赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 一章

06 パラフェリアントポパグス(挿絵あり)

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「アレク! そっちにいった!」

 地面を滑り、泥まみれになった足で毛むくじゃらを追いかける。任せろ! とばかりにアレクは近くの木から飛び降り真正面に出て、向かってくるファングに矢を放った。が、全く当たらない。

「ばっ……だめ! 真正面は……!」

 ドンッ! リーゼロッテが止める間もなく、アレクはファングに突進され、数メートルほど後ろに転がる。木の幹に勢いよく当たり、その揺らぎが葉っぱの上に溜まった水滴をボトボトと落とした。予報もない雨に打たれ、倒れたままその場で呻く。

「ブギィィィィ!!!」

 足を軸に滑りながらも方向を変え、ファングは真っ直ぐアレクと向き合う。かなり好戦的な奴だ。そのまま突進しようとするファングの行先に向かって、リーゼロッテは粘ついた糸の玉を投げる。

「……っち。足止めにもならないか」

 一瞬で振り払われ、苦笑を浮かべる。けれど、始めからそれで止まるとは思っていない。その隙に素早く駆け寄りながら途中で落ちた弓を拾い、ファングに向かって矢を放った。狙い通り体の前半分に突き刺さり、ファングはバランスを崩して倒れ、数メートルほど地面に引きずられる。プビィ、と小さく鳴き、アレクの少し前で止まると、足をバタバタしながら暴れた。
 心臓を外したか。放っておくとまたすぐに起き上がる。奴らの怖いところは負傷してからの反撃だ。リーゼロッテはゆっくりと歩み寄り、持っていた剣鉈で確実に心臓部を突き刺した。暴れるファングを抑えるように力を込め、グリグリと回しながら奥へ突き刺す。しばらくしてビクビクと痙攣しながら、ファングは息絶えた。

「アレク……はあ。全然ダメ」

 空中で切るようにして血を振り払う。目の前で倒れるアレクに心配するようにかけられたリーゼロッテの声は一気に低くなり、溜息へと変わった。深く、体底から沸きあがるようなため息だ。お前この状態でそれはないだろと、呆れながらもアレクが短く鼻で笑う。今日だけで何回目だろう。

「やっぱりダメだよ。素人が弓なんて。第一、弓は遠距離武器なのになんでわざわざ真正面に立っちゃうの?」
「そ、それは矢が当たらないから……」
「……はあ。アレクが俺にもできるって言ったから貸したのに。当たらないからってわざわざ獲物の近くにいったら意味ないでしょ? それと罠。なんで自分で仕掛けて自分でかかるの」
「匂いがしたんだよ……そしたら……っ」

 起き上がり、体を強くぶつけた痛みで縮こまるアレクに、リーゼロッテは再度短く鼻で息をしてから「クリフ!」と指笛を鳴らした。離れたところからやってきたクリフを撫で、その荷物から飲む傷薬を取り、アレクに差し出す。

「いや……これぐらい……」
「何のために買ったの?」

 顔を寄せて威圧され、アレクは「うっ」と小さく呻き、押し当てられた小瓶に渋々口をつける。その苦みにえずいたが、もう何度目かということもあって一気に飲み干した。同時に目に見える傷が膜を張って閉じていき、血だけが表面上に残る。本当に便利な薬、とリーゼロッテが呟いた。

「……はあ。ねえ、アレク。やっぱり私、教えられる自信ない」

 少し間を開け、落ち着いた空気の中、リーゼロッテが肩を落として告げる。自分なりに基礎を教えこんだつもりだが、何せ今まで人に教えるという行為をしたことがなかったので上手くいかない。自分でもよく理解していた。その言葉にアレクは見捨てられたかのような気がして肩を震わせる。

「そ、そんなに俺は酷いのか……?」

 首を竦めた事で声が小さくなる。狼の身体能力、喧嘩で培ってきた経験で自信があったからこそ、ショックが大きかった。うん、酷いねとすぐに返され、頭上に石が落ちてきたかのような衝撃にただ固まる。

