赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 二章

16リーゼロッテ(挿絵あり)

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「え……?」

 先程から頭が追いついていない。母親のエリン、そして自分の墓―――? 意味が分からないと困惑する。

「ジェラルドは昔、妻子とこのドルミート村に住んでいた。俺は十九、ジェラルドは二十五の時に子を授かって、エマは三歳下のリーゼロッテとよく遊んでいた。仲が良かったよ。だがグレッグと絡むようになってから、ジェラルドは仕事ばかりの男になっちまって、家に帰ることも少なくなっていた。今の俺と……似ているよ」

 リーゼロッテ? 父さんに子供がいたのか? そんなこと一言も聞いていない。リーゼロッテは動揺を目に映した。エドガーはこちらの考えを気にせず「そんなある日」と話を続ける。

「もうすぐリーゼロッテの誕生日だというのにジェラルドは急遽遠征が入ってな。五歳の誕生日は祝うと約束していたのに、あいつは仕事を優先させた。ギルドハンターにとって大切な戦い……ドラゴンの討伐だった。それにエリンは大激怒してな。それで、喧嘩をしたままジェラルドは村を出た。そこからはお前も聞いたことがあるだろう?」

 はっ、とリーゼロッテは目を見開く。父はあまりそのことを話してくれなかったが、グレッグから多少のことは聞いていた。遠征中にエリンが魔物に殺され、それをジェラルドは負い目に感じ、ギルドハンターをやめたのだと。

「……エリンとリーゼが誰に殺されたか、知っているか? お前ら、悪魔だよ」

 リーゼロッテは短く息を乱した。耳全体が熱くなって鼓動がよく聞こえる。

「きっとこの世界の人間に恨みがあるやつだったんだろうな。当時は悪魔狩りという概念がなくても、悪魔を嫌悪する文化は出来上がっていた。奴にとってはきっと、誰でも良かったんだろう。家に忍び込み、奴はエリンを強姦した挙句刺し殺した。エマとの遊びから帰ってきたリーゼロッテも同様だ」

 自分の知らない事実にゴクリと生唾を飲み飲んだ。聞いていたものよりも凄惨な内容に、立ち眩みのような感覚に襲われる。

「何も出来なかった自分が憎かったよ。けれどいてもたってもいられず俺はジェラルドに戻ってくるよう久々に手紙を書いた。疎遠になってから一度も話していなかったのにな。数日後、戻ってきたジェラルドは布に包まれた遺体の前で絶句した。あの時のことは今でも覚えている」

 エドガーは目を瞑った。膝をつき、頭を地面に押し付けて泣き叫ぶ男の姿。あんな兄は後にも先にも初めて見た。

「二人の遺体は、この村で一番見晴らしのいいここに埋めた。しばらくジェラルドは家に留まってぼうっと過ごしてから、思い立ったように村を出ていったよ。そして、そのひと月ほど後だった。俺が抜けてからも功績を挙げ続けたジェラルドとグレッグは最早ギルドハンター全体の最高責任者にまで地位を上げていた。そこで、ギルドハンター全体に向けて、ジェラルドはひとつの政策を提案した。それこそがあの―――悪魔狩りだよ」

 なんの感情も抱かない目でエドガーがリーゼロッテを見つめた。その言葉を理解し、リーゼロッテは徐々に瞼を押し上げていく。

「今の悪魔狩りはジェラルドが作った。国の方針を取り入れることで女王に公認され、ギルドハンターは更に大きな組織に成長したんだ。悪魔狩りによって国は更に悪魔への警戒心を高め、そこから女王によって様々な政策も生み出された。あの悪魔収容施設とかな」
「う、嘘だ……そんなはず……」

 首を振って後退する。これまで自分は悪魔狩りによって散々な目に合わされてきた。誰からも受け入れられず、街でもコソコソとしながら、肩身の狭い思いで旅をし続けて―――それも全部、愛する父が始まりだと言うのか。一人そんな考えに飲み込まれているリーゼロッテの耳に「だが」とエドガーの声が聞こえる。

