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第一部 五章 コロッセオの騎士編
49 突然の別れ(挿絵あり)
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アルマテア最大の街、王都ディオネール。貴族たちが住まう、華やかな「中心街」と軍人家庭や多くの商人、庶民たちが生活する「端街」によって構成され、およそ百万ものの様々な命がここに居住していると言われる。円形上に広がるこの街は、ヴェトナと似たような作りになっているが、その外観はレンガ外壁を主にしたチューダー様式と統一され、ものの見事な美しさがあった。
「綺麗な場所だな」
似ていても、ヴェトナとは街の雰囲気が全然違う。キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回しながら、ツグナが呟いた。その服装はいつものダルダルになったシャツではなく、ピッチリとしたベストやコートと、清潔感があった。心做しか執事が着ているものと少し似ている気がする。
端街の検問を終え、ツグナ、ミシェル、シアンを乗せた馬車はディオネールのメイン通りを走っている最中だった。
「まあね。これでも結構変わったのよ。ノルワーナが滅んでからね」
馬車を運転するミシェルの横で、ツグナは「詳しいんだな?」と顔を向けた。それとも、これも常識ってやつなのだろうか。
「……少し前に、この街には世話になってたっつうか……まあ。故郷みたいなもん」
「ミシェルはここで生まれたのか?」
「というよりは育った場所」
「じゃあ、どこかにお前の両親がいるのか……?」
立て続けに質問していると、前を向いていたミシェルが「もうすぐ着く」と手綱を振るう。
レンガ造りの家並みをしばらく行くと、王都に入る立派な大門が見えてきた。端街から中心街に入るための、唯一の出入口である。
「すごい……おっきいな」
「あんたの感想はそればっかりね。そりゃあ、貴族様々のお通り、ですから。あれは言わば別世界に通じる門。普通の人はあの先を知らずにこの世を去るもんよ」
どこか棘のある口調でミシェルが言った。そんなことは気にも留めず、珍しそうに大門を見上げる。真横に伸びた壁の中心部に尖り屋根の塔があり、その真下が大きな入口となっていた。シアンの懐中時計と似た文字盤が、塔の上部分に張り付いている。
ゴォーンゴォーン……
「うわ! なんだ!?」
その大きさに思わず耳を塞いだ。バサバサと鳥の羽音が空から聞こえてくる。大袈裟なやつ、とミシェルが隣で呆れたように目を細めた。
「あの大門こそ、ディオネールの鐘塔。ヴェトナと同じように決まった時間に鳴らされる……ヴェトナは壊れていたみたいだけど。元ある鐘塔を新しく再建して、その時に時計もついたみたい」
「は、はあ……」
となるとこの轟音は鐘の音か。ツグナは恐る恐る耳から手を離す。確かによく聞けば綺麗な響きだ。ヴェトナより立派だとシアンがボヤいていたのも分かる。
「……そういえば、ルミネア……なんとかっていたよな? 何人もいる……あの鐘塔作ったやつら」
「もしかして五大信者のこと言ってる?」
「あ、それだ」
名前を聞いて思い出し、拳を手のひらに打った。この国の常識なんだから少しは覚えなさいよ、とミシェルが息をつく。
「ルミネア五大信者―――アクレイス、ディオネール、ヴェンネ、ルカイアナ、イルムナール。彼らは主が死刑にされた後も、各地を逃げながらルミネア様の教えを広めていったの」
「死刑? 殺されたのか?」
「……そう。仲間に裏切られて、国に差し出された。磔にされ、火炙りでね。それでもルミネア様は仲間を信じ、許した……【心の闇は誰にでもある。お前に心の闇があるのなら、私も共に背負おう。私が闇を解き放つ光になろう】と……とんだお人好しよね」
馬鹿みたい、とミシェルが遠くを見つめて呟く。なんで国に殺されたのかとか、色々と思うところはあったが、ツグナは質疑が上手く言葉に出せない。悶々としている間にミシェルから「あー……結構並んでいるわね」と聞こえてくる。
大門下は思いの外混雑していた。馬車が縦に並び、憲兵らしき人物達が一つ一つ検問をしている。ディオネールに入る時も検問したのに、またやるのか。
「時間かかる?」
「かもね。中心街に入るのはそれだけ難しいってことよ……シアン様、着きました」
従者席の小窓をノックし、ミシェルが中のシアンと目を合わせる。こちらに気づいたシアンは理解出来たと手を少し挙げて、また窓の外を眺めた。
ディオネールに入ること自体は、大して難しいことではない。六つある裏口にそれぞれ憲兵が配置されているが、これはあくまでディオネールに入る人間達を視認するためのものである。そのため検問といっても顔合わせ程度の軽いものしかやらない(怪しいものが乗っている時は馬車の中の捜索が行われる)基本的には街の治安維持が大本命の仕事だ。
だが、中心街となってくるとまた話が別である。入るには貴族の証明、または身分証及び許可書が必要となり、大門ではエリート中のエリート憲兵がくまなく馬車を確認するなどの違いだ。そのため時間がかかり、毎日のように行列ができる。
「ふぅ……」
従者席から降り、ミシェルは頭上で腕を組んで体を伸ばした。久々の王都―――ここを出る際とまた違った感情がある。ラニウスの一件でブライアンの誤解が解け、スッキリした気持ちだ。もし、あの件がなかったらここへついてくる、なんて出来なかっただろう。
「久々に墓参り……行こうかな……」
目を伏せ、静かに笑ってみせる。我が主も根が悪い人ではないと、何となくこの一年で分かってきた。付き合い自体は五年ぐらいあるのに。頼めば許可してくれるかもしれない、なんて思う。
一方、そんな心境とは知らずに、ミシェルを真似てツグナも従者席から降りた。地面に着くと、更に大門が大きく見える。行き交う人もロザンド街より多いが、慣れてしまった体では特に恐怖を感じることもなかった。眼球を素早く動かし、目に見えるものを吸収しようとする。
「ん?」
ふと視界の端にポト、と人形が落とされた。周囲の人は気づかないのか、もしくは気づいてて知らないフリをしているのか、放置している。何となく気になって慌てて人形を手に取った。前を見ると、子連れの親子が歩いていく。
「あの……っ!」
