赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 一章

03 囚われの狼(挿絵あり)

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「ええー! 言ってくれれば泊めたんに!」

 宿屋の主人とのやり取りを終え、再びリサと会話する。

「おやっさんも許してくれるよな!」
「ああ、今更一人増えても問題ねえ」
「ほな! 今すぐ断りに行こか!」

 こんな田舎で金貨は高すぎるんよ! と怒鳴るリサに、やはり普通の値段じゃなかったのかとリーゼロッテはうっすら笑ってみせる。まあ、何となく気づいてはいたが。

「これはなんの騒ぎだ」

 そこへ厳しそうな顔つきの中年男性がやってきた。髭を生やし、全体的に体つきは貧相だが腹周りは肉を蓄え、膨らんでいる。

「……珍しい。村長だ」

 先程の男店主が駆け寄り、牙を持って状況を説明した。村は祭りのような騒ぎになりつつあり、それぞれが思い通りに言葉を話しているせいで、ごちゃごちゃして結局何も聞き取れない。

「……なに? それは本当か!」

 厳しそうな眉間が緩やかになり、村長はこちらを向いてリーゼロッテの手を取るように握った。挙動不審になって周囲をキョロキョロと見回していたリーゼロッテは驚き、たじろぐ。

「こんな若い子が……大した実力だ! 村の代表として感謝する!」

 先程とは違って優しそうな顔つきだった。まさか村長まで出てくるなんてと困惑しながらも「いえ……生活するために、お金を稼ぎたかっただけなので……」と素直に答える。

「そうか! そうともなればぜひ我が家でお礼がしたい。ところで、君の名は?」
「リ、リーゼロッテです。リーゼロッテ・ヴェナトル」
「……ほう。リーゼロッテか。いい名前だ。リーゼロッテちゃん、今夜泊まる場所は決まっているかな?」

 その言葉にリーゼロッテはちらりとリサに目線を送った。そもそも私一人だけの手柄じゃないのに。だが、気を使ってくれたのかリサは「気にするな」とばかりに笑顔で手を振る。

「でも、私そんなにお金持ってなくて……」
「村を救ってくれた恩人に金をせびるなんてするわけがなかろう。寝床も食事も馬小屋も用意してある。どうだ?」

 金貨がなくならない上に、待遇も良かった。リサに目線を送るがどうぞとばかりに手のひらを見せてくる。迷わずにリーゼロッテは「じゃあ、お願いします」と頭を下げた。正直、あんなに冷たくされてまでまたあの宿屋に泊まろうとは思わない。リサも気遣ってくれるし、ここは甘えよう。その背後で悔しそうに宿屋の店主が唇をかみ締めた。

「それじゃあ、案内しよう。皆の衆、羽目を外すのはいいが、人喰い狼を忘れたわけじゃあるまい」

 まだ危機は去っていないと告げ、村長がリーゼロッテの背中を優しく押し、連れていく。その言葉に祭り騒ぎの陽気な空気は萎み、村はいつも通りの静かな夜を迎えた。





「えっ? 私がこの村に、ですか?」

 家に案内され、食事をしている際に思わず声を上げた。ああ、本気だと、目の前に座った村長が言葉を続ける。

「あのフォレストファングは村の男衆でも敵わない相手だった。なのに、君はそれを一人で退治してくれた。これは奇跡じゃなく、君自身の実力だ。ぜひ、我々の村の住人として、そして一人のハンターとして君を迎えたい」

 久々のご馳走を食べ続けながらリーゼロッテは話を聞く。君にはなにか特別な力を感じるんだと、村長が力のない笑みを向けた。

「で、でも……えっと。この村には人喰い狼が出るんですよね?」
「……ああ。君が来るひと月ほど前だったか……私の息子はそいつに食べられてね……」

 その言葉に「えっ」とリーゼロッテの手が止まる。人喰い狼が出るとはここに来るまでに散々聞いていたが、実際に被害者の話を聞くのは初めてだった。

「私も歳だ。そろそろ息子に村長の座を譲ろうとしていた時だった。それなのにまさか、息子が……何度も悪夢を見ていると思った。けれど、現実は辛く悲しい……」

 悲痛に顔を歪めて話す村長に眉を下げる。大切な誰かを失った気持ちはリーゼロッテにも理解出来た。涙を流し、目元を抑える村長に「あの、良かったら」とハンカチを差し出す。ああ、すまないねと受け取り、村長は息を吐いて自身を落ち着かせた。

「……取り乱して悪かった。それに関しては安心して欲しい。もう時期神が連れ去ってくれるだろう」
「連れ去る?」
「ああ。人は人の手で死を与えてはいけない。この村の禁忌に触れる。勿論それは自ら命を絶つこともだ。別の地方には、自ら命を絶った者は自分でその運命を断ち切るまで来世もそっくりそのまま永遠に繰り返されるという言い伝えがあるらしい。とにかく、我々は他殺を行った罪人を岩檻に閉じ込めて、神が天に連れていかれるのをただ待つだけなんだ」
「人……? 狼じゃ……」

 急な宗教話に眉をひそめたが、人という言葉にリーゼロッテは首を傾げた。宗教上たとえ人殺しでも罰として死を与えられないというのは理解出来たが、ずっと人喰い狼の話をしていたはずだ。

