SOLNEFIA(ソルネフィア)

森永らもね

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第一部 五章 コロッセオの騎士編

62 かつての面影(挿絵あり)

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 じっとりと湿気の重さを感じる空気が、石畳の部屋に充満している。息をする度に肺を重く、重くさせる。そんな息の詰まりそうな部屋の中で鳥顔マスクをつけた人物が上機嫌に鼻歌を歌っていた。彼の前にはお気に入りの「コレクション」たちが綺麗に並べられている。
「ミアは随分濁っちゃったね~」
 せっかく綺麗な色だったのに、とホルマリン漬けのソレをみて残念そうに嘆息した。どんなに綺麗でも生きているものから切り離してしまえばいずれ朽ちてしまう。かつての輝きは、生きているからこそのものだ。体内に宿した拳大の心の臓を動かし、血を通わせ、脳を動かし、肺を動かし、息をして。そうして生きているからこそ、美しいと思えるものがある。
(まあ、あの子のものには遠く及ばないけど)
 かつて自分が恋し、焦がれたあの赤い目。ギラギラと熱を持っていて、血の通った人間の生命力を強く感じさせられる、あの目。思えば、あれが自分の初恋だったのかもしれない。
(あの子の目……欲しかったなぁ……)
 体から魂が切り離されれば、体が朽ちてしまえば、その残ったものに色は与えられない。だから、生きて欲しかった。ずっと君を見ていたかった。そんな思いを拗らせて、もうどれくらいの年月が経ったことだろう。
(……彼と会えたのは幸運だったかな)
 白髪の少年を思い、ホルマリンの瓶を撫でる。彼女と同じ赤い目―――いや、きっと彼がそうなんだと確信があった。今度は手に入れたい―――けど。お付の彼がそれを許してはくれないだろう。姿が変わっても彼女の隣で睨みを利かせているぐらいなのだから。

「……い! 落ち着けって!」

 先程からやけに隣の部屋が騒々しい。「騒がしいなあ」相変わらず平坦な声でドクターが呟いた瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。荒い息をあげ、睨みつけてくるその青目にかつての彼が重なる。
「おや、シアン君。どうし……」

 鈍い音がしたと同時に、白衣の人物の体は殴り倒され、石畳の床に沈んだ。机に並べていたコレクション達はことごとく床にぶちまけられ、辺りはホルマリン独特の臭いに包まれる。
「あー、急に酷いなあ。私のコレクションが……」
 平然としているドクターの胸ぐらを掴み、シアンは瞳孔の開いた瞳で何度も殴り付けた。自身の拳から血が流れようと気にせず、無言で、なにかに取り憑かれたかのように、何度も。何度も。
「……っ! おいって!」
 先程まで言い合っていたメルーラが後ろからシアンに組み付いた。「お前……急に入ってきて、頭おかしいんじゃねえの!?」怒鳴りつけるメルーラに「離せっ、クソガキ!」とシアンがメルーラを突き飛ばす。しりをついたメルーラから「いっ……誰がクソガキだ!」と声があがった。
「はははっ、いつになく感情的だこと。こんな事をしている暇があるなら、君の大好きな執事の傍に……」
「死んだ」
 想像もしなかったその言葉に、ドクターの動きが止まった。「今朝方……息を引き取った」胸ぐらを掴んだまま、惜しむように、掠れた声で、シアンはゆっくりと言い直す。そこから先は言葉がこぼれていくように、続けられた。
「意識が戻ってから、お前に渡された薬を飲んだと。死に際の様子がおかしかったから、念の為調べた。そしたら……毒だった」

「テロキルド……皮膚接触だけならまだしも、直接口にしたら、ほぼほぼ死ぬ。これは、母さんの好きだった、ソルネフィアの毒だ……っ!」

「どうせ、お前が! いつもの訳の分からない理屈で! 薬と偽って毒を渡したんだろ!! 苦しんで生きることより死による安楽……! お前はそういうやつだ……! 死ね! 死ねよ! 何故殺したぁ!!」

