SOLNEFIA(ソルネフィア)

森永らもね

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第一部 五章 コロッセオの騎士編

52 楽園の在処(挿絵あり)

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 生まれた時から、見上げた空は石と地面に覆われた暗闇だった。地上の空は青いらしいが、そんなこと想像することさえできない。草木が青々と生い茂り、色とりどりの花は咲き乱れ、美味しい食べ物が沢山ある。誰が言っていた。「地上は楽園のような場所」なのだと。

「よぉ、随分派手にやったなあ」
 その声に、目つきの悪い緑眼の少年は手に持っていた赤いパイプから目線を後ろに移した。木箱に片足を乗せて座っていた少年が歯を見せるようにして笑っている。
「……こいつが、俺の取り分を奪った挙句、目が不気味だと馬鹿にしてきたんだよ。何が悪い」
「おいおい! 勘違いすんな! 別にお前が悪いなんて言ってねえだろ」
 敵意を向ける緑眼の少年に、木箱から飛び降りた金髪少年はそのまま歩み寄る。そうしてから、倒れた血塗れの男を思い切り蹴りつけた。
「ったく! ひでえやつだよ。弱いやつから食料を奪っていくなんざ……ほら。お前ら、もう出てきていいぞ」
 落ちていた少量の食料が入った袋を持って、金髪の少年が手招きすると、物陰から「アニキー!」と三人の子供達が駆け寄ってきた。楽しそうにパンを分け合う姿をみて緑眼の少年は眉をひそめると、前から「これ、お前のだろ」と袋が投げつけられる。
「とっちめてやろうと追いかけてきたら、もうお前がやってたもんだからさ……恩にきるよ。お前、強いんだな? 名前は?」
 その問いかけにしばらく間を開けてから「……レオナルド」と返す。「レオナルドか!」オウム返しし、楽しそうに金髪が手を伸ばした。

「オレはリオン。こいつらとサウス地区に住んでんだ。見たところ、歳も近そうだし仲良くしようぜ」

 屈託のない笑顔に軽蔑するかのような冷たい目線を向ける。第一印象はいかにもお人好しそうな奴。それが、リオンとの出会いだった。



 重たい雰囲気を引きずり、一同は先へ進む。巨漢が倒れたことで通れるようになった通路は、そのまま石階段へと差し掛かり、下へと降りていった。
「……ねえ、あんた。私たちになにか話すこと、あるんじゃないの?」
 ふと、空気に耐えきれなくなったミシェルが思わず疑問を口にした。その声にレオナルドが立ち止まる。
「ここに来る前からずっと気になってたのよ。粗暴な話し方と言い、やけにここを知った口ぶりと言い……あんた、何者? 裏切ったってどういうことなの? ……本当に、私たちの仲間なんでしょうね?」
 あの、リオンとか言う男に言われた忠告が頭を過ぎる。もし、自分たちの敵だと言うなら、大会が始まる前に何とか手を打ちたいところだ。そもそも、そんな疑心暗鬼で協力なんてできるはずがない。
「不信感を持ったまま、背中なんて任せたくないのよ。悪く思わないでよね」
「……ふん。平和ボケしているかと思っていたが、少しは利口なようだな」
 眼鏡を指先で上げる様子に「どういうことだよ」とドスの効いた低い声でミシェルが返す。レオナルドは構わず近くの壁に寄りかかると、懐から出したライターで煙草に火をつけた。
「あっ! それ……貴族御用達のフリントロック……」
「新作だ。お嬢様から頂いてな。お前じゃ手は出せまい」
「あんたはいちいち煽らないと呼吸が出来ないのかしら~?」
 拳を眼前で握るミシェルに白煙を吐いてから「もう、薄々勘づいているだろう?」と切り替えるように口を開く。
「俺は二十数年前、ここで闘士をしていた。察しの通り、元地下街の住人だ」
「え!?」
 驚くツグナの隣にいたミシェルはやはりと言った様子だった。腕を組み「なんで地下の人間が騎士なんてやっているのよ」と冷静に返す。地上と地下とでは市民権が違うため、行き来することさえも難しいというのに。
「……色々と縁があってな」
 再度煙を吐き出す様子に「なんにも伝わってこないわよ」とミシェルが青筋を立てる。最近なかなか喫煙の隙が見つけられず、ニコチン不足なのだ。羨ましいと思いながらも腹立たしさで足を鳴らす。
「……俺は孤児だった。この地下じゃ特別珍しいわけじゃないがな。生きるために何でもした……そんな俺と同じ境遇で歳の近い連中と会ってな。しばらくそいつらとつるんでいた」
「へえ……あんたみたいな奴にも仲間とかいたのね。てっきり一匹狼だと」
 鼻で笑うミシェルの隣にいたツグナは「え? こいつ狼なのか? 狼男?」と割って話す。「ややこしいからあんたは黙ってなさい」すぐにミシェルがツグナの言葉を制止させると、口を開けてショックを受け、傷ついた様子で俯いた。
「……それで? 仲間とつるんでいた事が、どう騎士に関係あるわけ? まだコロッセオの件も出てないけど」
「性急な女だな。順序立てて説明してやってるのに……そんなにニコチンが欲しいのか」
 やれやれと煙を吐きかけてくるレオナルドに「もう、そろそろ殴っていいかしら~?」とミシェルが食い気味に顔面前で拳を作った。この、相手の怒りを煽る返しはどこぞの赤髪と近しいものを感じる。
「まあ……そいつらとつるんでいるうちに、いつしか地下街の一部では有名な悪ガキ集団になってな。大人だろうと俺たちの敵じゃなかった。それで、力をつけて傲慢になった俺たちは、地上を目指す手っ取り早い方法としてコロッセオの闘技大会に出場した……そこからだ。色々とおかしな事になったのは」
 空気の変化にミシェルは顔を強ばらせる。俯き、煙草を指に挟みながら、レオナルドは遠い目で話を続けた。


