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第一部 三章
21 決着(挿絵あり)
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旅は一人から二人になった。岩場を抜け、巨大な山羊が歩く谷間を抜け、何日かかけた先にある断崖から見渡してついに、尖屋根の巨大な城を目にした。旅はもう時期終わりを迎える。リーゼロッテは真っ向から来る風に黒髪を靡かせながらそう悟った。
「……なるほど。キッドの言った通り、水が張っている……というよりは湖の中にある感じか」
なんだか悪魔収容施設とよく似た造りだ。城も施設よりは遥かに大きいが、心做しか色や形も模倣されているように思える。城の正面には大きな時計があり、城下町が広がっていた。
「あの様子じゃ、城に入るのはかなり難しそうだな。何か策を練らねえと」
「うん……」
リカルドの言葉に確かにそうだと、じっと見つめる。真正面からは当然入れない。アレクは収容施設の時に壁を登ったと言っていたが、今回は近くに街もあるし、警備も多い為、人の目にも入りやすくその方法は難しいだろう。どのみち、もっと近くにいかないと城の周辺のことは分からない。
「とにかく今は近づくしかない。街で情報を集めればなにか手がかりが掴めるかもしれないし」
月狼の言うように、あそこで自分が死んだのは良かったかもしれない。自分が消えたことになっているなら、街で嗅ぎ回ってもすぐには気づかれないはずだ。
「あっ……えっと、リカルド……さんはお尋ね者になってるんでしたっけ?」
「リカルドでいいって言ったろ? ほら」
懐から取り出された手配書に思わず言葉が詰まる。確か、自分を助けるためにレヴィナンテ王国直属の博士を殺したんだとか。「俺はこんなに凶悪な顔してないけどな」少し不満げにリカルドが手配書を見て呟く。
「そっか。なら、情報集めは私がやる。目立つ容姿だし……リカルドさ……リカルドには城の周囲の視察をお願いしたいんだけど……」
「おう! 任せろ! 一人で、なんか悪いな」
「ううん。その方が効率いいから。リカルドなら、一人で襲われても戦えるって分かってるし」
ここ数日、一緒に狩りなどをして彼の強さは十分理解出来た。アレクは一人だと少し心配なところがあったけれど、この人なら大丈夫だろう。
「あと少しだ。気を引き締めて行こう」
「おうよ!」
やるべき目標を定め、一行は改めて城に向かって歩を進める。途中、ガジェットアームからワイヤーを射出するなどして、厳しい断崖を降り、距離を大幅に短縮した。この道をずっと歩いていけばいずれ城下町に着くだろう。
「この調子なら二、三日で着くかも。アレク、無事だといいけど……」
月狼はああ言っていたが、実際はどうなのか分からない。それに、復活後に寝ていた分の時間もある。もうあれから随分会っていないような感覚だ。早く会いたい。全てが終わったら今度は三人で一緒にいろんな所へ行って冒険したいと密かに願った。
気分が落ちているリーゼロッテに「きっと大丈夫だ」とリカルドが頭を撫でる。そうだ。今から自分が弱気になってどうするんだと、リーゼロッテは顔を上げて「そうだね」と表情に明かりを灯した。その瞬間に、目の前からやってくる馬車が二人を横切る。目を見開き、思わずその場で足を止めた。
「アレクの飯は美味いらしいからな……一度食べて……」
いつの間にか隣から消えていた人物にリカルドは不思議に思い、振り返った。そこに、赤ずきんの少女の姿はどこにもない。
「……ん? 嬢ちゃん? どこだ?」
取り残されたリカルドは困惑したように周囲を見回した。
◆
「ふう。すっかり長居しちまった」
馬車を操る人物はたんまりと稼いだ資金を手に、自分の店があるルトレア街へと戻っていた。ジェラルドが死んだ今ではあの街に居座る理由はない。一度帰宅し、準備を終え次第、今回の報酬で手に入れた王都の市民権と資金で城下町に店を開くつもりだ。自分の人生は順調と言っていいと―――その、はずだった。
一瞬の空気の揺らぎの直後、右耳から強烈な爆破音が聞こえた。かと思えば風圧と振動で吹き飛ばされ、馬車から投げ出される。馬車は横に倒れ、投げ出された体は地面に激しく叩きつけられた。体を擦って、肩を抱くように小さく呻く。そして地面に顔を伏せたまま奴の姿を目にした。煙の中で赤頭巾を靡かせ、こちらを冷たく見下ろす黒髪の少女の姿を。