「あいつはどこかで迷っていた。自分がしていることは、あの悪魔と一緒なのではないのかと……地位も名誉も手に入れた。俺たちが目指していた世界一のギルドハンターにだってなれたはずだ。でも、あいつの欲しかったものは自分の手に何一つ残っちゃいなかった。何をしても満たされない……そんな時に、ジェラルドはお前と会ったんだ」
「……私?」

 ゆっくりと顔を上げる。エドガーは「ああ」と目を伏せながら何度も大袈裟に瞬きをした。

「ルトレア街のイニウム山。その日は星が綺麗だったと聞いている。夜空の下、光虫がやけに飛び交う中に、リーゼロッテとよく似た黒髪灰目の少女がいたと。悪魔を何度も見てきたジェラルドはすぐにお前が悪魔だと分かったはずだ。けれど、既にボロボロの体でじっと見つめる幼いお前を見て、どこかで娘と重ねてしまったんだろうな。そして気づいたんだろう。悪魔を無差別に捕縛し、命を命と思わない扱いをする自分の過ちに」

 その後だと、切り替えるように声を明るめ、リーゼロッテを真っ直ぐに見つめた。

「ジェラルドは贖罪するかのように地位も名誉も全部捨てた。ギルドハンターをやめたのはそういうことだ。怒りに身を任せ、あんな悪魔狩りを生み出していたことを心の底から後悔してな。以降はお前との時間を大切にした。悪魔のお前に娘の名前を与え、以前は出来なかった家族と一緒にいる時間を最優先にしたんだ」

 灰色の目がきらりと光った。かと思えばリーゼロッテの目から大粒の涙が零れ落ちる。

「じゃ、じゃあ、私が……父さんの夢を、奪ったの……? 私のせいで……なのに、私……酷いこと……」

 本当に何も知らなかったのだと、リーゼロッテは顎に皺を寄せて嗚咽を繰り返す。今になって、ギルドハンターだったことを汚点と言っていた意味がやっと分かった。
 父はずっと、血の繋がりのない自分を守ろうとしていたのに。そんな自分のために、夢も富も名声も捨ててくれたのに。嘆くリーゼロッテに「それは違う」とエドガーは言い放った。

「確かにお前はリーゼロッテの代用品でしかなかった。けど、ジェラルドにとっては過ごした日々も感情も全部本物だったんだよ。あいつはお前に救われていたんだ。心の底からお前を愛してた……それは貰っていた手紙で分かる」

 自分から手紙なんて寄越したことなかったくせに、リーゼロッテと出会ってからはぽつりぽつりと送られるようになった手紙を思い出す。リーゼロッテが戻ってきた、そう一通目に書かれた一文の意味を初めは理解できなかった。幻覚を見るほどまでに追い詰められているのだと誰もが本気で思っていた。
 けれど実際、魂は違えどそこに「リーゼロッテ」は存在していた。例えそれが憎き悪魔でも、ジェラルドが希望を持てたのは、紛れもなくこの悪魔の少女のおかげだった。ふらふらと歩き、エドガーはリーゼロッテを横切って背後に立つ。

「……実は、あいつから頼まれていたことがある。俺に何かあったらあの子を頼むと……まだ、少し疑ってはいるがな。しばらくの間泊めてやってもいい。ここに来る途中に一軒あったろ? 倉庫になってるが、あそこを使え。俺の家には入るな。家内と娘に何かあったら、容赦しない」

 そう言ってエドガーは暗くなった木々の方に歩みを進めた。リーゼロッテの目の前にあった夕日は沈み、自分の背後から伸びてきた暗黒がまだ山の向こうに広がる赤を飲み込んでいく。リーゼロッテは佇立し、顔を俯かせた状態で石碑をじっと見つめながら「あの」と背中の人物を呼び止めた。

