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第一部 二章
11赤髪の姉妹(挿絵あり)
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気がつけば、黒くて深い水に腰まで浸かっていた。冷たくて重々しいそれは、下半身にいつまでもまとわりつく。なんだか怖くなって、リーゼロッテはその場から逃げ出そうと進まない足を前へ動かした。
「リーゼ……」
その声にハッと動きを止めた。ゆっくりと目線を足元に移す。水から顔を出し、自分にしがみついていたのは、真黒の目をこちらに向けるリサの姿だ。その口角が低くなった声色に反してニッと上がる。
「なあ、なんであの時、戻ってきてくれへんかったん?」
「……はあっ!」
飛び起きるようにして上半身を起こした。顔面に冷たい風を受けたことで、自分が泣いていたのだと知る。リーゼロッテは呼吸を整えながらその場で上半身だけを丸め、蹲った。もう何日目になるだろう。
あの日以来、よく眠れない日々が続いた。最後のリサの、メーディアの顔が忘れられない。脳裏に焼き付いて、繰り返される。まるで忘れるなとでも言いたげに。
「ううっ……ぐすっ……」
自然と目線はクリフとアレクの方へ向いた。悲しみを吐き出したい気持ちでいたが、こちらに背中を向けて眠る彼に、起こしてはならないと涙を拭う。一番辛いのは、自分よりリサと長い時間を過ごした彼のはずだ。アレクにいつまでも甘えているわけにはいかない。
「ぶるっ……」
その声にクリフは寝ていた状態で耳を立てた。心配そうに首を高く持ち上げるクリフに「大丈夫。気にしないで」とリーゼロッテが無理に笑ってみせた。顎からポタポタと水滴が垂れる。
「アレクがまた怪我で寝込んでいるから……傍にいてあげてね」
鼻をすすって涙を拭う。傍にあった武器一式を持ち、半ば飛び出るようにしてリーゼロッテが洞穴から出ていった。その直後に、背中を向けていたアレクがゆっくりと目を開ける。
「ひぐっ……うぅ……うぅ……」
泣きじゃくる足は、拠点から遠のいた湿原へと向いた。見渡せるほどの開けた場所で、浮島がいくつも水面に浮かんでいる。リーゼロッテはその一帯で一人、声を上げて泣いた。ここなら、耳のいいアレクにも届かないと思ったから、最近はよく訪れている。
眠れない。眠れないせいか体は常に疲労感で気怠いし、ふとした時に涙が勝手に溢れてくる。頭痛と耳鳴りが、酷い。自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪。に、続き劣等感、焦燥感。心の中がいつになくぐちゃぐちゃでまとまりがない。
そんな負の感情を誰かにぶつけることなんてできず、クリフやアレクの助け舟をまるで自分に言い聞かせるように「大丈夫」だなんて振り払って。
(私は、一体どうしたいんだろう)
助けて欲しいと願うのに、助けを求めることが出来ない。じゃあ貴方はどうしたいの? どうなりたいの? に対しても分からなくて。何も―――分からない。リサが作ってくれた弓を抱きしめて、顔を膝に埋める。こんな感情、父が亡くなって以来だ。それでも、たった一つの復讐心で心がここまで崩れることはなかったのに。復讐相手さえいない今は、どうすればいいか分からなかった。
しばらく泣きじゃくって、ようやく落ち着いてくる。けれどどうせ一時的なものだ。明日もこの場所で同じようなことをしているに違いない。
(強くなりたい……)
もっと、父さんのように。リサのように。何があっても自分を保てる強さが欲しい。そう、懇願するかのように思う。私は―――
「やぁーーーー!! 来ちゃ、やぁーーー!!」
遠くから甲高い悲鳴が聞こえてくる。幼く丸みの帯びたその声にリーゼロッテははっとし、辺りを見回した。声色的に子供の声―――こんなところに? と疑問があったが、涙を拭い、赤い目で立ち上がる。今は、悲しみに打ちひしがれているより、目の前のことに集中していたい。泣きだしたら自分はとことん駄目になってしまうから。そう、すかさず声の方へと駆け出した。
盛り上がった地面を上り、声の元を探す。すぐに、花を持った齢十歳前後の少女が巨大なワームに追いかけられているのを目にした。ワームは飛び出た目と鋸のような細かい歯が生えた巨大な口を持ち、口からは触手がうねうねと這い出ている。
「いっ……」
逃げ回り転倒した少女の足に奴の触手が絡まり、引き寄せられていく。涙目になりながら悲鳴をあげる少女に、リーゼロッテは考えずして体が動いた。少女の足に絡まった触手を剣鉈で切り離し、その小さな体を抱いて離れる。
「た、助かったぁ……」
「まだだよ。離れてて」
体を押すようにして少女を自分の背中の方に押し込んだ。改めてワームに剣鉈を向け、睨みつける。回復もしてないしあれから戦闘は避けていたのに。なぜ出てきてしまったのだろう。襲ってくる触手を切りつけ、蹴りつけるが、その足は伸びてきたうねうねによって取られた。
「ぐっ……」
そのまま逆さ状態で宙に引き上げられる。ぶらぶらと揺れながらワームのほうを見ると、奴は大きく口を開けて足の触手を離した。食べられる。咄嗟にリーゼロッテは体を丸め宙返りしてから、ワームの頭に剣鉈を突き刺した。痛がるワームに振り落とされないようしっかりとしがみついてから、そのまま奥へと突き刺していく。
緑の血がリーゼロッテの髪や体を汚し、じたばた暴れることで自然と突き刺す範囲を広くして行った。耐えきれず吹き飛ばされ、数メートル程地面に転がる。片方の腕を地面にくい込ませるように力を入れて止まると、痛みに呻きながらフラフラと立ち上がった。
「わあ……っ」
木の影に隠れながら、少女がキラキラした目でその戦いを見守った。暫くして不快なノイズのような断末魔を残し、ワームはその場で息絶える。死んでもまだ僅かに体が動いているのが虫らしくて気持ち悪かった。緑の血の匂いに顔を歪めてから、リーゼロッテはワームの体に近づき、致命傷を与えた頭部から剣鉈を引き抜く。
「凄い……凄い! かっこいい~!」
久々に向けられた嫌悪とは違う目に悪い気はせず、少し間を開けてから「大丈夫だった?」と優しく問いかけた。うん! 大丈夫! と元気に返され、ホッとひと息をつく。
「ありがとうお姉ちゃん! ニナのこと助けてくれて!」
「そう。無事でよかったよ……えっと、ニナ? って言うのね?」
「なんでニナの名前分かったの!」
まだ言ってないのに凄いと驚く少女に突っ込むのが面倒だと口を閉じた。
「あのね! ニナはね! 皆にはニナとかにーちゃんって言われてるよ! ニナはねーねになりたいのに! そう! 近くの村でねーねとママと暮らしてるの! ねーねはルシールで、ママはハンナって言うの! ママもねーねもすっごく優しくて美人さんなんだよー! それで……」