「良かった。アレクを連れ出す前に貴方に会えて」
その手には弓があり、火薬筒の矢が装填されている。間違いなく、馬車の車輪に撃ち込んで爆破させたのだろう。
「会えて嬉しいよ。グレッグおじさん」
その姿に目を見開いた。自分は幻でも見ているのだろうか。何故肉塊になって死んだはずのあいつがここにいるのだ、と。
「何故……リーゼが……あの時確かに死んだはずじゃ……!」
「この世に未練があったもので。地獄の淵から戻ってきました。貴方を殺す為に」
光のない瞳孔を開かせる奴は、かつてないほどの怒りの形相をしていた。目の前にいるのが十代の少女にも関わらず、足元から凍えに近い戦慄が走る。グレッグは震えた口を開閉し、上半身を起こしながら「んなわけあるかよ……!」と担いでいたクロスボウを放った。自分に向かってくる数本の矢にリーゼロッテは素早く剣鉈を取り、弾いた。背後の地面に弾き飛ばした矢が刺さる。
「なっ……!」
少し距離があるとはいえ、不意打ちのつもりで放った矢を弾き飛ばすリーゼロッテにグレッグは声を失った。一歩踏み出し「立てよ」とリーゼロッテが見下ろす。
「決着をつけよう」
「……っ」
何故この女はこうも自分の前に立ちはだかるのだろう。何故邪魔ばかりするのか。目元に皺を作り、ピキピキとこめかみに青筋を立たせる。ゆっくりと立ち上がり「そうだな」と呟いた。
「どうやら、お前みたいな奴は俺の手で確実に殺さないと止まってくれねえみたいだ。今度こそ、息の根を止めてやる」
今までは自分で手を下すことはなかった。だが、そうでもしないと目の前のやつは何度も自分を殺しにくるだろう。こうしてこのガキのために頭を使うことも、そろそろ疲れてきた頃だ。二人は睨み合い、武器を構える。
先に動いたのはリーゼロッテだった。弓を構え、迷いもなく矢を放つ。これぐらいとグレッグが避けるが、避けた先を読まれていたのか、連続で放たれた矢が自身の足元に突き刺さり爆破する。一本目が爆破していないことを見るに、二本目が本命だろう。
砂煙が立ち上がり、視界が封じられる。周囲を見回すと、背後から風を感じ、グレッグは振り返った。その手にはクロスボウがしっかりと握られており、赤ずきんが見えた瞬間に矢を放つ。
「……っく」
勿論そう来るだろうとは予測してリーゼロッテは避けたが、直後グレッグに腹部を蹴り付けられ、後ろに飛ばされる。転がりながら体勢を整え、足を着いて踏ん張った。
得意な弓を使わせる前にと距離を詰め、グレッグが殴りつけるが、素早くガジェットアームのつけた左腕で受け止める。後退し、仰向けに反るようにしてグレッグの顎に蹴りを入れた。
「ぐっ……」
顎に連動して脳が揺れる。視界がぐにゃりと歪んだが、グレッグはリーゼロッテのいる方に向かってしっかりとクロスボウを構えた。この近距離なら刺さる。まずい、とそれを見て、リーゼロッテはガジェットアームからワイヤーを射出し、避けた。矢を避けられグレッグから舌打ちが飛ぶ。
「くそ……っ! ジェラルドと同じ道具を使いやがって……!」
離れたことで着地し、ワイヤーを引き戻した。これがなかったら矢が体を貫通していたかもしれない。力においても手足の長さにおいてもまだ敵わない部分はあるが、これまでの敵と比べたらどうってことなかった。打撃も何発か食らっているが、全然耐えられる。これじゃあ万全じゃないエドガーの方がよっぽど苦労しただろう。
剣鉈を取り出して切りかかるグレッグをリーゼロッテは弓で受け止めた。こいつは大方、優秀な道具に助けられているだけで実力は大したことがない。私の方が上だ。気持ちでもこの勝負にも勝つ。勝ってみせる。押し出すように弾き出し、その顔に向かって拳を振りかざした―――が。
「うっ……!?」
グレッグの開いた手から出てきた粒子に目をやられる。砂で目眩し―――それを悟ったと同時によろけ、腕にナイフが突き刺さった。ガジェットアームのついた左腕がだらんと垂れる。
「ぐっ……う?」
体が重くなり、震えた手でナイフを抜く。立ち眩みのような目眩がし、たまらず血を吐き出した。鼻からもつぅ、と同じように赤色のものが垂れてくる。嘔吐感が止まらず、フラフラと足がよろついた。
