赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

文字の大きさ
上 下
26 / 32
第一部 三章

22二つの正義(挿絵あり)

しおりを挟む
 湿った空気が石造りの牢獄に充満している。一切の光を閉ざされ、足元には冷たい風が駆け抜けていき、湿気と相まって凍え死にそうだった。五感による全ての温かさを奪われ、心身ともにすり減らしていく。桎梏に繋がれた四肢を折りたたみ、黒髪の青年は隅の方で小さくなっていた。あれだけ嫌だった拘束が今はなんだか落ち着く。膝に顔を埋めていると、近づいてきた足音が青年の牢獄前で止まった。

「いつまで、そうしているつもりですか」

 威圧感の漂う声が、短く切るようにして放たれる。お前には関係ないだろ、と蹲ったまま返した。

「関係はあります。陛下がお呼びですから」
「嫌だ。ここから出たくない……こうして俺を縛りつけておいてくれ……」

 顔をあげようとしない青年に「私にそんな趣味はありません」と牢獄内にルーファスが踏み出した。

「せっかく個室も用意しているのにここを選ぶなんて。どうかしていますよ、貴方は」
「俺に似合いの場所だ」
「はあ……暗いですね。父親とは全く似ても似つかない……こんな場所にいるから腐ってしまうんです」

 何と言おうが今回ばかりは連れていきますよ、と付け足し、ルーファスが青年の拘束を壁から外した。鎖で無理やり引いていき、二人は地下を出ていく。

「どうです? 久々の外は」

 ルーファスの投げかけに対し、青年は俯いて何も答えようとはしなかった。これではまるで犬の散歩ですね、と嫌味な言葉が後から付け足される。しばらく歩いていくと、とある部屋の前へとたどり着いた。少し緊張した様子で扉をノックし「入っても良いぞ」と声を聞いてからゆっくりと前に押し出す。

「失礼します、陛下。連れてまいりました」
「ああ。待っていた」

 同時に荘厳な声が聞こえてきた。普通の声量だと言うのに、部屋の隅々まで通る明瞭な声だ。窓の前に立っていた声の主は白金の髪を翻して振り返り、にっと笑ってみせる。彼女がレヴィナンテ王国の女王―――ここに来てから、他の兵や自分を連れてきた赤髪の騎士にしか会っていなかったので、その姿は初めて目にした。
 想像していたよりも若く、無邪気に思える笑みだ。彼女があの悪魔狩りを政策に執り行っている最重要人物―――驚き開かれた口を何度か開閉させてから睨みつけ、青年の足は咄嗟に前に動きだした。恨み、悲しみ、怒り、様々な感情をぶつけるかのように勢いよくエリザに飛びかかる。が、手前まで行ったところで繋がれていた鎖に引き止められ、地面に伏した。

「私の言ったとおりになりましたね。やはりこいつは危険です。どうか処刑の許可を」

 片手で青年の本気の力を食い止め、冷ややかにルーファスがエリザに懇請する。まあ、そう早まるなとエリザが止めた。

「彼は私の客人だぞ。こちらに来てから意気消沈で、食事にすらまともに手をつけていないと聞いていた。このままでは餓死するのではないのかと心配していたんだが……なかなか元気そうじゃないか。安心したよ」

 その場で跪き、女王は青年を見つめながら「やあ、アレク・ルーナノクス君」と呼びかける。

「こんな紹介になってしまってすまないな。私の名はエリザベート……この国の女王だ。ここに連れてきてから挨拶もなしに無礼だと思ってな。少し会話の機会を設けさせてもらった。私は君に手荒なことをするつもりはない……が、彼がそうさせてはくれなくてな。だから、少し敵意を抑えてくれると嬉しいのだが」

 頼む、と優しく投げかけられる。アレクは顔を伏せながら考え込み、じっと上目で女王を睨みつけながら抵抗する力を緩めた。鎖でそれを感じとり、それでもと警戒を緩めようとしなかったが、顔を上げたエリザの目線に気づいてルーファスが渋々手を離す。

「……よし。こんなところで話すのも落ち着かないだろう。良ければそちらの席に移動して貰えないだろうか。紅茶もあるぞ」

 言われるがまま上半身を起こした。変わらず、まっすぐと見つめてくるアイスブルーの目は何だかリーゼロッテのものとよく似ている気がする。それによるものか何故だか落ち着いてしまい、無言のまま大人しく席に座った。