ニナは赤毛が綺麗な子だった。くせっ毛で光によって金髪にも見えるそれはキラキラと反射し、角度によって髪の色が変わっているような気がする。ぱっちりとした大きな緑眼は長いまつ毛に縁取られ、今にも零れてしまいそうだった。
「そっか。私は……リーゼでいいよ」
話が長くなりそうだとリーゼロッテが意図して口を挟んだ。本名はなるべく隠した方がいいかと愛称の方で答える。
「リーゼ! いい名前だね! ねーねみたい!」
続けようとした言葉を瞬時に切り替えてニナは嬉しそうに笑った。全く似てないけれどと思いつつ、考えても無駄かと改めて向き合う。正しく、子供という名前のイメージをそのまま形にしたような感じの印象だ。それにしても近くの村……そんなもの道中にあっただろうか。
「えっーと。ニナ? 近くの村ってどこにあるの?」
自分たちが来た方向にはあの湖と湿地の森ぐらいしかない。ニナは「この先にあるんだよ!」と何故か得意げに言ってみせる。
「すっごく綺麗なところだよ! 果物がいっぱいあってご飯が美味しくって……ニナはねーねとママが作るご飯が一番好きなんだよ!」
「そっか。いい所なんだね」
それを聞いたニナは「でしょでしょ!」と楽しそうにその場で跳ね上がった。本当に明るい子だと、なんだかこちらも笑顔になる。
「リーゼも良かったら来て! 今日は村のお祭りなんだあ! 美味しいものが沢山食べられるよ!」
「えっ、いや。私はその……大丈夫。えっと。急ぎの用事あるから……」
自分が悪魔である以上、軽い気持ちで村に行くわけにはいかなかった。ローレアズ村で追われたこと、街での悪魔の扱い。他の悪魔とは違ってひと目で分からないにしてもバレた時が怖かった。気まずそうに口に出すリーゼロッテに、ニナは「そっか……」と分かりやすいぐらいに落ち込み、肩を落とす。
「本当に来られない?」
「ごめんね」
「……じゃあ、用事がない時に来てね! 絶対だからね!」
手を振ってニナが「またね」と名残惜しそうにその場から歩き出した。近くといっていたのだから大丈夫だろう。
その背中を見送りつつ、リーゼロッテは自分の見た範囲に村が見えない現状と、先程ワームに襲われていたことを考えた。湿原地帯で植物が少なく、遮るものがほぼないに等しいのに村らしき建物が見えないということは、近くといっても距離があるはず。ちょっと待って、とその背中を引き止めた。
「やっぱり、私も村に行こうかな……」
途中で襲われないか心配だしと心の中で呟く。本当に!? キラキラした目でニナが振り向いた。
「うん。でもその前にえっと……連れてこないといけない人たちがいるの。一緒に来てくれる?」
目を離してまた襲われでもしたら大変だと、首を少し傾けて頼んだ。うん! とニナは嬉しそうに頷く。とりあえずしばらくはこの子と行動を共にしようと、リーゼロッテはニナの手をしっかり掴んで歩いた。
◆
「おい。誰だ、そいつは」
洞穴につき、アレクは真っ先にニナの存在に触れた。リーゼロッテの隣にいたニナは目の前に広がる光景にキャッキャッと喜び「お馬さんだぁー!」と奥にいたクリフに近寄る。
初対面で勢いよく距離を詰められ、手でベタベタと体を触られたクリフはちょっと迷惑そうに顔を振った。警戒して鼻息をかけるのに対し「クリフ」とすかさずリーゼロッテが注意してみれば、クリフはブルりといって目を逸らしながら大人しくなる。
「……彼女はニナ。近くにある村の子だって。ワームに襲われてたから助けたの。村に送り届けるまでしばらく一緒に行動することになったから、よろしくね」
「よろしくー!!」
クリフに顔を擦り付けながらニナが言った。君クリフって言うんだねーと、毛並みをわしゃわしゃと撫でている。また人助けしたのかと、アレクは嫌がるクリフの心境を悟りながらニナを見つめた。出ていく時はあんなに泣きそうな声をしていたのに。
「お兄ちゃんの名前は?」
クリフに抱きつきながら問いかけるニナに「アレクだ」と呆れながら短く答えた。
「ニナ、だっけ? お前、あんまそういうことしない方がいいぞ。そいつ、怒らせると怖いから」
嫌味ったらしく強調して言い放つ。その言葉に、不機嫌な様子でクリフが前片足だけをあげ、アレクをど突いた。地面に倒れ「いってぇ!」と声を上げる。
「クリフは怖くないよね~?」
変わらず笑顔で撫で続けるニナにクリフはイライラしながらアレクを蹄で軽くつついた。リーゼロッテに注意され、ぶつけられない不満を全てアレクにぶつけているようだ。
八つ当たりすんな! と地面に尻を着きながら怒りの声が飛ぶ。盛り上がってる三人にリーゼロッテは気まずそうにわざとらしく咳払いした。
「……あーっと。そういうことで、ニナを送り届けに行きたいの。距離がどれくらいあるか分からないから着いてきて欲しくて。怪我してるのにごめん……もう動けそう?」
「俺は大丈夫だ。あんまり長居しても追っ手が来るかもしれねえしな」
熱も引いたし動くには問題ないだろう。怪我もまだ―――ではあるが、別にこれぐらいと腕を真横に持ち上げる。
「でも……あー……大丈夫か?」
悪魔として捕らえられ、散々な目にあったばかりだし、リーゼロッテも村に入りづらいはずだ。なにより先程出ていった時の様子を思い浮かべ、眉を下げる。アレクの心理を悟り「私は大丈夫だよ」とリーゼロッテが口角を上げてみせる。村の前に置いていけばいいし、なんとかなるだろうと思っていた為だ。
「じゃあ、準備が出来次第出発しよう。案内よろしくね、ニナ」
道具を片付けるリーゼロッテに「任せて!」とニナが誇らしそうに背筋を伸ばして答えた。
◆
木々の少ない湿原地帯を一同が歩く。クリフの背中に乗ったニナは大興奮し、その後ろからアレクが落ちないようしっかりと腕の中に閉じ込めていた。手綱を引きながら、リーゼロッテがクリフのすぐ側を歩く。
「本当にこっちで当たってる?」
「うん! 間違いないよ!」
大丈夫だろうかとリーゼロッテは返事を聞きながら眉を顰める。ふと、機嫌のいいニナの両手にある花に「ねえ」と続けて問いかけた。
「なあに?」
「さっきから気になってたんだけど。その花……」
丸みのある大きな花だ。花弁は中の繊維が透き通って見え、青白く、まるでガラス細工のようだった。一度図鑑で見た事がある。見た目通り、かなり希少な花のはずだ。
「あっ、これね! これはヴェトライユ! 別名玻璃の花って言うんだよ。綺麗でしょ? これをねーねに渡すんだ!」
「へえ……もしかしてそのために村を出たの?」
うん! と元気に返され、少し呆れて肩を落とした。もし自分がいなかったら今頃どうなっていたのだろう。危険な生物がうようよいるのに大した度胸……いやこれに関しては無知という名の馬鹿な行為だ。それを口には出さずに「お姉ちゃんは幸せ者だね」とリーゼロッテがボソリと返した。
