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第一部 二章
【番外編1-2】クリフは願う(挿絵あり)
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「リーゼ!」
怒鳴り声に耳を立て、頭を伏せていたクリフは首を高く持ち上げた。目線の先には獲物の前に飛び出そうとしていた黒髪の少女と、その腕を掴んで引き止める厳つい男の姿がある。
「何をしようとしていた! リーゼ!」
「だって、弓が当たらないから……でも、仕留めなきゃ……って」
「馬鹿野郎! 獲物の前に飛び出るバカが何処にいる! 下手したらそれで死ぬこともあるんだぞ!」
何回言ったら分かると目の前で怒鳴りつけられ、リーゼロッテは少し肩を飛びあがらせてから「ごめんなさい」と目を伏せた。
「倒さなきゃって……でも止まってくれないから、体が勝手に……」
リーゼロッテの言葉を遮るようにジェラルドはため息をついた。感情ばかりが先行して、体がただ動かされる状態。いわゆる衝動的な行動と言うやつだ。どうにもリーゼロッテにはその行動が目立つ。
「……いいか。リーゼロッテ、何においても。感情に支配されるようなことがあってはならない。お前は人より少し……衝動的な面が強い」
好奇心や怒り、悲しみにおいても、感情というのは全ての行動の原動力になる。だが、それに振り回されているようではこの先確実に悪目に出るのはまず間違いない。狩りでは感情に波風を立てず、冷静に行動することが大事だ。
「ごめんなさい。もう一回……頑張るから……」
お願い父さん、とリーゼロッテは見上げて服を掴む。ジェラルドは手で顔を抑えるが、愛娘の願いを断ることも出来ずに少し間を置いてから「わかった。次やったら、今日は終わりだからな」と肩を脱力させた。こくこくと頷き、嬉しそうに前を走っていくリーゼロッテに「全く心配だ」とジェラルドがクリフを撫でた。
「クリフ……お前から見てあの子はどう思う? 立派な狩人になれると思うか?」
赤外套を翻す背中にクリフはブルりと呻く。まず無理だ、と言いたげだ。だよな、とジェラルドが鼻で息をつく。
「だが、あの子の気持ちは人一倍強い。才能がなくても、何度も何度もミスして怒鳴られても、諦めない。そこがリーゼの強みだ。俺も認めている。もしかしたら、いつか本当に狩人になっちまうなんてことがあるかもしれない」
ぶふうと鼻息をついて、クリフは「それはない」とばかりに首を横に振った。ジェラルドも厳しいようで全体的に甘い。まず、あんな危なっかしいやつに弓を握らせるなと思った。
「そしたらリーゼを狩人にした俺たちにも責任がある。あいつは……衝動的になると周りが見えなくなるみたいでな。技術はこれからつけていくにしろ、一番の不安要素はそこだ。それではいつか早死してしまう。だから、もしその時は俺と、お前であの子を止めるんだ。いいな」
そんな日なんてないと思うけど。けれども主人の真剣な瞳に、クリフは下を向いて足を掻きながらブルリと返した。
―――あれから数年。リーゼロッテはジェラルドの厳しい指導に耐え、ついには一人前と呼ばれるほどの狩人にまで成長した。だが、不安要素が彼女の中から消えたわけじゃない。
「殺してやる……殺してやる……っ!」
あの時。ジェラルドの死がグレッグによるものだと分かった瞬間。リーゼロッテの纏う空気が変わった。これがジェラルドの恐れていたものだと気づいて、クリフは咄嗟に引きとめた。
今後のことを考えないリーゼロッテの衝動。技術を身につけた彼女の唯一の危なっかしい面だ。それはいつかジェラルドの言うように彼女を死に急がせる。だから、自分が傍にいて止めないといけない。リーゼロッテには自分がついていないといけないと、改めてそう確信した。
そうしてずっと二人旅をしていくつもりだったのに、突然あの弱虫が現れた。アレクとかいうガキンチョ。こいつからは危険な匂いがぷんぷんする。血腥いものとは違う、邪気の香り。あの魔物共と似た匂いだ。