「コロッセオに出場するだと?」
 仕事を終え、床についた幼きレオナルドが眉を顰める。隣で横になっていたリオンは「そうだ!」と無邪気な声で返した。
「コロッセオで優勝すれば、地上に移住する権利が与えられる。そうすればこんなクソみたいな場所からはおさらばってわけだ」
「はあ……地上な……」
 地下の人間が地上に憧れるのはよくあることだ。その返事を聞いて「知っているか?」とリオンが続ける。
「地上は見上げるとどこまでも広がっててさ、時間が経つと色が変わって、たまに水が大量に降ってくんだよ。だから豊かで食いもんが沢山あって、貴族って奴らは食べきれずにそいつを捨てているぐらいらしいぜ。オレ達はこんなひもじい思いしてんのによ……他にも花とか木ってやつが沢山あって、色とりどりでとっても綺麗なんだってなぁ~皆幸せそうに笑っててさ……まさに楽園みたいな場所なんだってよ!」
 寝そべったまま腕を天に伸ばし、楽しそうに語るリオンにレオナルドは思わず鼻で笑う。くだらない、そんな言葉が即座に漏れ出た。
「そんなのあるわけがないだろ」
「ある! 世話になってた仲のいい爺さんが地上に行ったことあるらしくて言ってたんだ!」
「ふん、自分で見たこともないくせに」
「レオってほんっと夢がないやつだなあ……きっとあるさ。みんなもオレも信じている」
 隣で寝ているリリーの頭を撫でながら、リオンが優しく微笑んだ。その光景を横目にレオナルドはチクチクと胸の痛みを感じながらも「明日も早いからさっさと寝ろ」と呆れたように寝返る。
「なあ、レオ。オレは本気だぞ」
 改まった口調に目を開ける。いつもヘラヘラしている分、その真剣さに彼の気持ちの強さを理解した。
「このままここにいても、オレ達は幸せになんかなれない。この仕事を続けていたら、きっといつか大人達みたいに人間として使い物にならなくなっちまう。そうなる前にオレはあいつらに、地上を見せてやりたいんだ。オレとレオ、リリーにダンとエディ五人で地上に出て、家族として幸せに生きていく……オレの夢だ」
 リオンの行動はいつも誰かのためだった。根が優しいやつなのは第一印象から変わっていない。自分とは違って純粋で真っ直ぐなリオンが苦手だと思う反面、羨ましいと思う気持ちがあった。
「オレとお前なら余裕で優勝できるぜ! なあ、相棒……もう、寝ちまったか?」
 反応の無い様子にリオンの顔が曇る。レオナルドは背中を向けたまま、しばらくして溜息をつき「……まあ、考えておいてやる」と小声で返した。
「それでこそ相棒だ! んじゃ、明日から早速作戦たてような!」
 引っついてくるリオンに「暑苦しい! あとまだやるなんて言ってないだろ!」とレオナルドが怒鳴りつける。
 夢の見すぎだ。楽園だなんて馬鹿げている―――そう思いつつも、真っ直ぐに何かを信じるリオンのように、自分も何かを信じてみたいと、そう思った故だった。


