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第一部 三章
【番外編1-3】赤ずきんと月狼
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生きていくのに必要なものとはなんだろう。
酸素、水、食料。人であれば文化や金、コミュニケーション―――愛とか。
植物のようにただ生きていくだけなら、それほど難しいことじゃない。けれど、感情を、幸不幸を認知できる知能を得てしまうと「ただ生きていく」の難易度が途端に跳ね上がってしまう。知能を得てしまった者達の代償―――欲が罪深いとはよく言ったものだ。
◆
微睡みに身を委ねたくなるような、心地のいい午後の晴天。ルトレア街の郊外にある森の中を、黒髪の少女が一人歩いていた。赤頭巾を揺らすその手には何やら手編みかごがぶら下げてある。
「やあ、赤ずきんのお嬢さん」
背後から声をかけられるまま、少女が振り向く。純粋無垢で恐怖を知らない無知の灰目。「こんな森の中で何を?」木の影から現れた月狼、ジークフリートは金目を優しく細めた。
「えっと、ね。パパがね、もうすぐ誕生日だから、木の実拾っているの!」
警戒心の欠片もなく、手編みかごを見せて少女はにっこりと笑った。そうしてからはっとなにかに気づき「あっ!」と慌てふためく。
「でも、パパに言っちゃだめだよ! 内緒だから、絶対だよ!」
説得しようと語気を強める様子に「へえ」と返しながらジークフリートがゆっくりと歩み寄った。
「素敵なサプライズだね。パパもきっと喜んでくれるよ……そうだ。この先にある花畑で作った花束もあげるといい。その木の実の詰め合わせだけでも十分素敵だけど」
その発想はなかったのか「お花!」と少女は大きな灰目をキラキラと輝かせた。
「お花も渡す! お花畑、行きたい!」
キャッキャッと踵を上げ下げする様子に「こっちだよ」とジークフリートは少女の手を引いた。引かれるがまま、少女は楽しそうに軽い足取りで鼻歌を口ずさむ。
「パパのことが好きなんだ」
「うん! 大好き! かっこよくて、すっごく強いんだよ! おっきな怖い動物もあっという間に倒しちゃうの! 」
「へえ、それは凄いや」
「でしょでしょ~」
大好きな父の話を皮切りに、少女は聞いてもいないことを次々と話し出した。父親と二人暮しなこと、父は元々ギルドハンターの人間だったこと。料理が下手なこと。少女の名前が「リーゼロッテ」だということ。
「ついたよ。あの先」
話しているうちに、二人は目的地までたどり着いた。少し登り坂となった道の向こうは青空が広がっており、その先に広大な花畑があるのだろうと想像がつく。「ありがとう!」少女は自分の赴くままにジークフリートの手から離れ、道の先まで一目散に駆け出した。
「わっ……!」
道の向こう側に踏み出そうとした所で足が止まった。道が途絶え、地面が遥か下の方に広がっていたからだ。足先にあった土塊が、カタン、と音を立てて下へと落ちていく。
「落ちちゃうところだっ……」
ドンッ! 一息ついたところで背後から勢いよく押された。少女は宙に投げ出されながらも、押し出した相手を見つめる。
「パパに言われなかったかい? 知らない人について行っちゃいけないって」
数秒遅れて崖の下で鈍い音がした。ジークフリートは少女の体からぶち撒かれたその飛沫を見て目を細めると、身軽に降り立つ。当たりどころが悪かったのか、少女は背中を向けながらこちらを見つめており、手足は肉を突破って細い骨が飛び出していた。まだ成長しきれていない、柔らかな骨。真黒に染まった目は何も映さず、黒髪の細い毛が僅かな空気の流れによって揺らいでいる。
「どうだい、お花畑にいけただろ?」
にっこりとお決まりのように付け足してから、ジークフリートが狼の姿に変える。獣を狩る時は獣の姿。人を狩る時は人の姿。その方が狩りの効率が良くていい。嘘つき狼たる所以だ。
(さて、さっさと食べるかな……)