「ああ。やつは、世にも珍しい人狼なんだ。だから我々では死を与えることも出来ない。もうひと月近くも何も与えずに岩檻に閉じ込めている」
「人狼……?」
「ああ。どちらの種族でもない。いわゆる化け物だよ。人狼だと聞いた時私は、この村から追い出そうとした。なのに息子が説得してきてね。本当に優しい子だよ……追い出される危機感を持ったのか、奴はしばらく村では好青年で通っていてね。働き者で、素直で……だが、今思えばそれもあの日の為の虚偽の姿だったのだ。村人に愛され、息子にさえ取り入った。それなのに……奴は私の息子と、自分の母を食い殺した」

 憎しみが溢れ出すような語調に思わず肩が跳ねたが、リーゼロッテは最後まで聞こうと、ソファーに座り直す。

「……けれど、憎らしいことにその見た目は人間そのもの。殺すようなことをしたら村の禁忌に触れてしまう……だが、案ずるな。その人喰いももう時期収まるだろう。これは神の試練なんだ。この世に永遠はない」

 はあ、とコップを両手に持ちながら答えた。基本的に国によって宗教が違うとは聞いていたが、こうした辺境の村にまでなると、独自の宗教があってもおかしくはないのだろう。

「……でも生かしていたらまた、犠牲者が出るかもしれないのに?」
「それも村の規則だ。仕方がない……でも、安心してくれ。君の安全は保証する。私を信じてくれ。力のあるものを神は守ってくださる。君の才能をどうか……この村に役立てて欲しい」

 立ちあがり、すぐそばにまで来て肩に手を置かれるが「ごめんなさい」とリーゼロッテが優しくそれを解いた。ソファーから同じように立ち上がり、困ったように眉を下げながら見上げる。

「私、やることがあるんです。その為に旅に出たから……えっと」

 この村に住むことは出来ませんと、頭を下げた。そうか、上から村長の悲しい声が聞こえてくる。なんだか罪悪感が湧き出てきて「でも」とすぐに声を続けた。

「クリフが怪我をしているから、暫くは療養でこの村にいたいな……なんて」

 優しい人が多いみたいだしと、付け足して軽く笑ってみせた。人の良心や好意を無下にはしたくない。顔を上げて伝えるリーゼロッテに「そうか! それなら暫くはこの家にいるといい! リサちゃんも喜ぶ」と村長が嬉しそうに返した。きっと息子さんの死もあってこの人は寂しいんだろうなと、リーゼロッテはそんなことを考える。
 初めはこの村に案内してくれた人の言葉を疑ってしまったが、きっとここの村人は人喰い狼でギスギスして、よそ者に冷たく当たっていたに違いない。

「ありがとうございます……あの。そういえば、人喰い狼を閉じ込めている岩檻はどこに……」
「ああ。家の裏にある森の中だ。でも安心してくれ。最近は拘束器具をつけて自由に身動きもできないようにしている。ここにいる間は気にせず、近寄らない方がいい」

 数日経てばこの村も平穏になるさと、村長はむき出しのキッチンに食器を片付け「君の部屋に案内しよう」と歩き出す。まだ気になることがあったが、傷の痛みと疲労による眠気で、リーゼロッテは大人しく後をついて行った。

「さあ、ここだよ。気に入ってくれたらいいが……」

 たどり着いた部屋は広く、殺風景な部屋だった。けれどもソファーもあり、間取りも広々としている。こんなにいい部屋を使ってもいいのかと見上げるが「息子の部屋だ」と村長は悲しそうに目を伏せて呟いた。

「えっ……その、いいんですか」
「ああ。個室は私の部屋と息子の部屋ぐらいしかなくてね。好きに使ってくれ」

 その方が使われない部屋も喜ぶと、リーゼロッテの頭に手を置き「それじゃあ、失礼するよ」と扉を閉める。なんだか悪い気がしたが、久々のふかふかのベッドにリーゼロッテは崩れるように身を投げた。
 一応手当はしたが、地面に強くうちつけた体が痛い。床で寝るより怪我も痛まなさそうだと寝返りを打った。ふと、自分の首から下げられている角笛が目に映る。
 あの時の音―――間違いなく何かの生物の咆哮のようだった。それに怯えて、フォレストファングは動けなくなったのだろう。また父さんに守られたなと心が温かくなり、目を細めた。
 試しにもう一度吹こうと咥えるが、背中を打ったことで肺を痛めたのか上手く吹けない。当分はクリフだけじゃなく、自分も休んだ方がいいかもしれないなと天井を見つめた。

「早く……良くなるといいな……」

 まあ、どうせ自分のことだからすぐ治る。。ふと、呟いているうちに、睡魔が急激に襲ってくる。今日は早起きしてから色んなことがあって流石に疲れた。明日は何をやろう、そんなことを考える間もなくリーゼロッテは意識を手放していった。





 次の日。睡眠をたっぷりとって元気になったリーゼロッテは未だ包帯が巻かれている状態で村を歩いた。今日は見た感じ男性の姿が少ない。フォレストファングが消えたことで狩りにでも行っているのだろうか。もしくは本当にいなくなったのか、確かめに行ったのかもしれない。 