「その日から武器の調達やら作戦やらを練って約一年、準備を進めた。大会がどんなものかは理解していた反面、どこかで恐れ知らずの自信があった。だが、井の中の蛙だな。最年少出場でもてはやされた結果、殺しを何度も経験している大人に敵わず、死ぬ思いをした……リアムから詳細は聞いたろ」
「……っ、まさか」
 ミシェルとツグナはここに来る前のことを思い出す。確か、過去の闘技大会で十歳前後程の子供達が出場して―――その内容を思い出し、青ざめる。
「あの話、あんたの仲間……だったの」
 やっと絞り出したミシェルの言葉に、レオナルドはしばらく間を開けてから「まあな」と返した。その口調はどこか重々しい。


「くそ……っ、やっぱり連れてくるんじゃ……」
 息を切らし、幼きリオンが目についた血を拭う。闘技大会がどんなものなのか、噂では聞いていた。けれど、こちとら四六時中行われる喧嘩を想像していたのだ。人を殺したことなんて一度もない。
「早く……」
 何かが、足元に転がった。歪で複雑な形状のそれはゆらゆらと頭頂部の細やかな茶髪を揺らし、こちらを覗き込んでいる。霞んだ視界の先にあるそれは見覚えのある―――
「え、でぃ……?」
 その名前を絞り出すことが精一杯だった。首から下を失ったそれは瞳の中に自分を映し、もはや認識することができない。鼓動が極端に早くなり、それに合わせて呼吸が乱れる。体が強ばり、鉄パイプを強く握りしめながら「ダン……」と消えそうな声で周囲を見回した。
「……っは、あ」
 視界の端で捉えたその姿に大きく息を飲んだ。血の跡を引きずり、両手足を失ったその男児は濡れた目から既に光を消している。
 思考がまとまらない。鼓動と呼吸が大きく脳内に反響する。耳障りな歓声が、遠く、聞こえた。
「兄ちゃん……!」
 罵詈雑言の中に混じるか細い少女の声。ハッとし、リオンはその方向に向かってすぐさま顔を向けた。
「リリー!!」
「助け」
 手を伸ばした瞬間だった。後ろから迫っていた男によって、リリーの華奢な体が大きく切りつけられた。高く、高く血を吹きあがらせ、リリーはその場で倒れる。
「うああああああああ!!!」
 腹底から鳴り響く絶叫。目の前で打ち上げられた魚のようにピクピクと震えるリリーは足を掴まれ、引きずられながら自分から離れていく。
「ま、って、くれ……いくな……」
 か細い声のままもつれた足を動かし、膝から崩れ落ちる。全てが脱力して地面に両手を着いた。何故こんなことになってしまったのだろう。なんで皆死ななければならなかった?
「オレ、の……せい……」
 溢れた涙が地面に落ちて、黒い染みを作った。
 少し離れたところで大人をなぎ倒していたレオナルドは、リオンの様子に全てを察する。駆け寄り、近づく大人を蹴り倒してから「おい! しっかりしろ!」と声をかけた。
「オレのせいだオレのせいだオレのせいだオレのせいだ」
 ブツブツと同じ言葉を続けるリオンに正気を疑った。顔を片手で覆い、目もどこを向いているか分からない。
「リオン……?」
 その時には既に、リオンの心は壊れてしまったのかもしれない。