 その後も怒鳴りながら殴り続けるシアンに「確かに、死による安楽はその通りだけど」とドクターが拳を受け止めた。そのまま起き上がり、シアンを床に抑えつける。
「くっ……放せ!!クソ野郎!」
「うーん。口が悪いなあ。君って昔からそう。一度感情的になると、歯止めが効かなくなるんだから……止めてくれるあの子はいないし……」
 仕方がないよね、とドクターがメルーラに目を移した。「メルーラ君、それこっちに頂戴」腹を蹴られながら平然と顔で指示するドクターに、メルーラは若干引きながらも「これか?」と傍にあった木箱を蹴りつけた。
「うん、それそれ」
 自分の元に滑ってきた木箱を片手で止め、器用に注射針を取り出すと、ドクターは暴れるシアンの首筋に打った。「っぐう」背中を一度逸らし、徐々に脱力していく。
「コレ、暴れる人用のね。常に準備してるからさ……って。シアン君はもう経験しているから知っているよね」
「て、めぇ……」
 微かに震える体に、抵抗しようと力んでいることが分かる。「怒りをぶつけるのは勝手だけど、勘違いだよ。私じゃない」倒れたまま動けなくなったシアンの隣で一息つき、ドクターはマスクの位置を直した。
「せいぜい半年……って書斎で君に言ったろ。一度出した診断を変えるようなことはしない……君がこうなるって分かっているのに、そんな面倒な事しないよ。私だって暇じゃない」
「じゃあ、一体誰が……っ!」
 ぎこちなく拳を握るシアンに「まあ、そういうことでしょう」と少し間を開けて、ドクターが返す。

「君の屋敷にいるんだよ。薬と毒をすり替えた裏切り者が」


 ◆


「あんた、いつまでそうしているつもり?」
 執事のベッドに顔を埋めている白髪頭を見て、メイドはため息をついた。その声に少年がゆっくりと顔を上げる。
「ミシェル……」
 泣き腫らしたその赤目は更に赤く腫れていた。最近こいつの泣き顔しか見てないな、と呆れながら「納棺、しないとだから」と隣に立つ。
「僕のせいだ……」
 再び俯き、拳を握りしめるツグナに「病気なんだから仕方がなかったのよ」とミシェルが返した。ぢがう、濁点混じりの掠れた声でツグナが続けた。
「僕が……ぜんぜんっ、気づけなくてっ、なのに、無理させちゃっで……びょうきのごとどが、ぜんぜんっ、知らなぐで! 僕が……っ」
「……知っててもどうすることも出来なかったわよ、きっと」
 シアンを含め、屋敷の人間は誰も知らなかった。つまり、執事がずっと隠していたのだろう。治療したとしても自分が長くないことを、知っていたから。
「死は誰にでも平等に訪れる……人の手でどうにかできるものじゃないわ」
「分かってる! それでも……っ。昨日まで、確かに生きてたのに。心臓が動いてたのに、息もしていたのに……なんでこんなっ……!」
 嘆くツグナにミシェルは目を伏せた。人の死の悲しみも、後悔も、十分すぎるほど知っている。自分もそうだったから。
「嘆いても、どんなに悲しんでも、執事さんは帰ってこない。天国ってところは、余程心地がいいんでしょう。ルミネア様が収めているところだから、きっと大丈夫……今私たちにできることは、安らかなことをただ祈ることよ」
 その白髪頭に手を置く。執事ならきっと、天国に行けることだろう。命を奪いすぎた自分とは違って。
「う、うわぁぁぁぁ」
 声を上げて号泣され、ミシェルは息をついてから抱きしめた。子供をあやす様に背中を叩き「あんたって本当、泣き虫」と天を見上げる。これじゃあ、あの時の自分たちと真逆だ。
「大丈夫……きっと、大丈夫よ」
 見上げたヘーゼルの瞳は影がかり、黒に染る。早く彼の涙が止むことを願った。