「ストレートとミルクどちらが好みだろうか。付け合せにルーファスお手製の茶菓子もあるが……」
「私はこんな奴のために作ったのでは……!」
「まあ、いいじゃないか」

 目の前で繰り広げられるやり取りにアレクは冷たい目線を送り、腕を組んでいた。お前が女王、ぽつりと放った言葉にルーファスがカッと目を見開く。

「貴様! 陛下に対してお前とは何たる無礼を……」
「ルーファス」

 遮るように名前を呼ばれ、ルーファスは眉間に皺を寄せながら大人しくなると、引き続き紅茶をカップに注ぎ始める。

「君の質問にはなんでも答えるつもりだ。話してみるといい」

 自分のティーカップに紅茶が注がれ終わってからも、アレクはしばらく口を開こうとしなかった。エリザは急かそうとせず、紅茶を飲んでアレクの反応をただ待つ。

「……何故、悪魔狩りを続ける。お前らが悪魔だと手配したリーゼロッテは、なんの罪もなかった。なのに……」
「ああ。知ってるよ」

 間を置かずにエリザが答えた。知っていた? 訝しげに目を細めるアレクに、エリザがティーカップを置く。

「殺された一般男性は、かつてギルドハンターの代表として悪魔狩りを提案した男―――ジェラルド・ヴェナトルだ。我々のように魔力を操ることが出来ないと言うのにも関わらず、人間的な力で多くの魔物討伐をし、国に貢献した。ギルドハンターで唯一、私が認めた男だ。そんな男が簡単に殺されるのもおかしな話だと思ってな。少し調べさせてもらった。彼を殺したのは君を連れてきた二人のうち一人の差し金によるもの―――」
「グレッグ……!」

 ギュッと膝の上で拳を作る。リーゼロッテの父親を殺し、クリフを殺した張本人だ。知っていたのか、とエリザは足を組んだ。

「分かっていたなら何故、誤報の手配書を出したんだ!! それでどれだけあいつが苦しい思いをしていたのか……!」

 強いようでリーゼロッテはどこか不安定だった。どれだけ大丈夫だと笑顔を振りまいても、辛さや弱さは心労として知らずに溜まっていく。今回のクリフの件で倒れたのがいい例だ。ドルミート村ではずっと様子がおかしかったし……と歯を食いしばる。君も予言は知っているだろう、とエリザが口をついて出た。

「理由はそれだけで十分だ。彼らの存在自体が、罪深い」

 次の瞬間、アレクは目にも止まらぬ速さで手を伸ばし、エリザの首飾りを掴んだ。やめろ! とほぼ同時に強い語調で言い放ち「落ち着け、ルーファス」とエリザが横目で訴える。見れば自身の首に当たるギリギリの場所に鋭い刃が突きつけられていた。静かすぎて気が付かなかったが、もし止められていなかったら自分の首は今頃宙を飛んでいただろう。剣の切っ先を向ける人物は静かな怒りをグレーの目に宿し、口を固く一文字に結んでいた。

「ルーファス。瞳孔が開いているぞ。私の客人といったではないか。今すぐ武器を納めろ。何度も言わせるな」

 語尾にかけてエリザが厳格な口調で言い放った。私には分かりません、とルーファスがアレクを睨みつけながら続ける。

「月狼といい、こんな忠誠心の欠けらも無い下劣な男を兵に引き入れようとするなんて。何故そこまでする必要があるんです? 陛下の護衛も、私一人で十分事足ります」
「悪い癖が出ているな。力を持つ者へ協力を頼んで、何がいけない。君の負担だって減る」
「私は負担になど思ってはいません。あなたが望むなら隣国を潰そうが、魔族を壊滅させようがやってみせます」
「はあ。私は別にそんなことを望んでいるわけじゃない。できるだけ争いは減らしたいと言ってるんだ。ここから先は一丸となっていかねば、平和は守れない」

 凛とした目つきは穏やかで、じっとルーファスを捉えている。くっ、と目を逸らし、ルーファスは重々しい動作で剣を鞘に収めた。

「すまないな、アレク。君が激昂する理由は知っている。悪魔とはいえ、旅の仲間であり友を亡くした―――それも自分の手で。まさか、ジークがあんなことをするとはな。君に辛い思いを残してしまったのは私にも責任がある。申し訳ない」