「……人間が調理されていく様を、間近でみた。家畜だと気にはならないが、絵面が人に置き換わった途端にこうもえげつなく見える。大の大人が子供相手に寄って集ってリンチ……いや、ミンチか」
 言葉にしながらもレオナルドは当時のことを思い出す。一人は苦しむ姿を楽しむように、時間をかけて四肢を切断し、仲間を追いかけ回した。一人は仲間の腹部を突き刺し、臓腑を手に取りながら死の痙攣を刺激にしてその無垢な体を犯した。もう一人はひたすら暴虐に身を委ね、皮を剥ぎ、骨の折れる音を楽しみながら最後は首を切断して蹴り飛ばしながら遊んでいた。今でも鮮明に瞼の裏に残っている。
「……幸い、俺とリオンは大人を何人か殺って生き残った……仲間も助けられずにな。それを見た闘技大会のオーナーが俺たちを気に入って、出場辞退を持ちかけてきた。その条件として、コロッセオの闘士になれと……要は、今回生かしてやる代わりに、死ぬまで戦い続けろと、そういうことだ」
「なっ……! どのみちこのコロッセオで死ぬことになるじゃない!」
 そんなの詐欺だと呟くミシェルに「だが、今回は生きられる」とレオナルドが強調するように返した。
「……仲間のあの最後を見たあとじゃ、今か今後かなんて考えるまでもなかった。その場限りの約束でも、詐欺でも、生きていれば何とかなると思ったんだ。次の大会開催までに逃げられれば……なんて甘いことを考えていたからな……だから、俺たち二人はその条件を飲んだ。その後は地獄としか言いようがない」
 流石にその話を聞いてミシェルも皮肉を口にすることができなかった。険しい顔で黙り込む二人に構わずレオナルドは煙を吐く。
「逃げ出すことが出来ず、いつしかコロッセオの稼ぎ頭となっていた。いつ死ぬか分からない恐怖が俺たちを強くしたんだ。そんな俺たちの活躍を耳にしたコロッセオ運営の上の連中が顔を見せに来てな。そのうちの一人が俺たちを哀れみ、首輪を外して逃がしてくれたんだ。もう二度と地下には戻るなと……必死に逃げたその先でブレンダお嬢様と会った」
 一通りこれまでの経緯と一致してミシェルは納得する。が、すぐに「あれ? ならリオンってやつはどうしたの? 一緒に逃げたんじゃないの?」と首を傾げた。それは、とレオナルドが吃る。
「あいつは……変わったんだ」



「は? どういうことだ?」
 思ってもいなかった返答に耳を疑い、幼きレオナルドが聞き返す。松明の炎が奥で怪しく揺らいだ。
「だーかーらー、オレはここから出ないって言ってんだろ?」
 二度聞いても理解できなかったようなのである。眉を顰め「お前何言ってんだ? こんなクソみたいな場所から出られるんだぞ?」と再度念を押すように言った。
「明日、あの女がまたきて俺達を解放してくれる!! そのまま地上に上がる為の算段もついているんだぞ! ずっとお前が憧れていた地上に!」
 小声ながらも感情が昂って怒鳴るような語調になる。前のめりになるレオナルドに「まあまあ、落ち着けって」とリオンが制止した。
「考えても見ろよ。稼ぎ頭になってから食料は前より困らないし、オーナーもオレ達の事を気に入っているから多少他の奴隷より自由が利くだろ? 闘技大会で暴れたら賞賛されるし、オレ達はこの世界に合ってると思うんだよ」
「はっ……?」
 たんたん、と足音が近づく。見張りかと、二人は一度正面を向いて、黙り込んだ。しばらくして足音が去ってから「あの日から考えたんだよ」とリオンが呟く。
「お前の言っていた通り、あるかも分からねえ地上での幸福を信じるより、今の安定した生活を続けた方がいいかもなって。何も知らない方が幸せなこともあるだろ? どうせ……オレの夢はもう叶わないんだ」
「それは……」
 陰りのある言葉に閉口した。その隙を縫って「確証のないものを信じるより、オレは目の前の相棒を信じる」とリオンが笑みを浮かべる。
「これまで何度も死にかけたけど、こうして今生きているんだ。これは確かなオレ達の絆の力だよ。きっとこれからどんなに困難な目にあってもオレ達なら乗り越えていける。お前がいる限りここは楽園さ」
「リオン……お前……」
 レオナルドがなにか言おうとしたところで「なあ、相棒」と言葉が遮った。その魔力でも宿したかのような惹き付けられる青い瞳にゾッとする。
「お前はオレから離れていかないよな?」