 ◆

「……ったく。あのクソ野郎……やっと帰ったか」
 未だに痛む尻を擦りながら、メルーラはため息をついた。あれだけ殴られた後だと言うのに、黙々と部屋のコレクション達を片付けるドクターを見て「お前、大丈夫なのかよ」と腕を組む。
「おや、メルーラ君が心配を……今日は槍でも降るかな」
「人の優しさを台無しにするんじゃねえ」
 床に膝をついて片付けるドクターを背後から蹴りつける。「痛いなあ」変わらぬ声のドクターに、先程のこともあって眉を顰めた。
「お前って、中身あるのか?」
「え?」
「あれだけ殴られてもビクともしないし……そもそも、不気味なんだよな。お前の人間的要素があまりにも見えなさすぎる」
 四六時中一緒にいるわけではないが、一度も食事やトイレに立った姿を見たことがない。疑心に満ちた目を向けるメルーラに「さあ、どうだろう」とドクターが返した。
「お前な……そういうふわっと返すのやめろ! ますます怪しくなるだろ! こっちは真剣に……」
「真剣さ。私もよくわかってないし。別に気にしなくてもいいんじゃない?」
 はて? と首を傾げるドクターに「あーっ!」とメルーラが苛立ったような声を上げ、またも蹴りつけた。「いったいなあ」張り付けたような声で返すドクターに「わざとらしい奴だ」とメルーラが踵を返す。
「気ぃ悪くなったから出てくる」
「折角だし、手伝ってよ。片付け」
「こ・と・わ・る! 一人で一生やってろ!」
 バタン! 強く扉を締められ「相変わらず短気な子だなあ」とドクターが呟いた。
「人間的要素、ねえ……」
 先程のメルーラの言葉を繰り返しながら、持っていたガラスを見つめる。一体何をもって「人」と言えるのか。あれだけ懸命に命を燃やしていただって、当時は悪魔なんて言われていた。誰かが名付ければコレは「ミア」だし「虫」や「カエル」にだってなる。誰かが間違った認識をすれば間違ったものがその認識だ。結局生物一個体の存在なんてその他大勢の価値観や物差しにすぎない。きっと、目で見えるものの認識に囚われすぎているんだ、私たちは。