 深々とお辞儀され、アレクは戸惑うようにして手を離した。リーゼロッテを食い殺した自身の罪悪感に逃げ腰になる。なんなんだろう、この人は。何もかも見透かし、それでいて抱擁するかのような暖かい語調だ。とてもあの悪魔狩りを推進している人間とは思えない。表裏も感じられず、どこまでも真っ直ぐだ。

「……だが、悪魔狩りの取り下げる訳にはいかないのだ。これまでの一度も神の予言が外れたことは無かった。その時期に、これまでの悪魔とは違った彼女の登場―――こちらも警戒せずにはいられない。ましてや、国が滅ぶなど、前代未聞の予言でな……多少過激でも、民の危険に対する意識を高めるためにやむを得なかった……自分が正義だとは決して思っていない。だが、一国を守る女王として、ジェラルドの遺志を継ぎ、予言を食い止める義務が私にはある。例え、非道であってもな」

 ああそうか。この人はきっと、グレッグのような自己中心的に悪い考えを持って行動する冷徹非道な人ではない。女王としての務めで悪魔狩りを行うしかなかった、ただそれだけだ。理解すると同時に目の縁からじわりと熱いものが込み上げる。命を粗末にするクソ野郎だと、悪人だと、信じていたのに。これじゃあ自分は一体何を恨めばいいのだろう。何と、戦ってきたのだろう。

「くそ……っ! くそ……っ! 俺たちは今まで……! なんだったんだよ……!」

 目元に手を当てる。悪魔狩りを止めたかったリーゼロッテの意思、エリザの国を守りたい気持ち。どちらも方向こそは違うがその真意は理解出来る。半ば混乱し、取り乱すアレクに、エリザは少し考えてから優しく肩に手を置いた。

「……君の友は本当に残念だと思っている。私を恨むなら恨んでくれても構わない。ジークが何かしたにせよ、送り付けたのは私だからな。だが、敵は他にいる。それだけは忘れてくれるな……」

 その場から立ち上がり、エリザは蹲るアレクを見下ろしながら「私は君を正式な兵として迎えたいと考えここに連れてきた。君の力はきっと今後国の支えになると信じている」と独り言ちるように呟く。

「……今日はこの辺にしておこう。明日、君からいい返事が来ると期待している。それまでこの部屋は自由に使ってくれ。元よりこの部屋は君の部屋として解放していたものだからな」

 行くぞルーファス、そう言ってエリザが部屋の扉に向かって歩き始める。啼泣するアレクを一度見つめてから、ルーファスはエリザの後に続いて部屋を出ていった。




「何故あんな面倒な事をしたのです?」

 長い廊下を歩いている際、ルーファスがふと問いかけた。不思議に思い、エリザはゆっくりと振り返る。

「貴方の力ならあの者を丸め込むのも簡単でしょう? 陛下の―――いえ、賢者の貴方なら」


 賢者の言葉に何度か瞬きした。そうしてからクスリと口に手を当てて笑う。

「なんだ? 私の力で彼を洗脳しろとでも? ルーファスは本当に趣味が悪い」
「違います!! ただ、わざわざ話し合いなんて……イエスと彼から引き出したいなら、その方が手っ取り早い……そう言いたいんです」
「ふむ。それは考えつかなかったな」

 がくりと膝から力が抜けるようにバランスを崩す。この方は本当に抜けていることが多い、とルーファスは息をついた。

「そもそも、私は自分の都合で魔力を使うのが好きではない。君たち、人間と同じがいいんだ。まあ……外部から怪しまれないように多少の体の操作はしているがな」
「はあ、歳をとったり止めたり、戻ったり、ですか……」

 そんなところだと、エリザがまた歩き出す。神に近づこうとする人間が世の中にいるとするならば、神に近いだけに、彼女は人間にでも憧れているのだろうか。なんだか不思議な人だ。

「……私は自己中心的な奴だな。ルーファ」

 唐突に放たれた自虐に思える呟きに「なぜです?」とルーファスが首を傾げる。

「自分が殺されると予言され、それを阻止するために民に国が滅ぶと嘘をついてまで悪魔狩りなんてことをさせている。自分を守るために国を私物化しているんだ。あれだけ苦しんでいる者がいると言うのに私は……」
「……でも実際。貴方が消えてしまえば国は滅んだも同然です。嘘ではないですよ」