「……エドガーさん。一つ、お願いしてもいいですか?」




 エドガーと別れ、色んなことを考えながら歩いた。泡のように自分の頭の中に思い浮かび、整理ができないまま弾けて消えていく。グレッグの凶悪さ、父の過去―――自分がリーゼロッテではないということ。目元を抑えるように頭を抱える。最近は特に泣き過ぎて眉間が痛い。
 ふと、手を下ろすと、木々の間からエドガーの家の前でなにやら楽しそうに会話するアレクとエマの姿が見えた。そんな二人に沈痛しながらも、目を伏せて歩みを進める。

「リーゼ! 無事だったか!」

 心配したぞ、と駆け寄ってくるアレクにリーゼロッテは無言で力なく笑ってみせた。

「先に戻ってきた父さんから色々説明されたの。それでこれ……」

 エマから渡されたのは鉄製の鍵だった。きっと途中で見た一軒家のものだろう。ありがとうございます、と小さく会釈をして受け取る。

「飯はこっちが持ってくるものを食べろ、だって。そんな事しなくてもいいのに……」
「まあ、お前の父さんの気持ちも分からなくはないよ。泊めてくれるだけでありがたい。ああ。ちゃんと武器、持ってきたからな」

 背負っていた弓を見せるようにアレクは頭を横に動かしてみせた。武器は近場にあった方が落ち着くだろと呟く。それに、元気のない様子でリーゼロッテは頷いた。

「……ごめんね、リーゼちゃん。父さんが変なこと言ったんだよね……ほ、本当に怖い人でさ! 家に戻ってくるなり偉そうなんだから! あたしが後で言っておいてあげるよ……だから、気にしないで」
「大丈夫です。ありがとうございます、エマさん」

 しんみりした空気をなるべく持ち上げようと声を張るエマに、変わらず静かに返した。ふらふらと背中を向けて移動するリーゼロッテにアレクも慌ててついていく。

「お前さ、その……本当に何言われたんだ?」
 小さくなった背中にアレクが投げかけるも、返事はこない。そうして一言も交わさず家の前にたどり着いた。倉庫、と言っていたが本当に一軒家のような作りだ。鍵を開け、油の切れた音を立てながら木のドアを開ける。

「なんだよ……ただの家じゃねえか」

 倉庫って聞いてたのにと、アレクが見回す横でリーゼロッテは僅かに目を見開いた。ホコリを被り、蜘蛛の巣をそこら中に張った部屋は、以前人が使っていたような形式をしている。キッチンがあり、奥の部屋には寝室も見え、まるで時が止まっているかのように生活用品もそのまま残されていた。その中でなにかに気づき、リーゼロッテは一点に目線を合わせて家の中に入っていく。真っ先に見えた壁に何かが描かれているのを見つけ、壁についた汚れを手で拭うように落とした。

「……なんだこれ、下手くそな絵だな」

 子供が書いたのか? とその背後でアレクが呟く。描かれていたのは真ん中に小さな女の子と、それを取り囲むようにして大きな男女が描かれている。丸をベースに髪を生やし、辛うじて目と口が分かるその人間たちはニコニコと笑っていてなんだか幸せそうだ。

「そっか……リーゼは絵を描くんだね」

 壁に手を当てて、見つめる。それで理解した。ここは、ジェラルドが以前、家族と過ごしていた家なのだと。思いに浸るように座り込み、絵に額を合わせるように壁に寄りかかる。リーゼロッテはここで父さんと母さんと幸せに過ごしていたに違いない。

『確かにお前はリーゼロッテの代用品でしかなかった』

 エドガーの言葉が過ぎる。父さんはずっと自分の中にリーゼロッテを見ていたのだろう。エドガーは過ごした日々も感情も全部本物だったと言っていたが、初めから自分に向けていた感情がリーゼロッテのものだとするなら、それは本物とは言えないのではないか。与えられた言葉も全部―――私に向けてじゃない。

