赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 三章

25優しい光に包まれて(挿絵あり)

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 赤くなった球体を見上げるエリザの表情は暗い。城に入ってきたのがジェラルドの子供を殺したような悪魔なら、こんなに心を痛めることもなかっただろうに。

「……全く嫌な奴だ、私は」

 あんな子供を殺しておいて自分の心はこんなにも安心している。アレクという少年の話を聞くに、彼女はきっと悪い存在ではなかった。ただ彼女が「悪魔」というだけの話。きっと、この悪魔狩りで多くの悲しみを目の当たりにしてきたに違いない。本当に、哀れな子だ。
 その球体に対してエリザが背を向ける。それを待っていたと言わんばかりに空間の黒い歪みから現れたジークが、球体に大きく腕を振りかざした。赤い球体は縦に割れ、大量の赤やぐねぐねとうねりのある縦長の臓が滴り落ちる。胸当てやガジェットアームなどの硬い防具はへし折られ、血まみれになった服がきらりと輝く光と共に床に落ちていった。と同時に空中で体が構成されていき、黒髪の少女が地面に膝をつく。

「かっ……は……あぁぁぁ……」

 視界が赤く、ぱちぱちと異様なほど光を集めるのでたまらず目を瞑り、息を整えた。そのまま、地面に額をつけて体を抑える。血にしばらく漬かっていたせいで服が真っ赤だ。

「大丈夫? 悪魔のお嬢さん」

 聞き覚えのある声にハッとして顔を上げる。自分の側に立っているのはキッドのアジトでも見た月狼だ。

「なっ……で! がっ……ご……」
「無理しないでよ。まだちゃんと再生できていないみたいだしさ」

 その会話を見届けていたエリザはじっと睨みつけるようにして「ジーク」と名前を呼んだ。

「君とは一度話し合いをするべきだな……二百年ほど」
「あははっ。なにそれ、僕を退屈死にさせる気? 今見て分かったろ? どんなにぐちゃぐちゃにしたところで彼女は何度でも復活する。僕の記憶は真実だって」

 嘘も小細工も一切してないと、月狼が腕を伸ばして告げる。「それならば何故邪魔をした」立て続けにエリザが問いかけた。

「彼を解放したのも君だろ? 何が目的だ」
「そう怒るなよ、賢者様。その方が面白いものを見れると思ったのさ。囚われていたお姫様が敵側について元仲間に襲いかかる。けれど、仲間の呼び掛けに最後は目を覚まし、大逆転―――熱くていいだろ? 一度希望を見せた方が、落ちた時の展開が心地いいものだよ」
「またわけのわからないことを……私との契約を忘れたか? もし裏切るようなら……」

 頭を抱えるエリザに「今ここで僕と争っても賢者様の体力を消耗するだけだよ」と月狼が笑いながら返す。

「魔族との休戦契約。今は魔物も増えてるってのに、これ以上問題を増やす気かい?  僕は構わないけれど、女王として賢い行いとは言えないね。こちら側の世界に干渉できないのは、賢者様の大きな弱点だよ。いつまでも人間ぶって国を守ろうとするから苦労するんだ」
「自分の役割を全うして何が悪い……!」

 余裕ある表情で返す月狼に、エリザの表情は強ばったままだ。「おー、怖いこわい」月狼が片足に重心をかける。

「……安心してよ。僕はこの戦いを邪魔したいわけじゃない。ただ、一瞬で決着をつけるやり方は好みじゃないんだ。最期なら尚更。次、あんな決着をつけようとしたら、また邪魔するからね。そこのところよろしく」

 さて、と月狼が見下ろした頃に、リーゼロッテは傍にあった剣鉈を使ってフラフラと起き上がった。

「そろそろ回復できたろ?」

 その言葉に俯いたまま動きを止める。この魔族は、一体なんなのだろう。こうして回復するまでの時間を稼いでくれたのか。

「……な、で。たすけ、る」
「今言ったろ。最後の盛り上がりに相応しくないんだ。君が女王を殺すか、君が殺されるか。まあ、結果は見えてるんだけどね。それでもその足掻きがあった方が、終わりを楽しめる。そうだろ?」