こいつは危険だ! 何とかしてリーゼロッテを離れさせないとと、必死に抗ってみるものの、リーゼロッテは「大丈夫だよ」の一言で片付けてしまう。仲間が出来て、少し嬉しそうだった。
以来三人で旅をすることになった。リーゼロッテは前より元気を取り戻している。会話を交わせない自分と違い、アレクの奴は話せるから、きっと楽しいんだろう。ますます気に食わなかった。
その後も危なっかしい面はいくつかあった。大蜘蛛に立ち向かったり、ギルドハンターに捕まったり……悪魔収容施設に連れてかれた時は気が気じゃなかった。
助けたい、救いたい。その気持ちばかりが先行しても自分の体でできることぐらい馬である自分にも理解出来る。故に古城を前に、自分がどう動けばいいのか分からなくなった。自分がこんなにも無力だと痛感した。そんな時―――
「リーゼロッテは俺が連れ戻す。絶対に。男同志の約束だ」
弱虫アレクがそう言い放った。こいつはいつも威勢のいい言葉ばかりを並べる。その度にリーゼロッテに迷惑をかけてずっと腹立たしかった。でも、その時言い放った目は少し、いつもと違っていた。あんな城壁を登るなんて不可能だと思ってたのに。連れ戻すなんて本気で期待していたわけじゃなかったのに。結果、こいつは本当にやり遂げた。
待っている間、その辺を落ち着く気なくウロウロと歩き、水柱が上がったのを見て、すかさず水の中に入った。泳ぎは得意じゃないが、それでも自分に出来ることを諦めずにやってみたかった。根拠もなく何かを信じて動く人間のように。
「ク、りふ……約束、守ったぞ」
水から引き上げる際、そんな言葉が聞こえた。それで気づいた。こいつはそこまで弱虫でも悪いやつでもないと。だから少しは認めてやった。
「随分仲良くなったんだね」
「ま、まあな」
嬉しそうに目を輝かせてアレクが手を伸ばしてくる。でも、やっぱり気に食わないと、クリフはその場から黙って離れた。寄りかかっていたアレクが地面にずり落ち、悶える。
「やっぱり勘違いだったかも」
「……んだよ、しつけえ馬。俺が何したって言うんだ」
「いいじゃない。触りたくもない奴隷から乗せてやってもいい奴隷になったんだから」
「結局ずっと下に見られているじゃねえか!」
流石、リーゼロッテはよく分かっている、なんて馬鹿にしたようにアレクに鼻息をかけた。いつの間にか、こうして少し離れたところで二人を見るのが日課になっている。これもこれで悪くはないのかもしれない。あわよくばずっと、こんな時間が続けばなんて、そう願った。願っていた。
ドゴォン!
強烈な爆発音と共に体が宙を舞った。かと思えば地面に叩きつけられて身動きが取れない。じたばたと足を動かしているつもりが虚無を掻き、自分の下半身が吹き飛んだことを知った。
クリフは感じた。これから自分は死ぬのだと。酸素を運び出し、排出する呼吸がままならず、痛みが熱となって体を蝕む。死にたくない、そう思うより先に気がかりだったのはリーゼロッテだった。
「クリフ……なんで……死んじゃやだよ……」
感覚の失った自分の体に顔を埋めて、リーゼロッテが泣きじゃくりながらブツブツと悲しみの声を漏らす。少しあげたその顔をクリフは真っ黒な目に映した。大きな灰色の目は影がかかり、光を失って見開かれる。ボロボロと涙を流すそれは虚空を映し、なんだかなによりもおぞましいものに感じた。
「誰……誰がクリフにこんなことしたの……」
喉奥から出された低い声は掠れていた。誰、誰? と呟く様子には生気がなく、クリフは肉食動物と向き合っているかのような寒気を感じた。あの時に感じたものと全く同じだ。でも、今の自分には止められない。そう思った時、あの弱虫アレクと目が合った。
「ヒヒン……」
言語が通じないのは分かっている。けれど、託すしかなかった。もう自分には叶わないから。お願い、リーゼロッテを守って、と。
その呻きに彼はすぐさま狼に変身した。わかったとばかりに無言で自分と目を合わせることもなく、暴れるリーゼロッテを連れ出し、駆ける。それを見て、クリフは理解した。
