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第3章 絶望の正体

010 不変の摂理

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「ずっと気になってたんだけど」

 翌日。
 雅司に体を密着させ、ノゾミが聞いてきた。
 顔は赤い。

「雅司って、何の仕事をしてるの?」

「そう言えば、ノゾミに言ってなかったな」

「何だノゾミ、そんなことも知らんのか」

 二人の正面に座るメイが、勝ち誇った笑みを浮かべる。
 ホットミルクを手に。

「私は知っているぞ。ずっとこやつを見ていたからな」

「ストーカーって言うんだぞ、それ」

 煙草に火をつけ、雅司が苦笑する。

「それで? 何の仕事なの?」

「介護って分かるか?」

「一人での生活が困難な人を援助する仕事、よね」

「そう。俺はいわゆる、老人ホームに勤めている」

「なるほど。だからあなたの勤務形態は複雑なのね」

「俺の施設はグループホーム。認知症を患った人の集合住宅だ」

 軽い口調で話す雅司。しかしノゾミは、彼の瞳に陰りが宿ってることを見逃さなかった。
 見ると、メイも少し複雑な顔をしていた。

「今日は夜勤よね」

「ああ。17時から翌朝10時までの勤務だ」

「何人で?」

「ん? ああ、今日は遅番がいないからな、17時から一人だ」

「ええっ? それって大丈夫なの?」

「大丈夫かって聞かれたら微妙だけど、まあやるしかないからな」

「そこには何人住んでるの?」

「グループホームは基本、1フロアーに9人と法律で決まってる。うちは先月一人亡くなったから、今は8人だ」

「8人をあなた一人で」

「ああ。でも明日は珍しく早番がいるからな、7時からは二人だ」

 そう言って笑った雅司に、ノゾミは思わず突っ込んだ。

「雅司、それがラッキーみたいな顔しないの。あなた、感覚がおかしくなってるわよ」

「まあ、そうなんだけどな。でも人がいないんだから仕方ないさ」

「17時からってことは、夕食の準備もある訳でしょ? それから食べさせて、着替えさせて寝かせる。それを8人分、あなた一人でこなすってことでしょ?」

「でもこういうのって、慣れが大きいからな。今の施設に俺は5年いてる。大抵のことは問題なくやっていけるさ」

「人手不足なのは、職種自体に人気がないから?」

「そうでもないさ。今は不景気だし、仕事も中々見つからない。でも介護なら、未経験でもわりとすんなり雇ってもらえる」

「じゃあ、どうして足りないのよ」

「単純に、きついからだよ」

 煙草を揉み消し、小さく息を吐く。

「毎日利用者の排泄物の処理をして、車椅子や寝たきりの人の介助をして。当然だけど絶対に事故を起こしてはいけない。疲労感とプレッシャーに潰される」

「……」

「あと、精神的にきついしな」

「どういうこと?」

「利用者からの暴言。多い少ないの違いはあるが、どこに行ってもそれなりにある。それが一番きついんだ」

「あなたたちは彼らのお世話をしてるんでしょ? どうして責められるのよ」

「まあ……色々あるんだよ、この仕事には」

「興味があるならノゾミ、見て来ればいい」

 黙って聞いていたメイが口を挟む。

「話だけでは分からぬものだ。それに何より、私たちには理解出来ないことだからな」

「理解出来ないって、どういう意味だ?」

 メイの言葉に雅司が反応する。

「我々の価値観は、お前たちと違うと言うことだ」

「……聞いてもいいか」

「お前たち人間にしても、昔はそうだった筈だ。この世界は弱肉強食。強い者が世界を作り、べ、歴史を刻んできた。違うか?」

「そうだな」

「それが社会が発展し、安定していく中で、余裕が生まれてきた。これまで見捨てられてきた者に対しても、手を差し伸べようとする風潮が生まれてきた」

「確かに過去、弱者が見捨てられてきたのは否定しない」

「それが間違いだと言う者が現れてきた。この世界は強い者たちだけの物ではない、弱者を見捨てるべきじゃない。野蛮なことはやめるべきだとの声が強くなっていった」

「……」

「その結果、誰一人として見捨てない社会が作られた。お前が勤める施設なるものも、昔はなかった筈だ」