「こんな陰気くせぇ場所で人間ごっこか? イル」


 その声に、古い記憶が呼び覚ます。考える脳なんて、残っていないはずなのに。飾りとなった耳ぶちを通し、鼓膜を通し、全身に電撃のような信号が巡った。
「……その名前で呼ばれるのは久しぶりだなあ。ヴェン君。君もこちら側にいるんだ」
 イルと呼ばれ、ドクターが振り向くと、そこには黒い外套に身を包んだ小柄な人物の姿がある。「まあな」パッと外套の頭巾を取ってみせると、真っ先に赤い双眸が目に入った。ダークブラウンの髪に何処か子供のあどけなさが残るその顔は、古くから知っている友人のものと一致している。
「……んだよ。あんまり、驚かねぇのな」
「まあね……」
 目の前に現れた赤目をドクターはじっと見つめてから、無言でヴェンとの距離を詰める。「な、なんだよ」思わずたじろぐヴェンを見て、ふっ、と鼻で笑った。
「はあー……違うんだよなあ」
「な、なんだよテメェ! 勝手にガッカリするんじゃねえ!」
 失礼なやつだと怒りを露わにする様子に「君は今も昔もずっと短気だねぇ」と平坦に返した。
「ここに来たってことはルカ君とディオ君に会ったんだろ」
 その名前を聞くなり「ちっ、つまんねぇの」とヴェンが子供のように口を尖らせた。
「あー……そうだよ。お前がここにいるって聞いたから。ちょっと顔を見に」
「はあ。寂しいならあの二人といればいいのに」
 いつも通りの口調で返すドクターに「寂しくねぇ! あとあの二人と行動なんて絶っ対、嫌に決まってんだろ!」とヴェンが指さして睨みつけた。
「ったくよ……お前も全然変わってないのな。逆に安心したわ……床に転がってる目ん玉はお前の趣味のやつか?」
「そそ。に壊されちゃって。君も変わらず……変わったといえば目の色ぐらいかな」
 彼女のものとは少し違うけど、と目下をなぞるように触るドクターに「気色悪ぃことすんじゃねえ!」とヴェンが腕を叩いて弾く。
「お前の異常性癖に付き合う気はねぇぞ! 第一、今のお前も同じ目だろうが!」
「鏡が使えないんじゃ、そもそも自分の目なんてみれないだろ?」
 マスクを触りながら、ドクターは残念そうに呟いた。欲求不満ばかり溜まるから気に入った目を集めているのだが。どれだけ綺麗なものを集めても、彼女以上の物には出会えなかった。ずっと、ずっと探し続けているのに。「拗らせ変態ジジイめ」目を細めて凝視しながら、ヴェンは身を引いた。
「はあ……ルミネアと同じ目になって、こんなわけのわからない体になって……他の連中も、お前も。なぁ、僕達って一体、なんなんだ? 生きているのか? 死んでいるのか?」
 俯き、急に萎れた様子で話すヴェンに「さあ……分からないね」とドクターが首を傾げる。適当な返しに目の前のヴェンはムッと目を細めた。
「おっ前はいつもそうだ……! ふわふわした返ししやがって! こっちは真剣に悩んでんのに」
 腕を組んでそっぽを向くヴェンに「ただ、人ではないナニカ、になったというのは明確だろう」とドクターが返した。
「暗闇の中でしかこちらに姿を現せられない。自身の体を巡る血がなければ動かすための臓器もない。じゃあ、自分は一体なんなのか……私はね、別に遊びでここにいるわけじゃない。昔は色々試して、自分なりに答えを探していたさ」
 これはあくまで仮説だけど、と付け足し、ドクターは更に続けた。
「私たちは意思のある気体なんだよ」
「あ? 気体……空気とか?」
「そ。煙のような気体……だから形が不確定で実体がない。生き物の中に人間には見えないものを見ることが出来るもの達がいる。それら目にできないものに類するもので、電気に近しい特性を持っている何か」
「なんで電気?」
「人間の脳は常に電気信号で動いている。つまり、目に見えないだけで、この世界はあらゆるところに意思と言う名の電気が溢れている状態……磁力にも近いのかな。体が無くなった私たちはそれらの電磁力だけになった姿、というのが一番近いのかもしれない。形を留める程度の微弱な電磁力を帯びている気体、というなら、実体がないといえる」
「はあ~? なんだそれ、ふぁんたじぃってやつか?」
 急に難しい話をするなよ、と不機嫌そうにヴェンが眉を顰蹙させる。「意思だけの姿、というなら脳がない状態で記憶があるのも、死んだ時の強い意思そのものが漂っているからなのかもね」ドクターはそう言うと、ヴェンに背中を向け、先程の片付けを再開した。
「今のこの姿が生前のものなのは、きっとその強い意思のせいだろう。それがないもの達は、以前の姿を思い出そうとして断片的な記憶を貼り付けた不確定なソレで彷徨うことになる……人間の部位とか」
「あの、目とか口だけの化け物のことか?」
「……まあ、全部ただの想像だけど。私たちも記憶がなければああなっていたのかもしれないね」
 カチャカチャと音を鳴らしながら硝子を片付ける様子に「形を留めるものが強い意思なら、触ることもできるってことか?」とヴェンが後ろから投げかける。
「一応、そうなるね。例えば攻撃したいとかの強い意思……その意思が気体を覆う電磁波を強くさせて、気体を固体に限りなく近づける……ただ、そういった一過性のあるものでは、こちらででまともな生活は出来ない。生き物に自分たちの存在が知られたところで、白目で見られて面倒だからね……私は自分のコレクションを集めないといけないから、現実のものを身につけて、外から見えないようにしているけど」
「なるほど。つまり、お前は常に変態だったから、こっちで人間と上手くやってるって訳か……てか、お前のその変な格好ってそういうことだったのかよ」
「素敵な格好だろ?」
 乾いた笑いで言い直すドクターに「耳にクソでも詰まってんのかてめぇ」とヴェンが口をへの字にして言った。「口が悪いなあ」とガラスの欠片を手にし、傾けながら見つめる。
「……今の自分たちを構成する体はまるで黒い粒子のようだ。それで思ったのさ。この世の全ては細かい粒の集合体なんじゃないかって。それらを認識する脳が、世界を取り巻く電磁力に強く影響されているから、生き物はバイアスのかかった歪んだ世界を見ることしかできない。でも、今の体を捨てたこの姿なら、真実を目にすることが出来る。あの色のない世界も、あの化け物たちも」