声をかけようとするも角を曲がられ、姿が見えなくなってしまった。追いかけようとして、一度馬車の方を振り返る。ヴェトナの時と同じように、勝手に居なくなったらまた怒られるかもしれない。けれど、今行かなければ見失う。馬車と道の先を交互に見て、迷いの末にツグナは親子を追いかけた。まだ時間があるし、すぐに戻ればいいと思ったのだ。
人波をかき分け、角を曲がる。知らない街、知らない通りに目が回りそうになったが、なんとか親子の行き先を目にし、ひたすら走って追いかけた。
「待って……!」
その細い手首を掴む。茶髪の女性は驚いて振り返った。綺麗なヘーゼルの目と目が合う。
「はい? どうされました?」
どこかで見たような顔に戸惑っていたが、ハッとし「これ、落としました……?」と人形を差し出す。
「あ! 嘘……落としてましたか!? 私ったら……」
慌ててバスケットを見てから、女性がその人形を受け取る。その様子を見て、女性についていた子供が「ちゃいちゃー!」と手を伸ばした。
「ありがとうございます。わざわざ届けに来てくださって……これ、この子のお気に入りなんです……ほら、お礼! お兄ちゃんにお礼言う時はなんて言うんだっけ?」
頭を撫で、女性が子供に人形を渡す。子供はご機嫌そうに「あねとー!」とお辞儀した。
「いえ、届けられて良かったです。それじゃあ」
ひとまずほっとしたとツグナは胸を撫で下ろし、踵を返す。早く戻らなくては。
「あっ! 待ってください! お礼と言ってはなんですが、良かったらこれを……」
そう言ってバスケットから取り出されたのは、紙のような物に包装されたお菓子だった。 渡されるがまま受け取り、珍しそうに見つめる。
「ちょうど夫の所へ届けに行ってきたんです。今手持ちのものがそれしかなくて……すみません。で、でも味には自信があるんです!」
子供の時から練習していたので、と付け足し、女性が眉を下げながら微笑んでみせる。
「えっと、いいんですか?」
「はい。お口に合えばいいのですが……や、やっぱり、い、嫌ですよね? 初対面でいきなり手作りなんて……」
謙虚な様子に断るのも悪いと思い、ツグナは「いえ! あの……他の二人と食べたいと思います。ありがとうございました」と軽くお辞儀して返す。村の手伝い先でもよく差し入れを貰っているので、特に不快に思ったり、警戒したりすることはなかった。
それを聞いた女性は「良かった!」と手を合わせて、花が開くように笑う。なんとなく、悪い人ではなさそうだなとツグナはいつもの単純な脳で思った。
「あっ、じゃあそろそろ……いくので……」
二人に怒られる恐怖で戻ろうとする様子に「あっ、引き止めてしまってすみません」と女性が返す。それを見て、またもしつこく会釈してみせると、来た道を早足で歩き始めた。
「ほら、ミシェル。早く行くわよ」
背後から風が突き抜けていく感覚がして、思わず振り返る。こちらに向かって手を振る子供と目が合った。女性はそんな子供に気づかず、腕を引いて歩いていく。和やかな背中にモヤモヤし、眉をひそめたが、考えている暇はないとツグナは再び前を駆け出した。
◆
「ここどこだ……」
数十分後。案の定道に迷い、ツグナは空を見上げながら途方に暮れていた。あの女性を追ってひたすらに進んでいたので、どこを通ってきたのか分からなくなっていたのだ。
「どうしよう……」
二階建ての建物が多いせいで空も狭く見えた。ひとまず上を注視していたら、あの大門が見つかるのではないのかと顔を上げ、フラフラと探し回る。建物の向こうを見るために家から離れようと、後ろ向きで歩いていた時だ。
「うお?」
背中に何かがぶつかり、振り返る。見上げてみれば、そこには男が四、五人いて、そのうちの一人が不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。鍛えられた腕には蛇模様のタトゥーが施されている。剣が刺さり、もがいているようにも見えるそれはなんだか不気味だった。
「あぁ?」
たったその一言で、ツグナは本能的に関わってはいけないと、首を竦めた。
「す、すみません」
注意散漫だった自分が悪いと反射的に頭を下げる。それを見た男は特に突っかかることもなく「さっさと行け。気持ちわりぃやつめ」と手を払った。いちいち理由をつけて、怒鳴りつけてくる奴らより、よっぽど理性的だ。ホッとして、ツグナがその場から立ち去ろうとする。
「……あ」
男たちの隙間から見えた銀髪の青年。見たところ、シアンやミシェルと同じぐらいの年齢だろう。鷲掴まれている胸ぐらをみるに彼らの「仲間」というわけではなさそうだ。思わず足を止める。
「あの……その人を離してくれませんか」
関わらなければいいのに、気がついたらそんな言葉が溢れ出た。銀髪を含め、取り囲んでいた男たちは驚いてこちらを凝視する。が、瞬時に固まった空気はげらげらと野卑な笑いに切り裂かれた。
「こいつまじかっ!!」
「なんだお前、見逃してやったのによ~」
「ガキのくせに俺たちに楯突くのか? すっげえ度胸だな」
近づけられた男の顔に、ツグナは思わず背中を仰け反らせた。怖かったが、負けじと目は離さないようにしている。
「なんだぁ? こいつと知り合いか?」
「……今初めて会いました」
「ぶっ! なんだよそれぇ~」
男は吹き出すように笑う。けれども変わらないツグナの強気な表情をみて、少し呆れたようにため息をついた。
「……あのな。こいつは俺たちの秘密を聞いちまったかもしれねえんだ。それを平和的に確認しているわけだよ? 聞かれちゃまずいんだよなあ~分かるか? 第一、坊主には関係ないだろ? えぇ?」
「僕は坊主じゃない、です」
鷲掴みにされているのを見てツグナは疑いの目を向ける。どうみても、暴力を振るわれる一歩手前じゃないか。
「はあ……あのよ、騒ぎは起こしたくねえんだ。この街は至る所に憲兵が目を光らせているからなあ。正義感振りかざして死に急いだ行動はするもんじゃねえぞ? 分かったいい子は早くママの元に帰れ~俺たちは優しいからな~」
そう言って退けようとする男を無視し、中心にいた銀髪の青年の腕を無理やり引いた。連れていこうとするツグナに「おいおいおい! 待てよ! 話聞いていたのか!?」と男が二人を引き離す。
「分からねえやつだな? はあ……仕方ねえ。頭の悪い子には、この世で生きていくための社会勉強してもらおうか」
後ろからは「手加減しろよ」と仲間の声が笑い混じりに聞こえてきた。男はふざけた様子でツグナに拳を放つ。が、ツグナは片手でいとも簡単に受け止めた。その瞬間、男の表情が変わる。
「おい! 手加減しろって言ったがそこまで優しくするなよな~」