「はっ! 馬鹿め! 熊も卒倒する毒蛇の猛毒を塗ったナイフだよ! 激痛に体を蝕まれ、やがては死に至る。これで終わりだ! リーゼ! さっさとジェラルドの元に向かうんだな!」
そう言ってグレッグがリーゼロッテの腹部を蹴りつけた。背中を打つように勢いよく倒れる。地面についた体の部分に激痛が走り、視界が歪んだ。
「ぅあああああ!」
声を上げ、悶え苦しむ。今にも意識が飛びそうだった。目からも涙のように血が溢れ、眼球の毛細血管が切れたのか、白目の部分が真っ赤に変色する。こいつは本当に―――どこまでも卑怯なやつだ。
「はあっ……じゃあな」
苦しむ様子にどこか安心し、グレッグは背を向けた。だが、足元になにかが絡みついて動きを止める。
「や、だ……私……あきらめ、ない……わた、し……」
「……っ! しつけえって言ってるだろ! 早くくたばれよ!」
自身の足にしがみつくリーゼロッテを激しく踏みつけた。息を切らし、手が離れると、早足で離れていこうとする。が、背後で聞こえた土の掠れる音に青ざめて振り返った。
「なんなんだよ……なんで、立ち上がるんだよ……!」
立ち上がった姿は片側に重心を置き、血に濡れているところがまるでアンデッドのようだった。直後、右腕で支えて向けられたガジェットアームからワイヤーが射出され、グレッグの腹に突き刺さる。これで、遠くにはいけない。
「があ……っ! こ、の野郎……!」
ワイヤーによってリーゼロッテはグレッグの元に勢いよく引き寄せられる。剣鉈を握りしめ、肩より上に上げると、そのまま通り過ぎざまにグレッグの横腹を切りつけた。
「がは……っ!」
背中にしたグレッグは血を噴き出し、その場に膝を着くと、腹部を抑えて倒れた。荒い呼吸音がまだ聞こえる。フラフラしながらリーゼロッテはグレッグの元に向かうと、体を仰向かせ、馬乗りの状態で顔を殴り付けた。何度も何度も殴りつけ、意識が朦朧としているグレッグの喉に剣鉈を突き刺そうと振りあげる。キラリと光ったその切っ先にグレッグはとある記憶が過ぎった。
『おい、大丈夫か?』
心配そうに見下ろしてくる顔。なぜ今こんなことを思い出してしまうのだろう。
俺は周りの奴らよりも利口だった。騒ぎ立て、泣いて自分の欲求を通そうとする同年代とは違って、ちゃんと母親の言うことを聞いたし、周囲の親からも羨ましがられるほどだった。自慢の子だと母からは言われ、誰よりも幸福だとそう思っていた、のに。母は別の男と作った子供を選び、俺を捨てた。その時に幼くして悟ったのだ。人はいつか裏切ると。
愛しているなんて言ってその本心は誰にも分からない。この世に絶対的な絆も愛もない。当時は理解出来ずにただ自分が悪いのだと恨んだ。そこから世界を見る目が変わった。子供の頃から親の狩りを手伝う哀れな貧乏兄弟でさえ、羨ましく思った。そんな惨めな自分がただただ腹立たしかった。
何故人より利口な自分がこんな目に遭わないといけない? 何故あんな馬鹿どもが自分より幸せそうに笑っているのだ? 貧しさに心はすり減り、怒りや憎しみは歳を重ねるごとに増大した。そして、復讐心と共に誓ったのだ―――奪われるぐらいなら奪って、全てを手に入れると。
自分の人生設計を緻密に立てた。目的のためなら手段は選ばない。まずは金を得るためにギルドハンターに入り、一番力の持っている人間に近づいた。幼い頃から働かされて、哀れに思っていたヴェナトル兄弟だ。あの固い兄弟の絆がずっと鼻についていた。けれど、自分の計画で奴らは直ぐに仲違いした。ほら見ろ、この世に絶対はないのだと鼻で笑ってやった。
ジェラルドは俺が見込んだ男だ。実力もあり、なにより周りを動かせるほどのカリスマ性がある。駒にはうってつけだった。体格、知性、人望。全てを持つあいつは神に恵まれすぎた。だが、今のままでは全てを発揮することが出来ない。だから俺があいつを完璧な王に仕立ててやった。あいつの信頼を得、手足のように動かし、仕上げにと大切な妻子を奪ってついに、あいつは哀れで孤独な男になった。俺の理想の駒が完成した。
悪魔狩りという概念を生み出し、全面的に協力することで国へのパイプも出来た。ギルドハンターは以前より大きな組織へと変わり、何もかも順調だった―――そう、あのクソガキが現れるまでは。