ふと、本日の昼飯に目線を落とした時、動かなくなっていたはずの少女の指先がぴくりと動いた。驚き、咄嗟に先程降りてきた崖の上まで飛び上がる。
「ん……あれ? ここ何処だろ」
崖下では何事も無かったかのように少女が地面に座り込み、辺りをキョロキョロと見回していた。衣服についた土粒を払い、立ち上がる。先程骨が飛び出ていたその足は、しっかりと肉の中に収まっていた。
「? なんでお洋服……?」
服についた血に疑問を持ちつつ、散乱した木の実を見てすぐにそちらに意識が向いた。「あっ、木の実が~」気の抜けた声で、その場に散乱した木の実を一つ一つ手編みかごに入れていく。とたとたと迷いながらも動くソレにジークフリートは思わず人の姿で口許を押えた。
「あはっ」
漏れ出る笑い声は歓喜に満ち溢れている。魔力の欠片もない悪魔が、死んで息を吹き返した―――? 死んだ後も生命活動を続ける不死者はもちろん存在しているが、それとはまた様子が異なっている。悪魔がこちらの服を来て、家族を作った事にさえ驚きだというのに。ただ、何も無い時間だけが過ぎていくこの「生」に一筋の光が差し込む。
「悪魔は不死身、か―――へえ。面白いじゃん」
少女を見下ろしながら、ジークフリートは獲物を捉えた時の鋭い金目で嗤う。
狼は貪欲だ。
群れから出た狼は一匹では大きな獲物を狩ることが出来ない。故に、他人の獲物を貪り食らい、生に縋りつく。空腹に耐え、死体を漁り、カエルや果物を食べ、自分の命を繋ごうとする―――いつか、群れの長になることを夢みて。自分の野望は決して捨てない。強い生への執着。純粋な狼でなくても、貪欲なのは一緒だ。
生きるというのは強い欲望に突き動かされ、振り回されていくこと。長い時の中で自分が生を実感する唯一のことだ。だから、常に退屈しない楽しいことを探している。何でも試してみて、そしていつか新しいことがなくなった。今の自分は生きていない。
そんな、僕の前に現れた救世主。人の言葉を借りて言うのであれば、きっとこれが「運命」と呼べるものなのだろう。
「リーゼロッテ……リーゼロッテか」
噛み締めるように声に出す。家族を持った悪魔がこれからどうなっていくか。「楽しみだなぁ」ジークは誰に言うでもなく赤ずきんを見下ろして独りごちた。
酸素、水、食料。人であれば文化や金、コミュニケーション―――愛とか。
植物のようにただ生きていくだけなら、それほど難しいことじゃない。けれど、感情を、幸不幸を認知できる知能を得てしまうと「ただ生きていく」の難易度が途端に跳ね上がってしまう。知能を得てしまった者達の代償―――欲が罪深いとはよく言ったものだ。
◆
微睡みに身を委ねたくなるような、心地のいい午後の晴天。ルトレア街の郊外にある森の中を、黒髪の少女が一人歩いていた。赤頭巾を揺らすその手には何やら手編みかごがぶら下げてある。
「やあ、赤ずきんのお嬢さん」
背後から声をかけられるまま、少女が振り向く。純粋無垢で恐怖を知らない無知の灰目。「こんな森の中で何を?」木の影から現れた月狼、ジークフリートは金目を優しく細めた。
「えっと、ね。パパがね、もうすぐ誕生日だから、木の実拾っているの!」
警戒心の欠片もなく、手編みかごを見せて少女はにっこりと笑った。そうしてからはっとなにかに気づき「あっ!」と慌てふためく。
「でも、パパに言っちゃだめだよ! 内緒だから、絶対だよ!」
説得しようと語気を強める様子に「へえ」と返しながらジークフリートがゆっくりと歩み寄った。
「素敵なサプライズだね。パパもきっと喜んでくれるよ……そうだ。この先にある花畑で作った花束もあげるといい。その木の実の詰め合わせだけでも十分素敵だけど」
その発想はなかったのか「お花!」と少女は大きな灰目をキラキラと輝かせた。
「お花も渡す! お花畑、行きたい!」
キャッキャッと踵を上げ下げする様子に「こっちだよ」とジークフリートは少女の手を引いた。引かれるがまま、少女は楽しそうに軽い足取りで鼻歌を口ずさむ。
「パパのことが好きなんだ」
「うん! 大好き! かっこよくて、すっごく強いんだよ! おっきな怖い動物もあっという間に倒しちゃうの! 」