「ニナ。花を摘むことは別にいいけど、一人で村の外に出るなって教わらなかった? 母親とか、お姉さんには言ったの?」
こんな非力な子を村から出すなんてどうかしている。案の定、無言で少し俯いたまま、ニナがふるふると首を横に振った。やはり無断だったかと、リーゼロッテが鼻を鳴らす。
「でも、どうしても欲しかったんだ。ねーねにプレゼントしたくて」
これまでと違って気力の見えない声をしていた。少し顔を上げ「ねーねはね」とニナが続ける。
「怒ると怖いけど優しくて、ご飯も美味しくて、ニナと沢山遊んでくれるの。いつも笑顔でニナのこと呼んで、頭撫でてくれるの。ニナの髪は綺麗だねって沢山褒めてくれたり、髪をとかしてくれたり……自慢のねーねなんだ! だけど最近は全然笑ってくれない。きっと、もうすぐグランゼルス様のところに行ってしまうから……でも、これならねーね、笑ってくれるかなって」
語尾につれてボソボソと小さく呟くニナの言葉にリーゼロッテは聞き覚えがあった。不思議に思い、口を開いたところで「あ、見えてきた!」とニナの声が飛ぶ。
少し丘になっている大地を踏みしめてみれば、川の流れる低所に小さな村があるのを目にした。早く行こう! 目の前の村を指して態度を戻すニナに、リーゼロッテはモヤモヤしたまま無言で前に進んだ。
湿原地帯にあるナサゴは、水に恵まれ、川漁業が盛んな村だ。川の上にも増設され、家屋の下には水が通っている。同じ村でもアレクのいたローレアズとは系統が全然違っていた。村につき、とある家屋の一枚扉を叩くと、中から憔悴した赤髪の女性が出てくる。
「ニナ!!!」
同じ髪色の少女を見るなり、女性は目を見開いて抱きしめる。どこに行ってたの! と大きめの声で言われ、ニナは肩を震わせてから「ごめんなさい」と抱き締め返した。
「貴女方がこの子を連れ帰ってきてくれたんですね! 本当にありがとうございます! ……なんとお礼を言ったらいいか……」
顔を上げるニナの母、ハンナにリーゼロッテは赤頭巾を深く被り、顔を隠しながら「道中のことなので、大丈夫です」と答えた。本当は村の前に置いて帰るつもりだったのに。ニナの我儘で結局ダラダラと着いてきてしまった。早くここを出ようとアレクと目を合わせ「それでは」と頭を下げる。
「待ってください! お礼を……そうだ。今日は村の祭りなんです。よければ一晩泊まって行きませんか? 長旅でお疲れでしょうし」
「いえ……私は」
口を開いたところでニナに服を掴まれた。キラキラした目で「一晩だけだから!!」と引き止められる。お手上げといった状態でアレクの方を見てみれば「一晩だけならいいんじゃねえの?」と面倒そうに小声で呟やかれた。もし、自分を連れ出せるような実力のギルドハンターがいたらどうするんだと思ったが、離れようとして泣きじゃくるニナに負けて、一晩泊めて貰うことにした。
「お前も押しに弱いよな」
「うるさい! バレたらどうすんだよばか……」
ニナの家の一部屋を借り、アレクと向き合いながらため息をつく。悪魔収容所からもそこまで遠いわけじゃない。やはりなんとしてでも押し切って出ていくべきだった。
「仕方ねえだろ。しつこく騒がれて変に目立った方がお前だって困るだろ? どうせ一晩旅人を泊めたところで怪しむやつなんていないさ」
そんなに気にすんなよと、アレクが久々のベッドに寝転がり、体を脱力させた。ずっと野宿続きだったから、ふわふわのベッドで嬉しいのだろう。清潔な服にも着替え、気分がいいようだ。他人事だと思ってと横目で睨みつけながら、リーゼロッテも倒れて天井を見る。
ベッドなんていつぶりだろう。アレクと出会って半年? は経っているだろうし、それだけの期間は野宿で生活していた。普通の旅人やギルドハンターなら、街で宿を使えるのに。全く損しかしない立ち位置だ。
そんな二人のいる部屋にノックが響いた。誰かが入ってくると認識するまもなく扉を開けられ、リーゼロッテは思わず顔を布団につける。
「リーゼ! アレク! ねーねのとこ一緒に行こう……って何してるの?」
布団に顔を埋めるリーゼロッテに「こいつは極度の人見知りなんだ」とアレクが起き上がる。
「私はいい……外に出たくない」
「引きこもりじゃねえか」
心境が分かるため強くは言えない。ベッドに顔を埋めたまま動こうとしないリーゼロッテに「え!! リーゼいかないの!?」と慌ててニナが駆け寄った。
「行こうよ! 行かなきゃやだーーー! ねーねに助けてくれたって紹介するのーーー!!」
服を引っ張りピィピィと声を上げられる。地団駄を踏むニナにリーゼロッテは顔を横にして「い・か・な・い!」と強めの口調ではっきりと言い放った。ギャンギャンと横で泣かれるが、リーゼロッテは気にしないとばかりに布団に顔を埋め続ける。
「騒がしいと思ったら……何をしてるのニナ! リーゼさんに迷惑かけちゃだめでしょ!」
目縁に涙を溜めてリーゼロッテを引っ張る様子に、音を聞いて一階から駆けつけてきたハンナが慌てて腕を引いた。
「すみません……この子が我儘いって……」
「いえ、こちらこそ。うちのリーゼが頑固ですみません」
なんだその保護者ヅラはと言いたげに、リーゼロッテは布団に顔をつけながらその会話を聞く。
「ほら、アレクさんも迷惑してるんだから。全くこの子は……」
「やだやだやだやだー!! リーゼといくの!!」
暗闇の中で泣き声と、困り果てるハンナの声が聞こえてくる。泣けばいいと思ってるんだから子供はいい。絶対にいかないと強い意志を持って布団に深く顔を沈ませた。
「すみません……この子、自分の思い通りに行かないといつもこうなんです……どうしてもお姉ちゃんに会わせたいみたいで……よほどリーゼさんのことが気に入ったみたいですね」
「こいつもいつもはここまで頑固じゃないんですけど……どうしても人前になると臆病になるようなやつでして……」
「そうだったんですか……ほら! 聞いたでしょ!? リーゼさんには事情があるの! これ以上迷惑かけてはいけません! もう、本当にすみません……」
「いえいえ。こちらこそ大人気なくて……」
これじゃあまるで自分が悪いみたいじゃないか。謝り続ける二人の会話と泣き喚く声にイライラしてくる。しばらくして「あー!!」とリーゼロッテが勢いよく顔を上げた。
「いきます……」
低く、不機嫌に呟き、目を逸らす。あれだけ騒いでいたニナはぱあっと瞬時に泣きやみ「じゃあ、行こ!」と腕を引いた。なんという切り替えの速さだ。子供が好きか嫌いかと聞かれたらどちらでもなかったが、嫌いに少し傾いた瞬間である。
清潔な服と外套を借り、リーゼロッテはフードを被ったままアレクとニナと共にナサゴ村を歩いた。道中にある店や建物を一つ一つ丁寧に教えるニナに、リーゼロッテはただ不機嫌でいる。その間はアレクがニナと会話を繋いでいた。
「なあ、どこに行くんだよ?」
「村の広場! その小屋にねーねがいるの……もう一週間くらいずっと」