俺が長年かけて育てた駒を、あいつはあっさりと奪った。俺はまた奪われたのだ。怒りによる執念で俺はどこまでもジェラルドに付きまとった。そのためにギルドハンターもやめてやった。ジェラルドは俺と同じでなければ駄目なんだ。お前から全てを奪って、また一から築き上げる。地位と権力を得て、そうして中心街に自分の店を持てばいつか―――貴族の母に会えるかもしれない。今度こそ愛されるかもしれない。それが、俺の夢だった。
振り下げた剣鉈の切っ先がグレッグの喉前で止まる。ぽたぽたと涙と混じった血が滴る感覚に、グレッグは目を見開いた。
「はあ……はあっ……なんで……止めるの、父さん……!」
誰に言ってるかも分からない独り言だ。リーゼロッテの脳内にジェラルドの教えが響く。『これは獣を狩る道具であって人を殺すための武器じゃない。人殺しになんて絶対になるな』と。
「こいつは……! 父さんとクリフを殺したんだ……!! なのに、なんで……!」
毒で幻覚を見ているのだろうか。震えながらも睨みつけ、そこから一歩先に進めないリーゼロッテの背後に見覚えのある男が立っている。
『おい、大丈夫か?』
それは、心配そうに見下ろしてくるあの幼き顔と一致した。誰からも見て貰えず、気にも止められず、一人だった自分に唯一手を差し伸べてくれたあの少年―――そうか。あの時からずっと俺は、あんたの友達になりたかったんだ。
「ジェ、ラルド……!」
涙を流すグレッグの言葉にリーゼロッテは意識を寄り戻した。力なく、剣鉈を地面に置く。自分には分からなかった。あの言葉が今になって思い出される理由も、グレッグが涙を流す理由も。結局自分は、涙の一つで育ての親の敵も討てない、臆病者だ。分かったよ、そう呟きふらつきながら剣鉈を鞘に収め、立ち上がる。
「……なんだ……はぁっ……トドメを刺さなくていいのか? リーゼ……俺を殺すんだろ……?」
背を向け、少し離れたところに歩くリーゼロッテを引き止めるようにグレッグが呟いた。ピタリと足を止める。
「……その出血量なら、どうせお前はいずれ死ぬ。私が手を下すまでもない」
「ははっ……怖気づきやがって……」
「なんとでも言えばいい。これが、父さんの意思だ」
振り向くことなく真っ直ぐと先を見据えて、体を引きずるように進む。霞みがかった視界を僅かに見開かせてから「そうかよ」とグレッグが腕で目を覆った。
「はあ……っ、はあっ……」
視界が歪む。吐き気が収まらない。フラフラとよたつきながらリーゼロッテが歩いていた矢先「嬢ちゃん!」とリカルドの声が聞こえてきた。倒れかかるリーゼロッテの体を受け止め「おい! しっかりしろ!」と揺さぶられる。これは、もうダメかもしれない。毒で死ぬのがこんなに辛いなら、これで最後にしたいものだ。
「大丈夫だよ……すぐに、戻ってくるから……」
切迫した様子で投げかけるリカルドを最後に、リーゼロッテは目を閉じた。
◆
「はあ……っ、はあ……」
その場に残されたグレッグは浅く呼吸を繰り返した。うつ伏せになり、地面を這って引きずるように前に進む。こんなところで終わらない。終わらせたくない。やっと、自分の本当の気持ちに気づけたのに。
「おや。随分重症だね」
穏やかな風が突き抜け、傷口の痛みを更に激しくした。蹲っていると、何かの気配に気づき、顔を上げる。そこには、城で別れたはずの月狼の姿があった。
「ジーク……はぁ……丁度良かった……! リーゼのやつがまだ、生きてやがったんだ……! もう時期死ぬとは思うがな……! とにかく今は俺を、街に連れて行ってくれ……! 少し、血を出しすぎた……」
「ふうん、なんで?」
平坦な語調で月狼が答えた。なんでって、とオウム返しをし、わなわなと震える。
「みりゃあ分かるだろ! 死にかけてんだよこっちは! 早く助けろぉ! 俺はまだ……こんなところで死ねねぇんだ……! ジェラルドに会って……俺は……」
「はあ……君は本当に傲慢だね」
罪深いやつだと、月狼が爪を指でカリカリとかいた。ぴっ、と親指を弾き「やだよ、面倒だし」と笑ってみせる。
「……ねえ、グレッグ。僕、前に言ったよね。人間の男は不味くて食えたものじゃない。食べるなら女がいいって」
唐突な話題にグレッグは違和感があった。「ああ、確かにそう言った」地面に顔をつけたまま、月狼を見上げる。
「あれさ、嘘なんだ」
にっこりと微笑んで放たれた言葉に、息を飲んだ。嫌な予感に背筋が寒くなる。
「復讐を果たし、悪魔は先に進む。君はもう、役者として用済みだ」