「けど……それは私も同じ。そもそも教えられるような立場じゃないの……物覚えが悪くて父さんにはよく怒られてたし……今の私がいるのは傍に凄腕ハンターがいたおかげだ」

 過去のことをリーゼロッテは思い出してみる。当然ながら父は自分に始めから狩りを教えようとしてくれたわけじゃない。どちらかと言うと過保護な方で、狩人という働き口には近づかせたくないような人だった。
 それでも傍で見て興味を持ち、父にしつこく引っ付いて真似をしていたことで「危険だから」と知識を教えられたのだ。そうしているうちにギルドハンターという目標ができ、父に認められるように頑張ってきた。

「……でもお前、あんな化け物と戦ったんだぞ? 狩りだって大きい獲物を取ってくるじゃねえか」
「それは……大きい動物の方が動きが遅いし的が大きいから。それにあんな化け物、大したことない。ギルドハンターはもっと、本当の化け物を相手にしないといけないし……ドラゴンとかね」

 口元に手を当てて考えるリーゼロッテは更に俯きながら続けた。

「あの大蜘蛛もフォレストファングも俗に言う魔物の部類は、下級と呼ばれる。でも本来、ドラゴンとかグリフォンとかもっと手強い上級の魔物を討伐するのがギルドハンターの存在意義。魔族の討伐は基本王国兵の仕事だけど、どれも魔族に片足を突っ込んでいるようなやつだよ……あれぐらい倒せて当然なんだ……」

 ブツブツと返すリーゼロッテに「お前はギルドハンターになりたいのか?」とアレクが青い外套についた土を払いながら言った。その言葉に眉を顰め「なんで?」と問いかける。

「お前の口からはよく父親とギルドハンターの単語が出てくるからな。やけに詳しいし」

 体の後ろに腕をついて休むアレクに「……誰があんな奴らなんかに」と目を細めて凝視した。自分だって好きで頻繁に奴らの名前を出したいわけじゃない。この国の魔物退治の基準が彼らで、そして過去に憧れていたからだ。 
 ふと、俯いて考えていたリーゼロッテは何か違和感に気づき、ファングの前に膝をついた。不思議に思い「どうしたんだ?」とアレクが立ち上がって背後から覗き込む。

「いつもと様子が違うから気になったの。見て」

 そう言って、耳の内側を見やすいように捲ってみせる。中はボツボツとイボのようなものが広がり、最奥に何かが詰まっているようだった。リーゼロッテは躊躇わずに布に包まれた指を突っ込み、なにかの感触を得て引き上げる。ブチブチと細長い根のようなものを伸ばして出されたそれは糸を張っていた。

「うえ……なんだよそれ」
「分からない……けど、多分キノコ? の一種?」

 ウロキノコと少し形状が似てると布に取り出してじっと見つめる。

「こいつ、もしかして寄生されていたのかも。あまり近づかない方がいい」
「寄生!? それ掴んで大丈夫なのか!?」
「大丈夫。布越しだし。大抵のキノコは太陽の光に弱いから……」

 詳しくは知らないけどね、と遠目でファングを全体的に見て、体を触る。

「虫に寄生するタイプは知ってるけど、獣とかに寄生するのは初めて見た……ほら、これ」

 ファングの毛並みを分けるように撫でる。何やら薄い石のようなものがいくつも張り付いていて、その付近に出血が見られた。

 「状態からしてさっきの傷じゃない。パッと見じゃ分からなかったけど、元はここにキノコが張り付いていたのかもしれない。自分の体をぶつけて無理やり削ぎ落としたんだろうね」
「それじゃあ、だめなのか?」
「うん。根が残ってるし、きっとまた生えてくる……菌糸は厄介でね。燃やすか薬で何とかしないと完全に殺すことは出来ないの」

 こいつを食べるのは危険だと言って、リーゼロッテはいつものように穴を掘り、ファングの死体を燃やした。耳の異物を包んだ布も一緒に入れ、空に上っていく火の粉を目にし、目を閉じる。毎回丁寧だなと、アレクがその背中をぼうっと見つめた。