 ああ、そうか。この魔族は最初から最後までただ自分が楽しめればそれでいいのか。例えるなら、物語を眺めるだけの読者のように。そうやって人の人生を傍観して、自分の理想の終わりを見たいのだ。
 仲間を助けるために最後の敵に挑んみ、勝利するハッピーエンドを。もしくは、最後の敵に及ばず殺されていくバッドエンドを。「ふざけるな」リーゼロッテが低い声で言い放った。


「これは私の物語だ! 私達の運命を……お前が決めるな!」


 張り上げた声に月狼は驚いたようだった。空気の震えに凄まじい気迫を感じる。

「貴方の思いどおりにはならない、絶対。私は……貴方の描く話の登場キャラじゃない! 話を裏で操っているつもりの脇役は主役わたしに口出ししないで!」

 かつて自分にここまで言えた人物がいただろうか。いいや、女王でさえここまで言ってきたことはなかった。だからこそ、楽しい。「言ってくれるね」月狼が愉快そうに笑った。

「……君ってやっぱり面白いなあ」

 いつも自分の想像を裏切ってくれる。魔族のヤツらと違って、操れない存在。大抵の人は異端を嫌うものだ。他人と同じであれば安心できる。だが、何億と命がある中で埋もれていたって、変わらぬ風景があるだけで面白みがない。だから、異端であり続ける彼女に惹かれた。

「……じゃあ、見せてよ。君の物語ってやつをさ」

 楽しみにしてる、そう言い放つと自分の周囲に黒いモヤが現れる。そうしてからゆっくりと後退するようにして、月狼は消えていった。神出鬼没とは知っていたが、あんなふうに消えていくんだなと、リーゼロッテは月狼がいた場所を見つめる。

「全く、分からないやつだ」

 正面から再びエリザの声が聞こえてきた。

「邪魔が入ったな……まさか君が不死身だったなんて。良かった……普通の生物じゃない、なら。私も腹を括れる」

 エリザが拳を作って握りしめた。横に片手を広げると、空中から光の魔法陣が無数に現れ、金色の槍らしきものが一斉にこちらへ向けられる。
 もう戦う道しかないのか。やはり、どちらかが死ぬ未来しかないのか。グッと噛み締め、武器を拾おうとする。でも、本当にそれでいいのだろうか。これじゃあ、月狼の言う終わりしかない。あんなやつの言いなりになんてなりたくなかった。
 それならば、と武器を手放し、まっすぐ向き合う。先程の圧死でガジェットアームも、胸当てなどの装備品もない。正真正銘の、丸腰だ。

「……どうした? 何故武器を構えない」
「初めから言っている通りです。私は父さんがくれた言葉で、解決させたい。貴方は街の人からも慕われていて、悪い人じゃない。ただ国を守ろうとしているだけ。そんな人を傷つけたくはないです」

 僅かにエリザは震えた。先程、あれだけ手酷く殺してしまったというのに、まだそんなことを言うのか。本当に彼女は予言の悪魔ではない? そんな疑問が思い浮かぶ。だが、それが嘘だったら? 不死身のように別の能力があったら、予言通りの未来が待っているだけだ。

「そうやって油断を誘う気なのか……! 同情に訴えかければ私が攻撃できないと?」
「違う! 誰も傷つけない。人殺しになんかならない。父さんとの約束したんだ……! だから、私は貴方がなんと言おうが、戦わない!」
「ふざけるな!」

 張り上げられた声と同時に無数の槍が飛んでくる。リーゼロッテはそれを避けずに真正面から受けた。目に、喉に、腹に、様々な場所に槍が痛々しく刺さる。血が大理石に滴り落ち、その場に真っ赤な絨毯を作った。光の粒子となって槍が消えると、リーゼロッテは膝から崩れ落ちる。が、すぐに起き上がった。


