SOLNEFIA(ソルネフィア)

森永らもね

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第一部 三章 ヴェトナの悪夢編

27 手がかりを探して(挿絵あり)

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 中は外観以上に豪勢な造りだった。円形状の広々としたエントランスホールで迎えてくれたのは、大きなシャンデリアと、細部まで広がる宗教絵画の天井だ。材質は大理石を使っていて、磨かれた床は屋敷に踏み入れた一行の姿を映している。
「なんか、ブラッディ家よりキラキラしてるな」
 屋敷のメイドに案内され、赤絨毯が敷かれた廊下を歩いている際に、ツグナが小言で呟いた。伯爵であるブラッディ家の屋敷も勿論広いが、内装から外観の何まで、この屋敷の方が遥かに上をいっている。まるで自分がいかに金持ちかを、来訪者に知らしめているようだ。
「気合いが入っているようで……でも、いくらなんでもおかしいわよ。ただの町長で、こんなに立派な屋敷なんて」
 壁にかけられている絵画を横目にミシェルが呟く。ただの貧民街の町長にしては、あまりにも金があるように思えたのだ。
 町長とは、街の中にある商人、手工業や自営業などの産業を取りまとめる長である。労働が足りなければ仲介する役割も担うのだが、貧民街の労働力なんてたかが知れている。
 そもそも、爵位を持たない身分の人間が多くの財産を保有するのは、貴族からの反感も買いやすいため難しいのだ。そのため、それを可能としている彼には尾ひれのついた噂が後を絶たなかった。
「まあ、収めている伯爵によって違うんだろうけど……こんな伯爵より権威を示した屋敷なんて」
「俺の管理が行き届いてないとでも?」
「いえ! ナニモイッテマセン」
 思わず棒読みになるミシェルに「言っておくが、ヴェトナは数年前に独立している」とシアンが話し始めた。
「それも父さ、前当主の代から……産業の発展が望めるのであれば任せると。実際、あの町長は約束通り鐘塔周りの発展や復興をやり遂げてみせた。その功が奏したと言ってもいい。今じゃ交流があっても、管理はあちら持ちだ」
 珍しく素直に認めている様子のシアンになんだか気味が悪いとミシェルは思った。まあ、と間を置いてシアンが口を開く。
「輝かしい功績の他に、なにか莫大な収入源があるのかもしれないけどな」
 辺りに目を配りながらサラリと言ってみせるシアンに、やっぱり期待を裏切らない男だとミシェルが笑う。税金を巻き上げているのなら、真っ先に反感を買った住民に襲撃されているだろう。特に豪勢な屋敷は貧富の差が目につきやすく、住民の怒りを集めやすい。それで過去に屋敷を焼かれた貴族もいる。
「つきました。中でご主人様がお待ちしております」
 ふと考え事をしているシアンの耳に、案内してくれたメイドの声が入ってくる。色白の金髪緑眼で、整った顔立ちをしているが、その瞳は光がなく、どこを向いているか分からない。扉を開き、横に逸れるメイドの姿を尻目に中へ入ると、窓際に立っていた恰幅のいい男性が振り返った。
「貴方がブラッディ卿のご子息、シアン・ブラッディ伯爵ですかね」
「ああ。屋敷内に招きいただき感謝する。オールストン町長」
「デイヴィッドだ。ははっ、間近で見ると本当に彼にそっくりですな。お会いできて光栄です」
 デイヴィッドは笑顔を浮かべ、シアンと握手を交わす。一見すると、気前のいいおじさんだ。彼、とは誰の事を指しているのだろうと、ツグナは二人を見つめる。その間デイヴィッドと目が合った。
「しかも、ご婦人とご子息を連れてのご来訪とは……私ももう、そんな歳ですか……」
「おい、勘違いするな。二人は俺の付き人だ。まだ、結婚はしていない……こんな奴が俺の子であってたまるか」
 はあ、と嘆息し、シアンが肩を落とす。その言い方に腹立たしさを感じ、むっと睨みつけた。本当に一言余計なやつ。
