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003 転校

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 穏やかな海を見つめる。
 周囲には誰もいない。
 聞こえるのは波の音、小鳥のさえずり、そして風になびく枝葉の音。
 私の新しい生活は、ここから始まるんだ。
 そう思うと、口元に笑みが浮かんだ。

 その時。

 奈津子の背筋に悪寒が走った。
 慌てて後ろを振り返る。

 凍て付くような冷たい視線。
 奈津子の額に嫌な汗が滲んだ。
 膝が震え、口から白い息が漏れる。

「……」

 背後には山々がそびえたち、朝の冷気が漂っている。
 つい先ほどまで、その景色にほっとしていた。

 その筈なのに。

 奈津子の目には今、恐怖の感情が映し出されていた。
 同じ物を見て、同じ音を聞いている筈なのに。
 自分を取り巻く全てから突き放されたような、そんな気がした。

「誰もいない……よね」

 震える声でそうつぶやく。
 野生の動物でもいたのだろうか。
 冬支度に入ろうとしている何かが、自分を狙っているのかもしれない。そんな思いが巡り、奈津子はもう一度身を震わせた。

「……」

 息を殺し、注意深く周囲を見る。
 いつでも走れるよう、腰を少し低くする。

「気のせい……だったかな」

 視線を感じなくなった奈津子が、そう言ってため息をついた。
 ポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。

「いけない、ちょっと急がないと」

 そうつぶやき、奈津子は再び歩き出した。




「おはよう」

「姫―っ、会いたかったよーっ!」

 教室に入った奈津子は、そう言って突進してきた女生徒に抱き締められた。

「一日ぶりの姫の匂い。あ~、癒されるわぁ。クンカクンカ」

「亜希ちゃん、恥ずかしいってば」

「何よ何よ、昨日だって寄り道しようって言ったのに断られたし、今の私には姫成分が足りてないのよ」

 そう言って笑うポニーテールの女生徒。
 隣の席の、勝山亜希だった。

「しかし姫、相変わらずサラサラの髪ですなぁ。甘い香りもたまりませぬわ。都会の娘っ子だけあって、いいシャンプー使ってるんじゃのぉ。あ、今度私にも使わせてね」

「別にいいけど……と言うか、そろそろ離してくれないかな。一時間目の準備したいし」

「もうっ、姫ってば本当真面目なんだから。ここは田舎も田舎の高校なの。都会みたいにきっちりしなくていいんだから。適当でいいのよ、適当で」

「そんな訳ないでしょ」

 二人のやり取りを見ていた色白の女生徒が、そう言って丸めた教科書で亜希の頭を叩いた。

「おはよう、奈津子」

「玲子ちゃん、おはよう。助かったよ」

「転校してきたばかりだからって、奈津子も気を使わなくていいからね。迷惑な物は迷惑だって、はっきり言っていいから」

「えー、玲子ってば、ひーどーいー」

 そう言って口をとがらせる亜希を見て、奈津子も玲子も笑った。

 和泉玲子。勝山亜希の幼馴染で、面倒見のいいクラスメイト。このクラスの委員長だ。




「南條……奈津子です。よろしくお願いします」

 転校初日。
 大阪から越してきた奈津子に、周囲は興味深々だった。
 しかし入学して半年が過ぎ、ある程度人間関係が出来上がっていた中、奈津子に声を掛けづらい空気になっていた。
 しかも奈津子は、10日前に事故で両親を亡くしている。
 小さな村社会、彼女の噂は既に広まっていた。
 変化の乏しい学校に、突如いわくつきの女生徒が入って来たのだ。
 興味はあるが、そんな奈津子に声をかけようとする生徒はいなかった。

 その空気を壊したのが、隣の席の勝山亜希だった。

「ねえねえ南條さん、大阪から来たんだよね」

 亜希の言葉に、教室の空気が張りつめた。

「大阪からこんな田舎って、やっぱ不便なんじゃない?」

「あ、いえ、その……まだよく分からない、かな」

「そうなんだー。でもでも、ほんっと不便だからね。遊ぶところもないし、お店だって少ないし。と言うか、7時になったら閉まってるし」

「おいおい勝山、来たばかりの南條を不安にさせてどうする。大丈夫だぞ南條、確かに店は少ないけど、ネット通販は出来るからな」

「先生、それ何のフォローにもなってませんから」

「そうか? 結構便利だと思ってるんだが」

「都会育ちと一緒にしないでくださいよ。大体ここら辺って、コンビニもないんですからね」

「コンビニはないけど、スーパーはあるじゃないか。池田商店」

「はぁ~、駄目だこりゃ」

 そんな教師と亜希のやり取りに、クラスメイトたちも次第に声を上げだした。

「田舎だよ、田舎」

「夜歩くのも命がけだしな。猪とか出るし」

「私も卒業したら、都会に行きたいなぁ」

「南條さんのいた所って、どんな感じだったの?」

「大阪弁、大阪弁で喋ってみて」

「え……あの、その……」

「ほらほら、そんなグイグイ入ってこないの。南條さんはあんたたちみたいに、がさつじゃないんだからね。例えるならそう、山道にひっそりとたたずんでいる一輪の気高き花、なんだから」

「どんな例えだよ、それ」

 次第に賑やかになっていく教室。
 いつの間にか奈津子を巻き込んで、みんなが笑顔になっていた。
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