「あ、ああ……分かってる」
振り払い、眉をひそめながらも男が再び拳を繰り出した。
顔を狙ってきている。足元にも予備動作……恐らく連続で蹴りつけるつもりだ。ツグナは先を読み、顔を傾けるようにして避けると、お菓子を持ったまま、腕で蹴りを受け流した。強い反動で弾き返す。
「……っ!!」
ガタイのいい男は後ろに吹き飛ばされ、尻をつく。何が起こったのか分からずただ唖然とした様子だった。動揺する男たちの中で、銀髪の青年が口角を上げる。
「あ、ごめんなさい。強くやりすぎた……これでも力加減はできるようになったんですけど……」
以前は殺める力を恐れて極端にブレーキがかかってしまっていた。そのため、体が固く、逆に力が入り、コントロールが効かないという状態に陥っていたのだ。
現在では体の動きを身につけ、普通の人間と同様の力で戦えるようになっている。が、それでもまだ、人より上の力が出てしまっているらしい。
「……あー、そうだ。お前さ、本当はこいつらの話なんて聞いていなかったんですよね?」
それさえ証明すれば、この場から逃れられると思ったようだ。なにも「聞いていなかった」と言えばいい話。理解を求めるように話を振り、この思惑が伝われとばかりに見つめる。
「ああ。バッチリ聞いていたよ」
ニコニコと微笑む青年の言葉に、ガラスを引っ掻く音を聞いた時のような肌寒さを感じた。思わず叫び出しそうになる。もう一度「……聞いていないよな?」と確認するが「ごめんね、嘘はつかない主義なんだ」と何故か楽しげに青年が答える。空気読め、の言葉を初めて実感した瞬間だった。
「悪いな、坊主。どのみちもう、お家に返すわけにはいかねえ」
倒れた男が呟きながら立ち上がると、自身の周囲を他の仲間たちが囲んだ。目だけで周りを確認し、正面の男と向き合う。
「こんなガキに負けていたら、俺たちキルア・スネイクの名が廃るんでな。もう、手加減はしねえぞ! いいな!」
怒号をあげる男の目つきが一層鋭くなった。その声を皮切りに、四方から攻撃を仕掛けられる。
「……っ」
流石に手が塞がっているとやりにくい。ツグナはなるべく高く、自身の真上に菓子を投げ捨てた。そうしてから、回転するようにして後ろからの攻撃を避ける。
避けたことで前方と後方から攻めてきた男たちは互いの顔を殴りつけた。右から襲ってきた男の鳩尾を肘で強く突き、ツグナは左からくる男の顎を蹴りあげる。そこから流れるようにして、殴り合った男たちの頭を掴むと、無理やり引き寄せるようにしてぶつけた。
スローモーションに見えていた時は元の流れに戻ると、全員がその場で崩れ落ちる。そのタイミングで丁度落ちてきた菓子をツグナが空中で受け止めた。
「はっ?」
たった一瞬の出来事だった。男は理解ができないまま、倒れる仲間達を呆然と見つめる。その様子を気にすることなく、ツグナは菓子が崩れていないか確認してホッと一息ついた。じっ、と残った男の方を振り返る。
「ちっ……!」
傍にいた青年を引き寄せ、男は首元にナイフをあてがった。来るな! と声を張り上げられ、ツグナは歩み寄ろうとした足を止める。
「来たらこいつの首を切って殺す」
「なっ……!」
自分以外の人間は手足が切れたら元には戻らないし、怪我の治りだって遅い。卑怯だぞ、と睨みつけた。青年を人質にしたまま、男がニヤリと笑ってみせる。
「……っ!」
次の瞬間、後頭部に強烈な鈍痛が襲った。ガンッ、と後から金属音がして、ふらつく。その瞬間に菓子が手から滑り落ちた。先程の男たちが早くも体勢を戻したようなのである。思わず反撃しようと拳をあげた。
「おっと、抵抗するなよ。じゃないとこいつを殺すぜ」
「……っ! ぐっ……」
そんなことを言われたら、何もできるはずがない。躊躇った瞬間に鳩尾を殴られ、よろける。が、背後からも押し返すように蹴られ、耐えきれず地面に倒れた。
「かっ……げほっ……」
苦しくなって吐き出してみれば、赤黒が地面に滴る。またか、とツグナは口元を手で押えた。ふと視界に入った菓子を見て、覆い被さるように地面に蹲る。
「なんだコイツ、もう終わりかよ」
すぐに上から圧し潰され、何度も何度も踏みつけられる。もう、ただ丸くなることしか出来ない。
「はっはっはっ! 大人を舐めるとどうなるか、身に染みて分かっただろ! これに懲りたら……」
「全く、大人気ないなあ」
黙り込んでいた青年が突然口を開いた。「あ?」ナイフを宛がっていた男が眉を顰める。
「大の大人が寄って集って……手負いの子犬がそんなに怖いかい?」
「なに、をっ……!?」
素早くナイフの持った手を掴むと、青年は回転するようにして男の脳天に蹴り入れた。後ろに倒れた男を踏みつけ、そのままツグナの元に歩く。
「な、なんだ!? お前、なにし……」
最後まで聞くこともなく、飛び上がるようにして男の頭を地面に蹴り下げる。自分よりはるかに大きな相手をだ。
「頭が高いよ。キミたち」
これには男の仲間達も小さな悲鳴をあげた。身長は百七十前半の、セレグレア人男性にしては小柄な体型だというのに。なんて柔軟な動きだろう。
「ね。その子、そろそろ解放してあげなよ。せっかく僕を哀れんで助けに来てくれたのに。ヒーローがボコボコなんて格好つかないじゃないか。それとも……キミたちもそうなりたい?」
変わらない笑みには静かな威圧があった。仲間たちはそれを見て生唾を飲み込む。
「ちっ、今日はこれぐらいで勘弁してやらぁ! 覚えていろよぉぉ!!」
去り際に怒鳴りつけ、そのままバタバタと道の奥へ逃げていった。始めの余裕が台無しである。
「おや、困ったな。まだ仲間が倒れているのに。薄情な奴らだね」
軽く笑ってみせてから、青年はツグナの方に目線をやった。「立てるかい?」と優しく微笑んで手を差し伸べる。
「……うん。ありがとうございます……あっ」
痛がりながらもゆっくり上半身を起こすと、ツグナの下から紙に包まれたお菓子が現れた。無事だよな? と、血のついていない手で持って裏表を確認する。
「……それは? なにか大切な宝でも入っているのかい?」
「途中でお返しにって貰ったんだ。手作りのお菓子」
「菓子? もしかして、そんなものを守ったの?」
「うん」
「……ふうん。君って変わってるね。明らかに関わっちゃいけない連中相手に立ち向かうなんてさ。ああいうのは見て見ぬふりをするのが一番なのに」
ひとまず、と血だらけの顔を顰めるツグナを見て、青年はその場に膝をつく。
「これ。口周りと片手に使いなよ。血が……」