語尾につれて抑揚がなく平坦な感じがした。何かあるのだろうかと考えているうちに扉のない小屋につき、三人が中に入る。
「……誰?」
上から垂れ下がった白いベールの先には玉座のような椅子があり、そこには中分けにされた赤髪の女性が座っていた。一切穢れのない白い礼服にはきらびやかな装飾が施され、まるで人形のように見える。その周りにはロウソクが数本立たされ、美味しそうなご馳走や果物が沢山置いてあった。ニナの姉、ルシールは長いまつ毛に縁取られた緑眼を見開き「ニナ!」と立ち上がる。
「どこに行ってたの! 今朝母さんからいなくなったって聞いて心配したのよ!」
凛とした声が小屋中に響き渡る。スラリとした細い四肢に真っ直ぐと伸ばされた背筋は立ち姿だけで女王のような風格にも思えた。まじで美人だな、と隣からアレクの小声が聞こえてくる。
「えへへ……あのね! 捧げ物、ねーねが好きなお花にしたくて……これ!」
モジモジと渋ってから、ニナは背中から一輪のヴェトライユを自信満々に出した。それを見て、ルシールは言葉を失う。
「昔、パパと一緒に湖の近くで見たでしょ! 綺麗でねーねも好きだって言ってたから取ってきたの!!」
早起きして頑張ったんだ! 満面の笑みで渡そうとするニナにルシールは無言で近づいた。
バシン
乾いた音が小屋に響く。ニナの後ろで見ていたアレクとリーゼロッテは驚き、目を見開いた。その痛みにニナは混乱し、思わずヴェトライユを床に落とした。赤くなった頬を抑え、ルシールを見上げる。
「あれだけ……村の外に出ちゃダメだって言ったじゃない!! どれだけ心配したと思ってるの! 午後には捜索隊も出る予定だった! 沢山の人に迷惑をかけたのよ!」
大好きな姉に近くで怒鳴りつけられ、ニナはビクリと大きく肩を跳ね上がらせた。徐々に目縁に涙を溜め「だ、だって……」と鼻水を垂らしながらひくつく。
「ねーねに喜んで欲しかったんだもん……! 今日でお話できるの最後だから……!」
その言葉に一瞬、ルシールの息が乱れる。今までニナは姉に頬を叩かれたことなんて一度もなかった。これまでにこんなに大声で怒鳴られたこともなかった。いつものようにただ「喜んで欲しい」という純粋な気持ちで動いていただけだった。だからこそ、ニナには怒っている理由が全く理解出来ていなかったのだ。後退りし、そのまま逃げるよう走ってニナが小屋を出ていく。
「お、おい! ニナ!」
アレクが出ていくニナの背中を引き留めようとするも、既に足音は遥か彼方だ。しん、と小屋に沈黙が流れる。
カツ、重々しい空気を足音が破った。俯いたままのルシールに、リーゼロッテは無言でヴェトライユを拾うと「あの……」と差し出す。
「これ。ニナが貴方を笑わせたいって取ってきたものなんです。最近貴女が笑えてないからって。だから、せめて受け取ってあげてください」
リーゼロッテの言葉にルシールは息を飲んだ。震えながら受け取り「そう、だったんですね」とその花を緑眼に映してボロボロと涙をこぼす。その一粒一粒がロウソクの光に照らされて、宝石のように美しかった。
「……突然驚かせてしまい、申し訳ありません。きっと、貴女方がニナを連れ戻してくれたんですね。本当に……心から、御礼申し上げます」
深々と頭を下げられ、二人はその圧倒的な存在感にただ立ちつくした。ゆっくりと顔を上げ、ルシールは真っ直ぐと二人を見つめる。
「改めまして、私はニナの姉、ルシールと申します」
ニナとは違い、静かで礼儀正しい人だと、リーゼロッテは思った。これは名乗るべきなのだろうかと考えている間に「俺はアレクだ」と背後から声が聞こえる。
「アレク様。素敵なお名前ですね……」
「様はいいよ……なんか照れる」
目を逸らして頭をかくアレクにデレデレしちゃってと横目で睨みつける。直ぐに「そちらの方は……」とルシールに声をかけられた。
「あっ……と。リーゼ。リーゼでいい」
様は付けずにね、と付け足すリーゼロッテに「分かりました。リーゼさん、ですね」とルシールが口に手を添えて上品に笑ってみせる。
「すみません。旅の方は久しぶりだったので。お会いできて嬉しいです。今日は丁度前夜祭なので楽しんでいってください」
「……ありがとうございます。あの、つかぬ事をお聞きしても?」
笑顔を解き「はい」とルシールが柔らかな声で返す。本当に見れば見るほど綺麗な人だ。見蕩れながらも「ニナのこと……いいんですか」と問いかける。
「聞いた事があったんです。この世界を統べるという神竜グランゼルス。それを守る一族の村では代々グランゼルスに生贄を捧げている。この村がそうですよね?」
生贄!? 声を張るアレクに「……ご存知でしたか」とルシールが目を伏せる。
「はい。今回は光栄なことに私が贄として選ばれました。一族として誇れるべきことです。ただどうしても気がかりがありまして……ニナのことです。あの子は昔から私にくっついて離れない子でして、何かとトラブルを起こしては私を驚かせていました。本当に手のかかる家族思いのいい子で……まさか最後にこんなサプライズがあるなんて思いもしなかった」
ヴェトライユの花弁を見つめ、ルシールは力なく笑って見せた。その表情には色んな感情が含んでいる。悲しいような嬉しいような、複雑な感情だ。
「かえって、こんな別れ方で良かったのかもしれませんね。私たちには別れの言葉なんていくつあっても足りませんから。それに、ずっと甘やかしているわけにもいかない……あの子はあの子で未来に生きて欲しい。私の分も」
ただそれだけなのだと、ルシールは言い「少し待っててください」と椅子に戻った。一番目立つ所にヴェトライユを置き、何やら手に取ってリーゼロッテの元に歩く。
「リーゼさん、お願いがあります。これを、あの子に渡してくれませんか」
渡されたのはヴェトライユとよく似た紐のついたガラス細工だった。鏡のように自分の姿を反射して、傾けるとキラキラと輝いている。綺麗、リーゼロッテが裏にひっくり返して見ながら呟いた。
「幼い頃、父とこの花を見て、それ以来私たち姉妹の大好きな花でした。けれど、年々数が減少して……なかなか外にも出られなかったので、あれ以来目にすることが出来なかったのです。だから最後、自分の記憶を頼りにニナにお守りを作ろうと思って。私がいなくても強く、幸せに生きていけるように。もう泣かなくてもいいように。例え姿は見えなくても、私はずっと傍にいると」
ルシールはそう口にして、クスリと笑った。でも、不思議ですね、と話を続ける。
「まさかニナが本物を持ってきてくれるなんて。姉妹の考えはよく似るものです」
何かを諦めたような顔つきだった。これから村のために死ぬというのに何故こんなに穏やかな顔ができるのだろうとリーゼロッテは不思議でならなかった。今後の未来、描くはずだった夢や希望も、他人の都合としきたりでなくさなければいけないなんて。
