九科目の成績優秀者を見て、早苗が思わずそう言った。

 この高校に入学して一年、実力試験を入れて過去に五回はり出されていたが、トップを譲った事は一度もなかった。

 しかし今回、一番上に書かれた名前は意外な人物だった。



 藤崎柚希 895点



 2位の早苗の点数は大きく離されて864点だった。

 今回も手ごたえは十分にあった。しかし平均点は96点。全科目満点に近い柚希に完敗だった。


「藤崎くんすごいじゃない」

「やっぱ都会の人って、レベル高いんだね」

 教室に戻ると、柚希の席をクラスメイトたちが囲み騒いでいた。

「あ……いや、そんなこと、ないよ……今回はたまたま……」

「謙虚なところが、また格好いいよね」

「ねえねえ、今度勉強教えてよ」

「おい藤崎、お前だけは、お前だけは俺の仲間だと思ってたのに」

「いやいや、万年赤点のお前と仲間って、藤崎どころか俺でもお断りだぞ」


 早苗にとって、柚希を中心にクラスが盛り上がっているのを見るのは初めてのことだった。
 その光景は新鮮で、心地よいものだった。

 確かにトップの座を奪われたことは悔しい。
 しかし相手が柚希であることが少し嬉しかった。
 そしてそのことで話題の中心になっている柚希が、動揺して赤面している様を見ていると、悔しさもどこかに飛んでいくようだった。