「かっ……はぁ……諦めるもんか……! 何度死んでも! 何度でも立ち上がる! 何度でもここに、戻ってくる!」


 その意志の強さに、エリザは引腰になった。「やめてくれ!」そう頭を切り落としても、足を切り落としても、目の前の彼女は真っ赤になりながら立ち上がった。隙間なく体を斬ってもすぐに回復してしまう。先程とは比べ物にならない速さだ。こんなに再生能力が高いやつなんて聞いたことがない。やはり最初のやり方で一気に殺すしかないのか。考えたところで、とある想定が頭の中を過った。

 そういえば、彼女が再生する前に衣服の中に見えた明らかな異物―――それを中心に彼女は復活したような気がする。あの、光を―――


「……そうか。そうなのか」


 俯いたままエリザが呟く。全ての謎が解けたような、スッキリした様子だった。くっつけた手を伸ばすようにして光の槍を生み出し、構える。これまで以上に太く、強い光のゆらめきが込められていた。その自信にまずい、とリーゼロッテは本能的に震えながら息を吸った。

「私の勝ちだ」

 大きく振りかぶるようにして投げつけられた。それも自身の中心を狙っている。まさかコアの在処を知られたのだろうか。迷いのない槍の行く先を止めることが出来ず、光は自身の胸に刺さり吹き飛んだ。体全体を光で覆われる感覚。自分が光っているのか、または槍によるものなのか分からないくらいに眩く、何故だか心地いい。どこかで見た光だ。

「あっ……」

 目元で腕を構えると、ピシピシと耳に大きくヒビが入る音がした。直後、頭の中に思い浮かんだ死に涙が浮かぶ。ここまで来て結局、月狼の言う通りになってしまったのか。自身が倒れる速度だけスローモーションにみえ、大粒の涙が宙を舞う。そして目を閉じる瞬間に父の、大好きだった笑顔を見た気がした。







「だいぶこっちは片付いたな」

 背中合わせのままキッドとリカルドが息を切らす。「疲れたあ」そう言ってキッドが倒れそうになり「おい、しっかりしろよ兄ちゃん」とリカルドは慌てて服を掴んで引き止めた。ふと、廊下の奥からバタバタと多くの足音が聞こえてくる。

「……嘘だろ」

 廊下の奥からやってきた援軍に青ざめる。どうやら王城の危機を聞きつけて、遠征軍が戻ってきたらしかった。それはエントランスも同様である。

「男同志の対決に水を差すとは、兄様は本当に意地が悪いですね」

 柱に括り付けられ、不満そうにするルーファスに「なんとでも言えばいい」と同じ赤髪の騎士が冷たくあしらった。その足元には黒狼の姿がある。

「陛下は無事なんだろうな? 何かあったら……」
「今、玉座には行かない方がいいですよ。先程陛下の魔力を感じられました。もう、あの悪魔は助からないでしょう。例え不死身でも」

 その声に倒れていたアレクは弱々しく目を開けた。リーゼ、と王室の扉をじっと眺める。




「はっ……はっ……?」

 倒れてからもしばらくリーゼロッテの呼吸は続いた。何故? 割れた音がしたのに何故生きているのだろう。ふと目線を下げ、服の中を見てみると、そこには変わらず首から下げている角笛と、割れたルシールのお守りがあった。いつもなら矢筒に括りつけているはずなのに―――