「つまり……?」
「ああ。私たちが知らなかっただけで、世界は初めからこうだったのかもしれない」
 全部憶測だけどね、とドクターが集めた硝子を生き残った瓶に入れて、机に戻した。普通に考えると怖い話だなんて眉を潜めながら「やっぱよくわかんね」とヴェンが息をついた。
「体を捨ててから初めて真実を目にするなんて、どう考えてもおかしな話だろ……こっちは死んでんのに……だよな?」
「概念的には死者で間違いないと思うよ。生物学的に生き物として機能していないからね」
「はあ……」
 改めて死者であることを自覚するヴェンに「まっ」とドクターが落ちためだまを手に取った。
「生きているうちに誰も死者の世界を見ることはないんだ。自分が死んだらどうなるか……それは全て憶測や想像の世界になってしまう。死んで初めて分かる世界だから、生きているうちは好き勝手に想像できるのさ……想像するなら、無よりも希望を抱ける素敵なものがいい。神書ってまさにそうだろ?」
 目元にめだまを掲げるドクターに「……宗教なんてもう懲り懲りだ」とヴェンがくぐもった声で言う。言葉が続かなくても「うんざりだ」と声色から溢れていた。「同感だね」集めた目玉を鳥顔マスクのレンズに映して、ドクターは穏やかに笑う。そのまま立ち上がり、めだまの入った瓶を持ってようやく振り向いた。
「ヴェン君はこっちで人に馴染もうとはしないのかい?」
「あ? 嫌だね。今生きてるこいつらは、ルミネアを死に追いやった者たちの末裔だ。仲良くなんざごめんだね」
 頭の後ろで腕を組むヴェンの様子に「末裔ねぇ……」とドクターがオウム返しして呟く。と同時に過ぎる赤目。迷いがありながらも、口を開いた。
「……ねえ。ヴェン君はさ、生まれ変わりとかって信じる?」
「は?」
 唐突に何を言い出すのかと、ヴェンは反射的になって声に出した。
「ヴァルテナ教は僕たちの敵だろ。お前……」
「うーん。そうじゃなくて。ヴァルテナ教とは関係なしに、もし私たちのような不可解な現象が世界にあるとして……その中に生まれ変わりがあったら、って話だよ。あの時のまま残され彷徨う私たちとは別に自分がもう一人いたらって」
「はあ……?」
 呆れた嘆息をつきながらも、ヴェンは戸惑うように頭を搔く。しばらく間を開けてから「……生まれ変わりがあるにしろ、ないにしろ、それは僕じゃないだろ」と目を逸らした。
「僕はかつてルミネアと一緒に帝国兵と戦った……ヴェンネだ。たとえそいつが僕の生まれ変わりでも、全く別の時間軸で、違う環境で過ごしていたら別人だろ。お前もそうだ、イルムナール」
 胸に手を置き、向けられた赤目に、ドクターは「……だよね」と手に持っていためだまのガラス瓶を撫でる。どれだけ似ていても、もし彼が彼女の生まれ変わりだとしても、あれが彼女になるわけじゃない。「……変なやつ」肩を落とすようにして、ヴェンは鼻で息をついた。
「……ったく、こんな話をしたかったわけじゃねえのに。なあ、お前って、こっちに来てからその……ルミネアのこと、見かけたりしてねぇよな…?」
 落ち着きのない様子で俯きながら外套を弄る。ドクターはそれを見て「いや……姿は見てないかな。アーク君も」とマスクを触った。アーク、その名前にヴェンは目をキツく細める。
「アーク……あの感情なし男のこたあ、どうだっていい。あいつは……ルミネアの隣は自分だみたいな顔しやがって、ルミネアに迷惑ばっかかけて! その上……!」
 続けようとした言葉を奥歯で噛み殺した。これ以上は言葉に出すことさえ不快なのだろう。すん、と怒から真顔に切り替え「情報がないなら用はない。じゃあな」と背中を向けた。ここから立ち去ろうと歩き出す背中に「……なんだか、不思議でさ」とドクターが呟く。
「姿を見ていなくても、二人は一緒にいるような気がしてならないんだ。あの時と変わらず……きっと見つけたところで、私たちはあの二人の背中を見ることしか出来ない……それはお互い辛いんじゃないか?」
 投げかけるようなドクターの言葉にヴェンは足を止めた。振り向いたその顔は眉と目が限りなく近づき、怒りを表している。
「……なにが言いたいんだてめぇ」
「探しても無駄だと言っているんだよ。私たちが彷徨っているのなら、彼女もきっと……でも違うね。君も知っているだろ? 彼女はいつも前を向いている。私たちのように振り返ったりしない。それがルミネアの強さだ。この世に未練なんてなく、次の人生を歩んでいることだろう……もしかしたら、彼も……そこにいるかもしれない」
 ゆらり、黒いモヤのようなものが視界の隅に映った。赤目をかっぴらき、ヴェンの力んだ拳が細かく震える。
「イル……お前の言い方には悪意があるなぁ……?」
「シンプルに、もうルミネア探しはやめておきなよと、君達の為に言っているんだ。こんな体だからこそ、何が起こるか分からないし。本当に思いの強さで体が固体に近づけるのなら、いつか誰かを傷つけてしまうかもしれない……なにより、今を生きる彼女の邪魔をしたくない」
「ふんっ、何を言うのかと思えば! 一番執着してるくせに! てめぇはただ横取りされるのが嫌なんだろっ……僕は知ってるぞ! ルミネアの目線を一番奪っていたアークを憎んでいたことぐらい……!」
「……昔のことだよ」放った言葉は嘘ではない。それ以上多くを返さないドクターに「はっ、腰抜け野郎」とヴェンは再度マントを翻して背中を向けた。
「ルミネアは見つける。アークは殺す。お前は邪魔するな」
 言い切る発言に「恋は盲目だね」とドクターがせせら笑った。「ちげぇ……!」カッと頬を染め、目を伏せる。昔から、そんな薄っぺらい言葉に片付けられるのが一番嫌いだった。
「なら、その人を殺しそうな表情はやめなよ。女の子なんだから」
「……ちっ、次言ったら殺してやる」
「おや、次があるんだ。優しいね」
クソ野郎ツヴェルケノ
 これ以上話しても苛立ちが募るだけだろう。吐き捨てるように呟き、真っ直ぐ歩き出すヴェンの体は、開けもしない扉の中へと消えていった。