「ま、待ってくれ」
「君と過ごせて楽しかったよ。じゃあね」
言葉の終わりに月狼の影は変形し、巨大な狼の姿に変える。迫り来る牙の生えた大口に、グレッグの声は飲み込まれていった。
「……なるほど。キッドの言った通り、水が張っている……というよりは湖の中にある感じか」
なんだか悪魔収容施設とよく似た造りだ。城も施設よりは遥かに大きいが、心做しか色や形も模倣されているように思える。城の正面には大きな時計があり、城下町が広がっていた。
「あの様子じゃ、城に入るのはかなり難しそうだな。何か策を練らねえと」
「うん……」
リカルドの言葉に確かにそうだと、じっと見つめる。真正面からは当然入れない。アレクは収容施設の時に壁を登ったと言っていたが、今回は近くに街もあるし、警備も多い為、人の目にも入りやすくその方法は難しいだろう。どのみち、もっと近くにいかないと城の周辺のことは分からない。
「とにかく今は近づくしかない。街で情報を集めればなにか手がかりが掴めるかもしれないし」
月狼の言うように、あそこで自分が死んだのは良かったかもしれない。自分が消えたことになっているなら、街で嗅ぎ回ってもすぐには気づかれないはずだ。
「あっ……えっと、リカルド……さんはお尋ね者になってるんでしたっけ?」
「リカルドでいいって言ったろ? ほら」
懐から取り出された手配書に思わず言葉が詰まる。確か、自分を助けるためにレヴィナンテ王国直属の博士を殺したんだとか。「俺はこんなに凶悪な顔してないけどな」少し不満げにリカルドが手配書を見て呟く。
「そっか。なら、情報集めは私がやる。目立つ容姿だし……リカルドさ……リカルドには城の周囲の視察をお願いしたいんだけど……」
「おう! 任せろ! 一人で、なんか悪いな」
「ううん。その方が効率いいから。リカルドなら、一人で襲われても戦えるって分かってるし」
ここ数日、一緒に狩りなどをして彼の強さは十分理解出来た。アレクは一人だと少し心配なところがあったけれど、この人なら大丈夫だろう。
「あと少しだ。気を引き締めて行こう」
「おうよ!」
やるべき目標を定め、一行は改めて城に向かって歩を進める。途中、ガジェットアームからワイヤーを射出するなどして、厳しい断崖を降り、距離を大幅に短縮した。この道をずっと歩いていけばいずれ城下町に着くだろう。
「この調子なら二、三日で着くかも。アレク、無事だといいけど……」
月狼はああ言っていたが、実際はどうなのか分からない。それに、復活後に寝ていた分の時間もある。もうあれから随分会っていないような感覚だ。早く会いたい。全てが終わったら今度は三人で一緒にいろんな所へ行って冒険したいと密かに願った。
気分が落ちているリーゼロッテに「きっと大丈夫だ」とリカルドが頭を撫でる。そうだ。今から自分が弱気になってどうするんだと、リーゼロッテは顔を上げて「そうだね」と表情に明かりを灯した。その瞬間に、目の前からやってくる馬車が二人を横切る。目を見開き、思わずその場で足を止めた。
「アレクの飯は美味いらしいからな……一度食べて……」
いつの間にか隣から消えていた人物にリカルドは不思議に思い、振り返った。そこに、赤ずきんの少女の姿はどこにもない。
「……ん? 嬢ちゃん? どこだ?」
取り残されたリカルドは困惑したように周囲を見回した。
◆
「ふう。すっかり長居しちまった」
馬車を操る人物はたんまりと稼いだ資金を手に、自分の店があるルトレア街へと戻っていた。ジェラルドが死んだ今ではあの街に居座る理由はない。一度帰宅し、準備を終え次第、今回の報酬で手に入れた王都の市民権と資金で城下町に店を開くつもりだ。自分の人生は順調と言っていいと―――その、はずだった。
一瞬の空気の揺らぎの直後、右耳から強烈な爆破音が聞こえた。かと思えば風圧と振動で吹き飛ばされ、馬車から投げ出される。馬車は横に倒れ、投げ出された体は地面に激しく叩きつけられた。体を擦って、肩を抱くように小さく呻く。そして地面に顔を伏せたまま奴の姿を目にした。煙の中で赤頭巾を靡かせ、こちらを冷たく見下ろす黒髪の少女の姿を。
「良かった。アレクを連れ出す前に貴方に会えて」
その手には弓があり、火薬筒の矢が装填されている。間違いなく、馬車の車輪に撃ち込んで爆破させたのだろう。
「会えて嬉しいよ。グレッグおじさん」