「そっか……キッドのアジトでここに入れっぱなしだったんだ……」

 起き上がりながら服の中から割れたものを取り出す。また、守られてしまったな。その欠片を手に取って握りしめた。

「……っ、何故……何故神はその者を生かす!?」

 動揺する声を横耳にしながらフラフラと立ち上がった。鼻から垂れた血を拭い、一歩一歩歩き出す。ついに、玉座の前から動こうとしなかったエリザの元にたどり着いた。

「何故……! 今の光は間違いなく……! 何故だ……!」

 エリザを中心に衝撃波のようなものが広がった。国中を揺るがすそれは風のように広がり、玉座の背後にある壁を崩す。地面が揺れ、縦に割れていき、いよいよ災害のようだ。割れた地面は風船のように浮き上がり、リーゼロッテの周囲に留まる。これでは逃げようがない。

「頼む……! 倒れてくれ……! 私は君を……殺したくない……!」

 涙を流す様子にリーゼロッテは目を瞠る。矛盾に思えるその言葉だが、それはエリザ自身の本音のように思える。
 一歩更に踏み出した途端に、宙に浮かんでいた地面が一斉に襲いかかってきた。これだけの量に潰されたら今度こそコアが潰される。もうダメだ―――コアを守るようにして自然と胸に手を当て踞った。


クォオオォォォォ!


 途端に耳を劈くけたたましい音が辺りに響いた。波及し、大きな風を感じる。何かの生物の咆哮のような―――けれどもどこかで聞いたことがある声だった。

「……あ、れ?」

 直後、空気が重々しくなった。というよりは自身の体が重くなった、というのが正しい。周囲は時が死んだかのように静かになり、砕かれた壁の瓦礫や早朝の空を飛ぶ鳥はその場でピタリと動きを止め、模型のようになっている。トドメをさそうとしていた女王は狼狽を目に映し、呼吸を乱した。

「な、ぜ……貴方が……」

 吹き抜けとなった女王の背後に、背景を映しとった体が蠢いているのが見える。というよりは、透明の何かがそこにいるようだ。

「……ドラゴン―――?」


 吹き抜けから長い首をこちらに向けるようにして見えるのは、間違いなく一匹のドラゴンだ。透明のソレは少しずつ現実に色味を出していき、白金の体が姿を現した。ぱっちりと赤い双眸をこちらに向ける。

「久しいな。フォルティアナ」

 重々しく、けれどもハッキリと脳内に響く声だ。「グラン、ゼルス様―――!」体が硬直し、その場から動けないままエリザがゆっくりと名を口に出す。よく聞く名前にリーゼロッテは息を飲んだ。この世界で言うところの神―――そんな存在がなぜこんな所にいるのだろう。
 グランゼルスは長い首を吹き抜けに向け、倒れるように傾いた。そこから体が変形し、滝のように落ちていく。大きな風で一瞬目を閉じ、開けた時には、目の前にエリザとよく似た幼い少女が立っていた。ニコリとこちらを見て笑ってみせてから、とたとたと駆け寄ってくる。

「何故……! まさか、わざわざ止めにきたのですか! そんな事のために何故貴方が動くのです! そんなに私を殺したいのですか……! もう貴方に私は……!」

 気が動転したようにエリザが声を張った。それに対し、口元に人差し指を当てながらグランゼルスが「しー」と言葉を遮った。とん、と肩を押されると体の自由が戻る。

「えっと……本当に……グランゼルス、様?」
「世界の呼び名はそう。本当の名はグランティア・ゼルネス・トゥーア……姿を見せるのは初めてだね、リーゼロッテ」

 親しげな接し方に混乱してしまう。眉をひそめているとグランゼルスは「ボクはずっとキミの傍にいたけど」と胸を指した。どうやら父から貰った首飾りを指しているようだ。

「それはボクの骨の一部……友好の証にジェラルドに送ったものなんだ。キミがそれを身につけてから、ボクはずっとキミを見ていた……まあ、ちょくちょく手助けするようなことはしたけどね」
「あっ……」