「……なんで。なんで私は、リーゼロッテじゃなかったのかな」


 気がつけばそんなことを言葉に出していた。何故この世界に悪魔として生まれてしまったのだろう。代用品としてでしか意味が生まれない自分なんて、生きているとは言えない。そんな後ろ向きな事ばかりを思う。

「何言ってるんだ? お前はリーゼロッテだろ」

 アレクの何気ない投げかけにハッとする。座り込みながら振り返り、見上げると、怪訝の表情でアレクが見下ろしていた。

「料理が下手で、それでも狩りは一流で。放っておけばいいことにも首を突っ込むお人好し。それが俺の知るリーゼロッテだ」

 呆れたアレクの顔と父の顔が重なった。リーゼ、背中の方からジェラルドの声が聞こえてくる。

『お前を心から愛しでいたのは、嘘じゃなかっだ……リーゼ……この世に、生まれてきて意味がなかった、なんてごとは決して……ないんだ』

 そうか。死ぬ間際、父さんは自分のことを「悪魔」だと認識していた。そうでもなかったら自分に対し「追われるから逃げろ」なんて言えるはずがない。今まで嘘をついていて悪かった、というのは全てをひっくるめた意味での言葉だったのだ。
 私は、本物のリーゼロッテじゃない。それでも父さんは偽物の「私」を愛してくれた。その事実だけで十分のはずだ。

「……そうだね。私も、リーゼロッテだ」

 血の繋がりはない。けれど、リーゼロッテと魂の繋がりは感じている。私は君にはなれないけれど、私は私として生きていく。そう、再度壁の方を向きながら誓った。

「暖炉がある……火をつけようか」

 その場から立ち上がり、リーゼロッテは振り返ってから泣き腫らした目を優しく細めた。
 アレクには本当に支えられてばかりだ。自分がダメになってしまった時はいつもこうして堕ちないように引き止めてくれる。いつの間にか、クリフや父さんと同様に大切な人となりつつあった。だからこそもう、そろそろ潮時だろう。リーゼロッテは一人、覚悟を決めた。





 ぱちぱちと火の粉が飛んでいく。光源が暖炉ぐらいしかなく、二人はその近くで座っていた。

「……は?」

 唐突の言葉に、アレクは思わず聞き返した。目を見開き「どういうことだよ……」と震えた声で付け足す。だから言ってるでしょと、リーゼロッテは真っ直ぐアレクを見つめた。

「私たちの旅はここで終わろう」

 その言葉の意味を理解するのに、アレクは数秒の時間を要した。飲み込もうとして突っかかっている最中に「悪魔狩りは私の父さんが始めたものだった」と少し間を開けてからリーゼロッテが話し始める。

「エドガーさんから真実を聞いたの。悪魔狩りは、父さんが復讐心に駆られて生み出した政策だと。でも、父さんはそれが間違いだと気づいて自分の地位も名声も捨てて私を助けてくれた。取り仕切るトップを失い、残ったのは悪魔狩りという概念。今の悪魔狩りはレヴィナンテの女王が引き継ぎ、暴走していることにある。だから、直接上で命令している人を説得するのが一番だって」
「そ、それってつまり……」
「うん。女王に話をつける」

 目を見開き、一瞬声を失った。頭の中でごちゃごちゃと情報が混じり砕かれ「おいおい! 冗談よせよ!」と声を荒らげる。

「基礎はお前の父さんが作ったとしても、悪魔収容施設とかのイカれたシステムは女王が作ったんだろ!? そんな奴がまともに話を聞き入れてくれるはずがない! 殺されて終わりだ!」

