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115 ありがとう
しおりを挟む「ここよ」
純子と共にやってきた場所。
そこは比翼荘から10分ほどの所にある、立派な古屋敷だった。
「相変わらず……無駄にでかいな、ここは」
「信也くん、来たことあるんだ」
「前の家の契約の時にな。しかし本当、迫力ある家だよ」
「うふふふっ。さあ、ハルちゃんには伝えてあるから。信也さんも中に」
「あ、はい……ってそうか、見えるのは俺だけなのか。そう思うと余計に緊張してきたな」
「信也くん」
早希が手を握ってきた。その上から沙月が、由香里が。そしておそらく涼音も一緒に手を重ねる。
「みんな一緒だぜ、シン」
「分かった……すいません、夜分遅くに失礼します」
信也が声をかけると、中から着物姿の女性が出て来た。
山川の妻、静江だった。
「どちら様で」
「紀崎信也と申します。お取込み中の所恐縮ですが」
「ああ、あなたが……お話は伺っております。さあ、お入りください」
「……おじゃまします」
長い廊下の先にある部屋に通されると、そこには布団で眠っている老人と、それを囲むように座っている家族の姿があった。
促された信也は、早希たちと一緒に山川の傍に座った。
反対側には、純子が微笑みながら山川の手を握っている。
「あなた。紀崎さんがお見えになったわよ」
「……」
その声に、山川がゆっくりと目を開けた。
「……久しぶりだね、紀崎くん」
「はい。お久しぶりです、山川さん」
「純子さんは」
「ハルちゃん。私はここですよ」
「ははっ……よかった……」
家族の者たちには、あらかじめ山川が説明をしていたようだった。だが当然、いきなり幽霊の話をされても信じられるはずもなく、皆山川の妄想なんだと思っていた。しかし信也が現れたことで、死にゆく者のただの妄言とは思えなくなってしまった、そんな複雑な表情をしていた。
ただ静江だけは、そんな山川を愛おしそうに見つめ、もう片方の手を握り笑っていた。
「紀崎さんには純子さんの姿、見えるんですね」
「はい。今、あちらで山川さんの手を握ってます。すごく幸せそうな顔で……あんな嬉しそうな純子さん、見たことがないぐらいです」
「そうなんですね、よかった……私には姿も見えないし、声も聞こえません。でも純子さんには私の声、聞こえるんですよね」
「はい、大丈夫です」
「純子さん。今までずっと、主人を見守ってくれてありがとうございました。あなたがいてくれたから、この人は今日まで、精一杯生きてこれたんだと思います。
私はずっと、あなたの影に怯えてました。初めて会った日から、主人の心にはあなたがいたから……でも主人と結婚して、時を重ねていく内に気付いたんです。私は、純子さんのことを愛しているこの人が好きなんだと……だから私はその時から、純子さんと主人、両方のことを愛していこう、そう決めたんです」
「……静江さん……」
山川が静江の手を、力なく握り返した。
「なんですか、あなた」
「僕は……あなたのことを愛してました……感謝してました……」
「はい、分かってますよ」
「僕は……幸せです……静江さんと純子さん、二人に最後に会えて……静江さん、あなたには本当に、お世話になりました……それから……ごめんなさい……僕はあなたの夫なのに、純子さんのことも……ずっと愛してました……」
「そうですね」
「でも……静江さんと夫婦になれて、本当に幸せでした……」
「あの世でも、幸せになってくださいね」
「ははっ……あなたが来るのを、気長に待ってますよ」
「それでは純子さんが可哀そうです。ちゃんとあの世で、今までの分も幸せにしてあげないと」
「あなたが許してくれるなら……僕はあなたと純子さん……三人で幸せになりたいです」
「ふふっ……本当に欲張りですね、あなたは」
「……紀崎くん」
「はい」
「純子さんのこと、色々とありがとう……君の話、純子さんから聞いてました……比翼荘のこと、よろしくお願いします……」
「自分を認めてくださるんですか」