 ローレアズ村のフォレストファング戦を思い出す。クリフのピンチに、気を引かせるために初めて角笛を吹いた時だ。まさかあれがこの世界の神と呼ばれる竜のものだったとは。

「……もしかして、さっきの光の槍も? それだけじゃない……あの光はナサゴ村でも……」

 考えてみれば、石化をルシールのお守りで反射して返すなんていくらなんでも無理がある。相手はあの魔族のバジリスクだというのに。先程の光の槍も同様だ。そもそも神が父と顔見知りというのはどういう事だろう。いよいよ頭が混乱してくる。

「ああ、勘違いしないでくれ。ボクの意志だけで助けようとしたんじゃない。キミの傍に居る亡き者たちの意志にちょいと力を乗せただけだ」
「えっ……と」

 そこから考えて黙り込むリーゼロッテに「少し、昔話をしようか」とグランゼルスが口を開いた。

「そこにいるフォルティアナ……君たちの言う女王はこの地が竜に支配され、更地だった時代にボクが生み出した存在だ。地上を守るように使命を与えてね。確か、君たちは賢者と言うんだったか」
「あっ……」

 ドラグシアの始まりとされる伝説が頭を過る。そういえば月狼も彼女を「賢者様」と言っていた。女王陛下があの災厄を封じ込めた賢者―――初めから勝てるはずなんてなかったじゃないか。

「つまり、彼女はレヴィナンテ朝第六代女王であり、この国が出来て最初の女王でもある。この国がレヴィナンテになるずっと前より、この世界は彼女によって守られてきた……けれど、彼女は完全な存在ではない。実体を持つ以上、リスクが伴う。魔力という概念そのものである魔族とは違ってね。そこが唯一、彼女の弱点だ」

 グランゼルスの言葉にエリザは目を伏せた。月狼が言っていた弱点というのはそういうことだったのかと、リーゼロッテは一人思う。

「リーゼ。キミは何故彼女が人から賢者だと知られず、この国の女王として君臨し続けていられるか分かるかい?」

 その問いに無言で首を振った。キミと同じだよ、とグランゼルスが笑う。

「彼女の体はこれまでに何度も死んでいるんだ。けれど、賢者の本体は彼女の中にコアとして眠っている。ボクは彼女の器を用意して、定期的にコアを移し替えているんだ……作られた不死身。不完全な者。キミ達には共通点が多い……つまりはまあ、体が死に、コアまで壊されたら、彼女は死ぬ事が出来るのさ」

 コア、の言葉に自身の中から発する「鼓動」を感じる。コアを中心に再生する自分と、コアが本体でありその度に体が変わっていく女王。彼女も自分と同様、人間になりきれないものだったのか。

「……ところでキミは、生贄文化を知っているかい? 知らないはずはないと思うけど」

 生贄の単語と同時に思い出されるのはナサゴ村のニナとルシールだ。同時に、話の流れを思い出してゾッ、と血の気が引いていく。「キミの考えている通りだよ」とグランゼルスが笑った。

「ボクはとある村の生贄の娘に手を加えて、女王を生み出していた。コアを入れた途端に記憶も魔力も賢者のものになる。毎度女王の顔が変わっていたのはそういうことさ。だから誰にも怪しまれることはなかったし、賢者の力を使えば意図的に体の成長を早めることが出来た。王家は一切非公開にして、時が来たら代替わり。そうやって代を乗り切っていたけれど、魔族に情報が漏れたらしくて、邪魔が入ったんだ。たった百年にも満たない間だったけれど」
「……じゃあ、私が止めたのは」

 そういう事だよ、と間を置かずに告げられた。その笑顔にないはずの心臓がヒヤリとする。

「でも、あいつらが来たのはタイミングが悪かった。だから久々にボクが彼女を産んだのさ。自分の一部を削って―――始まりの時以来だ。その際にかなりの体力を消耗した。しばらく動けなくなって、森の奥に身を潜めるしかなかった。その時に、ジェラルドに会ったんだよ」
「父さんに……?」