 両手を広げて諭そうとする様子に「アレク」とリーゼロッテが口を挟んだ。

「……私ね。貴方にずっと嘘ついてた」

 えっ、と言葉が詰まる。何を突然と戸惑うアレクを見て、リーゼロッテは更に続けた。

「私が旅を続ける目的……本当は指名手配で逃げているからじゃない。悪魔狩りを壊滅させるため。初めからそのつもりだった」

 ローレアズ村から出た時のことを思い出す。あの時、アレクに旅の目的を聞かれ、こともあろうか自分は一番大切な部分に口を閉ざしていたのだ。

「本当はこの事も全部言うつもりだったの。けれど、貴方がついてくるって聞いた時……言い出すのが怖くなった。そんな馬鹿げたことに付き合ってくれるはずがないと思って。せっかくついてきてくれるって言ってくれたのに、離れてしまいそうで」

 ぽつりぽつりと俯いて話すリーゼロッテの表情は暗く、沈んでいる。始めは本気で遠ざけるつもりだった。迷惑をかけたくないし、もし村の人のようにいい人の顔をして、後で裏切られたら。そんな気持ちがあった。けれど。

『今度からは俺がお前の傍にいる』

 あの言葉を聞いた時、悩んでいたことが全部吹き飛んでしまった。同時にこの人と一緒にいたいと、そう自分勝手なことを願ってしまったのである。

「だからさ、嬉しかったんだ。貴方の口から間違ってるから壊そうって言ってくれて……本当に、心の底から嬉しかったんだよ」

 灰色目が潤んでより多くの光を放つ。零れそうになったものの熱を目の奥に感じながら耐え、少し上を向いて力なく笑った。

「……無理なのは分かってる。この先は私一人で行くつもり。だから、アレクとの旅はここまでだ。私が、悪魔狩りを終わらせる」

 その決意にアレクは息を飲んだ。こいつ、まさか始めから―――そう考え、ぐっと噛み締めてから「ふざけんなよ!」と胸ぐらを掴む。

「今更ここまで来て、はいさよならなんて言えるわけないだろ!! 今まで死にそうなことがあっても俺たちで乗り越えてきたじゃねえか! 弱気になるなんてお前らしくもねえ!」
「もう決めたことなの。アレクはこの村に残って。きっとエマさん達なら受け入れてくれるよ。貴方は私と違う、この世界の住人だ」

 分かって、とリーゼロッテは諭すように答える。これ以上、自分と関わって犠牲者を増やしたくはなかった。大切な人だから、失いたくない。奪われたくない。けれど、アレクは「嫌だ!」と一点張りだ。

「言ったろ!? お前のそばにいるって! お前が望むならそれについて行くって!! 約束したじゃねえか!」

 近距離で怒鳴りつけるアレクに「私は貴方にそんなこと求めていない」と冷たく吐き捨てた。感情的になってまた涙が溢れそうになったがなんとか耐える。

「私は一人でも十分だって言ってる。第一、私より弱い貴方が傍にいると迷惑なの。アレクは泣き虫だし、怖がりだし……狩りだってろくにできないでしょ。そんな弱いやつに守ってもらう必要はない……」
「はあ……? 弱い、だと?」
「弱いよ! それに私はずっと、クリフと一緒に旅をしてきた! それだけで十分だったのに……! あの時だって! いなくなったのがクリフじゃなくてアレクだったら―――!!」

 そこまで自分で言ってからハッとする。引き離そうとする勢いで思ってもいないことを口走ってしまった。まずい、と焦り「ご、ごめ」と言いかける。が、すぐに「そうかよ」と怒りの感じる低い声が遮った。

「そりゃあ、俺は狩りも出来ねえヘタレたやつだよ。クリフみたいに動じない心だって、お前みたいに勇気だってない。それでも、お前を守るために必死に頑張ってきたつもりだった」