 腕を掴まれ、確信しているかのように目を細められる。なんだか、自分の知るリオンではないような気がした。闘技大会で血を見るよりももっと、心の臓を凍らせるかのような恐怖が湧いて出たのを、今でもよく覚えている。


「―――そうして俺は、あいつを置いて一人地上へと逃げた。あいつといることより自分の命を優先させたんだ……あいつの言うように、裏切ったも同然だな」
 レオナルドの語りを聞いていた二人は息を飲む。その後何かを言うにも言葉が出てこず、ミシェルはただレオナルドの一言を待った。
「軽蔑したけりゃすればいい。元より仲間なんて性にあわないんだ。俺は一人で構わない……お嬢様さえ守れれば、あとはどうだっていい。今は任務を遂行して、指輪を取り戻す……昔付き合いがあった仲間だろうが、あいつがあっち側なら俺の敵だ」
「それは本心で言っているのか?」
 今まで黙り込んでいたツグナの声に、レオナルドが目を向ける。まるでこれ以上触れるなとでも言わんばかりの睨みつけようだ。
「さっき、あいつはお前が忘れていたなんて言ってたけど、違うんだろ? 僕はすぐに色々忘れちゃうけど、お前はそんなに前のことまで覚えていたんだ。本当はずっと後悔していたんじゃないのか? なのに敵なんて―――」
 途端に胸ぐらを掴まれ、ツグナは少し持ち上げられた状態で壁際に押さえつけられた。苦しかったが、目の前のレオナルドから目線は逸らさない。
「ガキが……知ったようなことを言うな」
 レオナルドの言葉とほぼ同時だった。カチャリと撃鉄を起こした音が小さく鳴る。「ちょっと」その声に尻目でレオナルドが見てみれば、自身の頭に銃が突きつけられていた。
「そいつから手を離して。いくら騎士でも、そいつに何かしたらど頭ぶち抜くわよ」
 真顔で言ってみせるミシェルに舌打ちし、レオナルドはツグナの胸元から乱暴に手を離した。そのまま「さっさと行くぞ」と廊下の向こうへ歩き出す。
「……ほんっと嫌な奴」
「そうか?」
「急に胸ぐら掴んでくるやつは大体嫌な奴よ」
 ズカズカと歩いていくレオナルドの背中を見て目を細めるミシェルに「僕は、そこまで悪い奴には見えなかった」とツグナが返す。
「はあ……あんたって相変わらずね。急に核心突くかのような言い方もやめなさいよね。人によっては喧嘩売っているようなものなんだから。余計なことは言わないの」
「思ったこと言っただけだぞ?」
「それがダメだっての」
 発言する前に考えなさい、とミシェルはツグナの額を突っついた。不満ありげに眉を下げ、ツグナがミシェルを見上げる。
「……大体分からないのよね。ああいうやつは放っておけばいいじゃない。一人が好きみたいだし。面倒じゃない……なんであんたはいちいちああいう奴に構うの」
 シアン様とか、とは言葉に出して言わなかった。空気が読める読めないにしろ、あそこまで明らかな嫌悪感が出ていれば、どんなに鈍い人間も嫌われていることぐらい察しがつくはずだ。そういう奴は周囲も精神衛生を考えて避ける傾向にある。それが正常なのだ。だって、とツグナが続けた。
「嫌な奴だからって皆で突き放したら、あいつはずっと一人になる。そしたら誰もあいつのこと、分かってやれないだろ」
 誰かが歩み寄らないと、伏し目がちに呟くツグナの言葉に目を見開いた。ただただ空気が読めていないだけかと思いきや。少し感心して「信じているのね」とミシェルはゆっくりと瞬きする。
 教会の時も、ドミニクを庇うレイをツグナは信じようとした。いつだってそうだ。ツグナは純粋すぎる。信じたところで自分の期待を裏切られることの方が多いのに。
「―――もし、私やシアン様が、あんたにとって嫌な奴でも、あんたは変わらず信じられる? あんたの……敵だとしたら?」
 気がつけばそんなことを口にしていた。試すような口調。変な間合いがある。ツグナは体の向きを完全にミシェルに向け「信じるよ」と言った。
「……信じさせてくれ」
 ツグナのその言葉は、教会の時のように自信に満ちたものではなく、懇願するかのようなか細いものだった。シアンのように器用じゃなくても、大抵の人間は嘘を抱えて生きている。それに気が付き始めたのかもしれない。それでも信じる―――例え、人から悪意に当てられていたとしても、人の中の希望を信じたい。それゆえの言葉なんだろう。信じるというのは、人の心の弱さであり強さだ。馬鹿じゃないの、ミシェルはボソリと呟いて前を向いた。
 本当に気が引けるほど優しくて、たまに腹立たしくも思うけど、そんなツグナが今は悪くない、なんて。
「ほら、さっさとあいつを追いかけるわよ」
 また何を言われるか分からないと愚痴のように付け足して歩き出すミシェルに、ツグナは一度キョトンとしてから後を追った。