 ああ、と顔を覗き込むようにしてからグランゼルスが更に続ける。

「彼も自分の一部を失っていたみたいだ。酷く心を痛めていてね……ギルドハンターで言えばドラゴンなんて最高級の素材だ。それもボクのなんて、売れば一生遊んで生きていけるだけの金が手に入る。けど、彼は言ったのさ。ドラゴンなんてもう懲り懲りだって」
「あっ……」

 そうか。父さんが妻子を亡くしたきっかけはドラゴン討伐に行ったことだ。恐らくその後にグランゼルスと出会って、と頭の中で整理する。

「変な男だったよ。それから、動けないことを知ると彼は魔物の手からボクを守ってくれた。その際にとある魔族もやってきてね。彼は目に引っかき傷を作った……失明はなんとか免れたみたいだけど。それでもボクのために戦ってくれた……ボクは死ねないのにさ、痛みはあるんだろって。無駄だって言ったけど、彼は言ったよ。人は無駄な事が好きなんだってね。こんなに心地のいい人間は生まれて初めてだったんだ」

 じゃあ、あの目の傷はその時に付けられたものだったのか。ドラゴン退治でと話を聞いていたが、そういう事情がと、一人納得する。

「何とか動けるようにまでなって、ジェラルドと別れる時。ボクは彼に友好の証として自分の体の一部をやった。それがボクの喉あて。他のドラゴンにはあまり見られない小さな骨片の装甲板だ。ボクにとっては大切な場所。珍しいし、小さくても端金になると思ったんだけどね。彼はそれをずっと肌身離さず、お守りとして持っていたみたい。そして、悪魔の君に託した」

 そんな大切なものをとネックレスを見た。変わらずきらりと輝いているそれをリーゼロッテはぎゅっと握りしめる。

「……あの男が命をかけて守った存在。だからボクはキミに興味があった。血の繋がりのない、実娘でない悪魔を何故守ったのか―――ましてや悪魔は彼から全てを奪った呪われし存在なのに。でも、キミを見ていて分かった気がするよ」

 首を傾げるリーゼロッテに、グランゼルスが少し間を置いてからゆっくりと告げた。

「これまでの旅で、キミは自分が傷ついても誰一人傷つけようとはしなかった。その選択をできる人間が、この地にはどれだけいるだろう……ボクはね、悪魔であるキミ達を見下していたんだ」

 俯き、気を落としているかのような語調だった。悪魔に反応してリーゼロッテが何度も瞬きする。

「かつてはたった一つの命。残念なことに、幸福のまま死ねる人間はそう多くない。どうしようもなくて、死に逃げなければならない者が少なからずいる……希死念慮に捕らわれ、周りが見えなくなっていき、結果、命を軽率に見るものが多くなった。
 どうせいつか死ななくてはならないのに、死を逃げ道として使っているんだ……ボクには分からない。死の概念がないボクたちは日々の感情が薄れていく。やがては生き物としての慈愛や温かさも忘れていき、あるのは永遠の時間だけだ。
 短い時間の中だからこその喜びや痛みが実感できるというのに……それを逃げるための手段だなんて。まあ、単に嫉妬したのさ。だからキミたちを更生させる為にこの世界へ呼んだ。ボクたちと同じように永遠の命を与えて……分からせてやると思った」
「それで悪魔にあんな呪いを……」

「神も人間も案外大差ないだろ?」とグランゼルスは力なく笑った。

「自分勝手で他者の痛みにだって無関心だ。だから非道でいられる。それで世界は回る。でも、キミたちは違っていた……命を尊重し、多くの繋がりを得てここまで来た。人として大切なことに気づけたから、ジェラルドはキミを生かしたんだろう。そして最後は一人の親として死んだ……血の繋がりのない者を守ったって得する事なんて何もないのに、無駄に思えることに彼は全てをかけたんだ……それはキミも同じ。
 目的が逸れても、自分の身が危険にさらされても、他者を救った。そこから生まれた繋がりにこそ本当の意味がある。初めから無駄なことなんてなかったんだ……間違っていたのはボクの方だった。ジェラルドはきっとこれをボクに見せたかったんだろうね」