「よし。いこっか」

 いつもの儀式を終え、リーゼロッテは切り替えるようにクリフを連れて前を歩いた。ハッとし、アレクが慌てて後を追いかける。

「……そういえば、さっき話逸れちゃったけど。アレクはやっぱり武器を使うスタイルは合わないよ。そのせいで武器に集中して動けていない気がするし……狼で首元に噛み付いた方が早くて確実だ」

 振り返らず前だけを見据えてリーゼロッテは歩いた。赤茶色の森の道にヒラヒラの葉っぱが舞い、自分を横切っていく。その景色と同化してしまいそうな赤頭巾の背後で「そうはいってもなあ」とアレクが頭の後ろで腕を組んだ。

「毛に覆われたやつを口に、しかも生で噛み付くのはまだ抵抗があるんだよ。俺、処理された以外の肉なんて食べたことないし。生なんて体に悪いだろ」

 切実な言葉に「そんなんだからダメなんだよ。本当に狼?」と冷めた語調で返す。確かに、アレクの行動や思考は狼のものとは思えない。狼の本能が働いてくれると信じていたが、とんだ期待外れだ。幼い頃から今まで人として生きてきたせいか。いや、もしかしたらどこかで本能に支配されるのを怖がっているからなのかもしれないなと、初めて出会った時のことを思い出した。

「……出会った時から言い訳して逃げてばっかり。それも問題だと思う。技術面よりアレクに必要なのは精神的な強さだよ」
「お前……本当に容赦ないな。それぐらい、自分でも分かってるよ……でも、どの種族だってそんな簡単に変われねえよ。誰もがみんな、お前みたいに勇敢じゃないんだ」

 自分が臆病でここぞと言う時に勇気がないのはアレクも理解していた。昔から勝てるとわかった相手には強気になれても、本当の強者には立ち向かわない。獣の本能もあるのか危機には人一倍敏感だった。
 むしろあんな化け物に自分より小さな体で立ち向かっているリーゼロッテが異常なくらいだ。他の大人よりもよほど勇敢なその行動がたまに死に急いでいるようで、危なっかしい。
 語尾につれてボソボソと呟くアレクの前で「そういうところだよ」とリーゼロッテは顔を横にして口角だけをあげた。





 リンモエテ山の麓に留まって数日。一行は山から移動せずに来るその時までじっと待機していた。

「ねえ、アレク。本当にこの森で会えるかな」

 木椀に分けられた豆と獣肉の煮込みをアレクから受け取る。赤く熟れた果実と一緒に煮込まれ、スプーンを傾けると少しずつ滴り落ちる程のとろみがあった。獣脂の濃厚な旨味が口中香の感じ方を強める。初めて食べるなと、スプーンで掬いとって口に入れてみれば、肉と旨みと果実の酸味が程よく舌に広がり、頬がしまって思わず口角が上がった。ビーフシチューとは少し違うようだ。

「多分な。悪魔は決まって街の近くにある森とか林から生み出されるって話だ。そうして自分の運命も知らないまま近くにある街に向かって、そこで多くはギルドハンターに捕まる。奴らはその後どこかに連れてかれるが、その行き先は誰にも分からない。追っていけばなにか重大な情報が得られるかも」

 ぱちぱちと燃える炎をアレクは見つめた。噂では切り刻んだ肉を肉市場に売りつけたり、裏で貴族の玩具として売り買いされていると聞く。どの道いい噂は聞かない。逃げるのはよそうとあの時言ったのは、追うことで悪魔の現状がわかると思った為だ。
 現状が分かれば今後の対策も思いつく。なぜ悪魔を嫌うのか、どこに連れてかれるのか、奴らが何者なのか、今はとにかく情報が少しでも欲しかった。
 同じように器に分けたアレクが座る一方で、リーゼロッテはキラキラと輝く目でひと口ひとくちを大事に食べている。美味いか? とアレクが声をかければ、こくこくと首を縦に振った。

「うん! アレクは……狩りはまるでダメなのに、他では頼りになるね」
「うっ……わ、悪かったな! いちいち言われなくたって分かってるっての!」
「ふふっ、ヘタレ狼さん」
「っ、お前……喧嘩売ってるだろ?」