 でも全部、お前には邪魔だったんだなと、鼻で笑うようにアレクが返した。目を合わせようとせず、沈黙が辺りを包み込む。

「……もういい。分かった。お前とは金輪際、赤の他人だ。それで満足だろ、リーゼロッテ」


 久々に聞いたその呼び方に、リーゼロッテはぞわりと虫が這い上がってくるかのような寒気を感じた。以前よりも冷たく、距離のある語調だ。アレクはこちらに背を向け「先に寝る」と離れていく。
 こんなはずじゃ、と引き留めようと伸ばした手をリーゼロッテは俯きながら下ろした。こんな別れになってしまったが、これでいい。もうこれでアレクが危険な目に遭うこともなくなるだろう。


 これで、良かったのだ。







「え、何? 急に?」

 翌日の午前。エドガーの家の出入口付近で向き合う男達に、エマは戸惑いの声をあげた。しっかり九十度腰を曲げ、アレクは「お願いします」と呟く。

「家事でもなんでも手伝います。なので、俺をここに住まわせてください」

 それを見てエドガーは困惑して眉をひそめた。腕を組み「どういうことだ?」と問いかける。

「……俺。あの悪魔と縁、切りました」

 体勢を戻し、顔を上げたアレクはどこか悲しそうに笑ってみせた。本気か? とエドガーの問いかけに「はい」と返す。

「ちょ、ちょっと待ってよ! リーゼちゃんは……?」
「……あの悪魔のことは、知らない。もう、俺には関係ないから」

 その返しに、エマはますます混乱した。あれだけリーゼロッテのために必死だった青年が手のひら返しのように態度を変えている。昨晩何があったのだろう。考えるエマにエドガーは鼻で笑ってから「いいじゃねえか」とアレクの肩に手を乗せた。

「クレアやエマからもお前の働きは聞いてるからな。そういうことなら歓迎するぜ。うちは男一人で寂しかったからな」
「父さん!?」

 簡単に受け入れようとするエドガーに、エマは思わず声を上げた。クレアも「アレク君がそういうのなら」と歓迎する。

「だ、ダメだって! だって……あんなに……!」
「なんだよ。エマもこいつのことを気に入ってるだろ?」

 不思議そうに返す様子にエマはかあっと顔を真っ赤にさせた。ち、違う! と大きく乱れてブンブンと頭を振り回す。こっちに来て! と腕を引き、エマはアレクを外に連れ出した。そんな二人を見て、エドガーとクレアは無言で見つめ合い、嘆息する。

「急にどうしたんだよ」
「それはこっちのセリフ! リーゼちゃんと何があったの!?」

 両肩に手を置き、壁に押し付けるように凄んでくるエマにアレクは困り果て、眉を下げた。目を逸らし、優しくエマの体を押して離れる。

「あいつに俺は必要なかった、ただそれだけだ……もういいだろ? それよりもう少しで昼だ。薪、少なかったよな」

 新しいやつ持ってこようぜと、横を通り過ぎて歩く。頭の後ろで腕を組み、何事も無かったかのように歩くその背中は以前よりも小さく見えた。

「はあ……」

 一方、リーゼロッテは武器の手入れをしてため息をついていた。自分一人にはあまりにも広すぎる家だ。父さんも、母さんとリーゼロッテがいなくなった時はこんな感じだったのかな、なんて思う。
『エドガーさん。一つ、お願いしてもいいですか?』
 昨日、断崖でエドガーと話したことを思い出す。夕闇が辺りを包み込む中、振り返ったリーゼロッテをエドガーが見つめた。

『私。ここから先は一人で旅を続けようと思います。だから。アレクの事、お願いしてもいいですか?』

 暗くなっていても、エドガーの動揺が分かった。はあ? と完全に向き合い、眉を顰めている。

『彼は……すごく良い奴なんです。確かに、弱虫で臆病なところもある。けど、悪魔の私にも分け隔てなく、ずっと傍で支えてくれた。優しくて、仲間思いで……私の大切な人なんです。だから……もう、父さんとクリフみたいに失いたくない。お願いです……どうか、お願いします』

