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074 あなたに会えてよかった
しおりを挟む「はぁ~」
「あはっ。お姉ちゃん、疲れましたですか」
「まあね。なんか今日は色々と、刺激が強すぎたわ」
「うふふっ。一日でこんなに比翼たちと会ったの、早希ちゃんが初めてかもね」
「純子さんが幽霊ってだけでも驚いたのに、由香里ちゃんに沙月さんに涼音さん。個性豊かな面々にもうお腹いっぱいです」
「うふふふっ、大丈夫よ。早希ちゃんも負けず劣らず個性、強いから」
「そうですか? 私、結構普通だと思ってるんですけど」
「……お姉ちゃん、それはないと思うよ」
「ひっどーい。由香里ちゃんまでそんなこと言うんだー」
「だってお姉ちゃん、沙月さんを見ても怖がらなかったし」
「びっくりはしたよ。でも別に、怖くはなかったかな」
「うふふっ、早希ちゃんに声をかけてよかったわ」
「純子さん。沙月さんのあの姿って、やっぱり」
「ええ。私たちはみんな、想い人によって存在を決められるの」
「どうしてゾンビなんかに……いくらなんでも酷すぎませんか」
「そうよね。私も初めて会った時は驚いたわ。でも沙月ちゃん、あんな姿だけど優しい子なのよ。あの話し方だって、今の姿になってからなんだと思う。最初の頃は時々敬語が混じって面白かったんだから。
沙月ちゃんね、涼音ちゃんととても仲がいいの。自分と同じように、想い人にあんな姿に変えられてしまったから。私は生前のままだし、由香里ちゃんは実体がないけど、面影は残ってる。でもあの二人は違う。涼音ちゃんは存在自体を否定された。そして沙月ちゃんはあの通り」
「……」
「涼音ちゃんから聞いたんだけど、沙月ちゃん、彼氏さんと大恋愛だったらしいの。彼氏はとても優しくて、沙月ちゃんのことを本当に大切にしてた。愛してた……でも沙月ちゃんが戻って来た時、信じられないくらい怯えたらしいの。怖いものが苦手みたいで、ホラー映画とか観たら一人でトイレにも行けない人なんだって。だから沙月ちゃんを見た時、泣きながら逃げたそうよ」
「そんな……いくら怖がりだって言っても、相手は恋人だった人なんですよ。ゾンビにするなんて酷すぎます」
「大好きで大好きで、もう一度会いたい、そう思って戻って来たのに、想い人は自分を拒絶してゾンビにした。裏切られたって思ったそうよ。
だから沙月ちゃんは恋愛を、人を憎んでる。彼を信じて戻って来たのに、あんな姿になって彷徨うことになってしまった……こんなことなら、好きにならなければよかった。愛さなければよかった、そう後悔した。
沙月ちゃんは早希ちゃんのことが嫌いな訳じゃない。むしろ同じ比翼として受け入れようとしてる。だからこそ、早希ちゃんが今も旦那さんを愛してることが許せないんだと思う。早希ちゃんもいつか裏切られて絶望する、そう思ってるから」
「……」
純子の言葉。
早希にはどれも聞いたことのあるものだった。
そしてそれは、早希にある決意をさせた。
「早希ちゃんはどう思う?」
「……私は」
そう言って顔を上げた早希の瞳に、純子が思わず息を呑んだ。
――強い強い意志を持った、その瞳に。
「今の話を聞いて思ったことはひとつです。沙月さん、かつての信也くんと同じことを言ってます。
信也くんもそうでした。お父さんに裏切られて、大切な思い出も失って。大切な人もたくさん無くしてしまった……信也くん、私が片想いだった頃によく言ってました。人を信じれば裏切られる、だから俺は誰も信じないって。
でも私は諦めませんでした。なぜなら信也くん、心のどこかでまだ、人を信じる気持ちを持ってたから。だから私、頑張りました。どれだけ信也くんが嫌がっても、拒絶されても諦めませんでした。
沙月さんも同じだと思います。沙月さんはきっと優しくて温かい人。面倒見がよくてちょっと寂しがり屋さん。だから私、沙月さんのこと、好きです」
「お姉ちゃん、すごいです」
「うふふっ。やっぱり早希ちゃんを連れてきてよかったわ」
「そうですか?」
「早希ちゃんが来てくれたことで、この比翼荘がどう変わっていくか。楽しみだわ」
「私も楽しみです。あはっ」