「あっ、お嬢ちゃん。おはよう」

 メイン通りを歩いている際に、昨日の男店主に声をかけられた。おはようございますと返し、歩み寄る。村での扱いが良くなったのも、なんだかんだと彼とリサのおかげだ。

「これ。昨日言っていた約束の弓だ。すごいぞ」

 そう言って自慢げに出してきたのは綺麗に削られ、磨かれた立派な白弓だった。あまりの速さに「もう、出来たんですか?」と驚き受け取る。

「ああ。今日からまた忙しくなりそうだからな。リサが徹夜で仕上げた。もちろんベテランの俺の手も加わってるから、性能も期待していい」
「ありがとうございます……! すごくかっこいいです……でも、他の素材は……」
「気にするな。どうせ店に余っていたやつだったから」

 受け取った弓を傾けたりして、リーゼロッテはまじまじと見つめる。初めて自分で狩った獣の素材で作られた武器だ。これは大切にしなくてはと、肩にかける。

「あの、それでリサは……? もしかして寝ていますか?」
「……いや、いつものところだろうな。なあに。気にするな」

 お礼を言いたかったのだがと思いつつ、不在なら仕方がないと諦める。きっと昨日のこともあって疲れているだろうし、プライベートの邪魔はしたくなかった。

「ところで、今日はどこかに行くのか?」
「いえ……暫くは大人しくしていようかと思います」

 自分の体のことは自分が一番よく分かる。無理をしても、後で自分にはね返ってくるのは経験済みだ。ちゃんと休めば休んだだけ体の回復も早い。それならゆっくりしていけよ、と男店主は笑顔で返した。

「あっ……その一つだけ……人喰い狼の青年について聞きたくて……」

 その問いに男店主は驚いたようだった。腕を組み「彼は真面目な子だったよ」と首を傾ける。

「俺の店でバイトしてたんだよそいつ。力仕事が得意で……それに手先も器用だったから大助かりでな。リサともライバルって感じで仲が良かった。ただ、どうにも気が小さくて、獣を解体する時は毎回外に逃げていたんだ……だから、むやみやたら人を襲うような悪いやつじゃねえとは思ってる。あの事件もなにかの間違いじゃねえのかって」
「そうですか……」

 ここまで詳しく聞くのは初めてかもしれない。それも村長のいう虚偽の姿だったのだろうか。一人で考え「ありがとうございます」とお辞儀をし、立ち去る。店主がその背中を見て、離れていくリーゼロッテに「気をつけてな」と手を振った。

「はあ……どうしよう」

 村長の家の前まで引き返しながら、リーゼロッテは肩を落とすように息をついた。休むとは言ったが、じっとしていられない性分上、このまま自室に戻るのもなと考える。
 ふと、村長の家の裏の森を見つめて、昨夜話していた人喰い狼のことを思い出した。危険だから近づくなとは言われていたものの、やはり気になってしまう。周囲に誰の姿もないし、少しぐらいといった軽い気持ちで、リーゼロッテは森の中へと入った。

「なんか、ここの森怖いな……」

 恐らくフォレストファングがいた森と同じなのだろうが、全体的に暗くて不気味だった。昨日とは違った茶色の土を踏み締めて、歩みを進める。

「あっ……あれかな」

 しばらくして、森の奥に崖がそびえ立ち、洞穴のようなものに格子がつけられているのを目にした。村長が言ってた岩檻だろうかと、ゆっくり近づく。

「あーーー! なんで自分はそんなに頑固なん!?」

 聞き覚えのある声にビクリと背中を震わせる。近くまで歩みを進めてから木の陰に隠れた。

「もうそろそろ限界やろ!? いつまで意地張って飯食わん気や!! ほんまに死んでしまうぞ!」
「お前もしつけえな……何度飯持ってきてもアリの餌になるだけだっつの。俺はここで死ぬ。早く帰れ。こんなところ見られたら……」

 低い声が少しだけ途切れた。何かを警戒しているかのような間合いだ。

「勝手にしろ!! アレクのどアホ!!」

 怒鳴り声は語尾にかけて掠れていた。通り過ぎていくリサの目には涙が浮かんでいる。リーゼロッテはしっかりとその光景を目に映し、再び歩き出した。

「女の子泣かすなんて、最低だね」

 岩檻はかなり暗くなっていた。僅かな光を頼りにじっと目を凝らしてみると、何やら黒髪の人間が奥で俯いているのが見えた。壁に括り付けられた枷で両手両足を拘束されている。衰弱の様子からして本当にひと月も食べていないようだった。てっきり獣人かと思っていたが、体つきは正真正銘人間のものだ。
 生きている人間をこんなところに閉じ込めて、何も食事を与えていないなんて、なかなか酷いことをする。