ふと、収容所の苗床となった悪魔達を思い出し、目を伏せる。他人の都合によって奪われる人の命があるのなら、一体彼らはなんのために生まれてきたのだろうと。もしこの儀式なら、神の、村のための一言で片付けられてしまうのだろうか。なんだかとても虚しい。ギルドハンターに殺された父も、アレクの母も―――リサも。殺されていい理由なんてどこにもない。
「長く引き止めてしまい申し訳ありません。では、リーゼさん。アレクさん。よろしくお願いします」
悲しみを見せない、いい笑顔だった。この人は強い。自分の運命を受け入れることが出来るのだから。ルシールに見送られて二人は小屋から出る。その後もリーゼロッテはルシールの満面の笑みが頭から離れなかった。
「リーゼ……」
その声にハッと動きを止めた。ゆっくりと目線を足元に移す。水から顔を出し、自分にしがみついていたのは、真黒の目をこちらに向けるリサの姿だ。その口角が低くなった声色に反してニッと上がる。
「なあ、なんであの時、戻ってきてくれへんかったん?」
「……はあっ!」
飛び起きるようにして上半身を起こした。顔面に冷たい風を受けたことで、自分が泣いていたのだと知る。リーゼロッテは呼吸を整えながらその場で上半身だけを丸め、蹲った。もう何日目になるだろう。
あの日以来、よく眠れない日々が続いた。最後のリサの、メーディアの顔が忘れられない。脳裏に焼き付いて、繰り返される。まるで忘れるなとでも言いたげに。
「ううっ……ぐすっ……」
自然と目線はクリフとアレクの方へ向いた。悲しみを吐き出したい気持ちでいたが、こちらに背中を向けて眠る彼に、起こしてはならないと涙を拭う。一番辛いのは、自分よりリサと長い時間を過ごした彼のはずだ。アレクにいつまでも甘えているわけにはいかない。
「ぶるっ……」
その声にクリフは寝ていた状態で耳を立てた。心配そうに首を高く持ち上げるクリフに「大丈夫。気にしないで」とリーゼロッテが無理に笑ってみせた。顎からポタポタと水滴が垂れる。
「アレクがまた怪我で寝込んでいるから……傍にいてあげてね」
鼻をすすって涙を拭う。傍にあった武器一式を持ち、半ば飛び出るようにしてリーゼロッテが洞穴から出ていった。その直後に、背中を向けていたアレクがゆっくりと目を開ける。
「ひぐっ……うぅ……うぅ……」
泣きじゃくる足は、拠点から遠のいた湿原へと向いた。見渡せるほどの開けた場所で、浮島がいくつも水面に浮かんでいる。リーゼロッテはその一帯で一人、声を上げて泣いた。ここなら、耳のいいアレクにも届かないと思ったから、最近はよく訪れている。
眠れない。眠れないせいか体は常に疲労感で気怠いし、ふとした時に涙が勝手に溢れてくる。頭痛と耳鳴りが、酷い。自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪。に、続き劣等感、焦燥感。心の中がいつになくぐちゃぐちゃでまとまりがない。
そんな負の感情を誰かにぶつけることなんてできず、クリフやアレクの助け舟をまるで自分に言い聞かせるように「大丈夫」だなんて振り払って。
(私は、一体どうしたいんだろう)
助けて欲しいと願うのに、助けを求めることが出来ない。じゃあ貴方はどうしたいの? どうなりたいの? に対しても分からなくて。何も―――分からない。リサが作ってくれた弓を抱きしめて、顔を膝に埋める。こんな感情、父が亡くなって以来だ。それでも、たった一つの復讐心で心がここまで崩れることはなかったのに。復讐相手さえいない今は、どうすればいいか分からなかった。
しばらく泣きじゃくって、ようやく落ち着いてくる。けれどどうせ一時的なものだ。明日もこの場所で同じようなことをしているに違いない。
(強くなりたい……)
もっと、父さんのように。リサのように。何があっても自分を保てる強さが欲しい。そう、懇願するかのように思う。私は―――
「やぁーーーー!! 来ちゃ、やぁーーー!!」
遠くから甲高い悲鳴が聞こえてくる。幼く丸みの帯びたその声にリーゼロッテははっとし、辺りを見回した。声色的に子供の声―――こんなところに? と疑問があったが、涙を拭い、赤い目で立ち上がる。今は、悲しみに打ちひしがれているより、目の前のことに集中していたい。泣きだしたら自分はとことん駄目になってしまうから。そう、すかさず声の方へと駆け出した。
盛り上がった地面を上り、声の元を探す。すぐに、花を持った齢十歳前後の少女が巨大なワームに追いかけられているのを目にした。ワームは飛び出た目と鋸のような細かい歯が生えた巨大な口を持ち、口からは触手がうねうねと這い出ている。
「いっ……」
逃げ回り転倒した少女の足に奴の触手が絡まり、引き寄せられていく。涙目になりながら悲鳴をあげる少女に、リーゼロッテは考えずして体が動いた。少女の足に絡まった触手を剣鉈で切り離し、その小さな体を抱いて離れる。
「た、助かったぁ……」
「まだだよ。離れてて」
体を押すようにして少女を自分の背中の方に押し込んだ。改めてワームに剣鉈を向け、睨みつける。回復もしてないしあれから戦闘は避けていたのに。なぜ出てきてしまったのだろう。襲ってくる触手を切りつけ、蹴りつけるが、その足は伸びてきたうねうねによって取られた。
「ぐっ……」
そのまま逆さ状態で宙に引き上げられる。ぶらぶらと揺れながらワームのほうを見ると、奴は大きく口を開けて足の触手を離した。食べられる。咄嗟にリーゼロッテは体を丸め宙返りしてから、ワームの頭に剣鉈を突き刺した。痛がるワームに振り落とされないようしっかりとしがみついてから、そのまま奥へと突き刺していく。
緑の血がリーゼロッテの髪や体を汚し、じたばた暴れることで自然と突き刺す範囲を広くして行った。耐えきれず吹き飛ばされ、数メートル程地面に転がる。片方の腕を地面にくい込ませるように力を入れて止まると、痛みに呻きながらフラフラと立ち上がった。
「わあ……っ」
木の影に隠れながら、少女がキラキラした目でその戦いを見守った。暫くして不快なノイズのような断末魔を残し、ワームはその場で息絶える。死んでもまだ僅かに体が動いているのが虫らしくて気持ち悪かった。緑の血の匂いに顔を歪めてから、リーゼロッテはワームの体に近づき、致命傷を与えた頭部から剣鉈を引き抜く。
「凄い……凄い! かっこいい~!」
久々に向けられた嫌悪とは違う目に悪い気はせず、少し間を開けてから「大丈夫だった?」と優しく問いかけた。うん! 大丈夫! と元気に返され、ホッとひと息をつく。
「ありがとうお姉ちゃん! ニナのこと助けてくれて!」
「そう。無事でよかったよ……えっと、ニナ? って言うのね?」
「なんでニナの名前分かったの!」
まだ言ってないのに凄いと驚く少女に突っ込むのが面倒だと口を閉じた。