「これは失礼。まあ、立ち話もなんですし、そちらのソファーに座って話そうじゃありませんか」
 その場で二度手を叩き、デイヴィッドが「クラリス! 彼らに紅茶の準備を」と言った。扉前で待機していた先程のメイドは、こちらを真っ直ぐに見つめてからお辞儀をすると、部屋を出ていく。
 お構いなく、とシアンが呟き、ソファーに座った。背後でどうすればいいか分からず立ち尽くしている付き人二人に「君らも座れ」と呆れたようにシアンが首だけで振り向く。
「にしても貴方を見ていると、先代のブラッディ卿を思い出します」
 突然思い出に浸り始めるデイヴィッドに、要件をさっさと済ませたいシアンは、腕を組んでタンタンとつま先を鳴らした。爽やかな笑顔の下で苛立ちを表しているシアンを挟むように、ミシェルとツグナが腰を下ろす。
「不思議な方でした。流行病で次々人々が倒れていく中、彼は颯爽と現れ、仮設の診療所で治療を施してくれた。そのお陰でこの街の多くの住人は命を救われました……私の妻も。なのにも関わらず、金を一切受け取ろうとしなかったのです……研究にご協力頂き感謝すると」
 その話に、シアンの表情から苛立ちが消えていた。ヴェトナについては自分がうんと幼い時に話を聞いたことがある。
 父さんは伯爵である傍ら、独自で医療研究をする科学者でもあった。幼い頃からの夢は、病気のない世界を作ること。幼稚で単純な夢だが、子供のように無邪気ながらも計算能力に優れ、難解なことをソツなくこなす父に、シアンはずっと憧れていた。
 最終目標に到達はしなくとも、父の中でまとまりがつく時期が一年に数回訪れ、その度に試せる人間が大量に欲しいと、病人を求め屋敷を出る。
 ヴェトナも同様、流行病と聞いた途端に、嬉しそうに屋敷を飛び出して行ったそうだ。父さん的には「研究成果を試せる」とでも思っていたんだろうが、ヴェトナの住人にはそんな風に思われていたんだと、シアンは複雑な気持ちになる。
「彼には感謝がたえません。いつか必ず恩返しができたらと。そう、思っていたのですが……まさか、雨天で馬車が崖から転落し、そのまま命を落とされるなんて……」 
 悲しむデイヴィッドの話にツグナは目を見開く。事故で亡くなったとは聞いていたけど、そういう事だったのか。まあ、そうなったのも全てラヴァル卿のせいなんだよなと、シアンの顔を伺う。シアンは無表情で、デイヴィッドを見つめながら何も言うことはなかった。
「彼のような天才は私も一人しか知らない。実に、惜しい人を亡くしました。しかし、貴方を見てどこか安心したのです。彼の遺志を継ぐ者がここにいると……貴方は本当にメイナード様に似ておられる」
 ニコニコと笑みを浮かべて懐かしむようにデイヴィッドは話を続ける。
「形だけですよ……父さんは天才ですが、私は凡人なもので。とても、かないません」
 力なく笑みを浮かべ、シアンが返した。机の下で膝に置いた手を握りしめる。その表情はいつになく目線を下にして、どこか弱々しかった。
 空気の重さが感じられる空間で、紅茶を持って部屋に戻ってきたメイドは気にせず紅茶を注ぎ、それぞれの前に置いていく。改まった場の空気に耐えられず、ツグナは紅茶を一気に飲み干し、机の上に置いた。飲める熱さだとは言え、急激な熱で口内を火傷したのか、上顎と舌の粘膜がヒリヒリする。味が全く理解できない。
 それを見たメイドは、空になったティーカップに再度紅茶を注ごうと前に乗り出した。その際にメイド服の襟元から首輪のようなものが見える。不思議に思いながらも、ツグナは紅茶に息を吹きかけて啜った。今度はほんのり甘い味がする。
「謙遜なさるな。貴方の話もよく聞きますぞ。両親を亡くし、十歳でブラッディ家の当主になったとか。その齢にしてここまで崩れ落ちずブラッディ家を守ってこれたのは、紛れもない貴方の力だ」