清潔なハンカチを差し出すと同時に「だって」とツグナが口を開いた。
「お前に死んで欲しくないから」
その赤目に息を飲み、僅かに目を見開く。ツグナは真顔で返してから「ありがとう」とそのハンカチを受け取った。口周りや手を拭う様子に「……キミはお人好しなんだね」と青年が弱々しく笑う。
「それに見ていたろ? 僕は強いから、あんな奴らに殺されないよ。なのに、キミが殴られてもすぐに助けなかった……何故か分かるかい?」
「いや……?」
「面白いものが見られると思ったのさ。実際、見れたしね」
踵に座った状態で青年は両腕を膝上で組み、ツグナに返す。わざわざ理由まで言ったのは、どんな反応をするのか確かめる為である。お人好しの本性を暴こうと―――けれども、青年の期待は容易く裏切られた。
「そうか……助けるつもりが逆に助けられちゃったな。ありがとう」
期待していた返事と違っていて調子が狂う。からかおうとしても全く通じない。なんだろう、この少年は。
あとこれも、と血のついたハンカチを返そうとするツグナに「それはあげるよ……」と青年が眉を下げた。受け取って貰えず困り果て、どこに隠すか悩み出すツグナに小さく吹き出して笑う。
「キミ、名前は? ここには一人で?」
立ち上がる青年にツグナは警戒することもなく「いいや」と返した。同じように立ち上がり、服についた汚れを払う。
「僕はツグナ・クライシス。シアンっていう金髪の奴に連れてこられたんだけど馬車が……あっ!!」
ここに来た経緯を思い出して青ざめる。そういえば元々、あの大門に戻る途中だったのだ。ツグナが焦る一方で、話を聞いていた青年の眉がピクリと動く。
「もういかなきゃ……! 帰り気をつけろよ!」
気づきのままに駆け出そうとするツグナを見て「君、大門に行きたいのなら反対側だよ」と青年が慌てて引き止めた。忙しなく「そっちか!」と方向転換する。
「ありがとう! じゃあな!」
そう言い残し、ツグナは全力疾走で道の奥へと消えていった。少年の背中に無言で手を振っていた青年は「ああ」と目を細める。
「またね。ツグナ」
◆
石畳によって完全舗装されたその街は家の窓辺にも、目立たない街角にさえ、美しい花々が咲き乱れ、これ見よがしに自分たちを主張してくる。そこを行き交う老若男女は当然、豪華絢爛な服装に身を包み、飼い犬の首輪にさえ宝石を輝かせていた。
どこを切り取っても絵になる光景。華々しい世界。外部から中心街に入った人間は皆同じことを口にする。
我々は別世界に迷い込んでしまったのかと。
「ふう……やっと辿り着いたか」
中心街にあるブラッディ家の別邸前に、一台の馬車が止まった。そこから降りてきた金髪の青年は、久々の別邸を見上げ、顔前に手をかざしながら目を細める。指の間から溢れた陽光に、ミルキーブロンドの髪がキラキラと輝いた。その姿は周囲の光景と早くも馴染み、彼もそちら側の人間なのだとミシェルは再認識させられる。
「はあ……」
重々しい息と共に馬車の中からもう一人出てくる。突然姿をくらましたと思ったらボロボロになって帰ってきたツグナだ。俯き、見るからに沈んでいる。
「どうしたのよ、あんた……珍しくへこんでいるみたいだけど」
「……なんでもない」
ちらり、と横目でシアンの顔を伺うツグナに気まずかったんだろうな、とミシェルが鼻を鳴らす。
服を汚した為、外から見える従者席には乗せらないと、中心街入口でツグナが馬車の中に乗せられたのだが、結局一言もシアンと会話をしている様子はなかった。勝手に消えていたツグナに対して特に怒りもしない。ヴェトナ街の時の二人が嘘みたいだ。正直この二人の間にいるのはこちらも辛い。
「んっ……?」
落ち込んでいるツグナの頭を、ミシェルは無言でわしゃわしゃと撫でた。永遠と撫で続ける手に「なにすんだよ」とツグナが振り払う。
「別に、撫でてほしそうだったから撫でてやったのよ」
「そんなの頼んでないだろ……犬じゃあるまいし」
「あんたも結構根に持つわねぇ。撫でて貰うの好きな癖に」
よしよし可愛いね~と棒読みでまた撫で始めてみれば「犬扱いするな!」とツグナが声を張って睨みつけた。度々犬で例えられるが、本人的には気に食わないらしい。思春期かなと、嫌がるツグナにニヤつく。
「お待ちしておりました。ブラッディ卿」
突然声が聞こえ、見上げていたシアンは振り返る。建物の影から歩いてきたのは、白い隊服に身を包んだ三人の若者たちだ。見覚えのある服装や立ち振る舞いを見て、すぐに騎士隊の人間だということを察する。
「……なんだ?」
まだ着いたばかりなのだが? と不機嫌そうに眉をひそめる。が、怯むことなく、騎士隊は丸くなっていた紙を広げてシアンに見せつけた。
「北西地域ミレスティア街のラヴァル伯爵を殺害したとして、貴方に逮捕状が出ております。ご同行願えますか?」
「……は?」
「え!?」
瞬時にその場の空気が凍りついた。それを聞いていたツグナ、ミシェルからも同様に困惑する声が飛び出る。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 急にそんな……」
「抵抗を見せればその分罪も重くなります。どうか、ご理解ください」
止めに入るミシェルの声を遮って、淡々と感情もなしに返す。決して冗談でないということは、目の前に突き出された逮捕状を見れば分かる。数秒の間を開けてから「分かった」とシアンが前に出た。釈明もなしに、無抵抗だ。
「えっ……」
未だに理解が追いつかないツグナは不安そうにシアンを見つめた。目の前であっさりと手錠をかけられるシアンに、言葉が出てこない。
確かに、ラヴァル卿はシアンに殺された。目の前で額を撃ち抜かれて、地面に倒れた瞬間をツグナも目撃している。それ故に「違う」と否定することが出来なかった。
捕えられるなら今までだって出来たはずなのに。何故、今更掘り返す様なことをするのだろう。
騎士隊に囲まれながら歩き出すその背中に「シアン!」とツグナが呼びかけた。シアンの足が止まる。
「あ、あのさ……また戻ってくるよな……? 確かにあの時は……でも、お前なりに理由があるって……そうなんだろ?」
出てきたのは、主語のない曖昧な言葉だ。人殺しは許せない。けど、シアンにも許せない気持ちがあった。複雑な気持ちだ。どうすればいいか分からなくてむず痒くなる。
止まるなと手錠を引かれてまた歩き出すシアンに、ふとドミニク神父のことが過った。レイを置いて戻ってこなかった彼のようにシアンも―――遠くなっていく背中に「なあって! シアン……!!」と声を張り上げる。