「あのね! ニナはね! 皆にはニナとかにーちゃんって言われてるよ! ニナはねーねになりたいのに! そう! 近くの村でねーねとママと暮らしてるの! ねーねはルシールで、ママはハンナって言うの! ママもねーねもすっごく優しくて美人さんなんだよー! それで……」
ニナは赤毛が綺麗な子だった。くせっ毛で光によって金髪にも見えるそれはキラキラと反射し、角度によって髪の色が変わっているような気がする。ぱっちりとした大きな緑眼は長いまつ毛に縁取られ、今にも零れてしまいそうだった。
「そっか。私は……リーゼでいいよ」
話が長くなりそうだとリーゼロッテが意図して口を挟んだ。本名はなるべく隠した方がいいかと愛称の方で答える。
「リーゼ! いい名前だね! ねーねみたい!」
続けようとした言葉を瞬時に切り替えてニナは嬉しそうに笑った。全く似てないけれどと思いつつ、考えても無駄かと改めて向き合う。正しく、子供という名前のイメージをそのまま形にしたような感じの印象だ。それにしても近くの村……そんなもの道中にあっただろうか。
「えっーと。ニナ? 近くの村ってどこにあるの?」
自分たちが来た方向にはあの湖と湿地の森ぐらいしかない。ニナは「この先にあるんだよ!」と何故か得意げに言ってみせる。
「すっごく綺麗なところだよ! 果物がいっぱいあってご飯が美味しくって……ニナはねーねとママが作るご飯が一番好きなんだよ!」
「そっか。いい所なんだね」
それを聞いたニナは「でしょでしょ!」と楽しそうにその場で跳ね上がった。本当に明るい子だと、なんだかこちらも笑顔になる。
「リーゼも良かったら来て! 今日は村のお祭りなんだあ! 美味しいものが沢山食べられるよ!」
「えっ、いや。私はその……大丈夫。えっと。急ぎの用事あるから……」
自分が悪魔である以上、軽い気持ちで村に行くわけにはいかなかった。ローレアズ村で追われたこと、街での悪魔の扱い。他の悪魔とは違ってひと目で分からないにしてもバレた時が怖かった。気まずそうに口に出すリーゼロッテに、ニナは「そっか……」と分かりやすいぐらいに落ち込み、肩を落とす。
「本当に来られない?」
「ごめんね」
「……じゃあ、用事がない時に来てね! 絶対だからね!」
手を振ってニナが「またね」と名残惜しそうにその場から歩き出した。近くといっていたのだから大丈夫だろう。
その背中を見送りつつ、リーゼロッテは自分の見た範囲に村が見えない現状と、先程ワームに襲われていたことを考えた。湿原地帯で植物が少なく、遮るものがほぼないに等しいのに村らしき建物が見えないということは、近くといっても距離があるはず。ちょっと待って、とその背中を引き止めた。
「やっぱり、私も村に行こうかな……」
途中で襲われないか心配だしと心の中で呟く。本当に!? キラキラした目でニナが振り向いた。
「うん。でもその前にえっと……連れてこないといけない人たちがいるの。一緒に来てくれる?」
目を離してまた襲われでもしたら大変だと、首を少し傾けて頼んだ。うん! とニナは嬉しそうに頷く。とりあえずしばらくはこの子と行動を共にしようと、リーゼロッテはニナの手をしっかり掴んで歩いた。
◆
「おい。誰だ、そいつは」
洞穴につき、アレクは真っ先にニナの存在に触れた。リーゼロッテの隣にいたニナは目の前に広がる光景にキャッキャッと喜び「お馬さんだぁー!」と奥にいたクリフに近寄る。
初対面で勢いよく距離を詰められ、手でベタベタと体を触られたクリフはちょっと迷惑そうに顔を振った。警戒して鼻息をかけるのに対し「クリフ」とすかさずリーゼロッテが注意してみれば、クリフはブルりといって目を逸らしながら大人しくなる。
「……彼女はニナ。近くにある村の子だって。ワームに襲われてたから助けたの。村に送り届けるまでしばらく一緒に行動することになったから、よろしくね」
「よろしくー!!」
クリフに顔を擦り付けながらニナが言った。君クリフって言うんだねーと、毛並みをわしゃわしゃと撫でている。また人助けしたのかと、アレクは嫌がるクリフの心境を悟りながらニナを見つめた。出ていく時はあんなに泣きそうな声をしていたのに。
「お兄ちゃんの名前は?」
クリフに抱きつきながら問いかけるニナに「アレクだ」と呆れながら短く答えた。
「ニナ、だっけ? お前、あんまそういうことしない方がいいぞ。そいつ、怒らせると怖いから」
嫌味ったらしく強調して言い放つ。その言葉に、不機嫌な様子でクリフが前片足だけをあげ、アレクをど突いた。地面に倒れ「いってぇ!」と声を上げる。
「クリフは怖くないよね~?」
変わらず笑顔で撫で続けるニナにクリフはイライラしながらアレクを蹄で軽くつついた。リーゼロッテに注意され、ぶつけられない不満を全てアレクにぶつけているようだ。
八つ当たりすんな! と地面に尻を着きながら怒りの声が飛ぶ。盛り上がってる三人にリーゼロッテは気まずそうにわざとらしく咳払いした。
「……あーっと。そういうことで、ニナを送り届けに行きたいの。距離がどれくらいあるか分からないから着いてきて欲しくて。怪我してるのにごめん……もう動けそう?」
「俺は大丈夫だ。あんまり長居しても追っ手が来るかもしれねえしな」
熱も引いたし動くには問題ないだろう。怪我もまだ―――ではあるが、別にこれぐらいと腕を真横に持ち上げる。
「でも……あー……大丈夫か?」
悪魔として捕らえられ、散々な目にあったばかりだし、リーゼロッテも村に入りづらいはずだ。なにより先程出ていった時の様子を思い浮かべ、眉を下げる。アレクの心理を悟り「私は大丈夫だよ」とリーゼロッテが口角を上げてみせる。村の前に置いていけばいいし、なんとかなるだろうと思っていた為だ。
「じゃあ、準備が出来次第出発しよう。案内よろしくね、ニナ」
道具を片付けるリーゼロッテに「任せて!」とニナが誇らしそうに背筋を伸ばして答えた。
◆
木々の少ない湿原地帯を一同が歩く。クリフの背中に乗ったニナは大興奮し、その後ろからアレクが落ちないようしっかりと腕の中に閉じ込めていた。手綱を引きながら、リーゼロッテがクリフのすぐ側を歩く。
「本当にこっちで当たってる?」
「うん! 間違いないよ!」
大丈夫だろうかとリーゼロッテは返事を聞きながら眉を顰める。ふと、機嫌のいいニナの両手にある花に「ねえ」と続けて問いかけた。
「なあに?」
「さっきから気になってたんだけど。その花……」
丸みのある大きな花だ。花弁は中の繊維が透き通って見え、青白く、まるでガラス細工のようだった。一度図鑑で見た事がある。見た目通り、かなり希少な花のはずだ。
「あっ、これね! これはヴェトライユ! 別名玻璃の花って言うんだよ。綺麗でしょ? これをねーねに渡すんだ!」
「へえ……もしかしてそのために村を出たの?」
