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煙草と夜景とブランデー

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 真っ暗な部屋。
 でも、ほっとした。
 旅行鞄を適当に置いて、まっすぐ風呂場へと向かう。

 ーー早く洗い流したい、このけがれを。

 そう思いながら。



 シャワーを頭から浴びると、線香の匂いがした。
 この匂い、別に嫌いじゃない。
 でも、今は違った。
 反吐へどが出そうだ。
 いつもより多めにシャンプーをつけ、何度も何度も洗い流した。



 風呂から上がった私は、グラスを手にリビングに向かった。
 ベランダの向こうには、夜の高速道路が見える。
 ヘッドライトとテールランプが帯になり、交差していく。
 その光景を見るのが好きだった。

 ソファーに座り、煙草に火をつける。
 薄暗い部屋を、煙がゆらゆらと揺れる。
 山盛りの氷の上からブランデーを注ぎ、口に含む。





 母さんの死を聞いたのは三日前。
 連絡をくれたのは姉さんだった。
 そうか。逝っちゃったか。

 親の訃報。
 それなのに、冷静に受け入れることが出来た。自分でも驚いた。
 それは姉さんも同じようで、電話口でもいつもと変わらぬ口調だった。

 姉さんとこうして話すの、いつぶりだろう。
 そんなことを思いながら、実家に戻る段取りをした。

「それでどうする? あんた、仕事忙しいんでしょ? 私だけでも」

「いいよ。私も母さんと、ちゃんとお別れしたいし」

「大丈夫?」

「忙しくないと言えば嘘になるけど」

「そうじゃなくて。帰ることよ」

「それは姉さんだって同じでしょ」

「そうなんだけど、ね。でもこんな時ぐらい、ちゃんとお姉ちゃんしないと」

「今更だね」

「ほんと、そうだわ」

「ふふっ、分かってるならいいよ」

「私の方は旦那も一緒だし、問題ないわ。だから別に、無理しなくても」

「ありがとう。でも大丈夫。これで最後だろうし、けじめって意味でもね」

「分かった。どうする? 一緒に行く?」

「……別々にしよう。お邪魔虫になりたくないし」

「何よそれ」

「ふふっ。それじゃあ、実家で」

「ええ、実家で」




 私たち姉妹は、とある村で生まれ育った。
 実家はその辺りを取りまとめている、俗に言う名士の家系だ。
 親戚の家も多くあるが、私の家はその本家に当たる。
 村での影響力は絶大で、当主である父の言葉は、村では絶対のものだった。

 そんな、時代から取り残されたような村に、母さんは嫁いだ。
 父が大学生の時に出会った、都会の人だった。
 母さんは、身内のひいき目を抜きにしても、立派な人だったと思う。
 でもあの家に嫁いだ日から、母さんの人生は大きく変わった。

 高校生の時、一度だけ母さんから聞いたことがあった。

「私はね、最初に失敗しちゃったの。何が間違ってたのか、あの時にはよく分からなかった。でも、今なら分かる。
 それなりに準備もした。覚悟もしていた。でもね、田舎の家に嫁ぐって意味を、ちゃんと理解してなかったんだと思う。だってしょうがないでしょ? 成人したばかりだし、都会のことしか知らなかったんだから。
 私が良かれと思ってやること、話すこと。それが全部、田舎の人には常識外れだったみたい。だからね、第一印象で失格の烙印を押されちゃったの。あいつは嫁選びを間違えた。これじゃ家名に傷がつくってね」

「でも母さん、それから頑張ったんだよね」

「そりゃあ、頑張ったわよ。ここは今までの世界じゃない。嫁いだ以上、私の家はここなんだ。一日も早く、みんなに認めてもらえるようになるんだってね」

「父さんは……助けてくれなかったんだ」

「お父さん、ああいう人だから。それはお前の問題だ、自分で何とかしろってね」

「……」

「でもね、妊娠した時だけは、雰囲気が柔らかくなったの。村のみんなが、少しだけ好意的になってくれた。何と言っても、跡継ぎを産むんだから」

「でも、生まれたのは私と姉さん」

「あんたにこんな話、あんまりしたくなかったんだけどね。でもまあ高校生なんだし、ちょっとぐらいならいいでしょ」

「大丈夫だよ。言われなくても分かってるし」

「まあそうよね、ふふっ。男を産めなかった私は、それまで以上に居場所がなくなっていった。ここの嫁は、跡継ぎを産むことも出来ないのか。とんだ役立たずだってね」

「酷い話ね。子供が男か女かなんて、母さんの責任じゃないのに」

「でもね、それがこの家、この村だったの。周りからも色々言われてね、お父さんも焦ってたみたい。でも結局、三人目は出来なかった。その前にお父さん、死んじゃったから」

「分家には跡継ぎがいるんだし、別にいいじゃない」

「そう思うんだけどね。なんでか知らないけど、ここの人たちはそういうことに抵抗があるみたいなの」

「だから私に、婿を取れって言ってくるのね。馬鹿馬鹿しい」
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