その姿に目を見開いた。自分は幻でも見ているのだろうか。何故肉塊になって死んだはずのあいつがここにいるのだ、と。
「何故……リーゼが……あの時確かに死んだはずじゃ……!」
「この世に未練があったもので。地獄の淵から戻ってきました。貴方を殺す為に」
光のない瞳孔を開かせる奴は、かつてないほどの怒りの形相をしていた。目の前にいるのが十代の少女にも関わらず、足元から凍えに近い戦慄が走る。グレッグは震えた口を開閉し、上半身を起こしながら「んなわけあるかよ……!」と担いでいたクロスボウを放った。自分に向かってくる数本の矢にリーゼロッテは素早く剣鉈を取り、弾いた。背後の地面に弾き飛ばした矢が刺さる。
「なっ……!」
少し距離があるとはいえ、不意打ちのつもりで放った矢を弾き飛ばすリーゼロッテにグレッグは声を失った。一歩踏み出し「立てよ」とリーゼロッテが見下ろす。
「決着をつけよう」
「……っ」
何故この女はこうも自分の前に立ちはだかるのだろう。何故邪魔ばかりするのか。目元に皺を作り、ピキピキとこめかみに青筋を立たせる。ゆっくりと立ち上がり「そうだな」と呟いた。
「どうやら、お前みたいな奴は俺の手で確実に殺さないと止まってくれねえみたいだ。今度こそ、息の根を止めてやる」
今までは自分で手を下すことはなかった。だが、そうでもしないと目の前のやつは何度も自分を殺しにくるだろう。こうしてこのガキのために頭を使うことも、そろそろ疲れてきた頃だ。二人は睨み合い、武器を構える。
先に動いたのはリーゼロッテだった。弓を構え、迷いもなく矢を放つ。これぐらいとグレッグが避けるが、避けた先を読まれていたのか、連続で放たれた矢が自身の足元に突き刺さり爆破する。一本目が爆破していないことを見るに、二本目が本命だろう。
砂煙が立ち上がり、視界が封じられる。周囲を見回すと、背後から風を感じ、グレッグは振り返った。その手にはクロスボウがしっかりと握られており、赤ずきんが見えた瞬間に矢を放つ。
「……っく」
勿論そう来るだろうとは予測してリーゼロッテは避けたが、直後グレッグに腹部を蹴り付けられ、後ろに飛ばされる。転がりながら体勢を整え、足を着いて踏ん張った。
得意な弓を使わせる前にと距離を詰め、グレッグが殴りつけるが、素早くガジェットアームのつけた左腕で受け止める。後退し、仰向けに反るようにしてグレッグの顎に蹴りを入れた。
「ぐっ……」
顎に連動して脳が揺れる。視界がぐにゃりと歪んだが、グレッグはリーゼロッテのいる方に向かってしっかりとクロスボウを構えた。この近距離なら刺さる。まずい、とそれを見て、リーゼロッテはガジェットアームからワイヤーを射出し、避けた。矢を避けられグレッグから舌打ちが飛ぶ。
「くそ……っ! ジェラルドと同じ道具を使いやがって……!」
離れたことで着地し、ワイヤーを引き戻した。これがなかったら矢が体を貫通していたかもしれない。力においても手足の長さにおいてもまだ敵わない部分はあるが、これまでの敵と比べたらどうってことなかった。打撃も何発か食らっているが、全然耐えられる。これじゃあ万全じゃないエドガーの方がよっぽど苦労しただろう。
剣鉈を取り出して切りかかるグレッグをリーゼロッテは弓で受け止めた。こいつは大方、優秀な道具に助けられているだけで実力は大したことがない。私の方が上だ。気持ちでもこの勝負にも勝つ。勝ってみせる。押し出すように弾き出し、その顔に向かって拳を振りかざした―――が。
「うっ……!?」
グレッグの開いた手から出てきた粒子に目をやられる。砂で目眩し―――それを悟ったと同時によろけ、腕にナイフが突き刺さった。ガジェットアームのついた左腕がだらんと垂れる。
「ぐっ……う?」
体が重くなり、震えた手でナイフを抜く。立ち眩みのような目眩がし、たまらず血を吐き出した。鼻からもつぅ、と同じように赤色のものが垂れてくる。嘔吐感が止まらず、フラフラと足がよろついた。
「はっ! 馬鹿め! 熊も卒倒する毒蛇の猛毒を塗ったナイフだよ! 激痛に体を蝕まれ、やがては死に至る。これで終わりだ! リーゼ! さっさとジェラルドの元に向かうんだな!」
そう言ってグレッグがリーゼロッテの腹部を蹴りつけた。背中を打つように勢いよく倒れる。地面についた体の部分に激痛が走り、視界が歪んだ。
「ぅあああああ!」