「こんな時まで無視するなよ!! そんなに僕が嫌いかよ!!」
じわりと目の前が涙で滲む。大人気なくて、意地悪で―――それでも自分を救ってくれたことに変わりはないのだ。自分にとっては恩人なのだ。シアン! 一切振り向こうとしない背中に向かって掠れた声のまま手を伸ばす。
「シアンの馬鹿野郎!!」
感情のままに吐き出された慟哭。けれども、その声に最後まで答えることなく、シアンは騎士隊と共に馬車の中へと消えていった。
「綺麗な場所だな」
似ていても、ヴェトナとは街の雰囲気が全然違う。キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回しながら、ツグナが呟いた。その服装はいつものダルダルになったシャツではなく、ピッチリとしたベストやコートと、清潔感があった。心做しか執事が着ているものと少し似ている気がする。
端街の検問を終え、ツグナ、ミシェル、シアンを乗せた馬車はディオネールのメイン通りを走っている最中だった。
「まあね。これでも結構変わったのよ。ノルワーナが滅んでからね」
馬車を運転するミシェルの横で、ツグナは「詳しいんだな?」と顔を向けた。それとも、これも常識ってやつなのだろうか。
「……少し前に、この街には世話になってたっつうか……まあ。故郷みたいなもん」
「ミシェルはここで生まれたのか?」
「というよりは育った場所」
「じゃあ、どこかにお前の両親がいるのか……?」
立て続けに質問していると、前を向いていたミシェルが「もうすぐ着く」と手綱を振るう。
レンガ造りの家並みをしばらく行くと、王都に入る立派な大門が見えてきた。端街から中心街に入るための、唯一の出入口である。
「すごい……おっきいな」
「あんたの感想はそればっかりね。そりゃあ、貴族様々のお通り、ですから。あれは言わば別世界に通じる門。普通の人はあの先を知らずにこの世を去るもんよ」
どこか棘のある口調でミシェルが言った。そんなことは気にも留めず、珍しそうに大門を見上げる。真横に伸びた壁の中心部に尖り屋根の塔があり、その真下が大きな入口となっていた。シアンの懐中時計と似た文字盤が、塔の上部分に張り付いている。
ゴォーンゴォーン……
「うわ! なんだ!?」
その大きさに思わず耳を塞いだ。バサバサと鳥の羽音が空から聞こえてくる。大袈裟なやつ、とミシェルが隣で呆れたように目を細めた。
「あの大門こそ、ディオネールの鐘塔。ヴェトナと同じように決まった時間に鳴らされる……ヴェトナは壊れていたみたいだけど。元ある鐘塔を新しく再建して、その時に時計もついたみたい」
「は、はあ……」
となるとこの轟音は鐘の音か。ツグナは恐る恐る耳から手を離す。確かによく聞けば綺麗な響きだ。ヴェトナより立派だとシアンがボヤいていたのも分かる。
「……そういえば、ルミネア……なんとかっていたよな? 何人もいる……あの鐘塔作ったやつら」
「もしかして五大信者のこと言ってる?」
「あ、それだ」
名前を聞いて思い出し、拳を手のひらに打った。この国の常識なんだから少しは覚えなさいよ、とミシェルが息をつく。
「ルミネア五大信者―――アクレイス、ディオネール、ヴェンネ、ルカイアナ、イルムナール。彼らは主が死刑にされた後も、各地を逃げながらルミネア様の教えを広めていったの」
「死刑? 殺されたのか?」
「……そう。仲間に裏切られて、国に差し出された。磔にされ、火炙りでね。それでもルミネア様は仲間を信じ、許した……【心の闇は誰にでもある。お前に心の闇があるのなら、私も共に背負おう。私が闇を解き放つ光になろう】と……とんだお人好しよね」
馬鹿みたい、とミシェルが遠くを見つめて呟く。なんで国に殺されたのかとか、色々と思うところはあったが、ツグナは質疑が上手く言葉に出せない。悶々としている間にミシェルから「あー……結構並んでいるわね」と聞こえてくる。
大門下は思いの外混雑していた。馬車が縦に並び、憲兵らしき人物達が一つ一つ検問をしている。ディオネールに入る時も検問したのに、またやるのか。
「時間かかる?」
「かもね。中心街に入るのはそれだけ難しいってことよ……シアン様、着きました」
従者席の小窓をノックし、ミシェルが中のシアンと目を合わせる。こちらに気づいたシアンは理解出来たと手を少し挙げて、また窓の外を眺めた。
ディオネールに入ること自体は、大して難しいことではない。六つある裏口にそれぞれ憲兵が配置されているが、これはあくまでディオネールに入る人間達を視認するためのものである。そのため検問といっても顔合わせ程度の軽いものしかやらない(怪しいものが乗っている時は馬車の中の捜索が行われる)基本的には街の治安維持が大本命の仕事だ。
だが、中心街となってくるとまた話が別である。入るには貴族の証明、または身分証及び許可書が必要となり、大門ではエリート中のエリート憲兵がくまなく馬車を確認するなどの違いだ。そのため時間がかかり、毎日のように行列ができる。
「ふぅ……」
従者席から降り、ミシェルは頭上で腕を組んで体を伸ばした。久々の王都―――ここを出る際とまた違った感情がある。ラニウスの一件でブライアンの誤解が解け、スッキリした気持ちだ。もし、あの件がなかったらここへついてくる、なんて出来なかっただろう。
「久々に墓参り……行こうかな……」
目を伏せ、静かに笑ってみせる。我が主も根が悪い人ではないと、何となくこの一年で分かってきた。付き合い自体は五年ぐらいあるのに。頼めば許可してくれるかもしれない、なんて思う。
一方、そんな心境とは知らずに、ミシェルを真似てツグナも従者席から降りた。地面に着くと、更に大門が大きく見える。行き交う人もロザンド街より多いが、慣れてしまった体では特に恐怖を感じることもなかった。眼球を素早く動かし、目に見えるものを吸収しようとする。
「ん?」
ふと視界の端にポト、と人形が落とされた。周囲の人は気づかないのか、もしくは気づいてて知らないフリをしているのか、放置している。何となく気になって慌てて人形を手に取った。前を見ると、子連れの親子が歩いていく。
「あの……っ!」
声をかけようとするも角を曲がられ、姿が見えなくなってしまった。追いかけようとして、一度馬車の方を振り返る。ヴェトナの時と同じように、勝手に居なくなったらまた怒られるかもしれない。けれど、今行かなければ見失う。馬車と道の先を交互に見て、迷いの末にツグナは親子を追いかけた。まだ時間があるし、すぐに戻ればいいと思ったのだ。