「知らねえ匂いだ……よそ者だな。さっきから見てんのがバレバレなんだよ。俺を嘲笑いにきたのか」

 警戒する言葉は低く、弱々しく掠れている。間違いなく人の、それも若い男の声だ。「貴方が、人喰い狼?」と思わず確かめるように返した。

「……はっ、なんだよ。分かっててきたんじゃないのか」

 鼻で笑うようなその態度に、改めて自分の中に蓄えていた情報が確信に変わった。この人が自分の母親と村長の息子をと、拳を作る。

「そう。自分の母親と、村長の息子を食い殺した犯人がどんなやつか見たかっただけ」

 少し意地悪に言ってみせて、反応を伺う。体つきや声からみても歳差はそこまでないと思われた。十代半ばから後半ぐらいの青年―――なんだか変な感じだ。すぐに「そうか。暇なやつだな」と嫌味を返され、リーゼロッテはムッとする。リサはいつもこんな奴のためにここな通っているのか。

「……それだけじゃなくて、数日前にも人を食べたんだとか」

 少し腹立たしさが見える軽蔑した口調だった。人殺しのくせにと、父が殺された時のことを思い出して眉間に皺を寄せる。

「それは、俺じゃない!」

 あまり響かない声で怒鳴りつけるように、狼青年はリーゼロッテを睨みつけた。唸り声を上げ、ようやくあげた顔には真っ青な双眸が並んでいる。瞳孔を開き、外の光を多く反射して光っているように見えた。ぞわりと悪寒のような震えが背中に走ると同時に、その瞳がとても綺麗だと感じる。

「俺じゃない……! そう、信じたいけど……自信がない……記憶が、ないんだ。母さんを殺したあの日も気がついたら目の前は血の海で……俺は……なんで……」
「なにそれ。結局自覚したくないだけでしょ。自分は悪くないって言い訳だ」

 鼻がかかる声に、リーゼロッテは冷たく責め立てるように返した。てっきり罪の意識があっての犯行だと思っていたが、そうではないらしい。違う、とまた狼青年は声を張り上げた。

「言い訳なんてするつもりはない。でも俺は、母さんを愛していた……っ! なんで襲ったのかも分からない。昔からそうだ。記憶が飛んで、気がついたら人を傷つけていたなんてことがよくあった。今回もきっと……俺は最低だ。死んで当然なんだ……」

 涙が溢れ出し、膝に顔を埋める。疑いの目を向けていたがその声に、言葉に、この人は本当に自分の意思で襲ったわけじゃないのかもしれないと、リーゼロッテは疑問に感じた。思っていた人喰い狼の印象と違っていて戸惑い、何も返せずにただ見つめる。

「……別に同情を得ようとしているわけじゃない。自分の罪は受け入れる。どうせもう、生きたって自分のした事を思い出して苦しいだけだ」

 膝に顔を埋めたまま、ボソボソと呟いた言葉が洞穴内に響いてリーゼロッテの耳にまで届く。もう十分だろ、狼青年は掠れた声で呟いた。

「……早く行けよ。俺に食われたくなかったらな……あいつにも言っておけ」

 二度とここに来るなと静かに威圧される。脱力して、もう何もかも嫌になってしまったかのような言葉はそれ以降続くことがなかった。
 哀れみと、疑心と様々なものを抱えながら、リーゼロッテは蹲る狼青年を再度見て、その場から立ち去った。





 岩檻から離れ、リーゼロッテはぼうっと青年を思い出しながら、来た道を戻っていた。村長や村の住民から聞いていた雰囲気は冷徹無慈悲の化け物だったけれど、それとは少し違っているように思えた。人喰いがあったと言われているのに、リサだって毎日通いつめている。普通なら身近にそんな奴がいたらもう二度と会いたいなんて思わないだろう―――とはいえ、人間という種族は簡単に嘘をつける。狼だって童話の中では嘘つきばかりだ。

『今回もきっと……俺は最低だ。死んで当然だ……』

 ふと、先程の青年の言葉が脳裏に過ぎる。あの言葉も涙も、嘘には到底思えなかった。どうにも引っかかる。それに彼が人喰い狼で騙そうとするやつなら、帰らせるためにわざわざあんなことを言わないはずだ。数日前にあそこから抜け出すようなやつなら、油断させて自分を襲っていたに違いない。

「分からないや……」

 グレッグの時だって本当に自分の中では意外だった。人の嘘を見破るのは正直苦手だと、周囲を警戒しながら森から出る。なるべく遠回りして自室に戻ろうとした時、一通りの少ない場所に村長の姿が見えた。

「あの子を知らないか?」
「さあ……昼間村を歩いていたのは見たんですが」

 自分を探しているような会話に迷惑をかけてしまったかと、リーゼロッテは話しかけようとする。直後「あの子を村から出すなよ」と言葉が聞こえ、思わず物陰に身を隠した。

「分かっています。しかし、あの子に一千万だなんてギルドハンターは一体何を考えているんでしょう?」
「さあ。どうだっていいだろう。あと一日も足らずでこの金は我々のものになるんだからな」

 手に持っていた紙を村長が広げる。そこには自分の顔と、なにやら下に大きく金額が書かれていた。流石のリーゼロッテもそれが手配書だとすぐに分かる。

「ルトレア街郊外の山にて、ギルドハンター二人と一般男性を殺した凶悪犯罪者。フォレストファングを殺したという実力と、名前の一致でまず間違いないだろう。それに娘は悪魔ときた」

 その言葉に急激な冷えが襲い、鼓動が速くなった。ドッドッドと鼓膜に心音が大きく響いて震える。自分が殺した? 何を言っているのだ。父さんを殺したのも全て、あいつが仕向けたギルドハンターのせいなのに。グレッグが情報を操作して、自分に全ての罪をきせたのだろうか。