 持ち上げるように話すデイヴィッドに「いえ、私は何も……家族の支えがあってこそです」とシアンが呟いた。その横顔を見ながら今度はゆっくり飲み始めるツグナに、メイドはやっと主人への紅茶を注ぎ始める。
 パキン。ティーカップの取っ手が壊れ、テーブルに落ちると、跳ね返るようにしてデイヴィッドのズボンの裾に紅茶がかかった。予想外の出来事にメイドはその場で固まり「あっ、あっ……」と呻きながら青ざめる。
「も、申し訳ございま……」
 震えるメイドの声を遮るようにして、陰鬱な空間に乾いた音が響いた。目を見開く一同の前には赤くなった頬で倒れるメイドの姿がある。
「貴様のせいで私の靴が汚れたではないか!! 客人の前でこの私にっ、恥をかかせたな!」
 倒れ込むメイドの首を鷲掴み、近距離から大声で罵倒を浴びせる。メイドは涙を流しながら「申し訳ございません! 申し訳ございません!」と謝罪を繰り返した。その光景にツグナの顔は険しくなる。
「ああ。見苦しいところを見せてしまった。気にしないでくれたまえ」
 息を荒らげながら激昂していたデイヴィッドは投げ捨てるようにメイドを離し、先程と同じ笑顔を浮かべた。
「彼女は優秀な人種を掛け合わせて作った人造奴隷でね。物覚えがよく、なんでも言うことを聞いてくれる個体のはずなんだが……どうにもデキが悪い。まあ、顔がいいから傍に置いているんだが」
「人造奴隷か……聞いたことはある」
 この国のどこかにあると言われている奴隷製造工場。そこでは人攫いなどで集めた人間たちの中でも特に優秀な人間たちを無理やり交配させて、より優れた奴隷の製造をしているのだとか。あまりにも人非道故に、作り話ではないのかと思っていたがと、シアンが考える。根も葉もない噂を思い出していると、デイヴィッドが途端にメイドを踏みつけた。
「奴隷はいい。主人に忠実で、何をされても歯向かおうとしない」
 膝をついて這い出そうとするメイドの後頭部をぐりぐりと押し付けながら「おい。お前のせいで靴が汚れた、舐めろ」とデイヴィッドが声色を低くして言った。メイドは躊躇もせず、デイヴィッドの濡れた靴に舌を這わせる。うわっ、と思わず声に出してしまいそうになるソレを飲み込みながら、ミシェルは顔を歪めた。
「……っ!」
 一方で先程まで震えながら耐えていたツグナは、靴を舐めるメイドの姿に何かがプッツンと切れる。衝動的に立ち上がろうとするツグナに「すまない。時間がないので、本題に移ってもいいか?」とシアンが口火を切った。落ち着けと言わんばかりにじっと見つめられ、ツグナは下唇を噛みながら少し浮かせた腰を下ろす。
「ああ。長々と申し訳ない。して、今回のご要件は?」
「実はこの本について調査を行っていてな。どこかで見たことはないか?」
 懐から本を取り出し、シアンはデイヴィッドに手渡す。随分高そうですなと、デイヴィッドがそれを受け取り、なんとなく裏表紙を見つめた。
「ノルワーナ周辺の古文書のようでな。見ての通り、言語が難解で解読ができず、内容掌握まで至っていない」
「ほう、なるほど……ヴェトナなら、そういうのも出回っている可能性がある。それでこの街に訪れたと?」
 ぱらりと数ページ捲るデイヴィッドに「そういう事だ」とシアンが短く返した。
「うーむ。残念ながら、私は見たことがありません」
 ヴェトナに来て何度目かになるその返事に「そうか……」とシアンは腕を組む。やはり、この街に来たのはハズレだったのかもなと、考え込むように目を伏せた。
「……なら、ヘルキャットという名は知っているか? 恐らく、その本の著者だと思われるんだが……」
 ヘルキャット、という名にデイヴィッドの表情が微妙に変わった。答えるのに間を開け「この辺りでは聞かない名ですな」と紅茶を口にする。
「元はノルワーナにある姓だ。数年前に北西地域を牛耳っていたヴァルテナ人と同じ姓だが、五年前のノルワーナ壊滅時に見世物として殺された。だが、ここはヴェトナ街。多くの住民の中にその一族が潜んでいてもおかしくないと思ってな。街の隅々にまで根を張っている貴方ならご存知かと……」