 深々と頭を下げる。酷い熱で死にかけた時、アレクも同じように頭を下げた。誰かを優先させて必死になれるのは、アレクだけじゃない。自分も、同じぐらいに彼が大事だ。だから、もう誰も巻き込まない。誰も死なせない。そう、固く決意した。それでもやはり、少しだけ寂しい。
 ふと、そんなことを一人で考えていると、扉がノックされる。ドキリと鼓動を跳ね上がらせてみてみると、開いた扉からエマが顔を覗かせた。一瞬だけアレクを期待してしまい、ドキドキしながら「え、エマさん、ですか」と慌てて駆け寄る。

「あの、リーゼちゃん。その……お昼持ってきたよ」
「あ、ああ。ありがとうございます。わざわざ……」

 そういえば飯の度にやってくると言っていたっけ。持ち込まれた一汁三菜の豪華な食事に思わず生唾を飲み込んだ。

「お、美味しそうな昼食ですね……!」
「そう? これ、アレクのやつが作ったんだよ」

 ニコニコと返すエマにリーゼロッテは肩を跳ね上がらせた。そうですか、と気まずくなりながらも答える。固まっているリーゼロッテに構わずエマは家に入り、埃の被ったテーブルに料理の乗ったお盆を置いた。そうしてから、旅の身支度を終えている様子を見て「もしかして、もう出ていくの?」と問いかける。

「……はい。熱も下がりましたし……これを食べたら出ていくつもりです。私がいたら、迷惑かけちゃうので」
「今朝、アレクが家に来たよ」

 声を遮られ、リーゼロッテは大きく瞬きした。変に落ち着いた顔でエマが「この家に住まわせてくれって」と続ける。料理をあっちで作っているとなると、エドガーは約束を守ってくれたようだ。それなら少し安心したと口角を上げ「そうですか」と告げる。

「……父さんから聞いたよ。アレクを突き放したのは、わざとなんでしょ? リーゼちゃんは本当にそれでいいの?」

 エマの一言にリーゼロッテはしばらく間を開けてから「構いません」と返した。あまり他の人に言わないで欲しかったのに。ちゃんと約束を言う時にその事も言えばよかったなと後悔する。

「アレクは、元々巻き込んでしまっただけなんです。ずっと命の恩人だからって縛りつけているわけにもいきませんし……これでいいんです」

 自分に言い聞かせるようにして、食卓に座った。さっさと食べようとフォークを持つリーゼロッテにエマが口を開く。

「あたし、ね。アレクのことが好きなの」

 思わず手を止め、思考が停止した。口の中に入れた料理を咀嚼し、ゴクリと飲み込む。好き? 好きってなんだっけ。口を閉じたままエマを見上げる。

「一生懸命で、優しくて仲間思いで……でも、気づいたんだ。それって全部、リーゼちゃんの為だって。あたしの好きなアレクはリーゼちゃんがいてこそなんだ」
「そ、そんなこと……」
「二人は強がってるけどさ。本当は寂しいんでしょ……? 分かるんだ……だって、アレクがあんなにイキイキしているの、リーゼちゃんの前だけだから。それはリーゼちゃんも同じ……」

 伏せた目に涙が浮かぶ。リーゼロッテが熱で寝込んでいる時だ。昼間は一生懸命働き、疲れているはずなのに、アレクはリーゼロッテから片時も離れず夜間も看病をしていた。

『ねえねえ。二人は付き合ってるの?』
『はあ? なんでそうなるんだよ』
『だって、すごく一生懸命だからさ』

 隣に座ってくるエマに「そんなんじゃねえよ」と頭をかいた。本当にー? とからかい、顔を近づけるエマに「本当だって!」とアレクが返す。

『こいつは俺の恩人なんだ。死んでもおかしくないのに、俺を救い出してくれた』
『ふうん。恩人ね……それって恩人だから恩を返さなきゃってなってるんじゃないの?』

 振り向いて欲しくてつい、エマは意地悪を言った。それを受け止め、アレクは驚いたようにしたがすぐに「そうじゃない」と返す。

『こいつはさ、すごく強い奴なんだ。これまで何度も何度も死にかけて……普通なら逃げ出すようなことばかりな目にあってきた。勿論、俺ならとっくに諦めているし、いつも逃げ出していたよ。それでリーゼには逃げるなヘタレ! って怒られてさ』