「せめて明日の朝まで、この村に居座るよう娘には丁重な扱いをしろ。村の者には悪魔だと言わずにな。そしたらお前にも一千万の三分の一をやる」

 背中から村長のやり取りが聞こえてくる。ああ、そうか。善意を受けて喜んでいた自分が馬鹿みたいだ。待遇よく優しくしてくれたのも、実力を見込んで村に住まないかと誘ってくれたのも全部。自分をギルドハンターに引き渡して金を得るためのものだったのか。
 全て悟り、リーゼロッテは諦観したかのように乾いた笑いを浮かべた。悔しさと自分に対する自嘲で目を伏せ、暗く沈んだ顔になる。

「はあ……村長ぉ? それは納得がいきませんね。例の人喰い狼の件、忘れたとは言わせませんよ。俺が黙ってなければあんたもあのガキと一緒に岩檻にぶち込まれていたはずだ」
「ぐっ……なら半分でどうだ!? それなら文句はあるまい」
「いいのかなあ。俺は真実を知っているんですよ。あの時―――」

 遠くで聞こえてきた人喰い狼の話に耳を澄ませ「えっ」と話された真実に目を見開く。まだ情報が追いつかない。聞き間違いかもしれないが、耳に入ってくる話は今まさにされているものだ。
 あの時のような憎しみの炎が燃え立ち、眉間が寄って鋭く目を釣り上げる。やっぱり大人はクズばかりだ。

「リーゼ?」

 背後から声が聞こえ肩が跳ねる。振り返るとリサが「こんなところで何してるん?」と首を傾げた。その目元は黒いラインが引かれてあり、少し赤く腫れぼったくなっている。

「……少し、聞きたいことがあるの」

 弓のお礼も忘れ、改まった様子のリーゼロッテにリサはぱちくりと瞬きした。







「私、今夜この村を出ていこうと思っているんだ」
 話し終え、しばらく続いた沈黙をリーゼロッテが破った。えっ、とブツ切れの声が俯いていたリサから漏れる。

「なんで!? しばらく滞在するって……」
「明日には迎えが来る。その前に逃げないと……」
「迎えって……」

 そこまで聞いて立ち上がった。虚空を見つめ、迷ったように一度閉口してから「私ね、悪魔なんだ」と呟く。

「悪魔……? 悪魔って……あの、言葉話さんやつ? 予言の……でも、リーゼは話せてるやん!」
「それは父さんから。明日には私を追ったギルドハンターがこの村に着く。さっき、村長さんが言ってた」
「えっ……」

 リサは言葉が詰まった。村長が歓迎することなんて滅多にないから、良かれと思いリーゼロッテを村長の元に向かわせた。でもそれが、彼女を追い詰めることになるなんて。

「……見送りはいらない。リサともこれが最後だ。色々良くしてくれてありがとう。リサの作った弓、大切にするね」

 世間からの悪魔の立場をリーゼロッテは理解していた。そのまま無言で立ち去るリーゼロッテに、リサはただ戸惑い、背中を見送ることしか出来なかった。





「そういえばリーゼロッテちゃん。今日は何をしていたのかな?」

 昼間のことを思い出してぼうっとしているリーゼロッテに村長が問いかける。目の前のスープを飲みながらリーゼロッテは「木の実を……取っていました」と僅かに口角を上げて返した。

「ほう。それはそれは。収穫はあったかね?」
「はい、とても大きいものが」

 最後の一口を飲み終わり「ご馳走様です」と手を合わせた。食器をキッチンに運び、村長のものと一緒に洗ってから「ではお先に」と扉のノブに手をかける。

「今日はもう寝るのかい? もう少し話さないか?」
「あ……すみません。ちょっと疲れてしまって」

 それなら仕方がないなと、村長はリーゼロッテに近づき優しく頭を撫でた。不快でしかなかったが、引きつった笑顔で耐える。

「君を見ていると本当に息子がいたことを思い出すよ。出来れば私の養子に迎えたいぐらいだが……」
「……家族のように思っていただき光栄です。では、良い夢を」

 腹立たしさが勝り、さっさと会話を切り上げてリビングを出る。よくもまあ、昼間にあんなことを言っておいて普通に接してくるものだ。自室に戻り「クソジジイ」と呟いてから、森から帰った後に調達した食料を肩下げに詰める。ついでに息子の着替えも奪い、村を立つ準備を整えた。
 ふと、溢れかえった果物が床に落ちて転がり、ベッドの下に入ってしまう。取ろうとして床に顔をつけながら手を伸ばすと、なにやら日記帳のようなものが見つかった。躊躇いもなく開いてみると、そこにはとある男の日常が記述されており、どのページにも「グレース」と言う女性名が書かれていた。何ヶ所かページが張り付いていて変な臭いがする。