声を上げ、悶え苦しむ。今にも意識が飛びそうだった。目からも涙のように血が溢れ、眼球の毛細血管が切れたのか、白目の部分が真っ赤に変色する。こいつは本当に―――どこまでも卑怯なやつだ。
「はあっ……じゃあな」
苦しむ様子にどこか安心し、グレッグは背を向けた。だが、足元になにかが絡みついて動きを止める。
「や、だ……私……あきらめ、ない……わた、し……」
「……っ! しつけえって言ってるだろ! 早くくたばれよ!」
自身の足にしがみつくリーゼロッテを激しく踏みつけた。息を切らし、手が離れると、早足で離れていこうとする。が、背後で聞こえた土の掠れる音に青ざめて振り返った。
「なんなんだよ……なんで、立ち上がるんだよ……!」
立ち上がった姿は片側に重心を置き、血に濡れているところがまるでアンデッドのようだった。直後、右腕で支えて向けられたガジェットアームからワイヤーが射出され、グレッグの腹に突き刺さる。これで、遠くにはいけない。
「があ……っ! こ、の野郎……!」
ワイヤーによってリーゼロッテはグレッグの元に勢いよく引き寄せられる。剣鉈を握りしめ、肩より上に上げると、そのまま通り過ぎざまにグレッグの横腹を切りつけた。
「がは……っ!」
背中にしたグレッグは血を噴き出し、その場に膝を着くと、腹部を抑えて倒れた。荒い呼吸音がまだ聞こえる。フラフラしながらリーゼロッテはグレッグの元に向かうと、体を仰向かせ、馬乗りの状態で顔を殴り付けた。何度も何度も殴りつけ、意識が朦朧としているグレッグの喉に剣鉈を突き刺そうと振りあげる。キラリと光ったその切っ先にグレッグはとある記憶が過ぎった。
『おい、大丈夫か?』
心配そうに見下ろしてくる顔。なぜ今こんなことを思い出してしまうのだろう。
俺は周りの奴らよりも利口だった。騒ぎ立て、泣いて自分の欲求を通そうとする同年代とは違って、ちゃんと母親の言うことを聞いたし、周囲の親からも羨ましがられるほどだった。自慢の子だと母からは言われ、誰よりも幸福だとそう思っていた、のに。母は別の男と作った子供を選び、俺を捨てた。その時に幼くして悟ったのだ。人はいつか裏切ると。
愛しているなんて言ってその本心は誰にも分からない。この世に絶対的な絆も愛もない。当時は理解出来ずにただ自分が悪いのだと恨んだ。そこから世界を見る目が変わった。子供の頃から親の狩りを手伝う哀れな貧乏兄弟でさえ、羨ましく思った。そんな惨めな自分がただただ腹立たしかった。
何故人より利口な自分がこんな目に遭わないといけない? 何故あんな馬鹿どもが自分より幸せそうに笑っているのだ? 貧しさに心はすり減り、怒りや憎しみは歳を重ねるごとに増大した。そして、復讐心と共に誓ったのだ―――奪われるぐらいなら奪って、全てを手に入れると。
自分の人生設計を緻密に立てた。目的のためなら手段は選ばない。まずは金を得るためにギルドハンターに入り、一番力の持っている人間に近づいた。幼い頃から働かされて、哀れに思っていたヴェナトル兄弟だ。あの固い兄弟の絆がずっと鼻についていた。けれど、自分の計画で奴らは直ぐに仲違いした。ほら見ろ、この世に絶対はないのだと鼻で笑ってやった。
ジェラルドは俺が見込んだ男だ。実力もあり、なにより周りを動かせるほどのカリスマ性がある。駒にはうってつけだった。体格、知性、人望。全てを持つあいつは神に恵まれすぎた。だが、今のままでは全てを発揮することが出来ない。だから俺があいつを完璧な王に仕立ててやった。あいつの信頼を得、手足のように動かし、仕上げにと大切な妻子を奪ってついに、あいつは哀れで孤独な男になった。俺の理想の駒が完成した。
悪魔狩りという概念を生み出し、全面的に協力することで国へのパイプも出来た。ギルドハンターは以前より大きな組織へと変わり、何もかも順調だった―――そう、あのクソガキが現れるまでは。
俺が長年かけて育てた駒を、あいつはあっさりと奪った。俺はまた奪われたのだ。怒りによる執念で俺はどこまでもジェラルドに付きまとった。そのためにギルドハンターもやめてやった。ジェラルドは俺と同じでなければ駄目なんだ。お前から全てを奪って、また一から築き上げる。地位と権力を得て、そうして中心街に自分の店を持てばいつか―――貴族の母に会えるかもしれない。今度こそ愛されるかもしれない。それが、俺の夢だった。