 変わらない速度の歩きに、ルーファスは少ない言葉でついて行く。しばらく続いた沈黙に「でも、分かりませんね」と口火を切った。

「陛下が悪魔に怯える理由が。この世に陛下に敵う人間なんていないでしょうに。ましてや魔力を持たない異世界人になんて」

 だからこそだ、とエリザは足を止め、窓を眺めた。ガラスに映った自分の姿を撫でる。

「自分が死ぬなんて想像もできなかった。だが、私は完璧ではない。神に作り出されたのであって、君たちとルーツは同じだ。ただ、生み出された意味が違うだけ。そして、これまでに外したことがない神の予言に私の死が宣告された。これが……怯えられずにいられるか」

 異世界人に殺されるはずがない。なのに、絶対である予言に自分の死の宣告―――かつてないほどの恐怖が自分の中にはあった。自分に死を与えられるとするなら、神以外にありえない。なら、悪魔は神と同等な力でも持っているのか? 真実がわからない分、警戒も強くなる。

「まあ、一難は去ったようだしな。あの青年には悪いが少しだけホッとしている。この世界を守るのは私の存在意義だ。こんなところで死ぬわけにはいかない」
「……そうですね。陛下に死なれたら、代々ロイヤルガードのロードナイト家は末代までの恥になるでしょう。私の為にも長生きしてくださいね」

 険しい顔から微笑んでみせるルーファスに「またいつもの皮肉かな」とエリザは無邪気な笑顔を向けた。





「ん……」

 瞼の隙間から入ってくる光にリーゼロッテは再度眩しそうに目を瞑ってから、ハッとし起き上がる。

「はぁ……はぁ……っ……うぅ……」

 背筋に沿ってビリビリとした感覚が伝い、肩を抱くように上半身を丸め、前傾になる。あつい。熱くて、骨の髄まで疼痛が行き渡る。この感覚は以前復活した時と同じだ。そこまで考えてから理解する。そうか、あの毒で自分はまた死んだのだと。蘇っても体に残った痛みは意識が戻れば反映される。つくづく忌々しい体だ。

「嬢ちゃん! 目を覚ましたか!」
「リカルドさ……」

 良かった! と笑顔で駆け寄る姿にリーゼロッテは少しだけホッとした。 

「すみません。私……」
「いやあ、良かった。一度心臓が止まって焦ったんだよ。やっぱり手当り次第やってみるものだな」

 何を? と首を傾げる様子に「毒みたいだったから、持っていた薬を試してみたんだ」とリカルドが得意げに語る。

「どれが解毒か分からないからとりあえず全部飲ませたり患部に塗ったりしてよ……無事で良かった」
「あっ……」

 そうか。不死身とは言ったが普通はそんな簡単に受け入れられるはずがない。きっと、薬で解毒できたのだとこの人は思っているのだろう。自分に死の抵抗がなくても、周囲に悲しみや辛さは残る。キッドのところでリカルドが言っていた言葉を思い出し、続けようとした口を閉じた。数秒間を置いてから「……うん。リカルドのおかげで命拾いした」と言い直す。

「ありがとう。助かったよ」
「いいってことよ!」

 その笑顔になんだかギュッと胸がしめつけられた。この笑顔を罪悪感や悲しみに染めたくない。自分の死は伏せた方が、彼のためにもなるだろう。手当された箇所も既に塞がっているだろうが、暫くは取らない方が良さそうだ。

「……私が倒れてどれぐらい経った?」
「あー……っと。三時間ぐらい? だな」
「そっか……それなら先を急ごう。あと少しだ」

 素早く切りかえて、武器を再び身につける。死んだと言うのに、こんなにも平然としているなんて、どんどん自分がおかしくなっている気がした。これじゃあ、悪魔と呼ばれてもおかしくない。歩き出すリーゼロッテにリカルドは「おう!」と後に続いた。