「とにかく純子さん、由香里ちゃん。これからよろしくお願いします」
「はいです。お姉ちゃん、こちらこそよろしくお願いしますです」
「ここはいつ来ても大丈夫だから。気軽に来てちょうだい」
「分かりました!」
笑顔の早希を見て、純子も嬉しそうに微笑んだ。
「やばいやばいやばい、信也くん、もう帰ってるよね」
全速力でマンションに戻る。
「ただいま! ごめんね、遅くなっちゃった」
「おう、おかえり。散歩でもしてたのか」
「え……」
中に入ると、味噌汁の匂いがした。
「……信也くん?」
「今出来たところだから、座って待ってろよ。久しぶりにあれ、作ってみたから」
「あれって何を」
「ふっふっふ、ハンバーグ様」
「ええええっ? 信也くん、ハンバーグ作ってくれたの?」
「いつも早希にばっか作ってもらってるからな、たまにはいいだろ。とりあえず手、洗っておいで。幽霊でも病気になるかもしれないし、健康管理はちゃんとしないとな」
そう言って早希の手を取った。
「おいで。一緒に洗お」
そのぬくもりに、心が揺れる。
「……早希?」
「あ……あれ……」
早希の目から、ボロボロと涙がこぼれる。
「どうしたどうした、外で何かあったのか?」
「ううん、違う……違うの……」
とめどもなく流れる涙。拭えば拭うほどに、早希の中で何かが大きくなっていく。
「おいおい、ほんと大丈夫か?」
そう言って、信也が頭を撫でる。
ーーああ、私は幸せだ!
「信也くん!」
胸に飛び込み、力いっぱい抱き締める。
そして訳の分からないままに、その感情があふれ出した。
「うわああああああっ!」
子供のように泣きじゃくる。
「うわああああああっ! うわああああああっ!」
信也くんの匂い。信也くんのぬくもり、信也くんの笑顔。
私は本当に幸せだ。
この人に出会えて、本当によかった。
このぬくもりがあれば、どんなことにでも耐えていける。
私はこの人と共に生きていく。
この人と、ずっとずっと生きていく。
「信也くん、大好き……愛してる……」
「ぷっ……」
「……え?」
「おまっ……お前、その顔……ぷっ……」
「……えええええええっ?」
「すまんすまん、ちょっとタイム……ぷっ……お前、涙でずぶ濡れのアライグマになってるから」
「ア……アライグマ?」
信也の言葉に涙が止まる。
感動が一気に冷める。
「……信也くん」
「え? 早希? 早希さん?」
「……っとにもうね……普通笑うかな、この状況で……私ってば、すっごく感動してたのに。台無しだよ、ほんと」
「さ……早希さん? 浮き上がってどうしたのかな。手を洗ってご飯、一緒に食べませんか? 俺、頑張ったんだよ?」
「あのね、信也くん。女の子ってのはほんと、心がガラスみたいに脆くて壊れやすいんだよ。それなのによくも」
「いやいやいやいや、冗談、冗談ですって。なんで泣いてるのか分からないけど、とりあえず慰めた方がいいと思って。それには笑いが一番だろ? つまり今のは、俺の優しさ故の冗談で」
「何が優しさなもんか。さっきの涙、返してもらうからね」
一気に浮かび上がり、箪笥の上のハリセンをつかむ。
「お、おまっ! そこにも隠してやがったのかよ、この前全部撤去したと思ってたのに」
「私、自宅警備員ですから。作る時間はたっぷりあるんです」
「ひ、ひいぃっ!」
「どこに行くのかな、信也くん」
「ひえええええっ!」
「いっつもいっつも、デリカシーのないことばっか言って! 今日という今日は、絶対許さないんだからっ!」
逃げる信也と追いかける早希。
いつの間にか、早希は笑顔になっていた。
今日、比翼たちと出会った。
想い人に拒絶され、彷徨い続ける彼女たち。
でも信也くんは違う。
私の全てを受け入れ、包み込んでくれる。
本当に、私の想い人は変な人だ。
でも……私は今、本当に幸せだ。
ありがとう、信也くん。
あなたに出会えて、本当によかった。
「信也くん……愛してる! 愛してるっ!」
「待て待て待て待て、そんな愛はやめてくれと何度も」
「愛してるよ、信也くんっ!」
そう言って、力の限りハリセンを振り下ろした。
「ひえええええっ!」
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