「お前たちの世界にはないのか」

「ない」

 メイが言い切った。

「人間だろうが死神だろうが、悪魔にも不変の摂理というものがある。さっきも言った、弱肉強食だ」

「……」

「生きていく為、見捨てられない為に誰もが必死に日々を戦い、結果を出す。それが社会を発展させるいしずえとなるのだ」

「貢献出来ない者は」

「切り捨てる。当然のことだ」

「しかしそれは」

「少なくとも、私たちの世界ではそうなのだ。それを非情だと思うか? 残酷だと思うか? だがその選択を見誤った結果、お前たちの社会は今どうなっている?
 弱者の数は増え続けている。中には能力があるにも関わらず、自分には出来ないと逃げる者すらいる。そしてそういう者たちの生活を、お前たちが支えている。おかしいとは思わないか」

「……」

 メイの言葉は過激だ。
 しかし、それを否定する根拠を俺は持っていない。
 でも、それでも。
 否定出来なくても肯定したくない、そう思った。

「今の社会、弱者を守る為に強者が働く、そういう図式になっている。矛盾だとは思わないか? お前たちは、弱者を生かす為に働いているのだぞ?
 強者にこそ、生きる権利がある。弱者は不要、害悪なのだ。
 だから私たちの世界は、今なお発展し続けている。袋小路に陥った、人間界と違ってな」

「……」

 コーヒーを一口飲み、雅司は息を吐いた。

「……メイの言葉、全てを否定することは出来ない。俺たちに支えられた人が多いのも事実だ。楽を覚え、自堕落な生活をしている者も確かにいる。『働いたら負け』なんて言葉が流行るくらいだ。でも……それでも肯定したくない。
 さっきメイは言った。弱肉強食こそが世の摂理だと」

「ああ、言った」

「間違いじゃないし、真理かもしれない。でもな、俺たちは獣じゃないんだ。理性と知恵を授かった、人間なんだ。獣と同じように生きるなんて、俺には受け入れられない」

「……なるほどな」

「それに俺たちが支えることで、社会に復帰していく人たちがいるのも事実だ。その可能性を潰すのは、違うと思う」

「お前が働く施設のやつらに、その可能性とやらはないだろう」

 雅司が言葉を詰まらせる。

「やつらはもう、死ぬのを待つだけの存在なのだ。この世界に何の貢献も出来ない、ただただ資源を浪費するだけの厄介者だ。しかも生きる為、お前たちの手を借りなくてはいけない。
 未来のない者たちに、どうしてお前の様な若者が身を捧げなくてはいけないのだ」

 重苦しい空気がリビングを支配する。
 メイの放つ一言一言が、雅司の胸に鋭く突き刺さっていった。

「と、とにかく……雅司、私も一緒に行っていいかな」

 これ以上続けるのはまずいと感じ、ノゾミが言葉を挟んだ。

「あ、ああ。別に構わないが……でも、他のスタッフに見られるのはまずいな」

「それは大丈夫よ。私たちには、人間に認識されない能力もあるから」

「そうなのか?」

「ああ出来る。現にお前も、私の存在に気付いてなかったろうに」

「なら問題ないな。行くか」

「ええ、そうしましょう」

 そう言って話を終わらせた。




「じゃあメイ、行ってくるわね」

「ああ。気を付けてな」

「気を付けるって何よ。私に何かしてくるような存在、あなた以外にいないと思うけど」

「いや、そうではなくてだな……まあいい、しっかり見て来るがいい」

「メイは大丈夫か? 一人で怖くないか?」

「がああああああっ! 幼女扱いするなと言っておろうがっ!」

「ははっ、すまんすまん。じゃあ行ってくるな」

「ああ、頑張ってこい」

 雅司が先に出ると、ノゾミはメイに囁いた。

「メイ、ちょっと言い過ぎよ」

「かもしれんな。だが……やつがこの世界に見切りをつけた本質が、そこにあるのだ」

「……」

「今夜のやつをしっかり見ておくといい。あの場所はある意味、絶望その物なのだ」

 そう言って手を振り、微笑んだ。
 まだ言いたいことはあった。しかし今、それを口にするのが怖くなり、

「ええ。留守番、お願いね」

 そう言ってドアを閉めた。


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