人波をかき分け、角を曲がる。知らない街、知らない通りに目が回りそうになったが、なんとか親子の行き先を目にし、ひたすら走って追いかけた。
「待って……!」
その細い手首を掴む。茶髪の女性は驚いて振り返った。綺麗なヘーゼルの目と目が合う。
「はい? どうされました?」
どこかで見たような顔に戸惑っていたが、ハッとし「これ、落としました……?」と人形を差し出す。
「あ! 嘘……落としてましたか!? 私ったら……」
慌ててバスケットを見てから、女性がその人形を受け取る。その様子を見て、女性についていた子供が「ちゃいちゃー!」と手を伸ばした。
「ありがとうございます。わざわざ届けに来てくださって……これ、この子のお気に入りなんです……ほら、お礼! お兄ちゃんにお礼言う時はなんて言うんだっけ?」
頭を撫で、女性が子供に人形を渡す。子供はご機嫌そうに「あねとー!」とお辞儀した。
「いえ、届けられて良かったです。それじゃあ」
ひとまずほっとしたとツグナは胸を撫で下ろし、踵を返す。早く戻らなくては。
「あっ! 待ってください! お礼と言ってはなんですが、良かったらこれを……」
そう言ってバスケットから取り出されたのは、紙のような物に包装されたお菓子だった。 渡されるがまま受け取り、珍しそうに見つめる。
「ちょうど夫の所へ届けに行ってきたんです。今手持ちのものがそれしかなくて……すみません。で、でも味には自信があるんです!」
子供の時から練習していたので、と付け足し、女性が眉を下げながら微笑んでみせる。
「えっと、いいんですか?」
「はい。お口に合えばいいのですが……や、やっぱり、い、嫌ですよね? 初対面でいきなり手作りなんて……」
謙虚な様子に断るのも悪いと思い、ツグナは「いえ! あの……他の二人と食べたいと思います。ありがとうございました」と軽くお辞儀して返す。村の手伝い先でもよく差し入れを貰っているので、特に不快に思ったり、警戒したりすることはなかった。
それを聞いた女性は「良かった!」と手を合わせて、花が開くように笑う。なんとなく、悪い人ではなさそうだなとツグナはいつもの単純な脳で思った。
「あっ、じゃあそろそろ……いくので……」
二人に怒られる恐怖で戻ろうとする様子に「あっ、引き止めてしまってすみません」と女性が返す。それを見て、またもしつこく会釈してみせると、来た道を早足で歩き始めた。
「ほら、ミシェル。早く行くわよ」
背後から風が突き抜けていく感覚がして、思わず振り返る。こちらに向かって手を振る子供と目が合った。女性はそんな子供に気づかず、腕を引いて歩いていく。和やかな背中にモヤモヤし、眉をひそめたが、考えている暇はないとツグナは再び前を駆け出した。
◆
「ここどこだ……」
数十分後。案の定道に迷い、ツグナは空を見上げながら途方に暮れていた。あの女性を追ってひたすらに進んでいたので、どこを通ってきたのか分からなくなっていたのだ。
「どうしよう……」
二階建ての建物が多いせいで空も狭く見えた。ひとまず上を注視していたら、あの大門が見つかるのではないのかと顔を上げ、フラフラと探し回る。建物の向こうを見るために家から離れようと、後ろ向きで歩いていた時だ。
「うお?」
背中に何かがぶつかり、振り返る。見上げてみれば、そこには男が四、五人いて、そのうちの一人が不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。鍛えられた腕には蛇模様のタトゥーが施されている。剣が刺さり、もがいているようにも見えるそれはなんだか不気味だった。
「あぁ?」
たったその一言で、ツグナは本能的に関わってはいけないと、首を竦めた。
「す、すみません」
注意散漫だった自分が悪いと反射的に頭を下げる。それを見た男は特に突っかかることもなく「さっさと行け。気持ちわりぃやつめ」と手を払った。いちいち理由をつけて、怒鳴りつけてくる奴らより、よっぽど理性的だ。ホッとして、ツグナがその場から立ち去ろうとする。
「……あ」
男たちの隙間から見えた銀髪の青年。見たところ、シアンやミシェルと同じぐらいの年齢だろう。鷲掴まれている胸ぐらをみるに彼らの「仲間」というわけではなさそうだ。思わず足を止める。
「あの……その人を離してくれませんか」
関わらなければいいのに、気がついたらそんな言葉が溢れ出た。銀髪を含め、取り囲んでいた男たちは驚いてこちらを凝視する。が、瞬時に固まった空気はげらげらと野卑な笑いに切り裂かれた。
「こいつまじかっ!!」
「なんだお前、見逃してやったのによ~」
「ガキのくせに俺たちに楯突くのか? すっげえ度胸だな」
近づけられた男の顔に、ツグナは思わず背中を仰け反らせた。怖かったが、負けじと目は離さないようにしている。
「なんだぁ? こいつと知り合いか?」
「……今初めて会いました」
「ぶっ! なんだよそれぇ~」
男は吹き出すように笑う。けれども変わらないツグナの強気な表情をみて、少し呆れたようにため息をついた。
「……あのな。こいつは俺たちの秘密を聞いちまったかもしれねえんだ。それを平和的に確認しているわけだよ? 聞かれちゃまずいんだよなあ~分かるか? 第一、坊主には関係ないだろ? えぇ?」
「僕は坊主じゃない、です」
鷲掴みにされているのを見てツグナは疑いの目を向ける。どうみても、暴力を振るわれる一歩手前じゃないか。
「はあ……あのよ、騒ぎは起こしたくねえんだ。この街は至る所に憲兵が目を光らせているからなあ。正義感振りかざして死に急いだ行動はするもんじゃねえぞ? 分かったいい子は早くママの元に帰れ~俺たちは優しいからな~」
そう言って退けようとする男を無視し、中心にいた銀髪の青年の腕を無理やり引いた。連れていこうとするツグナに「おいおいおい! 待てよ! 話聞いていたのか!?」と男が二人を引き離す。
「分からねえやつだな? はあ……仕方ねえ。頭の悪い子には、この世で生きていくための社会勉強してもらおうか」
後ろからは「手加減しろよ」と仲間の声が笑い混じりに聞こえてきた。男はふざけた様子でツグナに拳を放つ。が、ツグナは片手でいとも簡単に受け止めた。その瞬間、男の表情が変わる。
「おい! 手加減しろって言ったがそこまで優しくするなよな~」
「あ、ああ……分かってる」
振り払い、眉をひそめながらも男が再び拳を繰り出した。
顔を狙ってきている。足元にも予備動作……恐らく連続で蹴りつけるつもりだ。ツグナは先を読み、顔を傾けるようにして避けると、お菓子を持ったまま、腕で蹴りを受け流した。強い反動で弾き返す。