うん! と元気に返され、少し呆れて肩を落とした。もし自分がいなかったら今頃どうなっていたのだろう。危険な生物がうようよいるのに大した度胸……いやこれに関しては無知という名の馬鹿な行為だ。それを口には出さずに「お姉ちゃんは幸せ者だね」とリーゼロッテがボソリと返した。
「ニナ。花を摘むことは別にいいけど、一人で村の外に出るなって教わらなかった? 母親とか、お姉さんには言ったの?」
こんな非力な子を村から出すなんてどうかしている。案の定、無言で少し俯いたまま、ニナがふるふると首を横に振った。やはり無断だったかと、リーゼロッテが鼻を鳴らす。
「でも、どうしても欲しかったんだ。ねーねにプレゼントしたくて」
これまでと違って気力の見えない声をしていた。少し顔を上げ「ねーねはね」とニナが続ける。
「怒ると怖いけど優しくて、ご飯も美味しくて、ニナと沢山遊んでくれるの。いつも笑顔でニナのこと呼んで、頭撫でてくれるの。ニナの髪は綺麗だねって沢山褒めてくれたり、髪をとかしてくれたり……自慢のねーねなんだ! だけど最近は全然笑ってくれない。きっと、もうすぐグランゼルス様のところに行ってしまうから……でも、これならねーね、笑ってくれるかなって」
語尾につれてボソボソと小さく呟くニナの言葉にリーゼロッテは聞き覚えがあった。不思議に思い、口を開いたところで「あ、見えてきた!」とニナの声が飛ぶ。
少し丘になっている大地を踏みしめてみれば、川の流れる低所に小さな村があるのを目にした。早く行こう! 目の前の村を指して態度を戻すニナに、リーゼロッテはモヤモヤしたまま無言で前に進んだ。
湿原地帯にあるナサゴは、水に恵まれ、川漁業が盛んな村だ。川の上にも増設され、家屋の下には水が通っている。同じ村でもアレクのいたローレアズとは系統が全然違っていた。村につき、とある家屋の一枚扉を叩くと、中から憔悴した赤髪の女性が出てくる。
「ニナ!!!」
同じ髪色の少女を見るなり、女性は目を見開いて抱きしめる。どこに行ってたの! と大きめの声で言われ、ニナは肩を震わせてから「ごめんなさい」と抱き締め返した。
「貴女方がこの子を連れ帰ってきてくれたんですね! 本当にありがとうございます! ……なんとお礼を言ったらいいか……」
顔を上げるニナの母、ハンナにリーゼロッテは赤頭巾を深く被り、顔を隠しながら「道中のことなので、大丈夫です」と答えた。本当は村の前に置いて帰るつもりだったのに。ニナの我儘で結局ダラダラと着いてきてしまった。早くここを出ようとアレクと目を合わせ「それでは」と頭を下げる。
「待ってください! お礼を……そうだ。今日は村の祭りなんです。よければ一晩泊まって行きませんか? 長旅でお疲れでしょうし」
「いえ……私は」
口を開いたところでニナに服を掴まれた。キラキラした目で「一晩だけだから!!」と引き止められる。お手上げといった状態でアレクの方を見てみれば「一晩だけならいいんじゃねえの?」と面倒そうに小声で呟やかれた。もし、自分を連れ出せるような実力のギルドハンターがいたらどうするんだと思ったが、離れようとして泣きじゃくるニナに負けて、一晩泊めて貰うことにした。
「お前も押しに弱いよな」
「うるさい! バレたらどうすんだよばか……」
ニナの家の一部屋を借り、アレクと向き合いながらため息をつく。悪魔収容所からもそこまで遠いわけじゃない。やはりなんとしてでも押し切って出ていくべきだった。
「仕方ねえだろ。しつこく騒がれて変に目立った方がお前だって困るだろ? どうせ一晩旅人を泊めたところで怪しむやつなんていないさ」
そんなに気にすんなよと、アレクが久々のベッドに寝転がり、体を脱力させた。ずっと野宿続きだったから、ふわふわのベッドで嬉しいのだろう。清潔な服にも着替え、気分がいいようだ。他人事だと思ってと横目で睨みつけながら、リーゼロッテも倒れて天井を見る。
ベッドなんていつぶりだろう。アレクと出会って半年? は経っているだろうし、それだけの期間は野宿で生活していた。普通の旅人やギルドハンターなら、街で宿を使えるのに。全く損しかしない立ち位置だ。
そんな二人のいる部屋にノックが響いた。誰かが入ってくると認識するまもなく扉を開けられ、リーゼロッテは思わず顔を布団につける。
「リーゼ! アレク! ねーねのとこ一緒に行こう……って何してるの?」
布団に顔を埋めるリーゼロッテに「こいつは極度の人見知りなんだ」とアレクが起き上がる。
「私はいい……外に出たくない」
「引きこもりじゃねえか」
心境が分かるため強くは言えない。ベッドに顔を埋めたまま動こうとしないリーゼロッテに「え!! リーゼいかないの!?」と慌ててニナが駆け寄った。
「行こうよ! 行かなきゃやだーーー! ねーねに助けてくれたって紹介するのーーー!!」
服を引っ張りピィピィと声を上げられる。地団駄を踏むニナにリーゼロッテは顔を横にして「い・か・な・い!」と強めの口調ではっきりと言い放った。ギャンギャンと横で泣かれるが、リーゼロッテは気にしないとばかりに布団に顔を埋め続ける。
「騒がしいと思ったら……何をしてるのニナ! リーゼさんに迷惑かけちゃだめでしょ!」
目縁に涙を溜めてリーゼロッテを引っ張る様子に、音を聞いて一階から駆けつけてきたハンナが慌てて腕を引いた。
「すみません……この子が我儘いって……」
「いえ、こちらこそ。うちのリーゼが頑固ですみません」
なんだその保護者ヅラはと言いたげに、リーゼロッテは布団に顔をつけながらその会話を聞く。
「ほら、アレクさんも迷惑してるんだから。全くこの子は……」
「やだやだやだやだー!! リーゼといくの!!」
暗闇の中で泣き声と、困り果てるハンナの声が聞こえてくる。泣けばいいと思ってるんだから子供はいい。絶対にいかないと強い意志を持って布団に深く顔を沈ませた。
「すみません……この子、自分の思い通りに行かないといつもこうなんです……どうしてもお姉ちゃんに会わせたいみたいで……よほどリーゼさんのことが気に入ったみたいですね」
「こいつもいつもはここまで頑固じゃないんですけど……どうしても人前になると臆病になるようなやつでして……」
「そうだったんですか……ほら! 聞いたでしょ!? リーゼさんには事情があるの! これ以上迷惑かけてはいけません! もう、本当にすみません……」
「いえいえ。こちらこそ大人気なくて……」
これじゃあまるで自分が悪いみたいじゃないか。謝り続ける二人の会話と泣き喚く声にイライラしてくる。しばらくして「あー!!」とリーゼロッテが勢いよく顔を上げた。
「いきます……」
低く、不機嫌に呟き、目を逸らす。あれだけ騒いでいたニナはぱあっと瞬時に泣きやみ「じゃあ、行こ!」と腕を引いた。なんという切り替えの速さだ。子供が好きか嫌いかと聞かれたらどちらでもなかったが、嫌いに少し傾いた瞬間である。
