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066 男たちの咆哮
しおりを挟む「じゃあ、いってくるよ」
「頑張ってね。いってらっしゃい」
忌引き休暇が終わり、今日から出勤。
信也は玄関先で、早希と名残惜しそうにキスを交わした。
「帰りに母ちゃんのところ寄ってくるから、ちょっと遅くなると思う。晩飯、一緒に食べられなくてごめんな」
「待ってるから……私、いつまでも待ってるから」
「なんだよそれ、何のドラマだよ」
「ふふっ。でもごめんね、お弁当作れなくて」
「仕方ないよ。早希の弁当持って出勤したらどうなるか、考えただけでも恐ろしい」
「そうだよね。私、死んだんだもんね」
「あ、悪い……」
「ううん、そういう意味じゃないから。お昼にはあやめちゃんも来てくれるし、一緒に勉強するか、映画でも見て待ってるよ」
「本当ごめんな。なるべく早く帰るから」
「うん。気を付けてね」
どんなに哀しいことがあっても。
どんなに苦しいことがあっても。
どんなに辛いことがあっても。
いつかは日常に戻らなければいけない。
生きてる限り。
そしてその日常のおかげで、心の傷も癒されていく。
信也は気持ちを引き締め、職場へと向かった。
「今日からまた、始めるんだ」と。
「みなさん、おはようございます!」
皺ひとつない作業着。背筋を伸ばし、凛とした声で挨拶する。
作業員たちは、信也の佇まいに驚きの表情を浮かべていた。
毎度毎度遅刻を繰り返し、間に合ったかと思えばよれよれの作業着、ぼさぼさの頭で挨拶していた副長。
一週間前に妻を亡くした副長。
その副長が迷いのない目で、今日一日の段取りを説明する。
その姿に、作業員たちは皆、身が引き締まる思いがした。
「それで……私事ですが、この度は皆さん、色々とありがとうございました。皆さんに愛されていた早希の為にも、今日からまた、しっかり頑張っていきたいと思います。
――どうかよろしくお願いいたします!」
そう言って頭を下げた。
静まり返る作業員たち。
その沈黙を破り、篠崎が声をあげた。
「こちらこそ、よろしくお願いしますっす!」
「……」
篠崎の声に、他の作業員たちも我に返った。
「よっしゃ紀崎! それでこそ男やっ!」
「ほんだらおどれら、我らが副長の為にも、根性入れて仕事いてこましたろやないかっ!」
「おおおおおおっ! おおおおおおおっ!」
「わしらで紀崎を男にしたろやないかっ!」
「何言うとるんじゃ、あの顔見てみい! 紀崎はもういっぱしの男じゃ!」
皆がそう言って信也の元に集い、肩を頭を叩いて輪になる。
「それでなんやが」
作業長の吉川が現れた。
「紀崎、まずはお疲れさんやった。三島のことは本当に残念やった……わしらもみんな、思い出したら辛くなる。
そやけどわしらは、三島の分まで頑張らんとあかん。そうでないと三島に叱られてまう。お前が気落ちしてへんか、色々心配しとったんやが……お前も同じ思いのようで安心した。
それで紀崎、三島の後任として、篠崎にお前の補佐をさせようと思ってるんや」
「篠崎ですか」
「ああ。三島と比べたらハナクソなんやけどな」
「ちょ……作業長、それひどくないっすか」
「まあ本音は置いといて」
「冗談っすよね! そこ、間違えないでほしいっす!」
「こいつはハナクソやけど、お前のことを信頼しとる。こいつを鍛える意味でも、頼みたいんや」
「分かりました。しっかり鍛えます」
「頼むぞ、紀崎」
「副長、よろしくお願いしますっす!」
「ああ。頑張ってくれよ」
「ほんだらみんな、今日も頼むぞ」
「おおおおおおっ! おおおおおおっ!」
男たちの雄叫びが、工場に轟いた。
「副長、ちょっといいっすか」
昼休み。
いつもの芝生で煙草を吸う信也の元に、篠崎が現れた。
「……これ、何回目だ?」
「なんすか?」
「いや、こっちの話。で、どうした」
「はい、その……副長、この前は本当、すいませんでしたっす」
そう言って、全力で頭を下げてきた。
「なんだそのことか。いいよ、気にしてないから」
「でも俺……副長の気持ちも考えないで、八つ当たりしてしまったっす」
「だからいいって。お前の早希を思う気持ち、嬉しかったよ」
「……やっぱり副長は、俺のヒーローっす」
「いや、だからそれはやめてくれと何度も」
「いいえ、ヒーローっす!」
「で、それを言いにわざわざ来たのか?」
「いやその、それもなんすけど……実はちょっと、相談したいことがあるんす」
「仕事のことじゃなさそうだな」
「はいっす。実はその……さくらさんのことっす」
……ん? なんかまた、デジャブってるぞ。
「俺……さくらさんと別れようと思ってるんす」
やっぱそれかあああっ!