 情けないよな、とアレクが俯いて小さく呟く。

『けれど、リーゼはどんな時も諦めなかった。俺よりチビのくせに、絶対に敵わないって分かってるのに、立ち向かった。例え傷ついても、無理だと分かっていても。いつだって何かを守るためにだ。こいつが諦めなかった結果の先に今の俺がいる。そんなこいつがかっこよくて、心の底から尊敬しているんだ』

 楽しそうに話すアレクに続けて意地悪を言う気にはなれなかった。まるで自分の事のように得意げな話に、なんだかこちらも楽しくなってくる。でも、とアレクが話を切り替えた。

『こいつは強い故に不器用でな。全部、一人で何とかしようとしちまう。色んなものを抱えて、本当は怖くて泣きたいはずなのに、弱音を吐こうとしない。自分に厳しくて……それは人にもそうなんだけどさ。決して甘えようとしない。頼ろうとしない。悲しむ時はいつも一人でだ。どんなに長い時間一緒にいても、なかなか心を開いてはくれない……きっと、これまで悪魔だからって色んな目にあってきたから難しいんだろうな。そういうの』

 どこも見えていない目はなんだか悲しそうだ。目で分かる程のゆっくりとした瞬きをし、アレクは続ける。

『今回倒れたのは、大切な奴を失ったショックが原因なんだ。強い奴だけど、あの性格だからいつか崩れてしまいそうで。だから、俺が傍に居てやらねえと。こいつにまだ信頼されてなくても、せめて傍に居て心の支えになってやりたいんだ。人の痛みは分からない。けれど、痛みを分け合うことは出来る。だから、俺は自分の意思でここにいる。恩返しなんてそういう単純なものじゃないんだ』

 分かったか? そう聞き返すアレクにエマは悟った。ああ、彼女にはかなわないと。それでもやっぱり簡単には諦められなくて、もういっその事この子が目を覚まさなければなんて思ってしまった。我ながら悪いやつだと思う。
 好きな人に大切に思われるリーゼロッテが羨ましかった。きっと恋人でも友達でも家族でもない「名前のつけられない絆」が二人を結んでいる。自分にはない、深い繋がりが。でも、実際リーゼロッテを嫌いにはなれなかった。起きたリーゼロッテのその目が、表情が、幼い頃一緒に遊んでいた「あの子」とそっくりだったから。

「……ねえ、もう一度聞くよ? リーゼちゃんは、本当にそれでいいの?」

 先程の問いかけをもう一度リーゼロッテに振る。だが、すぐに答えは返ってこなかった。迷っている口にもう一度声をかけようとする。

ドゴォン!

 突然、扉付近の壁が大きな音を立てて破壊された。素早く異変に気づいたリーゼロッテはエマを抱え、後退し、飛んできた壁から守る。

「やあ。やっとみつけた」

 破壊され、煙の中から出てくる二人に目を見開いた。そのうちの一人は、自分が何度も恨んだ顔だ。

「あんた、派手に壁を蹴破りすぎだろ。家を壊す気か?」
「これぐらいなら大丈夫だよ。君は心配症だね」

 アレクに乗って移動してきたのに、まさかこんなに早く追ってくるとは。膝を着く自分を見下ろす奴の姿に、血という血が沸騰して、煮えたぎった。

「……よお。また会ったな、リーゼ」
「グレッグ……!」

 エマを抱きながら、リーゼロッテは鋭い目で睨みつけた。
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