「……本当だったんだ」

 気持ち悪い、そう呟いてベッドの下に放り投げた。果物を肩下げ袋に戻してから、布団に潜る。あとは深夜になるのを待つだけだと、リーゼロッテは目を閉じた。


 数時間後の真夜中。自室の扉がガチャりと開いた。村長は眠っているリーゼロッテを確認して、また静かに戻っていく。一日目で様子を見に来るのは分かっていたので、敢えてこの時を待っていたのだ。今思えばこれも監視のためだったんだなとリーゼロッテは目を開け、肩下げと新調した弓矢を背負う。予めシーツで作ったロープを窓から下げ、しっかりとベッドに固定してから、慎重に外へ出た。

「クリフ、起きて」

 小声で馬小屋に入り、クリフを撫でる。首を高く上げ、起き上がるクリフに抱きついてから「ここから出ていくよ」と手綱を引いた。周囲を警戒しながら外に出て、ゆっくりと跨る。
 この村に未練はない。本当のことをいえばリサともう少し一緒にいたかったのだけれど。さっさと移動しなければ、今日の早朝辺りにギルドハンターが村についてしまうだろう。まだ捕まるわけにはいかないと、村を出ようとした。

『どうせもう、生きたって自分のした事を思い出して苦しいだけだ』

 昼間の狼青年を思い出す。途端にリーゼロッテはクリフの手綱を緩め、スピードを落とした。リサとの会話が過ぎる。

『ねえ、人喰い狼のことどう思う?』

 昼間。村長がいた場所から離れ、改まってリサと向き合い口にした。自分の中の疑問を解決するために。リサはその質問に驚いたようだったが、すぐに「アレクは悪くない!」と否定したのだ。

『うち、あの日見てたんだ……あの時―――!』

 何を考えているのだろう。今は自分の身が危ないというのに。第一、自分には関係のない事だ。しばらくその場で立ち止まってから、手綱を取り、クリフの進行を急遽森の方へ向ける。

「ごめん、クリフ。ちょっと用事を思い出した」

 一言言い訳をして駆ける。その様子を、木の影から昼間の男がじっと見つめていた。





 昼間の暗さが更に一層強くなっている。村から離れて、ランタンに火をつけると、リーゼロッテはゆっくり岩檻に近づいた。ランタンを突き出しながら、じっと奥を見つめる。

「……起きてる?」

 俯いている狼青年に声をかける。動かないのに痺れを切らし、近くの小石を拾ってから放物線を描くように中に投げつけた。こつこつ、と音を出して転がり、狼青年の足元にたどり着く。

「おい。二度とここには来るなと言わなかったか?」
「そうだったけ?」

 わざとらしく誤魔化す様子に「わざわざ俺に食われに来たのか?」と狼青年が脅すように声を低くさせる。

「貴方にその度胸があるなら。第一、拘束されてるくせにどうやって出る気?」

 煽る言葉に狼青年は睨みつけ、勢いよく出口に向かって駆け出した。けれど、格子にたどり着く前に枷によって中に引き戻される。先程よりも近くに出てきたことでその容姿がハッキリと分かった。
 闇に溶けるような漆黒の髪に、透き通る青い目。つり上げられた目は森に住む獣のような、底なしの精力を湛え、憎らしそうにリーゼロッテを見下ろしている。右頬に切り傷があり、興奮してぴくぴくと上がる口の隙間からは鋭い八重歯が見えた。

「……おちょくるのもいい加減にしろよ、ガキ。本当に喰ってやるぞ」

「違う。貴方を助けに来たの。アレク」

 睨みつけてくる目の圧に押されそうになったが、ぐっと耐え、負けじと見つめ返した。その返しに「お前、俺の名前……リサか」と狼青年のアレクが動揺する。

「……そんなのよそ者のお前に頼んでないだろ」
「私、貴方のことを冷徹無慈悲の化け物だって誤解していた。グレース……貴方の母親の名前で間違いない?」
「っ、母さんの名前まで……! どういうつもりだ?」
「ひと月前の事件の真実を知っている人間に話を聞いたの。リサから―――貴方は騙されている。だから助けに来た」

 あまりにも堂々と伝えられて、アレクは困惑する。けれどすぐに「はっ、何言ってんだか」と顔を逸らした。

「昼間も言ったろ。気がついたら俺の前には死体が二つあって、そして自分も血だらけだった。鼻も舌も全身血に侵されて……これをどう犯人じゃないって説明するんだ?」

 腹立たしいままにあの日の自分について訴える。今思い出すだけでもゾッとするような光景だ。腸が無惨に食いちぎられて、少し離れたところには村長の息子の頭が転がっていた。そして母もその横で血だらけに―――思い出して目の淵が熱くなる。

「その死体……お母さんのものはちゃんと見た?」
「見たよ……血だらけで……くそっ」

 嫌な記憶を掘り下げられて、視界がぼやける。あの日の自分に対しての怒りが今のリーゼロッテに重なり、腹底がムカムカした。なんでこんな見知らぬガキにと、奥歯をかみ締めて俯く。

「もういいだろ! 俺が二人を殺したんだ! 俺が……」

 叫ぶように自分の罪に嘆く。語尾は若干泣いたことで掠れた。けれど「違う!」とリーゼロッテの声が遮る。

「貴方のお母さんは村長の息子に殺されたの! 村長の息子に気に入られて、ずっと迫られていた! それは……息子さんの日記に気持ち悪いぐらいに書いてあったから間違いない」