 グランゼルスが目を瞑る。時の止まった世界での沈黙はいつもより長いように思えた。

「……だから。キミたちには感謝してるよ。大切なことに気がつかせてくれてありがとう、リーゼ」

 向けられた赤目にリーゼロッテは優しく目を細めて笑った。完璧で、無駄がないのが神のイメージだったのに。案外、人間らしいところもあるんだなと思う。その言葉に何度か口を開閉してから「お、お待ちください!」とエリザが言い放った。

「予言では私が悪魔に殺されると……この者ではなかったということですか……?」
「いや、彼女で間違いないよ」
「なら、何故……予言が外れたとでも……!」

 未だエリザは混乱しているようだった。その様子を見てグランゼルスが呆れたように鼻を鳴らす。

「キミは相変わらず頭が固いな。それでいて臆病だ。自分の使命を全うすることばかりに囚われている」
「当然です! 私は、その為だけに生み出された存在なのですから……! それの何が間違いだと言うのです!」
「そうだね。キミには……その使命に拘束しすぎたのかもしれない。それが自分の幸せだと……けどね、人間はもっと自由でもいいんだよ。何かを成し遂げることが生きることの全てじゃない。生きる意味なんていうのは生まれた時から存在するものじゃなく、後付けなのさ。複雑で遠回り。それでいいんだよ。より人間らしさを出すために模倣して、ジョークまで覚えたのに、本物になるにはまだまだだね」

 その言葉にエリザが悔しそうに顔を歪めた。「考えてもみなよ」とグランゼルスが続ける。

「ボクの予言が外れたんじゃない。この子が運命を変えたのさ。結果、敵であるキミのことさえも救った」
「そんなことが……!」
「できるさ。神は運命を告げることしか出来ない。けれど人は、いくらでも自分の意思で運命を変えることが出来る。それが齎した結果だ……ボクたちは彼女の力に負けたのさ」

 脱力したようにエリザはその場に膝をついた。それなら自分はなんのために、と顔を俯かせる。

「女王陛下……」

 そうなるのも無理はないだろうとリーゼロッテは思う。彼女は悪人じゃなかった。悪魔狩りで多くの命にしたことは許されることじゃない。それを知った上で覚悟していたことが全て無駄だったなんて。心配してかける声を考えていると、見ていたグランゼルスが「大丈夫だよ」と告げる。

「彼女はボクの分身だ。きっと今は混乱しているだけ……こんなに取り乱して、声を張り上げて―――彼女も随分人間らしくなったな」

 初めは人形のようだったのにと、笑ってみせてから「さて、リーゼ」とグランゼルスが切り替えるようにして口を開く。

「キミの旅はこれで終わりとなる。その前に、大切なことに気づかせてくれたキミへの感謝を込めて、ボクからサプライズプレゼントだ。キミの願いを何でもひとつ叶えてあげよう」
「……願い?」

 突然のことに首を傾げる。未だに情報が頭の中でまとまっていないというのに。

「そう。キミに選択肢をやると言っているんだ……安心して? 今はボクの力で時間が止まっている。戦っている者達の時間も今頃止まっている事だろう……そうだね。このままだとボク達が解決しても、キミの仲間たちは無事じゃ済まされない。それを止めることもキミにはできるということだ。全ては君に託されている」

 足底からぞわりと寒気が湧き上がる。何故そんなことを自分に託すのだろう。困ったように目をキョロキョロさせているとグランゼルスは「なんでもいいよ」と笑った。

「君の欲しかった温かい家庭。ジェラルドとの時間……そういえば君は貧乏にも困っていたっけ。途中で大切な親友と相棒も亡くしていたね。それならいっそ幸せだったあの頃に戻るとか……莫大な魔力を手に入れて、キミを陥れた者たちへの復讐―――選択肢は色々あるね」
「……なんで、そんな試すような……」
「リーゼ、それがキミの願いかい?」