清潔な服と外套を借り、リーゼロッテはフードを被ったままアレクとニナと共にナサゴ村を歩いた。道中にある店や建物を一つ一つ丁寧に教えるニナに、リーゼロッテはただ不機嫌でいる。その間はアレクがニナと会話を繋いでいた。
「なあ、どこに行くんだよ?」
「村の広場! その小屋にねーねがいるの……もう一週間くらいずっと」
語尾につれて抑揚がなく平坦な感じがした。何かあるのだろうかと考えているうちに扉のない小屋につき、三人が中に入る。
「……誰?」
上から垂れ下がった白いベールの先には玉座のような椅子があり、そこには中分けにされた赤髪の女性が座っていた。一切穢れのない白い礼服にはきらびやかな装飾が施され、まるで人形のように見える。その周りにはロウソクが数本立たされ、美味しそうなご馳走や果物が沢山置いてあった。ニナの姉、ルシールは長いまつ毛に縁取られた緑眼を見開き「ニナ!」と立ち上がる。
「どこに行ってたの! 今朝母さんからいなくなったって聞いて心配したのよ!」
凛とした声が小屋中に響き渡る。スラリとした細い四肢に真っ直ぐと伸ばされた背筋は立ち姿だけで女王のような風格にも思えた。まじで美人だな、と隣からアレクの小声が聞こえてくる。
「えへへ……あのね! 捧げ物、ねーねが好きなお花にしたくて……これ!」
モジモジと渋ってから、ニナは背中から一輪のヴェトライユを自信満々に出した。それを見て、ルシールは言葉を失う。
「昔、パパと一緒に湖の近くで見たでしょ! 綺麗でねーねも好きだって言ってたから取ってきたの!!」
早起きして頑張ったんだ! 満面の笑みで渡そうとするニナにルシールは無言で近づいた。
バシン
乾いた音が小屋に響く。ニナの後ろで見ていたアレクとリーゼロッテは驚き、目を見開いた。その痛みにニナは混乱し、思わずヴェトライユを床に落とした。赤くなった頬を抑え、ルシールを見上げる。
「あれだけ……村の外に出ちゃダメだって言ったじゃない!! どれだけ心配したと思ってるの! 午後には捜索隊も出る予定だった! 沢山の人に迷惑をかけたのよ!」
大好きな姉に近くで怒鳴りつけられ、ニナはビクリと大きく肩を跳ね上がらせた。徐々に目縁に涙を溜め「だ、だって……」と鼻水を垂らしながらひくつく。
「ねーねに喜んで欲しかったんだもん……! 今日でお話できるの最後だから……!」
その言葉に一瞬、ルシールの息が乱れる。今までニナは姉に頬を叩かれたことなんて一度もなかった。これまでにこんなに大声で怒鳴られたこともなかった。いつものようにただ「喜んで欲しい」という純粋な気持ちで動いていただけだった。だからこそ、ニナには怒っている理由が全く理解出来ていなかったのだ。後退りし、そのまま逃げるよう走ってニナが小屋を出ていく。
「お、おい! ニナ!」
アレクが出ていくニナの背中を引き留めようとするも、既に足音は遥か彼方だ。しん、と小屋に沈黙が流れる。
カツ、重々しい空気を足音が破った。俯いたままのルシールに、リーゼロッテは無言でヴェトライユを拾うと「あの……」と差し出す。
「これ。ニナが貴方を笑わせたいって取ってきたものなんです。最近貴女が笑えてないからって。だから、せめて受け取ってあげてください」
リーゼロッテの言葉にルシールは息を飲んだ。震えながら受け取り「そう、だったんですね」とその花を緑眼に映してボロボロと涙をこぼす。その一粒一粒がロウソクの光に照らされて、宝石のように美しかった。
「……突然驚かせてしまい、申し訳ありません。きっと、貴女方がニナを連れ戻してくれたんですね。本当に……心から、御礼申し上げます」
深々と頭を下げられ、二人はその圧倒的な存在感にただ立ちつくした。ゆっくりと顔を上げ、ルシールは真っ直ぐと二人を見つめる。
「改めまして、私はニナの姉、ルシールと申します」
ニナとは違い、静かで礼儀正しい人だと、リーゼロッテは思った。これは名乗るべきなのだろうかと考えている間に「俺はアレクだ」と背後から声が聞こえる。
「アレク様。素敵なお名前ですね……」
「様はいいよ……なんか照れる」
目を逸らして頭をかくアレクにデレデレしちゃってと横目で睨みつける。直ぐに「そちらの方は……」とルシールに声をかけられた。
「あっ……と。リーゼ。リーゼでいい」
様は付けずにね、と付け足すリーゼロッテに「分かりました。リーゼさん、ですね」とルシールが口に手を添えて上品に笑ってみせる。
「すみません。旅の方は久しぶりだったので。お会いできて嬉しいです。今日は丁度前夜祭なので楽しんでいってください」
「……ありがとうございます。あの、つかぬ事をお聞きしても?」
笑顔を解き「はい」とルシールが柔らかな声で返す。本当に見れば見るほど綺麗な人だ。見蕩れながらも「ニナのこと……いいんですか」と問いかける。
「聞いた事があったんです。この世界を統べるという神竜グランゼルス。それを守る一族の村では代々グランゼルスに生贄を捧げている。この村がそうですよね?」
生贄!? 声を張るアレクに「……ご存知でしたか」とルシールが目を伏せる。
「はい。今回は光栄なことに私が贄として選ばれました。一族として誇れるべきことです。ただどうしても気がかりがありまして……ニナのことです。あの子は昔から私にくっついて離れない子でして、何かとトラブルを起こしては私を驚かせていました。本当に手のかかる家族思いのいい子で……まさか最後にこんなサプライズがあるなんて思いもしなかった」
ヴェトライユの花弁を見つめ、ルシールは力なく笑って見せた。その表情には色んな感情が含んでいる。悲しいような嬉しいような、複雑な感情だ。
「かえって、こんな別れ方で良かったのかもしれませんね。私たちには別れの言葉なんていくつあっても足りませんから。それに、ずっと甘やかしているわけにもいかない……あの子はあの子で未来に生きて欲しい。私の分も」
ただそれだけなのだと、ルシールは言い「少し待っててください」と椅子に戻った。一番目立つ所にヴェトライユを置き、何やら手に取ってリーゼロッテの元に歩く。
「リーゼさん、お願いがあります。これを、あの子に渡してくれませんか」
渡されたのはヴェトライユとよく似た紐のついたガラス細工だった。鏡のように自分の姿を反射して、傾けるとキラキラと輝いている。綺麗、リーゼロッテが裏にひっくり返して見ながら呟いた。
「幼い頃、父とこの花を見て、それ以来私たち姉妹の大好きな花でした。けれど、年々数が減少して……なかなか外にも出られなかったので、あれ以来目にすることが出来なかったのです。だから最後、自分の記憶を頼りにニナにお守りを作ろうと思って。私がいなくても強く、幸せに生きていけるように。もう泣かなくてもいいように。例え姿は見えなくても、私はずっと傍にいると」
ルシールはそう口にして、クスリと笑った。でも、不思議ですね、と話を続ける。
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