「なんでそんな話になってるんだ。喧嘩でもしたのか?」
「いえ、喧嘩はしてないっす。と言うか順調っす」
「じゃあなんで」
答えに予想がつくだけに、尋ねるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「副長と三島さんがこんなことになって……俺たちだけが幸せになんてなれないっす」
お前ら、お前らあああああっ!
お前らもう、なんでまだ結婚してないんだよ!
「お前……アホだろ」
「ええっ? それ、ひどくないっすか」
「いーや、アホだ。お前がいくら否定しても、俺は撤回しない。お前はアホだ」
「なんでっすか。なんでそうなるんすか」
「俺と早希がこうなった、それは事実だ。でもな、なんでそれでお前らが別れないといけないんだよ」
「俺たちを繋げくれたのは、副長と三島さんっす。そのお二人がこんなことになったのに……なんで俺たちだけが幸せになれるんすか」
「いやいや、幸せになっていいから。て言うか、さっさと幸せになってくれ」
「副長……」
「お前らなぁ……ほんと、一卵性双生児かよ」
もう一本煙草をくわえ、火をつける。
「この前、さくらさんからも相談された」
「さくらさんがっすか?」
「ああ。お前と全く同じことを言ってたよ」
「さくらさんが……俺と同じことを……」
「言っとくけどさくらさん、お前にベタ惚れだからな。なのに俺の為に、そんなこと言ってくれた」
「さくらさん……副長、俺も同じ気持ちっす」
「分かってるよ。てか、分からないとおかしいだろ。お前らほんと、似た者同士だな」
「そうっすかね」
「そうだよ。人のことばっかり考えて、自分のことは後回しにして」
「……」
「格好いいよ、お前ら。そんなお前らと仲良くなれて嬉しいよ」
「副長……」
「でもお前ら二人、やっぱアホだよ」
「ええええっ?」
「気持ちは嬉しい。しっかり受け取った。でもな、そろそろお前らも、自分を大事にすることを覚えろ。そうじゃないと、いつかそれで人を傷つけることになるぞ」
「……」
「自分のことを大切に出来ないやつが、なんで他人を大切に出来るんだよ」
その言葉に、篠崎は雷に打たれたような衝撃を覚えた。
「副長っ!」
信也の手を、力いっぱい握り締める。
「な……なんだ?」
「副長はやっぱり、俺のヒーローっす!」
「そ、そうなのか?」
「そうっす! 俺今、感動したっす! そうっすよね、自分のことも大事にしないと、人を大事になんて出来ないっすよね! 俺、こんな感動した言葉に出会ったの、初めてっす!」
「お……おう……」
「副長、抱き締めてもいいっすか!」
「いや、それはいい。お前とどうこうなる気はない」
「冷たいっすね、副長」
「抱き締めるならさくらさん、だろ?」
「分かりましたっす! 俺、今日さくらさんをデートに誘うっす!」
「頑張れよ」
「ありがとうございますっす!」
「はっはっは。いいですね、男の友情」
振り返るとそこに、五百旗頭が立っていた。
「キベさん」
「副長。この度は本当に、お疲れ様でした」
そう言って深々と頭を下げる。
「あ……キベさん、頭を上げてください」
「他人がとやかく言うことではありませんが……どうか気を落とさず、頑張ってください」
「はい、ありがとうございます」
「色々大変だと思います。もし何かお困りのことがあれば、いつでも言ってきてください」
「キベさん……」
「しかし副長、見違えましたね」
「そ、そうでしょうか」
「ええ。私も色々考えてました。今日、どうやって声をかけたものかと……でもそんな年寄りのお節介、全て杞憂になっていました。なんと言いますか、いい目をしてます。決意に満ちた、未来を見据えた男の目をしてます」
「……そろそろやめてもらえると助かります。俺、そういうのに慣れてないんで」
「それに今のお話。篠崎さん、いい上司に恵まれて幸せですね」
「はいっす! 副長は俺の」
「やめろ。今日の分は全部言った」
「ええええっ? 言わせてくださいっすよ」
「駄目だ。これからはそれ、一日一回の限定な」
「副長、ひどいっす」
「はっはっは。そのやり取りを聞いていると、本当に安心しますね。
副長、私も副長と奥さんには感謝してます。お二人のおかげで、私はこうして第二の人生を歩むことが出来ました」
「それはキベさんが頑張ってこられたからで」
「いえ、私はこの通り偏屈者ですから。副長や奥さんがいなければ、みなさんと打ち解けることもなかったと思います。定年まで、路傍の石でいたはずです。
それをお二人が拾い上げてくれた。だからお二人には、本当に感謝してます」
「キベさんほんと、その辺で勘弁してください」
「はっはっは、ではこの辺でやめておきます。でも副長、お元気そうで本当によかった。奥さんもきっと、喜ばれてると思いますよ」
「……ありがとうございます」
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
三人は笑い合い、工場へと戻っていった。
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