「へえ、それは凄いや」
「でしょでしょ~」
大好きな父の話を皮切りに、少女は聞いてもいないことを次々と話し出した。父親と二人暮しなこと、父は元々ギルドハンターの人間だったこと。料理が下手なこと。少女の名前が「リーゼロッテ」だということ。
「ついたよ。あの先」
話しているうちに、二人は目的地までたどり着いた。少し登り坂となった道の向こうは青空が広がっており、その先に広大な花畑があるのだろうと想像がつく。「ありがとう!」少女は自分の赴くままにジークフリートの手から離れ、道の先まで一目散に駆け出した。
「わっ……!」
道の向こう側に踏み出そうとした所で足が止まった。道が途絶え、地面が遥か下の方に広がっていたからだ。足先にあった土塊が、カタン、と音を立てて下へと落ちていく。
「落ちちゃうところだっ……」
ドンッ! 一息ついたところで背後から勢いよく押された。少女は宙に投げ出されながらも、押し出した相手を見つめる。
「パパに言われなかったかい? 知らない人について行っちゃいけないって」
数秒遅れて崖の下で鈍い音がした。ジークフリートは少女の体からぶち撒かれたその飛沫を見て目を細めると、身軽に降り立つ。当たりどころが悪かったのか、少女は背中を向けながらこちらを見つめており、手足は肉を突破って細い骨が飛び出していた。まだ成長しきれていない、柔らかな骨。真黒に染まった目は何も映さず、黒髪の細い毛が僅かな空気の流れによって揺らいでいる。
「どうだい、お花畑にいけただろ?」
にっこりとお決まりのように付け足してから、ジークフリートが狼の姿に変える。獣を狩る時は獣の姿。人を狩る時は人の姿。その方が狩りの効率が良くていい。嘘つき狼たる所以だ。
(さて、さっさと食べるかな……)
ふと、本日の昼飯に目線を落とした時、動かなくなっていたはずの少女の指先がぴくりと動いた。驚き、咄嗟に先程降りてきた崖の上まで飛び上がる。
「ん……あれ? ここ何処だろ」
崖下では何事も無かったかのように少女が地面に座り込み、辺りをキョロキョロと見回していた。衣服についた土粒を払い、立ち上がる。先程骨が飛び出ていたその足は、しっかりと肉の中に収まっていた。
「? なんでお洋服……?」
服についた血に疑問を持ちつつ、散乱した木の実を見てすぐにそちらに意識が向いた。「あっ、木の実が~」気の抜けた声で、その場に散乱した木の実を一つ一つ手編みかごに入れていく。とたとたと迷いながらも動くソレにジークフリートは思わず人の姿で口許を押えた。
「あはっ」
漏れ出る笑い声は歓喜に満ち溢れている。魔力の欠片もない悪魔が、死んで息を吹き返した―――? 死んだ後も生命活動を続ける不死者はもちろん存在しているが、それとはまた様子が異なっている。悪魔がこちらの服を来て、家族を作った事にさえ驚きだというのに。ただ、何も無い時間だけが過ぎていくこの「生」に一筋の光が差し込む。
「悪魔は不死身、か―――へえ。面白いじゃん」
少女を見下ろしながら、ジークフリートは獲物を捉えた時の鋭い金目で嗤う。
狼は貪欲だ。
群れから出た狼は一匹では大きな獲物を狩ることが出来ない。故に、他人の獲物を貪り食らい、生に縋りつく。空腹に耐え、死体を漁り、カエルや果物を食べ、自分の命を繋ごうとする―――いつか、群れの長になることを夢みて。自分の野望は決して捨てない。強い生への執着。純粋な狼でなくても、貪欲なのは一緒だ。
生きるというのは強い欲望に突き動かされ、振り回されていくこと。長い時の中で自分が生を実感する唯一のことだ。だから、常に退屈しない楽しいことを探している。何でも試してみて、そしていつか新しいことがなくなった。今の自分は生きていない。
そんな、僕の前に現れた救世主。人の言葉を借りて言うのであれば、きっとこれが「運命」と呼べるものなのだろう。
「リーゼロッテ……リーゼロッテか」
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