「……っ!!」
ガタイのいい男は後ろに吹き飛ばされ、尻をつく。何が起こったのか分からずただ唖然とした様子だった。動揺する男たちの中で、銀髪の青年が口角を上げる。
「あ、ごめんなさい。強くやりすぎた……これでも力加減はできるようになったんですけど……」
以前は殺める力を恐れて極端にブレーキがかかってしまっていた。そのため、体が固く、逆に力が入り、コントロールが効かないという状態に陥っていたのだ。
現在では体の動きを身につけ、普通の人間と同様の力で戦えるようになっている。が、それでもまだ、人より上の力が出てしまっているらしい。
「……あー、そうだ。お前さ、本当はこいつらの話なんて聞いていなかったんですよね?」
それさえ証明すれば、この場から逃れられると思ったようだ。なにも「聞いていなかった」と言えばいい話。理解を求めるように話を振り、この思惑が伝われとばかりに見つめる。
「ああ。バッチリ聞いていたよ」
ニコニコと微笑む青年の言葉に、ガラスを引っ掻く音を聞いた時のような肌寒さを感じた。思わず叫び出しそうになる。もう一度「……聞いていないよな?」と確認するが「ごめんね、嘘はつかない主義なんだ」と何故か楽しげに青年が答える。空気読め、の言葉を初めて実感した瞬間だった。
「悪いな、坊主。どのみちもう、お家に返すわけにはいかねえ」
倒れた男が呟きながら立ち上がると、自身の周囲を他の仲間たちが囲んだ。目だけで周りを確認し、正面の男と向き合う。
「こんなガキに負けていたら、俺たちキルア・スネイクの名が廃るんでな。もう、手加減はしねえぞ! いいな!」
怒号をあげる男の目つきが一層鋭くなった。その声を皮切りに、四方から攻撃を仕掛けられる。
「……っ」
流石に手が塞がっているとやりにくい。ツグナはなるべく高く、自身の真上に菓子を投げ捨てた。そうしてから、回転するようにして後ろからの攻撃を避ける。
避けたことで前方と後方から攻めてきた男たちは互いの顔を殴りつけた。右から襲ってきた男の鳩尾を肘で強く突き、ツグナは左からくる男の顎を蹴りあげる。そこから流れるようにして、殴り合った男たちの頭を掴むと、無理やり引き寄せるようにしてぶつけた。
スローモーションに見えていた時は元の流れに戻ると、全員がその場で崩れ落ちる。そのタイミングで丁度落ちてきた菓子をツグナが空中で受け止めた。
「はっ?」
たった一瞬の出来事だった。男は理解ができないまま、倒れる仲間達を呆然と見つめる。その様子を気にすることなく、ツグナは菓子が崩れていないか確認してホッと一息ついた。じっ、と残った男の方を振り返る。
「ちっ……!」
傍にいた青年を引き寄せ、男は首元にナイフをあてがった。来るな! と声を張り上げられ、ツグナは歩み寄ろうとした足を止める。
「来たらこいつの首を切って殺す」
「なっ……!」
自分以外の人間は手足が切れたら元には戻らないし、怪我の治りだって遅い。卑怯だぞ、と睨みつけた。青年を人質にしたまま、男がニヤリと笑ってみせる。
「……っ!」
次の瞬間、後頭部に強烈な鈍痛が襲った。ガンッ、と後から金属音がして、ふらつく。その瞬間に菓子が手から滑り落ちた。先程の男たちが早くも体勢を戻したようなのである。思わず反撃しようと拳をあげた。
「おっと、抵抗するなよ。じゃないとこいつを殺すぜ」
「……っ! ぐっ……」
そんなことを言われたら、何もできるはずがない。躊躇った瞬間に鳩尾を殴られ、よろける。が、背後からも押し返すように蹴られ、耐えきれず地面に倒れた。
「かっ……げほっ……」
苦しくなって吐き出してみれば、赤黒が地面に滴る。またか、とツグナは口元を手で押えた。ふと視界に入った菓子を見て、覆い被さるように地面に蹲る。
「なんだコイツ、もう終わりかよ」
すぐに上から圧し潰され、何度も何度も踏みつけられる。もう、ただ丸くなることしか出来ない。
「はっはっはっ! 大人を舐めるとどうなるか、身に染みて分かっただろ! これに懲りたら……」
「全く、大人気ないなあ」
黙り込んでいた青年が突然口を開いた。「あ?」ナイフを宛がっていた男が眉を顰める。
「大の大人が寄って集って……手負いの子犬がそんなに怖いかい?」
「なに、をっ……!?」
素早くナイフの持った手を掴むと、青年は回転するようにして男の脳天に蹴り入れた。後ろに倒れた男を踏みつけ、そのままツグナの元に歩く。
「な、なんだ!? お前、なにし……」
最後まで聞くこともなく、飛び上がるようにして男の頭を地面に蹴り下げる。自分よりはるかに大きな相手をだ。
「頭が高いよ。キミたち」
これには男の仲間達も小さな悲鳴をあげた。身長は百七十前半の、セレグレア人男性にしては小柄な体型だというのに。なんて柔軟な動きだろう。
「ね。その子、そろそろ解放してあげなよ。せっかく僕を哀れんで助けに来てくれたのに。ヒーローがボコボコなんて格好つかないじゃないか。それとも……キミたちもそうなりたい?」
変わらない笑みには静かな威圧があった。仲間たちはそれを見て生唾を飲み込む。
「ちっ、今日はこれぐらいで勘弁してやらぁ! 覚えていろよぉぉ!!」
去り際に怒鳴りつけ、そのままバタバタと道の奥へ逃げていった。始めの余裕が台無しである。
「おや、困ったな。まだ仲間が倒れているのに。薄情な奴らだね」
軽く笑ってみせてから、青年はツグナの方に目線をやった。「立てるかい?」と優しく微笑んで手を差し伸べる。
「……うん。ありがとうございます……あっ」
痛がりながらもゆっくり上半身を起こすと、ツグナの下から紙に包まれたお菓子が現れた。無事だよな? と、血のついていない手で持って裏表を確認する。
「……それは? なにか大切な宝でも入っているのかい?」
「途中でお返しにって貰ったんだ。手作りのお菓子」
「菓子? もしかして、そんなものを守ったの?」
「うん」
「……ふうん。君って変わってるね。明らかに関わっちゃいけない連中相手に立ち向かうなんてさ。ああいうのは見て見ぬふりをするのが一番なのに」
ひとまず、と血だらけの顔を顰めるツグナを見て、青年はその場に膝をつく。
「これ。口周りと片手に使いなよ。血が……」
清潔なハンカチを差し出すと同時に「だって」とツグナが口を開いた。
「お前に死んで欲しくないから」
その赤目に息を飲み、僅かに目を見開く。ツグナは真顔で返してから「ありがとう」とそのハンカチを受け取った。口周りや手を拭う様子に「……キミはお人好しなんだね」と青年が弱々しく笑う。