 木々を抜け、見えたのはレヴィナンテ王国最大の街である、ルクセンシュタインだ。他の町村では種族分けの規定が当たり前となっているが、レヴィナンテを象徴するこの街には、亜人も人間も獣人も当然のように共に生活をしている。各地から集められた様々な物品が行き交い、毎日お祭り騒ぎのようなこの街は大陸内でも一二を争うほどの巨大都市だ。なんだか、多種多様なところが自分の街とよく似ている気がした。また、レヴィナンテの三大勢力、王国騎士団、グランゼルス教、貴族院もある―――ギルドハンターは貴族院援助による地方勢力の為に含まない―――

「……良かった。入場審査とかなくて。それは城に入るときかな」
「はあ~にしてもすげえ賑わいだな! アルカネドと同じぐらい? いやそれ以上か?」

 アルカネドの言葉に「そういえば、リカルドは闘技場にいたんだもんね」とリーゼロッテが見上げる。アルカネドに行ったことはないが、大陸一のスラム街で有名だ。闘技場もスラム街の娯楽として生み出されたものである。

「ああ。雰囲気は全然違うけどな! ここには道の真ん中に死体も転がっていねえし、なにより綺麗だ。空気も美味い!」

 心做しかはしゃいでるような気がする。そんな過酷な街に身を置いていたんだとすればきっとこの街は夢みたいな場所だろう。だが、自分たちにはやらなくてはいけないことがある。

「……太陽の傾きからしてあと三・四時間程で正午になる。太陽が真上になったら、あの時計塔で待ち合わせしよう。それまでは別行動でそれぞれ情報を探る。リカルドは城周辺。私は街で聞き込み……顔はなるべく隠してね」

 キッド一味のところから拝借した外套を身につけ、フードを深く被りながら「おう、任せな!」とリカルドが親指を立てる。

「なるべく隠密に。危険だと悟ったら逃げること。一人では絶対無理をしないこと。それから……」
「分かってるって。ここに来る前も確認しただろ?」

 心配性な嬢ちゃんだな、とリカルドが顔を隠すようにフードを弄ってから腕を組む。それもそうか、とリーゼロッテも同じように赤頭巾を被った。

「ご武運を」
「嬢ちゃんもな」

 行き先を見据え、互いに拳をぶつけてから、走り出した。聞き込みとは言ったが、単刀直入で嗅ぎ回っても怪しまれる。かと言って遠回しすぎても得られる情報は少ないだろう。なんだかんだと一番難しい役回りを選んでしまった。
 にしても、この街はなんだか変わっている。やたらと井戸が多いし、街の作りも複雑なようでメインとなる広場から円を描くように広がっているようだ。

「ふう……どうしよう」

 考え歩いているだけでかなりの時間を費やす。これではダメだと頭を振り、ふと目に入った「ラブクイーン」と言うピンク色の看板の酒場に足を踏み入れた。店内はカウンター越しに店主が一人と、数名の客がテーブル席にいるぐらい。この少なさなら聞き込みもしやすいかも、と何となく一番端のカウンター席に座る。

「いらっしゃい。一人かい?」

 はい、と言葉数少なく答えてみれば、目の前に水の入ったコップが置かれる。眉を顰め「すみません。私、まだ何も……」と店主の方を見つめた。

「ん? お嬢さん、この街は初めてかい?」
「は、はい」
「そうか。それなら仕方ない。この街の傍には川を数本集めて作った人工湖があってね。初代女王が齎した初めての恵みだよ。だから、水は豊富にあるんだ。この街に井戸が多いのは見ただろ? 全部湖から水路で引いてきてるのさ」

 湖から水を引いてきている、となればこの街の井戸は全部湖に通じてるということか。この情報は大きいと内心喜びつつ「へえ、凄いんですね。女王様って」と感心した様子でコップに口をつける。自分にとっては敵の親玉のような存在だが。

「ああ! 女王様はいつも第一に我々のことを考えてくださる。まさに理想の人だなあ! 凛していてとてもお美しいし……まるで同一人物のようにそれらも全て後世に引き継がれていくんだ。だが、不思議と女王についたら独り身と掟が決まっていてな。隣国からの婚約の申し入れも断っているとか……」

 この店名も女王様にちなんでつけたんだと、自慢のように店主が言ってみせた。それであの名前か、とリーゼロッテは軽く笑いながら思う。

「……でもそれなら、どう……後継ぎを?」
「それが分からないんだよな。女王様が姿を見せる時はいつも一人で、王家の事情もあまり知らされていない。生まれた瞬間に女王、のようなものだしな。よく見るのはお付きにいる公爵家のロードナイト卿だ。噂じゃ、そのロードナイト卿との子が代々女王に就いているとか……」