 何かに気がついたのか、シアンは質問方向を定め、デイヴィッドの表情を伺いながら、重点的に責め始めた。
 そんな二人の会話を黙って聞いていたツグナは腹立たしさで落ち着かず、上半身を小さく揺らしている。その原因でもあろう人物に目をやると、メイドは壊れたティーカップの欠片を集めていた。ある程度集め終わり、ハンカチに包むと、紅茶を運んできたワゴンの上に置く。その一連を見て、ツグナはますます胸の中にあったモヤが大きくなるのを感じた。
『おい。お前のせいで靴が汚れた、舐めろ』
 先程のメイドの姿が頭に過ぎる。その命令に対してなんの疑問も持たず、痛みにも受容的な姿はまるで、前の自分を見ているかのようだった。 だからこんなに感情が高ぶるのだろうか。
 あの肥えた主人も、それを見て平然としているシアンとミシェルにさえも、怒りが込み上げてくる。なんで目の前であんなことをされているのに平気でいられるのか、理解できなかった。彼女だって、一人の人間なのに。どうして―――
「おい。うるさいぞ」
 呆れたようにこちらを見つめるシアンに、驚いて見上げた。もしかして、今考えていたことが言葉に出ていたのだろうか。思わずツグナが口を手で塞ぐ。
「違う。君の動きだ。さっきからまるで落ち着きがない」
「トイレにでも行きたいんじゃないんですか?」
 呆れるミシェルに、えっ、と語尾の強い言葉が飛び出す。何故そうなったのか疑問に思いながら「違う」と発言したところで「おお、そうでしたか」とデイヴィッドが遮った。
「気づけなくて申し訳ない。クラリス! 彼に案内してやれ」
「はい。デイヴィッド様」
 変わらず虚ろな瞳で返事をすると、メイドがツグナの隣に立ち「ご案内します」と見下ろした。
 別にトイレに行きたいわけじゃないのに。何となくシアンを見つめるが「そうだったのか。なら、早く行け」と軽く手で払われた。
「そうよ。漏らさないでよね」
 ミシェルに追い討ちされ「漏らすか!」とムキになって声を張り上げる。勘違いされているようで何だか悔しい。じろりと大人二人の横顔を睨みつけ、ツグナは抗うことも出来ずにその場から立ちあがった。
「すまないな。落ち着きのないツレが一緒で」
「ははっ。いいじゃありませんか。あの年頃はそれぐらい元気の方が」
 デイヴィッドとシアンの会話を横耳にし、ツグナはメイドと共に部屋を出た。


 二人は無言で廊下を歩き続ける。先程の出来事を見て少々気まずい気持ちになりながらも「あの……」とツグナが口を開いた。はい、なんでしょうと、メイドが振り返る。
「お前、なんであんなやつの言うこと聞いているんだよ……? 嫌じゃないのか?」
「私はご主人様の所有物です。それ以外の理由はありません」
 短く切るように答えると、メイドは先へと歩き出した。所有物だと答える彼女に悲しくなりながらも、ツグナは慌ててその姿を追いながら「……いつからここにいるんだ? さっき人造奴隷って言われてたけど……」とめげずに質問を続けた。
「申し訳ございません。御主人様の命令なしでは、どう話せばいいか……」
 振り返らなくてもメイドが困っていると察し、ツグナは押し黙った。命令されないと自分のすべき事も会話さえも考えられない。奴隷として育てられた人間はこういうものなのかと、胸が苦しくなった。
 二人は屋敷を出ると、丸石で敷き詰められた道を辿り始める。周囲が木々で囲われていて、まるで森の中にいるかのようだった。どうやら、トイレは外にあるらしい。
「さっき……お前の首についているやつ、見た。あれって……」
 無言に耐えきれず、先程から気になっていた首輪の話をする。しかし、前を歩くメイドの足は止まらない。ツグナは俯きながらついて行き、暫く間を開けてから「僕にも、似たようなものが首にある」と言った。呼び止めてもいないのにメイドの足が止まる。