振り下げた剣鉈の切っ先がグレッグの喉前で止まる。ぽたぽたと涙と混じった血が滴る感覚に、グレッグは目を見開いた。
「はあ……はあっ……なんで……止めるの、父さん……!」
誰に言ってるかも分からない独り言だ。リーゼロッテの脳内にジェラルドの教えが響く。『これは獣を狩る道具であって人を殺すための武器じゃない。人殺しになんて絶対になるな』と。
「こいつは……! 父さんとクリフを殺したんだ……!! なのに、なんで……!」
毒で幻覚を見ているのだろうか。震えながらも睨みつけ、そこから一歩先に進めないリーゼロッテの背後に見覚えのある男が立っている。
『おい、大丈夫か?』
それは、心配そうに見下ろしてくるあの幼き顔と一致した。誰からも見て貰えず、気にも止められず、一人だった自分に唯一手を差し伸べてくれたあの少年―――そうか。あの時からずっと俺は、あんたの友達になりたかったんだ。
「ジェ、ラルド……!」
涙を流すグレッグの言葉にリーゼロッテは意識を寄り戻した。力なく、剣鉈を地面に置く。自分には分からなかった。あの言葉が今になって思い出される理由も、グレッグが涙を流す理由も。結局自分は、涙の一つで育ての親の敵も討てない、臆病者だ。分かったよ、そう呟きふらつきながら剣鉈を鞘に収め、立ち上がる。
「……なんだ……はぁっ……トドメを刺さなくていいのか? リーゼ……俺を殺すんだろ……?」
背を向け、少し離れたところに歩くリーゼロッテを引き止めるようにグレッグが呟いた。ピタリと足を止める。
「……その出血量なら、どうせお前はいずれ死ぬ。私が手を下すまでもない」
「ははっ……怖気づきやがって……」
「なんとでも言えばいい。これが、父さんの意思だ」
振り向くことなく真っ直ぐと先を見据えて、体を引きずるように進む。霞みがかった視界を僅かに見開かせてから「そうかよ」とグレッグが腕で目を覆った。
「はあ……っ、はあっ……」
視界が歪む。吐き気が収まらない。フラフラとよたつきながらリーゼロッテが歩いていた矢先「嬢ちゃん!」とリカルドの声が聞こえてきた。倒れかかるリーゼロッテの体を受け止め「おい! しっかりしろ!」と揺さぶられる。これは、もうダメかもしれない。毒で死ぬのがこんなに辛いなら、これで最後にしたいものだ。
「大丈夫だよ……すぐに、戻ってくるから……」
切迫した様子で投げかけるリカルドを最後に、リーゼロッテは目を閉じた。
◆
「はあ……っ、はあ……」
その場に残されたグレッグは浅く呼吸を繰り返した。うつ伏せになり、地面を這って引きずるように前に進む。こんなところで終わらない。終わらせたくない。やっと、自分の本当の気持ちに気づけたのに。
「おや。随分重症だね」
穏やかな風が突き抜け、傷口の痛みを更に激しくした。蹲っていると、何かの気配に気づき、顔を上げる。そこには、城で別れたはずの月狼の姿があった。
「ジーク……はぁ……丁度良かった……! リーゼのやつがまだ、生きてやがったんだ……! もう時期死ぬとは思うがな……! とにかく今は俺を、街に連れて行ってくれ……! 少し、血を出しすぎた……」
「ふうん、なんで?」
平坦な語調で月狼が答えた。なんでって、とオウム返しをし、わなわなと震える。
「みりゃあ分かるだろ! 死にかけてんだよこっちは! 早く助けろぉ! 俺はまだ……こんなところで死ねねぇんだ……! ジェラルドに会って……俺は……」
「はあ……君は本当に傲慢だね」
罪深いやつだと、月狼が爪を指でカリカリとかいた。ぴっ、と親指を弾き「やだよ、面倒だし」と笑ってみせる。
「……ねえ、グレッグ。僕、前に言ったよね。人間の男は不味くて食えたものじゃない。食べるなら女がいいって」
唐突な話題にグレッグは違和感があった。「ああ、確かにそう言った」地面に顔をつけたまま、月狼を見上げる。
「あれさ、嘘なんだ」
にっこりと微笑んで放たれた言葉に、息を飲んだ。嫌な予感に背筋が寒くなる。
「復讐を果たし、悪魔は先に進む。君はもう、役者として用済みだ」
「ま、待ってくれ」
「君と過ごせて楽しかったよ。じゃあね」
言葉の終わりに月狼の影は変形し、巨大な狼の姿に変える。迫り来る牙の生えた大口に、グレッグの声は飲み込まれていった。
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