 ベッドの下にあった日記を思い出す。出会った時の一目惚れの内心からポエムを挟み、淡々と描かれた純情に思える内容は、冷静に考えると男の異常なまでの執着心の表れだった。あの文面を思い出すと鳥肌が立つ。

「……そして事件の日、揉め事の怒りで村長の息子が貴方のお母さんの首を絞めて殺した……! 帰ってきた貴方はそれを見て……!」 

 一番貴方が知っているはずなの! とリーゼロッテが声を張り上げるように訴える。頭を抱えていたアレクはそれを聞いて目を見開いた。アレク、と自分の名前を呼ぶ母の声が聞こえる。



『また、喧嘩したの?』

 呆れたような声が背中に投げかけられる。振り返ってみれば、そこには穂の垂れたライ麦のような金髪を靡かせ、青い目でじっと自分を見下ろしてくる女性がいた。懐かしい匂いと、その笑顔に、記憶の中の幼い自分は睨み返す。

『……俺は悪くない。あいつらが集団で一方的に……』
『アレク、言ったでしょう? 貴方は他の人と違うの。たとえ相手から手を出してきても、決して貴方はやり返したりしちゃいけない』

 生まれた時から自分は人と違っていた。容姿も他の人と同じはずなのに、どこに行っても毛嫌いされる。何でも自分は、十五の時に母が魔族と混じったことで生まれた「この世にいてはいけない存在」らしい。
 足の速さも、喧嘩でも誰にも負けない自信があった。それなのにあいつらは集団で寄って集って化け物だと喧嘩を吹っ掛けてくる。弱い人間のくせに。それでやり返せば今度は自分が悪者扱い。当時は母親のそんな言葉が酷く理不尽で理解できなかった。
 問題事を起こしては村を転々として、まだ若い母を色々と苦労させてきた自覚はある。そこでやっとたどり着いたのが、ローレアズの村だった。同じように喧嘩はしていたけど追い出されることはなくて、なんだかんだとこの歳まで過ごすことが出来た―――母が殺されるのを目にするまでは。

『はあっ……はあっ……ちくしょう、アバズレ女が! 俺を否定しやがって! ざまあみろ!』

 薄暗い部屋の中で、下半身が露出した男の言葉と、胸がはだけた母がぐったりとしている姿を見て、何か切れた。母は決してやり返すなと言っていたが、こんなことを見せられて黙っていられるわけがない。その湧き上がった怒りと共に自分の体は大きな獣の姿に変わる。そこからは、おそらく想像通りだ。


「ふぅ……っ」

 ガンガンと痛む頭を抑えたまま、息を荒くさせて悶え苦しむ。なんでこんなことを忘れていたのだろう。アレクの様子に「思い出した?」とリーゼロッテが声をかけた。

「貴方のお母さんの首には絞めつけられた痕があった。本当の死因はそれだろうって。血まみれだったのは貴方が……」
「……俺があいつを食い殺した時に飛んだ血ってことだろ?」

 結局俺は人を殺したんだなと、目元を抑えた。母親の言いつけも守れずにただみすみす死なせてしまったことへの後悔が、重く肩にのしかかる。

「いい。真実がわかったところで罪は消えない。なにより……俺の行きたかった未来に母さんはいないから」

 力なく振り返り、洞穴の奥に行こうとするアレクに「何言ってるの!」とリーゼロッテが引き止める。

「貴方はお母さんを助けようとした! ただそれだけじゃない! それはリサが証明してくれる! 息子の死に怒り狂って、村長は貴方に二人を殺した罪を着せたんだ! 実際は村長の息子が原因なのに!」
「それでなんだよ! 今更外に出ろって!? なんの意味がある!? 母さんも守れず、人一人殺していて、実は俺が悪くないなんて言って、なんの意味があるんだよ!」

 振り返って強く言い放たれ、リーゼロッテは怯えたように肩を震わせる。アレクが子供の時から見慣れている目だ。それを見た途端に弱々しくなり「……ごめん。助けに来てくれてありがとう」とアレクは背中を向けた。

「けど、俺は出なくていい。もう、色々疲れた……このまま、死にたい」
「何が死にたいだ……っ! 貴方は生きることに怯えているだけでしょう! 事実に向き合ったつもりでいて、結局目を逸らしているんだ!」

 出てこいとばかりにリーゼロッテは勢いよく格子を掴んだ。


 バチバチバチッ! 


 激しい音と共に青白い光を放って電流が流れ、その痛みに思わず手を離す。

「馬鹿。その格子がただの格子なわけないだろ。純度百の希少な流電石で作られている。触ったら感電する仕組みだ。鍵がないんじゃ開けることは出来ない」

 さっさと諦めろと、背中を向けたままアレクが返した。嫌だ! とその言葉に強がり、未だ震える手で格子を掴んだ。青白い電気が散り、周辺が明るくなる。


「なっ……! やめろって! 死にたいのか!」
「……っ! だったら早くっ……出てこい……!」

 自分と同じように人に騙されているのがなんだか癪に触った。罪を着せられて、自分とよく似ていたからこそ、怒りが収まらなかった。髪が逆立ち、顔が空気中で歪んで見える。やめろって! と狼青年が更に強く声を張り上げた。