「あっ、行っちゃった」

 ドクターはかつての仲間がいた場所を見つめ、残念そうに呟く。ルミネアの事になると周りが見えなくなるのは、彼とよく似ていた。
『てめぇはただ横取りされるのが嫌なんだろ……っ』
 ふと、先程のヴェンの言葉が過り「……そうだよ」と飲み込んでいた言葉を口にした。喉から手が出るほど欲しいのに。手に届く範囲で、我慢している自分の身にもなってほしいものだ。こうして盲目だからきっと私たちは囚われている。これから、何百、何千先も。

『……もし、私が死ぬようなことがあったら。その時はお前に私の目をやろう。それまではお前達の顔が見えるようにしていたい。もう二度と見れなくなるのは、寂しいからな』

 まっすぐと見つめてくるあの瞳は変わらない。けれど、どんなに似ていても君のものじゃない。君はもう戻ってこない。

「……ああ、ルミネア。またあの頃の君に会いたいよ」

 凛とした笑顔を浮かべるルミネアを思い出しながら、ドクターは分厚いレンズの向こうで光る赤目を切なげに閉じた。
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みんなの感想(12件)

湖原けっき
2021.07.31 湖原けっき

わ~~~とっても面白かったです~!!!!!! ミシェルさん……女神……。ラニウスさん狂人すぎて激怖でした。そして光のツグナ君~~~~~!!!!!!! 頑張れみんな……!!!!!!

森永らもね
2021.07.31 森永らもね

けっきさん😭😭😭いつも読んでいただきありがとうございます!!ミシェルは女神だったのか……!ラニウス激怖に書いたので嬉しいです😊自創作の最凶キャラ……そしていつも通り安定の主人公でした!ようやく第一部も後半戦です!最後まで暖かい目で見守ってください😊💖

解除
湖原けっき
2021.03.08 湖原けっき

ミシェルさんかっこいいなあ……。そしてシアンさんとツグナくんのハートフルエピソードにニコニコです(*´▽`*)

森永らもね
2021.03.08 森永らもね

けっきさん!いつも読んでいただき、また感想などありがとうございます😊💖ミシェルの過去はようやく前半が終わったので残り後半戦も暖かく見守っていただけたら幸いです!シアンとツグナのハートフルエピソード、になっていたなら良かった…この二人の心境も少しずつ変化していきますよ!

解除
湖原けっき
2021.02.21 湖原けっき

ひええ……ミシェルさんの過去も重い……

森永らもね
2021.02.21 森永らもね

ひゃ〜けっきさんいつも読んでいただきありがとうございます🙏✨😭ミシェルの過去はまだ前半なのでこれからですぞ!よろしければまた最後まで暖かい目で見守っていただけたら幸いなのです……😊💖

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