「僕も前、お前と似たようなことをされていた。解放されてからも、しばらくはその生活を引きずっていたけど……今はちゃんと、自分の足で歩けるようになった。お前も、同じ人間なんだからきっと―――」
「違います!」
 叫ぶように張り上げた声に、ツグナの肩が震えた。前を歩いていたメイドは棒立ちになりながら、フラフラとツグナの方を振り返る。
「私はご主人様の奴隷で……ご命令がなければなにも、分からない……私はご主人様に造って頂けた……ご主人様に従わなければ、私は……存在意義がありません」
 言われ続けてきた言葉が継ぎ接ぎになっているかのようだった。ガタガタと震えだし、頭を抑えながら、虚ろな瞳で見下ろされる。見覚えのある光景に「それこそ違う」とツグナが近づいた。
「シアンが言ってた。この世に価値ある特別な人間も、他人から蔑まれる命もないって。人間の価値はみんな同じなんだ! 自分は下の存在だって、人から思わされているだけなんだよ!」
「そんなことありません! いい加減にしてください!」
「いやだ! あんなの見せられて黙っていられるか! お前も本当は分かっているんだろ!! あんな奴の命令なんて聞く必要がないって!」
 声を張り上げながら、メイドの前まで来ると、メイド服の襟からは先程の首輪が見えた。やっぱりこれは、拘束器具か何かなんだとツグナは確信し、手を伸ばす。「あっ、待って」メイドが言いかけたところでツグナが首輪をグッと掴む。

カチッ

 音を立てて簡単に首輪が緩んだ、かと思えば大きな音を立てて両手から全身に強い電流が走った。驚くようにして手を離し、震える手を抑える。ビリビリと疼痛を帯びた指先を見ると、皮膚がぱっくりと裂けて血が出ていた。
「……っ!」
 なんだ今のは。痛がりながらも、首輪を見つめる。どうやらいくつかの金属がネックレスのように輪を通し、連結しているようだ。こんなの初めて見る。
「だ、だめです、これは……特殊な金属の首輪で……無理やり外そうとすると、繋がっていた金属の隙間から漏れ出た電気がその人間を感電させるんです……」
「じゃあ、外さないで逃げたら……」
「……出来ません。これは、飼われている奴隷の証で……外に出れば、奴隷だと差別され、死んでもなぶられ続けます。それに……奴隷は財産と同じで保有権があり、首輪に書かれている持ち主の元へ返すと多額の謝礼金が貰えるので……」
 彼女の返事にそれもそうかと、ツグナは手のひらを見つめた。簡単に外せる首輪なんてあるわけがない。つけていることで簡単に命が奪われるわけではないようだが、謝礼金が貰えるとなればどこに行っても人から狙われ、連れ戻される可能性がある。人間の心理をついた、たちの悪いシステムだ。
 けれど、感電するのが首輪を外そうとする人間に限られているなら、都合が良かった。 
 握ったり閉じたりして指が動くことを確認し「よし、次は行ける」とメイドに向き合う。瞬時に「やめてください! 」とメイドは怒鳴り、ツグナの手を払った。
「今ので分かったでしょう! 外すことなんて出来ません!」
「できるよ。ビリッてなるだけだろ?」
「次は死んでしまうかもしれない! 私のような奴隷のために命をかけるなんて……!」 
 声を張り上げて阻止するメイドに「奴隷じゃない」と落ち着いた声色でツグナが答えた。血のように真っ赤な瞳の中には、驚く彼女が映し出されている。
「だって、お前。ご主人様の命令がないと話せないんだろ? なのに、今は僕のために引き止めようとしてくれている。お前のその言葉は、命令されたのか?」
 ツグナの言葉を聞いたメイドは、あっ、と目を見開いた。口を抑え、初めての感情に戸惑いを見せる。さっきはあれだけ機械的だったのに。やっぱり、生まれながらの奴隷なんていないんだと、ツグナは覚悟を決めた。
「人間ならもっと自由に生きていい! それを縛りつける首輪なんて、僕がとってやる!」
 力むようにして声を張り上げながら、再度メイドの首輪を両手で掴んだ。
「だめ……っ!」

 バリバリバリッ!