―――ああ、そうか。もう、自分が居なくてもリーゼロッテを止めてくれるやつがいるんだ。
ありがとう。駆けていくその背中を目に映したまま、クリフは安心して力尽きた。
怒鳴り声に耳を立て、頭を伏せていたクリフは首を高く持ち上げた。目線の先には獲物の前に飛び出そうとしていた黒髪の少女と、その腕を掴んで引き止める厳つい男の姿がある。
「何をしようとしていた! リーゼ!」
「だって、弓が当たらないから……でも、仕留めなきゃ……って」
「馬鹿野郎! 獲物の前に飛び出るバカが何処にいる! 下手したらそれで死ぬこともあるんだぞ!」
何回言ったら分かると目の前で怒鳴りつけられ、リーゼロッテは少し肩を飛びあがらせてから「ごめんなさい」と目を伏せた。
「倒さなきゃって……でも止まってくれないから、体が勝手に……」
リーゼロッテの言葉を遮るようにジェラルドはため息をついた。感情ばかりが先行して、体がただ動かされる状態。いわゆる衝動的な行動と言うやつだ。どうにもリーゼロッテにはその行動が目立つ。
「……いいか。リーゼロッテ、何においても。感情に支配されるようなことがあってはならない。お前は人より少し……衝動的な面が強い」
好奇心や怒り、悲しみにおいても、感情というのは全ての行動の原動力になる。だが、それに振り回されているようではこの先確実に悪目に出るのはまず間違いない。狩りでは感情に波風を立てず、冷静に行動することが大事だ。
「ごめんなさい。もう一回……頑張るから……」
お願い父さん、とリーゼロッテは見上げて服を掴む。ジェラルドは手で顔を抑えるが、愛娘の願いを断ることも出来ずに少し間を置いてから「わかった。次やったら、今日は終わりだからな」と肩を脱力させた。こくこくと頷き、嬉しそうに前を走っていくリーゼロッテに「全く心配だ」とジェラルドがクリフを撫でた。
「クリフ……お前から見てあの子はどう思う? 立派な狩人になれると思うか?」
赤外套を翻す背中にクリフはブルりと呻く。まず無理だ、と言いたげだ。だよな、とジェラルドが鼻で息をつく。
「だが、あの子の気持ちは人一倍強い。才能がなくても、何度も何度もミスして怒鳴られても、諦めない。そこがリーゼの強みだ。俺も認めている。もしかしたら、いつか本当に狩人になっちまうなんてことがあるかもしれない」
ぶふうと鼻息をついて、クリフは「それはない」とばかりに首を横に振った。ジェラルドも厳しいようで全体的に甘い。まず、あんな危なっかしいやつに弓を握らせるなと思った。
「そしたらリーゼを狩人にした俺たちにも責任がある。あいつは……衝動的になると周りが見えなくなるみたいでな。技術はこれからつけていくにしろ、一番の不安要素はそこだ。それではいつか早死してしまう。だから、もしその時は俺と、お前であの子を止めるんだ。いいな」
そんな日なんてないと思うけど。けれども主人の真剣な瞳に、クリフは下を向いて足を掻きながらブルリと返した。
―――あれから数年。リーゼロッテはジェラルドの厳しい指導に耐え、ついには一人前と呼ばれるほどの狩人にまで成長した。だが、不安要素が彼女の中から消えたわけじゃない。
「殺してやる……殺してやる……っ!」
あの時。ジェラルドの死がグレッグによるものだと分かった瞬間。リーゼロッテの纏う空気が変わった。これがジェラルドの恐れていたものだと気づいて、クリフは咄嗟に引きとめた。
今後のことを考えないリーゼロッテの衝動。技術を身につけた彼女の唯一の危なっかしい面だ。それはいつかジェラルドの言うように彼女を死に急がせる。だから、自分が傍にいて止めないといけない。リーゼロッテには自分がついていないといけないと、改めてそう確信した。
そうしてずっと二人旅をしていくつもりだったのに、突然あの弱虫が現れた。アレクとかいうガキンチョ。こいつからは危険な匂いがぷんぷんする。血腥いものとは違う、邪気の香り。あの魔物共と似た匂いだ。
こいつは危険だ! 何とかしてリーゼロッテを離れさせないとと、必死に抗ってみるものの、リーゼロッテは「大丈夫だよ」の一言で片付けてしまう。仲間が出来て、少し嬉しそうだった。
