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124 涙
しおりを挟む「……俺と別れたいってことか」
「うん、そう……私は幽霊で、信也くんとは住んでる世界が違う。そんな二人が一緒になって、幸せになれるとは思えない……私は夜も眠らないし、ご飯を食べる必要もない。何より信也くんの世界で、誰も私を認識出来ない。そんな私が信也くんを幸せになんて、出来るとは思えない。
私は信也くんのおかげで、比翼荘のみんなとも仲良くなることが出来た。純子さんから比翼荘のことを任された。私にとって比翼荘は、今一番大切な場所。だから心配しないで。私なら大丈夫だから」
「早希の話。俺の気持ちはどこにあるんだよ」
「信也くんの気持ちは、信也くんの物だよ」
「俺の気持ちは」
「秋葉さん」
「なんでそうなるんだよ」
「じゃあ聞くよ。秋葉さんの存在って、信也くんにとって何?」
「それは」
「正直に言って。嘘はなしだよ」
「あいつは……かけがえのない友達だ。大切な幼馴染だ」
「好き?」
「……」
「答えて。秋葉さんのこと、好き?」
「……幼馴染としての好きだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「秋葉さんは信也くんが好き。告白もされた」
「それは」
「ずっと好きで、ずっと見守っていた。そんな秋葉さんが、やっと信也くんに気持ちを伝えることが出来た。信也くんは男として、秋葉さんの想いに応えなくちゃいけない。でしょ?」
「俺が好きなのは早希だ。分かってるだろ」
「うん……そんなあなたに愛されて、私は本当に幸せよ。でも、だからこそ私も、信也くんの幸せを願うべきなんだと思う。決断しなくちゃいけないんだと思う」
「……」
「だから信也くん。お別れ……しよ?」
早希は涙を浮かべ、笑っていた。
「今日は……いきなりだったから泣いちゃった。でも信也くん……お願い、私と別れて。秋葉さんと一緒になって。
私の望みはあなたの幸せ。死んじゃったあの時、私は信也くんの元に戻りたいって願った。信也くんを一人にしたくない、そう思った。
でもそうじゃない。信也くんと秋葉さん、二人の長かった初恋を実らせる為だったんだと思う」
「早希……」
「だから信也くん。秋葉さんのこと、考えてあげて。そして会ってあげて」
ポタポタと涙が落ちる。
「次、会う時は……笑顔で会いたいな……笑顔でさよなら、したいから……」
そう言うと涙を拭き、ゆっくりと立ち上がった。
「待てって。お前がいないと、俺」
「さよならって言っても、二度と会わない訳じゃない。信也くんには申し訳ないけど、比翼荘のことでお願いすることはあると思う。だから……私が言ってるさよならは、信也くんのお嫁さんじゃなくなるってこと。これからは私たち、夫婦としてじゃなく、比翼荘を見守るパートナーとして付き合っていくの」
「本当にこれで終わりなのか? 俺たち、これで終わっちまうのか?」
「終わりじゃない、新しい関係の始まりだよ。そして秋葉さんとの、始まりなんだよ」
「早希……」
「秋葉さんに会って、想いに応えてあげるんだよ。きっと待ってるから……それじゃ」
そう言うと、早希はベランダから去って行った。
「……」
テーブルに落ちた、早希の涙を見つめる。
きっと早希は、ずっとこのことを考えていた。この世界に戻ってから、俺の幸せが何かを考え、傍で見守ってくれていた。
辛い決断だったに違いない。ここに落ちた涙が、すべてを物語っている。
でも早希は、俺の為に決断した。
そう思うと、今までの早希の言動に思い当たる節がいくつもあった。
なのに自分は、そのことに気付けなかった。
彼女は初めから、こうなることを望んでいた。俺と秋葉が結ばれ、幸せになるという未来を。
俺はどれだけ早希に甘えていたんだ。
早希が戻って来た時も、嬉しさだけが先行して、早希のことをちゃんと見てなかったんじゃないか。
早希がどれだけ寂しい思いをしていたか、本当に分かっていたのだろうか。
早希は胸の中に、いつか来る別れを抱き続けていた。
どれだけ不安だったろう。
「俺……お前にも秋葉にも、見守ってもらってばかりで……それに気付けなくて……なんなんだよ、この情けない男は……」
ベランダの窓を開けると、冷たい風が入ってきた。
穏やかに流れる神崎川を見下ろしながら、信也は煙草に火をつけた。
「……分かったよ。お前が悩んでくれたこと、無駄にしないよ。でも……でもな、早希……寂しいよ、俺……」
そう言って手すりに顔を埋め、肩を震わせた。
「お疲れ」
比翼荘に向かう途中で、沙月と出会った。
「沙月さん」
「済んだのか、話」
「うん……と言うか沙月さん、ここで待ち伏せ?」
「ああ、比翼荘じゃ泣けないと思ってな」
「何よそれ」
「言いたいこと、全部言えたか?」
「うん……」
「嘘だな」
「嘘じゃないよ。秋葉さんと一緒になってねって言えたし、笑顔でお別れしようねって言ったし」
「本心はどうなんだ?」
「え……」
「お前がシンに伝えたのって、ただの正論だけだろ。シンが秋葉と結ばれる、その方が幽霊なんかといるより幸せになれるって」
「そうだよ。何も間違ってないでしょ」
「そうだな。現に私も、そう思ったから和くんと別れることが出来た」
「じゃあ何を」
「お前の本当の気持ちだよ。シンと別れることが、お前にとってどういうことなのかってこと」
「……」
「私がお前でも、多分同じ結論になったと思う。私らは幽霊だ。死人だ。生きてるやつらとは住む世界が違う。だからお前の決断は間違ってない。でもな……せめて最後ぐらい、シンに我儘、言ってもよかったんじゃないか」
「我儘って」
「だからそれを、私が聞いてやるよ。ほれ」
そう言うと、早希を抱き締めた。
「さあ、好きに叫べ。全部受け止めてやる」
「私は……私は! 私は!」
「ああ……」
「信也くんとずっと一緒にいたかった! 信也くんが不幸になるとしても、傍にいたかった!」
「そうだな」
「信也くんの顔、毎日見たかった! 信也くんの声、毎日聞きたかった! 信也くんに毎日頭、撫でてもらいたかった!」
「そっか。そうだな」
「信也くんを好きでいたいの! 信也くんは私だけの物なの! 私は信也くんの物なの! 離れたくない、離れたくないの!
信也くんが秋葉さんとキスするなんて嫌! 愛してるって言ってほしくない! 私だけを見てほしいの!」
「ちゃんと言えたじゃねえか。そうだな、私たち比翼は、そう願ってこの世界に戻ってきたんだからな」
「信也くん……信也くん信也くん信也くん……うわあああああああっ!」
「やっと泣きやがったか、ははっ。よしよし、もっと泣け泣け」
「うわあああああああっ!」
「よく言えたな、早希。偉いぜ」
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