 大きな雷音が聞こえ、全身に電気が走る。その姿を目に映してメイドは悲痛に叫んでいるようだが、何も聞こえなかった。髪は逆立ち、手から腕の皮膚に裂けるような熱が侵食していく。痛みに顔を歪めながら、ツグナは更に力を入れた。
 ブチッ、音が聞こえたかと思うと、ツグナは両手を開くようにして、仰向けで倒れた。首の絞めつけから生まれて初めて解放され、メイドは驚きながらその場に崩れ落ちる。とれた、と弱々しい声でツグナが首輪の一部を天に掲げ、目を細めた。
「良かったな……これでお前もっ、自由だ」
 ふうと溜息をつき、ツグナは水膨れの浮き出た白っぽい腕を力なく下ろした。首を抑えていたメイドは、真っ向から流れてくる風に吹かれ、大粒の涙をこぼす。その虚ろな瞳には光が宿っていた。
「申し訳ございません……私のせいで……」
「なんで謝るんだよ……せっかく解放されたのに。言うならありがとう、だろ?」
 呆れながら、ツグナは気だるげに上半身を起こす。指先から手首にかけて白と黄色の混ざった火傷が広がっていた。水脹れで所々が歪に膨れ上がり、ガタガタになった爪は割れ、先程よりも血が流れている。けれど、案外痛みは軽度で、皮膚よりもどちらかと言うと指先が痛む程度のものだった。
(初めてあんなビリビリに触ったけど、こんなも……ん)
 異様な鼓動の速さにぐらりと体が傾く。鳩尾を強く押されているかのような吐き気―――汗が溢れ出し、ガタガタと小刻みに震えた。
「うっ、うえぇ……」
 その場でたまらず吐き出すツグナに「あっ」と声を漏らし、慌ててメイドが背中を撫でようとした。触れようとした指先に電気のような痛みを感じ、反射的に手を引っ込める。
「あ、あの……」
「い、いいんだ。大丈夫だっ、から」
 気持ち悪さが抜けない。見られるのも何だか申し訳なくて「ご、ごめん。ちょっと……」とツグナが茂みへ駆け込んでいった。が、その手前でピタリと足を止める。
「お前っ! 今の、うちにここから逃げ出すなり、好きにしろよ。居場所を聞かれても分からないっていうっ、から」
 その言葉にメイドは酷く混乱し「で、でも……」と言葉を濁した。「じゃあな!」余裕がなくなって遮るように返すと、ツグナはバタバタと茂みの中へ消えていく。
「あっ……」
 メイドはどうすればいいか分からず、その場から一歩も動くことが出来なかった。真っ向から吹いてくる心地いい風に首元がスースーと冷え、首輪がなくなったのだと改めて自覚する。
 自分は絶対に奴隷のまま一生を過ごすのだと思っていた。だから、自由になるだなんて考えたこともない。メイドは首輪が無くなった感覚に浸るかのように自身の首元に手を当てた。
『お前は人間じゃない。私の所有物だ』
 そう言われ続けて二十三年。与えられてきた言葉によって、自分は人以下であることを受け入れてきた。けれど、街に連れ出された時にすれ違う同年代の子供を見て、彼等と自分は一体何が違うのだろうと。本当は自分も同じはずなのではないのかと思っていた。それを言ったら、出来の悪い子だと殴られたけれど。いつしか、自分を産んでくれた人が言っていたのだ。
『奴隷の子にこんな事を言ってはいけないのだけど。貴方はね、自由に……幸せになってもいいのよ? この世に生まれてきて幸福を求めちゃいけないなんてことはないの……貴方は私が産んできた子達の中で一番利口な子……きっと分かってくれるはずだわ』
 こんな世界に産んでしまってごめんねクラリス、そう言ってその人は死んでいった。正直、言葉の意味はよく分からなかったけれど、あの少年に言われて何となく分かったような気がした。
「人間ならもっと自由に生きていい……」
 そうか、あの時の疑問は、間違いじゃなかったのか。首に手を当てて、メイドは僅かに目を細めた。
 今日会ったばかりの、しかも奴隷である自分の為に命を懸けるなんて、おかしな少年だ。だからこそ、余計に戸惑う。親密な仲だったとしても、命を捨てるような行為は誰にでもできるわけじゃない。強い信念と勇気を持っている。まるで―――。