「柚希―っ、あんた、私を騙したわねーっ!」

 早苗は柚希の席に近付くと、背後からチョークスリーパーをかけてきた。

「ちょ……さなっ……小倉さん……」

「なーにが小倉さんだー?あんたバカな顔してバカなふりして、よくも私の指定席を奪ったわねー」

 早苗がそう言って首を絞める。一瞬、トップを奪われた早苗の乱入で静まった教室内だったが、早苗の表情がいつもの物だと分かると、一緒になって笑い出した。

「早苗―、夫婦喧嘩はやめときなよー」

「なーにが夫婦喧嘩なもんか、これは兄弟喧嘩だよ。お姉さんからの愛の鉄拳制裁だっての」

「はははっ、おい藤崎、小倉のチョークは効くだろ。俺は一度落とされたぞ」

「微笑ましいねー。戦った二人が、健闘を称えあってのチョークスリーパー」

「藤崎、早くタップだタップ」

「さ……さなえぢゃん……」

「何?ギブアップ?」

「ぢがう……むね……胸あたってる……」

「ひゃっ!」

 その返しに、早苗が真っ赤になって体を離した。

 柚希は軽く咳き込んだが、赤くなった顔がチョークのせいでないことは、誰が見ても明らかだった。

「んもぉ……柚希までそんなオヤジみたいなこと言って……」

 胸を隠し、赤面しながら早苗が言った。

 そんな二人のやり取りに、クラスは大いに盛り上がった。

 その時だった。



「うっせえーんだよお前ら!」



 大きな音とともに怒鳴り声が教室中に響いた。

 皆が振り返るとそれは、机を足蹴にして倒した山崎だった。

「な……何よ山崎。休み時間なんだから、少しぐらい騒いだっていいでしょ」

 一人の女子が山崎に向かってそう言った。

 その言葉に山崎は反応し、机を押しのけながら大股で近寄ってきた。

「俺がうるせぇって言ったらうるせぇんだよ木山。文句あんのか」

「ちょ……ちょっとやめてよ」

 木山と呼ばれた女生徒の腕を山崎がつかんだ。

 学校一の巨漢である山崎のその威圧感に、柚希の周りにいたクラスメイトたちは少しずつ遠ざかりだした。

「やめなよ山崎」

 早苗が山崎と木山の間に割って入った。

 山崎は早苗の顔をちらりと見た後、

「ふんっ……」

 そう言って木山の腕を離した。

 木山が女子生徒たちに抱えられて遠ざかる。

 柚希の周りには、早苗と山崎だけになった。


「ちょっと山崎、何が気に入らないのか知らないけど、感じ悪いよ」

「小倉には関係ねぇよ、黙ってろ。おい藤崎、お前ちょっと調子に乗ってねぇか」

「何言ってるのよ山崎、柚希がいつ調子に乗ったって言うのよ」

「今だよ今!何だ藤崎、お前試験でトップ取ったぐらいで、クラスの中心者気取りか?」

「そんなこと……」

「やめなよ山崎。柚希は全然そんな素振りしてないじゃない。あんたこそ何ひがんでるのよ、みっともない」

「ひがんでるだと?」

「そうだよ、あんたそれ嫉妬だよ。柚希が頑張っていい成績を残した。それは事実だよね。素直に称えたらどうなの?やきもちなんてみっともないよ」

「そう言うお前はどうなんだよ小倉。調子に乗ってニヤニヤしてやがるこんな野郎にアタマ取られてよ」

「私はあんたと違うよ。柚希だって勉強、一生懸命頑張ったんだ。私も頑張った。その上での結果なんだ。だから満足だよ」

「頑張っただぁ?小倉、お前知ってるんだろうが。こいつは今やってる授業受けるの、二度目なんだぜ。出来て当然なんだよ!」


 その言葉に、早苗が体をピクリとさせた。


「山崎……なんであんたがその事……」

「教師の資料をちょいと拝借すれば簡単なんだよ。いいかお前ら、ここにいる学年一位の転校生さんはな、高校二年をするのは二度目なんだぜ」

「やめてよ山崎っ!」

「こいつはよお、前の学校で問題起こして自殺未遂しやがったんだ。入院もしたっけか?そして学校もやめちまってひきこもりだ。頭がいいだぁ?俺らより一年長く生きてるんだ、んなもん当たり前だろうがっ」



 パシッ!



 乾いた音が教室内に響いた。

 女子たちが驚きの表情で固まる。

 それは早苗が山崎の頬を張った音だった。

「山崎あんた……いい加減にしなよ……」

「へ……へへっ……」

 うつむき、肩を震わせる早苗の雰囲気に圧倒された山崎が、強がりながら笑った。

「さ……早苗ちゃ……」

 柚希が声をかけようとして、思わず言葉を飲み込んだ。

 早苗は小刻みに体を震わせながら涙を流していた。

「どうだっていいじゃない、柚希が私たちより年上だってなんだって……柚希は……柚希は頑張って……やり直すんだって決意して……何が悪いって言うのよ……」

「ちっ……!」

 山崎が舌打ちして頭をかいた。
 ここで柚希の秘密を暴露して、一気に追い込むつもりだった。
 しかし周りを見渡すと、年を偽っていた柚希に対して、誰からも悪意を感じられない。
 それどころか早苗のおかげで、自分が悪者になっていることは明らかだった。
 その空気に焦った山崎は柚希の胸元をつかみ、柚希を立ち上がらせた。

「藤崎……てめえ……」

 女子たちが悲鳴をあげる。
 早苗は咄嗟に山崎の腕をつかんだ。
 しかし山崎の興奮は収まらず、柚希の顔を睨み付けて声を張り上げた。

「調子に乗ってるんじゃねぇぞおらぁっ!」

 胸元をつかまれたまま、柚希が壁に押し付けられた。
 目の前に、嫉妬に歪んだ山崎の顔がある。
 その時柚希は山崎に対して、なぜか同情にも似た思いを感じ、哀しそうな目で彼を見てしまった。
 その目が更に山崎を苛立たせた。

「藤崎、貴様ああああああああっ!」

 その時教室のドアが開いた。

「お前ら何を騒いでるんだ。もう授業のベルはなったぞ」

 次の授業の教師だった。

「ちっ……」

 山崎は柚希を乱暴に離し、そのまま席に戻っていった。

 他の生徒たちも慌てて席についていく。

「早苗ちゃん……」

 解放された柚希は、その場でしゃがみ込んでしまった早苗の元に行き、声をかけた。

 早苗は小さな声で、

「ごめんね……ごめんね、柚希……」

 そう言って泣いていた。



 柚希は早苗を連れて保健室に行き、そして保険医の了解を取り付け、そのまま早苗を連れて早退することにした。
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