 レオナルドに追いついた二人は、廊下の一角にある大きな暗室にたどり着いた。全体的に埃っぽく、空気が悪い。よく見てみれば、大量の凶器が壁に立てかけられていた。
「うわ……」
 錆臭さや目の前で鈍く光る褐色の金属にツグナは顔を歪める。入口から動こうとしないツグナとは違い、レオナルドは慣れた様子で部屋に入った。
「なにここ?」
「見ればわかるだろ。闘技大会用の武器庫だ。お前らは見た感じ武器を持ってきていないようだから、ここにあるものを好きに使え。簡単に人手がいなくなるのは困る」
 その言葉に「はあ?」とミシェルは腰に手を当てて眉を顰める。ここにあるものと言っても、どれも手入れの行き届いていない錆び付いたものばかり。中には赤錆で表面から輝きを失い、朽ちそうなものまであった。
「ジョーダンじゃないわよ。あんたの目は節穴? よくみて見なさいよ。錆ついて体に当たっただけでも折れそうなものばかりじゃない」
 私は銃があるから結構、とそっぽを向くミシェルに「別に死にたいなら好きにすればいい」とレオナルドが目を細める。
「地下の人間には高価すぎて飛び道具や爆発物を持ち込むやつはほとんど居ない。お前の小銃にさえ、翻弄されるやつはいるだろう。だが、おすすめはしないな。小銃は軍のマスケット銃に比べて大した殺傷威力はない。ましてや、コロッセオのような乱闘式の闘技大会じゃ人数が捌ききれず、いずれ近接武器に殺られるだろう。昔、誇らしげに銃を持って挑んだ奴がいたが、あっさりと距離を詰められてそのまま首を跳ねられていた……距離が取れなければただの鉄塊だ」
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「分かってる。指輪は取り戻す……約束は守る。けど、人は殺さない」
「それでどう大会を勝ち残る気だ!! 周りはみんなお前の意志に関係なく、殺そうとしてくるんだぞ!」
「例えそうでも、殺さない。初めからそう決めている」
 ズカズカと目の前まで歩いてきたレオナルドは勢いのままツグナを殴りつけた。「この、腰抜けが!」怒鳴り散らすレオナルドに耳だけ傾けていたミシェルがすかさず反応して、後ろから組み付いた。
「ちょっと! 仮にも仲間同士でやめなさいよ!」
「うるせえクソ女!! こいつ……これだからガキは嫌いなんだ!! 夢みたいな理想論ばかり唱えやがって現実から目を逸らしている! こんな役立たず……やはり連れてくるべきじゃなかった!」
 殴られた勢いで倒れていたツグナはゆっくりと上半身だけを起こした。鼻血を拭い、じっとレオナルドを見つめて「お前は悲しいやつだな」と呟く。その呟きに、レオナルドはとある女性が重なり、ハッとした。
「それ以外の方法しか知らないなんて……他にもきっと選択肢はあるはずなのに。考えようとしない。目を逸らしているのは、どっちだ?」

