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070 ようこそ比翼荘へ
しおりを挟む「ここよ」
遊歩道から一分も経たない内に、目的地に着いた。
「やっぱり飛ぶと早いですね」
「障害物、ないからね」
「あははっ、確かにそうですね。この体になって不便なこともあるけど、飛べるようになったのはよかったと思ってます」
「そうね。気持ちいいし」
「ですよねー。信也くんにも感じてほしいから、一度抱っこして飛んでみようかなって思ってるんです」
「やめた方がいいわよ。落としてしまったら大惨事」
「うわっ、ほんとだ……今のなし、今のなし」
「ふふっ。じゃあ入って。遠慮しなくていいから」
「はい。お邪魔します」
純子が生活拠点にしている場所。それは昭和初期に建てられた屋敷だった。
この辺りは区画整理からも外れていて、古い建物が多く残っている。
その中でも、ひときわ異彩を放つ屋敷。
木製の塀も古びていて、あちこちが腐り穴が開いていた。門をくぐると雑草が好き放題に伸びていて、玄関までの道もない。
「びっくりするでしょ、初めて見ると」
「あ、いえ……でも立派なお屋敷だと思います」
「ふふっ、ありがとう。荒れ放題だから、誰も怖くて近寄らないのよ。だから私たちには都合がよくて」
「そうですね」
「区画整理に入ったら、流石に出て行くことになるけど……でもここの持ち主、手放す気がないみたいで助かってるの」
「それが純子さんの」
「その話は中でしましょうか。さあ入って。誰かいると思うわ」
屋敷の中は掃除が行き届いていて、外見からは想像出来ないほど綺麗だった。
畳や壁は確かに古いが、手入れすれば人が十分住める環境だった。
五百旗頭さんに頼めば、かなり快適になるかも。そう早希は思った。
「純子さん?」
奥の部屋から声がした。
「由香里ちゃん、来てたのね」
「お客さんですか?」
「ええ。前言ってた新人さん。紹介するからこっちに来て」
座布団に早希を座らせ、純子は台所に向かった。
「でわでわ……久しぶりの新人さん、拝見させていただきますね」
そう言って隣の部屋から、由香里と呼ばれた女性が入ってきた。
「え……」
襖をすり抜けてきた由香里に、早希が声を漏らした。
セーラー服姿の由香里は、まだあどけなさの残る中学生だった。
好奇心いっぱいの大きな瞳、ショートカットに日焼けした肌。スカートの膝下から見える足は、筋肉質で引き締まっていた。
しかし早希が驚いたのは、由香里の存在そのものだった。
霊体。
由香里の体には、実体がなかったのだ。
透き通った体からは、向こうの景色が見えている。
「おおっ、これは驚きです。ちゃんと体、あるんですね」
由佳里が陽気に笑う。
「はじめまして、由香里です」
「あ、どうもご丁寧に。私は早希、紀崎早希です」
「あはっ。早希さんですか、いいお名前ですね。ここでは名前だけでいいですよ。みなさんそうですから」
「そうなんですか?」
「はいです。私たちは数も少ないですし、苗字がなくても問題ないですから」
「なるほど……確かにそうですね。分かりました」
「久しぶりの新人さん。沙月さん以来です」
「沙月さんも、ここの人?」
「はい。沙月さんは確か、三年ぐらい前に来ましたです」
「由香里さんは?」
「ええっと、私は……そろそろ20年になりますです」
「そんなにですか? じゃあもし生きてたら」
「30半ばぐらいですね。まあでも、数えても仕方ないことですから」
「確かに……」
「あはっ、早希さん素直」
「由香里ちゃん、ただいま」
台所から、純子がお茶を持って戻って来た。
「おかえりなさい、純子さん」
そう言って、由香里がぺこりと頭を下げる。
「そして早希ちゃん。ようこそ比翼荘へ」
「比翼荘……」
「ここの名前ですよ」
そう言って、由香里が早希の向かいに陣取った。
「比翼は中国の伝説にある、一つの羽根と一つの目しか持たない鳥のことよ。自分だけでは飛べないから、雄鳥と雌鳥が寄り添い合って一緒に飛ぶの。よく結婚式で祝辞に使われてるわ。
私たちはみんな、愛する人の為に戻って来た存在。だからこの名前にしたの」
「比翼の鳥……初めて聞きました。素敵ですね」
「ふふっ、ありがとう」
純子は早希の隣に座ると、茶托に乗せた湯飲みを前に置いた。
「早希ちゃんは飲めるのよね」
「はい。いただきます」
そう言って湯飲みを手にする。
「いい香り」
「ふふっ、ありがとう」
「早希さんは、飲んだり食べたり出来るんですね」
「え、あ……ご、ごめんなさい」
「いえいえ、そう意味じゃないので気にしないでください。確かに私は飲めませんけど、それを不自由に感じたことはないですから」
「それに早希ちゃんも、食べないといけないって訳じゃないのよ」
「え? そうなんですか?」
「と言うことは、知らなかったのね」
「私、いつも普通に食べてますから。考えたこともなかったです」
「ふふっ。ほんとに早希ちゃん、変わった幽霊さんね」
「……すいません」
「あはっ、なんで謝るんですか。早希さん、ほんと面白い」
「……面目ないっす」
「ふふっ」
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