「純子さんのお墨付きです……静江さんにも、子供たちにも伝えてあります……あの家は、これからも自由に使ってください」
「ありがとうございます、山川さん」
「そこに……比翼荘の皆さんもいるのですね」
「はい。妻の早希、それから沙月さん、由香里ちゃん、涼音さんです」
「皆さんの幸せは、純子さんの生きた証です……だから紀崎くん、お願いしますよ」
「分かりました。全力で頑張ります」
「純子……さん……」
「何ですか、ハルちゃん」
「僕は……頑張れたかな」
「うふふふっ、何言ってるんです。ハルちゃんは本当に、よく頑張りましたよ」
「そう……かな……」
「辛い時もあったと思う。泣いた時もあったと思う。でもハルちゃんは、今日まで必死に生きてきた。私も静江さんも、ちゃんと分かってますよ」
「ははっ、だったらいいな……僕、本当はこんな家に生まれてきたくなかった……もっと普通の家で、穏やかに生きていたかった……でもそんな僕を、純子さんと静江さんが励ましてくれて……」
「よく頑張ったね、ハルちゃん。立派だったよ」
「あなた」
静江が山川の手を握る。
「あなたはよく頑張りました。誰がなんと言おうと、私と純子さんはそれを知ってますよ」
「静江さん……」
「ずっとずっと、愛してましたよ」
「僕も……静江さんのこと、本当に愛してました……」
「愛してるよ、ハルちゃん」
「純子さん……ありがとう、愛してる……」
純子の姿が、少しずつ消えていく。
純子は信也たちに向かい、にっこりと微笑んだ。
「由香里ちゃん」
「純子さん……」
「あなたとは一番長く過ごしたけど……あなたと出会ってから、本当に毎日が楽しかったわ」
「……やだ、行かないでください……」
「そんな顔しないの。いつか彼氏さんに認めてもらえるといいわね。私、由香里ちゃんのこと、見守っているからね」
「……はい……です……」
「涼音ちゃん。最後まであなたの姿を見ることは出来なかったけど、私にとってあなたも、本当に可愛い娘だったわ」
「……純子……さん……」
「あなたはいつも冷静で、周りが一番見えてる人だから……これからもみんなのこと、しっかり支えてあげてね。それから……あなたの歌、とても好きだったわ」
「ありがとう……ございました……」
「沙月ちゃん」
「やだ……私、嫌だ……」
「あなたには本当、手を焼いたわ。でも実は、優しくて素敵な女の子。ずっとそう思ってた……元の姿に戻れて、本当によかったわね」
「……」
「幸せになってね」
「……今まで……ありがとうございました」
「早希ちゃん」
「……」
「もっともっと、いっぱいお話ししたかった。もっともっと、あなたのことを知りたかった……あなたには大変なことをお願いするけど、でも無理はしないようにね。あなたはすぐ頑張りすぎるから。
でも不思議なの。短いお付き合いだったのに、すごく身近に感じてた……本当に、自分の娘みたいに思ってた」
「お母……さん……」
「幸せになるのよ。でないとお母さん、あの世で泣いちゃうからね」
「うん、うん……頑張る……」
「信也さん」
「……はい」
「娘たちのこと、よろしくお願いします。この子たちは私の全てです。この子たちがみんな、一人も残らず幸せになれるよう、見守ってあげてください」
「約束します。みんなを必ず幸せにします。まだ会ってない比翼たちのことも、俺がきっと幸せにしてみせます」
「あなたと出会えて、本当によかった。これで私は、安心してあの世に戻れます」
穏やかに微笑む純子。純子は山川を愛おしそうに見つめ、言った。
「ハルちゃん。じゃあ行こうか」
「うん……今日まで本当に、ありがとう……」
山川が静江に声をかける。
「静江さん……では僕、先に行ってます……静江さんはゆっくり、こちらの世界を楽しんでから来てくださいね」
「ええ。あちらで待っていてくださいね」
「はい……」
そう言うと、山川は静かに目を閉じた。
純子の体が消えていく。
「みんな……本当にありがとう……ありがとう、ありがとう……」
笑顔を最後に、純子は消えていった。
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