「お前なんなんだよ! リサならともかく、まだ会ったばかりなのに! 関係ないだろ! 俺はもう死にたいんだ……!」
「うるさい! 死にたいやつは勝手に死ね! ……けど、本当に死にたいやつは、貴方みたいにわざわざ言葉に出さないんだよ!ひと月も時間があって、自分で死ぬ方法もあったのに! じゃあ、貴方はなんでそうしなかったんだ!」

 その言葉に、アレクは息を飲む。幼少期からずっと他人に存在を否定され続けてきた。唯一の心の拠り所である母を失い、もう自分が生きてもいいのだと証明する人間がいなくなって、心は冷めていくばかり。だから、いつの間にか死を望んでいた。
 それなのに、ひと月もここに閉じ込められている間、生えている草を食べ、リサの持ってきた飯に集る虫を食べ……自分は生に縋り付いていた。結局自分は、死ぬのが怖かったのだ。そう理解した瞬間に涙がボロボロと溢れてくる。

「やめてくれ……お願いだ……俺はっ、生まれてくること自体望まれていなかった、根っからの罪人なんだ。これ以上俺に罪を……与えないでくれ!」

 遠吠えのように上を向いて嘆くアレクに「何が罪だ!」とリーゼロッテは声を荒らげる。

「大切な人を守ろうとする思いは罪なんかじゃない……っ!! 望まれないからなんだってんだ! 生まれてきた意味があるのかないのかなんて、それぐらい……他人じゃなく自分で決めろ!!」

 その声にアレクは涙を流したまま真っ向から風が吹いてくるような衝撃を受けた。本当に自分は生きても許されるのだろうか。誰も、自分の存在なんて受け入れてくれると思っていなかったのに。
 いや、本当は全て知っていた。あの事件の真実も、自分を助けようとしてくれる人がそばに居てくれたことも。でも、やさぐれた心では何も受け入れられなかったのだ。

「いたぞ! 悪魔はあそこだ!」

 背後から聞こえる声に、リーゼロッテは思わず振り返った。電気とはまた違ったあたたかい光がひとつ、またひとつと増えていく。夜中を狙って動いたのにバレたのかと、リーゼロッテは格子から離れた。ビリビリした感覚が全身に残り、視界がフラフラと二重になって見える。けれど、感電しているはずの体は不思議と軽傷のようだった。

「……っ、囲まれた」

 いつの間にか多くの松明の火がリーゼロッテたちを囲っていた。村人全員で捜索とは、なかなか凝ったことをしてくれる。足元にまで矢が飛んできて、慌てて後退するように避けた。岩檻の鍵もない。このままでは二人揃って捕まってしまう。早く何とかしなくてはと焦り、俯きながら考え、悔しそうに顔を歪めた。
 二人揃って助かるいい方法が見つからない。もう、戦うしかないのかと、弓を構え、やってくる炎を睨みつけた。

「……おい! 何する気だ……! 早く逃げろ!」
「諦めない……こんなところで死ねないの! 貴方のことも絶対何とかする……!」

 彼を助けると決めたのなら最後までやり通したい。だからと言ってこんなところで死ぬわけにもいかないと村人に狙いを定めた。どんどん近づいてくる炎に怯えず、向き合うリーゼロッテにアレクは母のことを思い出す。
 あの時の自分は怒りを爆発させるだけで、何も救えなかった。また同じように目の前で失いたくない。そんな気持ちが膨れ上がると同時に背中の方がザワザワと細かに動き出した。大きな耳鳴りがして、視界が揺れる。記憶をなくす前と同じだ。

「……っく」

 少しずつ後退しながら自分の射程範囲に来るまで弓を引き絞り、リーゼロッテは険しい顔で前を睨みつける。その直後の事だった。


「ウオーン!!!」


 後ろにいたアレクの体が大きくなり、電気を散らしながら格子を前足で外に押し出すようにぶち破った。首を高くし、頭を天に向けて、長く、重々しい遠吠えをする。すぐ後ろで聞こえたその声の迫力に、リーゼロッテは肩を震えさせた。

「狼……!」

 それは、真っ黒な毛並みと青い目をした狼の姿。近づいてくる炎に照らされ、ツヤツヤに光ってみえる。
 襲われるか? と警戒するが黒狼はリーゼロッテの赤茶色外套を咥えて、クリフに優しく投げつけた。乗れと言わんばかりにこちらを向いて首を振るう。そうしている間にも矢が飛んできて、リーゼロッテは慌ててクリフに乗った。案内するとばかりに先陣を切って走る黒狼に続く。

「まて! 絶対に逃がすな!」

 松明を持って指示する村長に怒りが溢れ出した。クリフに乗りながら新調した弓を後ろに構え、矢に炎をつける。このまま撃ち抜いてやろうと揺れながら、狙いを定めた。

『人殺しになんて絶対になるな』

 父の言葉が頭に過ぎる。あの時そのせいで救えなかったのに。それでも、自分の手は震えてしまう。じっと見つめていたがやがて舌打ちをし、自分の前にある木に放った。メラメラと炎が広がっていき、やがて木が倒れ、村人の行く手を阻む。

「逃げられたか……」

 炎の燃え広がる先に逃げていく影を、村長は悔しそうに見つめた。
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