以来三人で旅をすることになった。リーゼロッテは前より元気を取り戻している。会話を交わせない自分と違い、アレクの奴は話せるから、きっと楽しいんだろう。ますます気に食わなかった。
その後も危なっかしい面はいくつかあった。大蜘蛛に立ち向かったり、ギルドハンターに捕まったり……悪魔収容施設に連れてかれた時は気が気じゃなかった。
助けたい、救いたい。その気持ちばかりが先行しても自分の体でできることぐらい馬である自分にも理解出来る。故に古城を前に、自分がどう動けばいいのか分からなくなった。自分がこんなにも無力だと痛感した。そんな時―――
「リーゼロッテは俺が連れ戻す。絶対に。男同志の約束だ」
弱虫アレクがそう言い放った。こいつはいつも威勢のいい言葉ばかりを並べる。その度にリーゼロッテに迷惑をかけてずっと腹立たしかった。でも、その時言い放った目は少し、いつもと違っていた。あんな城壁を登るなんて不可能だと思ってたのに。連れ戻すなんて本気で期待していたわけじゃなかったのに。結果、こいつは本当にやり遂げた。
待っている間、その辺を落ち着く気なくウロウロと歩き、水柱が上がったのを見て、すかさず水の中に入った。泳ぎは得意じゃないが、それでも自分に出来ることを諦めずにやってみたかった。根拠もなく何かを信じて動く人間のように。
「ク、りふ……約束、守ったぞ」
水から引き上げる際、そんな言葉が聞こえた。それで気づいた。こいつはそこまで弱虫でも悪いやつでもないと。だから少しは認めてやった。
「随分仲良くなったんだね」
「ま、まあな」
嬉しそうに目を輝かせてアレクが手を伸ばしてくる。でも、やっぱり気に食わないと、クリフはその場から黙って離れた。寄りかかっていたアレクが地面にずり落ち、悶える。
「やっぱり勘違いだったかも」
「……んだよ、しつけえ馬。俺が何したって言うんだ」
「いいじゃない。触りたくもない奴隷から乗せてやってもいい奴隷になったんだから」
「結局ずっと下に見られているじゃねえか!」
流石、リーゼロッテはよく分かっている、なんて馬鹿にしたようにアレクに鼻息をかけた。いつの間にか、こうして少し離れたところで二人を見るのが日課になっている。これもこれで悪くはないのかもしれない。あわよくばずっと、こんな時間が続けばなんて、そう願った。願っていた。
ドゴォン!
強烈な爆発音と共に体が宙を舞った。かと思えば地面に叩きつけられて身動きが取れない。じたばたと足を動かしているつもりが虚無を掻き、自分の下半身が吹き飛んだことを知った。
クリフは感じた。これから自分は死ぬのだと。酸素を運び出し、排出する呼吸がままならず、痛みが熱となって体を蝕む。死にたくない、そう思うより先に気がかりだったのはリーゼロッテだった。
「クリフ……なんで……死んじゃやだよ……」
感覚の失った自分の体に顔を埋めて、リーゼロッテが泣きじゃくりながらブツブツと悲しみの声を漏らす。少しあげたその顔をクリフは真っ黒な目に映した。大きな灰色の目は影がかかり、光を失って見開かれる。ボロボロと涙を流すそれは虚空を映し、なんだかなによりもおぞましいものに感じた。
「誰……誰がクリフにこんなことしたの……」
喉奥から出された低い声は掠れていた。誰、誰? と呟く様子には生気がなく、クリフは肉食動物と向き合っているかのような寒気を感じた。あの時に感じたものと全く同じだ。でも、今の自分には止められない。そう思った時、あの弱虫アレクと目が合った。
「ヒヒン……」
言語が通じないのは分かっている。けれど、託すしかなかった。もう自分には叶わないから。お願い、リーゼロッテを守って、と。
その呻きに彼はすぐさま狼に変身した。わかったとばかりに無言で自分と目を合わせることもなく、暴れるリーゼロッテを連れ出し、駆ける。それを見て、クリフは理解した。
―――ああ、そうか。もう、自分が居なくてもリーゼロッテを止めてくれるやつがいるんだ。
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