「ふぅ……落ち着いた……」
 汗を拭いながら帰ってきたツグナは、まだ目の前にいる人物にギョッと目を見開いた。「お前、なんでまだいるんだよ」と眉をひそめる。メイドは、はっとして「申し訳ございません……」と肩を落とした。
「その、自由になるだなんて思ってもいなかったので……どうすればいいか……今までご主人様に命令を与えられていたので……」
 ビクビクと体を震わせるメイドに「何言ってんだよ……もうお前を縛りつける首輪はないんだぞ?」とツグナが言った。ごめんなさい、とメイドが謝罪し続ける。
 そういえば、解放されてすぐは自分もこうだったなとツグナは思い出し「大丈夫だ」とメイドを抱きしめた。怯えている時や不安な時はレイにこうして落ち着かせられたことを思い出す。
「いきなり自由になっても不安だよな。お前を見てると、前の自分を思い出す……今はそれでもいいと思う。僕もそうだったから」
 優しい声色でツグナは腕を解き、体を離すようにしてメイドと向き合う。
「でも、一度人生を捨てようとした僕がこうして立ち直れたんなら、お前にだってできるさ。これから外の世界を知って、少しずつ歩いていけばいい。自由に」
 僅かに口角を上げながら、メイドの手を引いて立ち上がった。今のうちに逃げだせなんて、軽率だったかもしれない。初めて自由になって、何も分からないのに外に出るのは不安で当然だ。実験施設から逃げ出した自分も、シアンの支えがなかったら今頃どうなっていたか。ツグナはそこまで考えて「そっか、その手があった」とメイドを見上げる。
「お前も僕と一緒にブラッディ家に来いよ」
「ブラッディ家……貴方と一緒に」
 長いまつ毛についた涙が瞬きで弾ける。ツグナは「ああ」と返事をして、その場から歩き出した。
「さっき部屋にいた金髪頭が一応主人で……性格は悪いけど……根は優しいやつなんだと思う」
「で、でも、許しくてくれますか……」
「それは言ってみないと分からないけど……なんとか説得できるように頑張るよ。お前、クラリス……だっけ? あいつがつけたのか?」
 先程、デイヴィッドが呼んでいた名前を思い出す。もし奴が付けた名なら嫌がるかもしれない。そう思ったが、クラリスと名を呼ばれたことに、メイドは嬉しそうに「いいえ」と返事した。
「私を産んでくれた人がそう言って……それをご主人様が気に入られたみたいです」
「……そっか。いい名前だな」
 そういうことなら気兼ねなく名前を呼べるとツグナが褒める。それに対し、クラリスは「……はい」と目を細めてみせた。
「あの、貴方の名前もお聞きしてよろしいですか?」
 来る前とは違ってどこか積極的な彼女に少し戸惑いながらも「僕は、ツグナ・クライシス。さっき言ってた金髪の奴が付けた」と返した。クラリスはツグナ様、と嬉しそうに繰り返す。その横顔はなんだか、幼い子供のように思えた。
「とりあえず、お前の元主人から逃げ出さないといけないから……一応部屋に戻って……そこからどうにか……」
 考えに没頭するツグナの歩く速さが落ちる。それを見計らって、背後からゆっくりと足音が忍び寄った。ふと、前を歩いていたクラリスは何かに気がつき、青ざめてから「あっ……」と振り返る。そこには先程まで後ろを歩いていた少年の姿はない。
 クラリスは辺りを見回し「ツグナ様!」と声を上げるが、少年の答えが返ってくることはなかった。



「力になれず、申し訳なかった」
「いえ。こちらこそ、急に訪れてしまってすまないな」
 同時刻。室内に残された三人は、丁度話が終わったところだった。何かを隠していると察しながらも、上手く引き出せず、シアンの内心に悔しさが残る。口には自信があったが、奴の方が上だったと、自身の力量を恨んだ。いつも以上に不気味なほど笑顔を浮かべているシアンに、相当悔しかったのだろうとミシェルが悟る。