 なんだか複雑な家系図のようだ。近親相姦は確かタブーだったはずだが、と考える。女王の存在については勿論知っていたが、女王以外の王族の話は今まで聞いたことがない。隠されているのか? だとしたら隠す理由がわからない。

「ところで、ご注文はどうする?」
「え、あ……」

 流石に店に入って水まで出されたら注文せざるを得ないか。地方だと割と話して出られることが多いのだが。何となく書かれたメニュー表の値段を見てその高さに驚きながらも「じゃあ、これを一つ……」と一番安いやつを選んだ。店主は嬉しそうに「毎度ぉー」とニコニコしながら店の奥に入っていく。本当、都会はいい商売をするものだ。





「はあ……ぼったくられた気分」

 店を出て、肩を落とすと同時にリーゼロッテはため息をつく。これじゃあ、ローレアズ村とやってることは変わらないじゃないか。やっぱり遠慮せずにキッドからお金を貰っておくんだった……でも、あれも村から強奪したものか、と太陽を見上げて目を細める。いつの間にか真上まで来ていたそれに手を翳し、日よけしてから「早く行こう」と一人呟く。

『女王様はいつも第一に我々のことを考えてくださる。まさに理想の人だなあ!』

 先程の店主の言葉を思い出す。自分が思っていた女王と印象が正反対だ。女王について話していたら、店にいた客も聞きつけて俺も俺もと会話に参加してきたし、自分が思うような悪い人じゃないのかもしれない。
 でも、彼女はアレクを連れ去った。父さんの悪魔狩りを引き継いで、人の命であんな凄惨なことをしている。例え不死身の命でも、永遠に痛めつけられる苦痛がどれだけ残虐な事か―――いや、非道だ。許せるはずがない。やはり辞めさせるべきだと、意志を固く持つ。だが、優先させるべきはアレクの命だ。今はそれに集中しなくてはと、歩みを進めた。

「ちょっと、君」

 肩に手を置かれ、青ざめる。ゆっくりと振り返ってみると、そこには鎧を身にまとった王国兵の姿があった。

「突然ですまないが。少し、顔を見せてくれないか? 実はここら辺で盗人が出たと報告があってな。疑っているわけではないんだが、念の為……」

 どくん、と鼓動が高まる。世間的には死んだことになってるとはいえ、王国兵なんかに顔を見られたらすぐにばれてしまう。ましてやこんな女王のお膝元で……その焦りのせいか、リーゼロッテはすぐさまその肩の手を振り払った。考えてる余裕なんてない。ここまで来たら引き下がれないとその場から駆け出す。

「あ! おい!」

 引き止める声が聞こえたが、振り返らずに走り出した。後ろから追ってくる足音が一つから二つとどんどん増えていく。

「はあ……っ、はあ……っ! 最悪……」

 なんでこんな目にと、人通りの多い場所で人をかきわけながら進む。入り組んだ路地を通り、追ってくる王国兵の目を眩ませ、壁に背をつけた。

「あの子はどこに行った!」
「まだそんなに遠くには行ってないはずだ! 分かれて探すぞ!」

 近くにまだ声がある。弱ったなと、息を切らしながら顔を上げて考えた。リカルドとの約束の時間、もう過ぎてるのに。ぐっ、と息を落ち着かせるように歯を食いしばり「行かなきゃ」と壁から離れる。その直後。背後から自身の口を抑えられ、路地裏へと引き込まれた。

「んぅ~~……!! ーー―――っ!」

 驚き、じたばたと暴れたが「ちょ、オレだオレ!」と小声がして動きを止めた。驚いたままの表情で見上げてみると、そこにはリカルドの姿がある。

「けほっ……リカルド……どうして……」
「約束の時間に来なかったんで、何かあったのかと探してたんだ……追われてるのか?」
「う、うん。ちょっと顔を見られそうになってつい、逃げ出しちゃって……」