 その言葉にグッと唇をかみ締めた。やはり神とは何を考えているかよく分からない。やりたいことは沢山あった。
 父さんとクリフ、リサにもう一度会いたい―――アレクとリカルドを無事なまま再会させてあげたい。ニナとルシールの幸せ、コルウスに殺されたキッドの仲間の復活。父さんがもう一度本当の家族に会えること―――考え出したらキリがなかった。

「私は―――」

 ふと、頭に浮かんだのは旅のきっかけとなった始まりだ。そうか。ずっと前から、自分の中にある願いはたった一つだけだ。


「……悪魔という存在を、なかったことにしてくれませんか」


 それを聞いてグランゼルスはキョトンと目を素早く瞬きさせた。思い描いていた願いとどれも違っていたからだ。少し間を開けてから「理由を聞いてもいいかな」と告げる。

「悪魔の存在がなくなれば、悪魔と関わった人間はの人生を歩んでいることになります。そうすればこの戦いは起きなかった。女王陛下も、気にやまなくて済みます」

 俯いていたエリザはハッと顔を上げた。「なるほど。実にキミらしい願いだ」とグランゼルスが笑う。

「ま、待て! 冷静になれ! そうすると君の存在も全てなかったことになるんだぞ!? 君に関する記憶も全て……」

 慌ててエリザが声を上げた。しん、と場が静まり返る中で「それでも構いません」とリーゼロッテが返す。

「私は元々この世界の住人じゃありませんから」
「なっ……」

 人の死は二度あるという。生物的な死と、誰からも忘れられた時だ。それぐらい記憶というのは大切なもののはずなのに。

「何を言っている……? 君は友人を助けるために命をかけてここまで来たんだろう? 他の者達も君を助ける為に―――」

 話を続けようとするエリザに「女王陛下」とリーゼロッテは遮る。

「知っていますか? 人は無駄な事が好きなんです」

 先程グランゼルスが話していたジェラルドの言葉の引用だった。じっと見つめ、更に続ける。

「例え無関心でも、目の前に困っている人がいたら救ってしまうのが人なんです。傷ついていたり、悲しんでいたりしたら、手を差し伸べてしまうのが人間なんです。そういった感情はきっと自分の利害によって生まれるものじゃない……いや、違うか。人の痛みがわかる人はきっと、どこかで誰かに助けられたいと願っている。だから自分も救われるために人を救おうとする。それが結果的に繋がりを得て人の優しさはできるんだと思います」

 父さんを批判する訳じゃないけれど、とリーゼロッテは慌てて付け足した。

「私はもう、救われました。色んな人達に出会って、色んなことを知れて……嫌なことも沢山あったけど、その度に支えてくれる人がずっと傍にいたから……悔いはありません。私がこの世界に来た意味はありました……だからきっと、全て無駄なことじゃない。
 人の運命は変えられる。私は変える力がある人達を知っています。だから、私が居なくても大丈夫。そう信じてます」

 言い切られた言葉にエリザは押し黙った。それを見ていたグランゼルスは「そう、いいよ」と割って入る。

「それがリーゼの願いなんだね」
「……はい」

 分かった、そう言ってグランゼルスは吹き抜けの方に向かって歩き、途中で振り返る。朝日が後光のように照らし、影のようになって見える。もう、夜が明けたのだ。

「リーゼ、最後に一つ聞いてもいいかな。この世に天国が存在すると思うかい?」

 その問の意味は分からなかったが、考えずしてリーゼロッテは笑顔で口に出した。

「―――」
「……そっか。残念だ」

 その直後、眩い光が吹き抜けから広がっていき、視界全体を白に染め上げる。リーゼロッテは自身の体が光の粒子になっていくのを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。


 どうか、皆さんの人生が幸福なものでありますように。
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