「それにしても、あの二人遅いですね……」
 怒りのオーラを纏ったシアンに気まずくなったミシェルが呟く。チッ、と舌打ちが横から聞こえ「あのガキ、クソでも詰まったか」と苛立ったシアンが素っ気なく返した。いつにない口の悪さに、子供じゃないんだからと、ミシェルが嘆息する。
「ハッハッハッ。宜しければ、私の知り合いに骨董品を扱う者がいるので、是非そちらを尋ねてみてください。ブラッディ卿」
 行き先を書かれた紙を差し出し、デイヴィッドは勝ち誇ったように笑い声をあげる。ご厚情に感謝致します、とシアンは額に青筋を立てながら、紙を受け取った。どちらも大人気ないと、ミシェルはその光景に呆れる。
「……そうだ。最後に聞きたいことがある」
 急激に声の調子を元に戻し、シアンは真剣な瞳でデイヴィッドと向き合う。私に答えられることならなんでも答えますよと、デイヴィッドは嘲笑った。
「あのメイドは人造奴隷と言ったな……噂では人造奴隷製造工場があると聞いていたが本当か?」
「はあ、そんな噂が……」
 初めて知ったと言わんばかりの表情でデイヴィッドは顎を触る。最後まで答えを聞くこともなく「その管理者はまさか、リチャード・ブレインじゃないか?」とシアンは口にした。その名にデイヴィッドは大きな瞬きを三度重ねる。
「その噂は初めて聞きましたが……リチャード・ブレイン……彼の名はよく知っています。貴方の父と並ぶ、天才科学者ですから。とはいえ、もう何年も前にその名は聞かなくなりました。彼もいい歳ですし、もしかしたらとっくの昔に……」
 先程とは打って変わって真面目に答えるデイヴィッドに「そうか」とシアンは目を伏せた。しばらく何かを考えるように虚空を見つめてから「邪魔したな。そろそろ帰ることにする」と立ち上がる。 
 途端に「失礼します」と息を切らしたクラリスが勢いよく部屋の扉を開け、三人の目線を集めた。
「おお、どうしたクラリスよ。赤目の彼が見当たらないが……」
 身を乗り出すデイヴィッドに「大変です……ツグナ様が……」とクラリスが近づいた。出ていった時とは少し雰囲気が違って見える。「ツグナがどうかしたの?」息を切らすクラリスにミシェルが問いかけた。
「申し訳ございません……ツグナ様が、少し目を離した隙に……」
「まさか、いなくなったのか?」
 身に覚えのある話にシアンが遮る。瞬時に「なんだと!」とデイヴィッドの張り上げる声が聞こえてきた。目を吊り上げ、再びクラリスの頬を叩く。倒れることはなかったが、真っ赤になったその頬を抑え「申し訳ございません」と涙を浮かべた。シアンはその光景を冷徹な瞳で見つめる。
「ブラッディ家の大切なお連れを……貴様! ただで済むと思うなよ!」
 激昂し、怒鳴り散らすデイヴィッドに「まあ、落ち着け。オールストン町長」とシアンが引き止めた。
「あいつはよく勝手に行動して迷子になるんだ。彼女のせいだとは考えにくい」
 至って冷静な態度でシアンが説得すると「そうではないのです。ブラッディ卿」とデイヴィッドがしがみつくように言い放った。
「この街では、子供を狙った人攫いがよくあることなのです。どういう経緯で入ったかは知りませんが、屋敷内にも現れたことがあり……昔、息子が連れ去られそうになったことがありました」
 涙を流し訴えるデイヴィッドに「えっ、じゃあ。ツグナは人攫いにあったかもしれないってこと?」とミシェルが焦り出す。最悪な状況の想定にシアンの顔色が凍りついた。
「ブラッディ卿がこの屋敷に来るのをつけて、彼が一人になる瞬間を狙っていたのかもしれません、あの珍しい赤色の瞳だ……きっと彼らにとっては相当希少で価値があるに違いない……申し訳ございません……全て、私の責任だ……」
 項垂れて嘆くデイヴィッドの姿に「そんな……」とミシェルが呟いた。
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