『―――悲しい子。貴方達の世界には殺ししかないのね』

 奥歯をかみ締め、脳内で歯が摺れる音が響いた。先程あれだけ注意したのに、とミシェルは心臓を跳ね上がらせながら、ひたすら組み付く腕に力を入れる。やがて大きな舌打ちがされ、レオナルドは力のままミシェルを引き剥がした。
「そうかよ……っ。お嬢様に言われていたから優しくしてやったのに……そこまで言うなら、勝手に死ね。お前らみたいな腰抜け、俺は絶対認めない」
 痛い目でもみればいい、と吐き捨て、倒れたツグナを横切ると、レオナルドは扉を乱暴に閉めて部屋の外に出ていった。しばらく閉められた扉をぼうっと眺めていると背後から「ツグナあんたね~」とミシェルの声が聞こえてくる。
「なんだ?」
「なんだ、じゃないわよ! あんたって本っ当に学習能力どうなっているわけ!? ほんの数十分前に言ったわよね?? 余計なことは言わないのって!」
「そんな事言われても、余計なこととか分からないし……」
「今さっき言ったことは余計なことな・の!」
 語尾に力を入れるミシェルに「やっぱり難しい」とツグナは困ったように眉を下げた。屋敷に来たばかりの時はあれだけ自分の意見を言うのが苦手だったのに。
「はあ~……フォローしている私の身にもなりなさいよ……」
「なんかごめんな?」
「そう思うなら……あーーーー!! もういい……あんたに期待した私が馬鹿だったわ」
 第一、ここで言ってどうにかなるなら既にもうどうにかなっているはずなのだ。自分が疲れることはやめようとミシェルは一つ考えることをやめた。
「ミシェルも……人を殺す気なのか?」
 顔色を伺う声に動きを止める。少し考えてからゆっくりと口を開いた。
「私は、あんたとは違って殺しに抵抗があるわけじゃない。自分の身に危機が迫ったら、それなりの対応はする……つもり」
 何故か顔を合わせられなくて、逸らしたまま答える。それに対し、充分すぎる間を開けてからツグナが「そっか」と返した。見ていなくても声色でどんな表情をしているか想像がつく。
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 よく分からないと言いたげのツグナに「今回の件、私たちが思っている以上に面倒かもよって話」とミシェルは思い詰めたように腕を組む。
「あいつらのビジネスは広い……貴族御用達の殺し屋だったり、人攫いや人身売買にも手を出していたとか……ヴェトナの町長っていたじゃない? あいつについた尾ひれの長い噂の中にも奴らとの繋がりを暗示させるものがあったのよ。少し前にアルデッドノールって薬が貧民街を中心に広がったのもあいつらのせいだって聞くし……アルマテアの黒い噂には必ずこいつらがついてまわっている」
 どれも身近に感じられる話ばかりだ。コロッセオ運営の裏にはとは聞いていたが、もしそれが本当ならキルア・スネイクも敵に回さなければいけない。話が嫌な方へとどんどん膨らんでいく。
「そんな人脈が無駄に広い奴らのことよ? 今回の……モーゼス? だっけ? 元大臣で指輪を地下街に流したやつ。そいつが取り戻すことを考えて、マフィアの連中に手を回していたら……今回の件、一筋縄じゃいかないわ。取り戻されたら、自分にたどり着くかもしれないし……」
 もしかしたら、既に奴らの方でよからぬ画策をされている可能性がある。考えすぎかもしれないけど、とミシェルが真剣な目を伏せた。
「キルア・スネイク、か……」
 どこかで聞いたことがあるような気がする。ツグナは呟きながら、思い出せずただ頭を捻らせた。




 コロッセオ内のとある一室。半裸になったリオンはグラスを回して、ソファの背もたれに深く寄りかかっていた。
「ちっ、面倒事ばっかり押し付けやがって……まあ、いい。そろそろマンネリだったんだ。毎回同じものじゃ客も飽きるしな。目つきの悪い女と赤目のガキ、それとレオナルド……役者は揃ってる」
 喉を鳴らしながらワインを飲み干し、フラフラと立ち上がる。その背中には剣の突き刺さった大蛇のタトゥーが彫られていた。

「さあ、そろそろ時間だ。楽しもうぜ、レオ」

 真っ直ぐと会場を見下ろし、目を細める。僅かな明かりが映し出したリオンの口角は、不気味なほど釣り上がっていた。
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