 迷惑かけてごめん、と向き合いながら俯く。「そりゃあ災難だったな」リカルドが安心したようにホッと息をついた。

「それより! 城の周辺はどうだった? 何かあれば……」
「おう! キッドのあんちゃんの言う通りだったぜ。街の最奥は人造湖。崖のようになってて、降りていくには少し高すぎるな。城へ通じる道は一本。片半分の橋が降りないと中に入れない仕組みになっているみたいだ……見て得られる情報じゃ、そんな感じだな」

 キッドとの情報の照らし合わせは間違いない。自分の持っている情報を思い出しながら「他に中に通じそうなものはあった?」と問いかける。

「中に通じそう、ねえ……」
「例えば……湖から王城に入れそうな……」
「あー……城の高い土台から水が出ていたな。入れないとは思うが」

 排水溝? だろうか。中から出ているとなると、水の循環は必ずあるはず。

「……となると、湖の水を何処からか引いている可能性がある。街で聞き込みした時、この街は湖を井戸の水路に通して、生活水に利用している。だから、井戸と湖は通じてるんだ……もしかしたら城も同じように何処からか水を引いているのかもしれない。中に入れるとしたらそれだ」
「はあ……嬢ちゃんは頭がいいなあ。潜入は慣れっ子か?」
「慣れてないよ! 盗っ人じゃあるまいし……とにかくやるのなら井戸から入る方法だ。この街には沢山井戸があるし、もしかしたら近くにも……」

 キョロキョロと見回し、路地の角に井戸を見つけて「あれにしよう」と傍に寄る。かなり古く、匂いも青っぽくかび臭い。

「うん。この大きさならリカルドも大丈夫そうだ」
「ほ、本当にここに入るのか?」
「勿論。じゃあ、いくよ」

 ガジェットアームからワイヤーを出し、井戸の縁に引っ掛けると、リーゼロッテは躊躇いもなく降りていく。本当に逞しい子だと感心しながらも「降りてきても大丈夫!」と声がして、リカルドも後に続いて行った。
 ヴェナトル家から持ってきたランタンに火を灯す。照らされた周囲を見回してみれば、井戸とは思えない広さになっており、奥に水路がずっと伸びていた。

「凄い……」

 他の村や街にはない技術だ。水路は確かに見たことはあったけれど、ここまで完成度の高いものは初めて目にする。しかも広い。声が遠くまで響く。

「足場があって助かったな。結構深い」
「そうだね。先に進めば体は濡れることになるだろうし、今から体を冷やさないようにしよう」

 落ちないように気をつけてついてきてね、とリーゼロッテはリカルドの方を見てから先へ進んだ。細い水路が合流し、大きな水路になる。その水路をずっと真っ直ぐ進んでいくと、ようやく強い自然光が見え、湖の水面にたどり着いた。外は既に日が傾いていて、キラキラとオレンジ色の空が湖に映し出されている。近くまでくると、城が如何に大きいかが分かった。
 目に見える範囲でリーゼロッテが湖を観察する。湖から水を引いているのなら、必ずおかしな水流が見えるはずだ。

「……あそこ、見て。土台に向かって水が流れていってる」 

 言われるがままに「どれどれ」とリカルドが目を向ける。確かに浮かんでいる葉っぱが引き寄せられて、土台の隅に一部固まっているのが見えた。

「おー! よく見つけたな! でも、土台で行き止まりだぞ?」
「きっと、水を引いている入口は水中だ。中に通じる水路があるのかも。どのみちしばらくは潜って中に入らないと行けなさそう……」

 それまで息が持つか……正直あまり泳ぎは得意じゃない。上流の深い川に入って溺れかけた経験もある。顎に手を当てて考えるリーゼロッテに「それなら俺の出番だな!」とリカルドが胸を叩いた。

「リザードマンってのは本来水辺に住む生き物なんだぜ。泳ぎは俺の得意分野だ」
「ほ、本当!? 実は私、あんまり泳ぎが得意じゃなくて……その」

 俯く様子に「それなら俺の背にしがみつくか?」と広い背中を見せる。

「息を止めるのは少し頑張ってもらうことになるがな。出来そうか?」

 リカルドの問いかけに、リーゼロッテは短く息を吸った。一人じゃきっと無理な侵入になっていただろう。本当に一人じゃなくて良かったと、リカルドの存在に感謝する。

「……うん! 頑張る」

 まっすぐとリカルドを見つめ、リーゼロッテは意を決した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

処理中です...