「それに見ていたろ? 僕は強いから、あんな奴らに殺されないよ。なのに、キミが殴られてもすぐに助けなかった……何故か分かるかい?」
「いや……?」
「面白いものが見られると思ったのさ。実際、見れたしね」
踵に座った状態で青年は両腕を膝上で組み、ツグナに返す。わざわざ理由まで言ったのは、どんな反応をするのか確かめる為である。お人好しの本性を暴こうと―――けれども、青年の期待は容易く裏切られた。
「そうか……助けるつもりが逆に助けられちゃったな。ありがとう」
期待していた返事と違っていて調子が狂う。からかおうとしても全く通じない。なんだろう、この少年は。
あとこれも、と血のついたハンカチを返そうとするツグナに「それはあげるよ……」と青年が眉を下げた。受け取って貰えず困り果て、どこに隠すか悩み出すツグナに小さく吹き出して笑う。
「キミ、名前は? ここには一人で?」
立ち上がる青年にツグナは警戒することもなく「いいや」と返した。同じように立ち上がり、服についた汚れを払う。
「僕はツグナ・クライシス。シアンっていう金髪の奴に連れてこられたんだけど馬車が……あっ!!」
ここに来た経緯を思い出して青ざめる。そういえば元々、あの大門に戻る途中だったのだ。ツグナが焦る一方で、話を聞いていた青年の眉がピクリと動く。
「もういかなきゃ……! 帰り気をつけろよ!」
気づきのままに駆け出そうとするツグナを見て「君、大門に行きたいのなら反対側だよ」と青年が慌てて引き止めた。忙しなく「そっちか!」と方向転換する。
「ありがとう! じゃあな!」
そう言い残し、ツグナは全力疾走で道の奥へと消えていった。少年の背中に無言で手を振っていた青年は「ああ」と目を細める。
「またね。ツグナ」
◆
石畳によって完全舗装されたその街は家の窓辺にも、目立たない街角にさえ、美しい花々が咲き乱れ、これ見よがしに自分たちを主張してくる。そこを行き交う老若男女は当然、豪華絢爛な服装に身を包み、飼い犬の首輪にさえ宝石を輝かせていた。
どこを切り取っても絵になる光景。華々しい世界。外部から中心街に入った人間は皆同じことを口にする。
我々は別世界に迷い込んでしまったのかと。
「ふう……やっと辿り着いたか」
中心街にあるブラッディ家の別邸前に、一台の馬車が止まった。そこから降りてきた金髪の青年は、久々の別邸を見上げ、顔前に手をかざしながら目を細める。指の間から溢れた陽光に、ミルキーブロンドの髪がキラキラと輝いた。その姿は周囲の光景と早くも馴染み、彼もそちら側の人間なのだとミシェルは再認識させられる。
「はあ……」
重々しい息と共に馬車の中からもう一人出てくる。突然姿をくらましたと思ったらボロボロになって帰ってきたツグナだ。俯き、見るからに沈んでいる。
「どうしたのよ、あんた……珍しくへこんでいるみたいだけど」
「……なんでもない」
ちらり、と横目でシアンの顔を伺うツグナに気まずかったんだろうな、とミシェルが鼻を鳴らす。
服を汚した為、外から見える従者席には乗せらないと、中心街入口でツグナが馬車の中に乗せられたのだが、結局一言もシアンと会話をしている様子はなかった。勝手に消えていたツグナに対して特に怒りもしない。ヴェトナ街の時の二人が嘘みたいだ。正直この二人の間にいるのはこちらも辛い。
「んっ……?」
落ち込んでいるツグナの頭を、ミシェルは無言でわしゃわしゃと撫でた。永遠と撫で続ける手に「なにすんだよ」とツグナが振り払う。
「別に、撫でてほしそうだったから撫でてやったのよ」
「そんなの頼んでないだろ……犬じゃあるまいし」
「あんたも結構根に持つわねぇ。撫でて貰うの好きな癖に」
よしよし可愛いね~と棒読みでまた撫で始めてみれば「犬扱いするな!」とツグナが声を張って睨みつけた。度々犬で例えられるが、本人的には気に食わないらしい。思春期かなと、嫌がるツグナにニヤつく。
「お待ちしておりました。ブラッディ卿」
突然声が聞こえ、見上げていたシアンは振り返る。建物の影から歩いてきたのは、白い隊服に身を包んだ三人の若者たちだ。見覚えのある服装や立ち振る舞いを見て、すぐに騎士隊の人間だということを察する。
「……なんだ?」
まだ着いたばかりなのだが? と不機嫌そうに眉をひそめる。が、怯むことなく、騎士隊は丸くなっていた紙を広げてシアンに見せつけた。
「北西地域ミレスティア街のラヴァル伯爵を殺害したとして、貴方に逮捕状が出ております。ご同行願えますか?」
「……は?」
「え!?」
瞬時にその場の空気が凍りついた。それを聞いていたツグナ、ミシェルからも同様に困惑する声が飛び出る。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 急にそんな……」
「抵抗を見せればその分罪も重くなります。どうか、ご理解ください」
止めに入るミシェルの声を遮って、淡々と感情もなしに返す。決して冗談でないということは、目の前に突き出された逮捕状を見れば分かる。数秒の間を開けてから「分かった」とシアンが前に出た。釈明もなしに、無抵抗だ。
「えっ……」
未だに理解が追いつかないツグナは不安そうにシアンを見つめた。目の前であっさりと手錠をかけられるシアンに、言葉が出てこない。
確かに、ラヴァル卿はシアンに殺された。目の前で額を撃ち抜かれて、地面に倒れた瞬間をツグナも目撃している。それ故に「違う」と否定することが出来なかった。
捕えられるなら今までだって出来たはずなのに。何故、今更掘り返す様なことをするのだろう。
騎士隊に囲まれながら歩き出すその背中に「シアン!」とツグナが呼びかけた。シアンの足が止まる。
「あ、あのさ……また戻ってくるよな……? 確かにあの時は……でも、お前なりに理由があるって……そうなんだろ?」
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じわりと目の前が涙で滲む。大人気なくて、意地悪で―――それでも自分を救ってくれたことに変わりはないのだ。自分にとっては恩人なのだ。シアン! 一切振り向こうとしない背中に向かって掠れた声のまま手を伸ばす。
「シアンの馬鹿野郎!!」
感情のままに吐き出された慟哭。けれども、その声に最後まで答えることなく、シアンは騎士隊と共に馬車の中へと消えていった。
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