 買うぞ、と口端をひきつらせるアレクにリーゼロッテは「そんなものどこにも売ってないよ」と残りの煮込みを木椀から一滴残さず丁寧にすくい取った。あっという間に平らげてしまい、名残惜しそうにスプーンを咥える。

「……あー、おかわりするか? まだあと少し残ってる」

 図星を突かれて喧嘩腰になっていたが、その姿を見て膨れ上がったものが萎み、呆れたようにアレクが問いかける。その声に「えっ、いいの?」とリーゼロッテが嬉しそうに目を輝かせた。

「食べる! あっ、でもアレクも……」
「……俺はいいから気にすんな」

 やった、と隠しきれない嬉しさを溢れさせるリーゼロッテに、こういう時はちゃんと子供だなと、アレクは鼻を鳴らした。





 真っ先に街に向かえるということは悪魔は森から最短の、街が見える場所に生み出されているのだろう。どういった仕組みなのかは分からないがそう予測し、二人は森の中からでも街が見えるポイントを毎日回っていくことにした。他の森に向かって偶然を待つぐらいなら、いっその事一箇所にとどまっていた方がまだ確率は高い。

「今日も無理みたいだね」

 最後のポイントを回り終え、何もない光景を目にしてため息をつく。一応狩りの練習などでポイント以外にも森を回っているのだが、数日待っても悪魔は現れない。ルトレア街にいた時は頻繁に見かけていたような気がするけどと、重くなった踵を返した。
 が、背中を向けた途端にアレクは何かを感じとったようなのである。首を高くし、目の前を歩くリーゼロッテに「おい」と声をかけ、引っ張るようにして木の影に連れ出した。

「なに急に……!」

 一歩前に踏み出すリーゼロッテの口を手で塞ぎ、自身の口の前で人差し指を翳す。背中を押されるがままリーゼロッテがそっと顔を出してみれば、そこには危機感もなく、悠々と森の中を歩く男性の姿があった。奇っ怪な格好は街で何度か見た事がある。

「あれって……」
「ああ。あの格好……それに、聞き取れない言葉……間違いないだろう」

 数日張ってようやく姿を現した。黒いの短髪に貴族のようなぴっちりとした、それでいて装飾が少ないモノクロの格好。彼は何かを話し、物珍しそうに周囲を見回してから、街の方向へと歩き出す。アレクとリーゼロッテは互いに顔を見合わせ頷いてから、後を追った。

「念の為に何度も言うが、いつもの変な正義感は出すなよ? 今回は奴らがどこに連れてかれるか知るためのものなんだから」

 コソコソと隠れながら自分の近くにいるリーゼロッテにアレクが小声で忠告した。分かってるよ、と聞き飽きた様子でじっと悪魔の男を見つめる。
 度々道草をしながらも悪魔の男は無事に近くの街にたどり着いた。魔物に襲われないよう、アレクとリーゼロッテが裏で魔物たちを狩り、近づけないようにしたのだ(ほぼリーゼロッテが退治した)街に来た悪魔の男は天を見上げるように全体を目にし、楽しげに何か話している。本当に呑気なやつだ。その悪魔を見て、周囲は慣れた様子でいつも通り過ごし、警戒心を与えないようにしている。

「……なんか楽しそう」
「だな。本当に、馬鹿な奴らだよ」

 キラキラとした目で子供のようにはしゃいでいる悪魔の様子に、これからの事を悟って胸を痛める。彼らには何故か悪魔という自覚がない。観光気分で街に入り込んで毎回ギルドハンターに捕まるのだから、悪い連鎖だ。
 周囲の人間も相変わらず見て見ぬふりをし、街全体に薄情と悪意の波が広がる。それでも悪魔は気にせずに堂々とメイン通りを歩いていった。その様子は呑気で警戒を知らない子供のようだが、悪い人間にはとても見えなかった。
 確かにこの世界の人間ではなさそうだ。けれど、悪魔と呼ばれる理由が分からない。あの領主は予言がどうとか言っていたけれどと見守っていた矢先、悪魔の男がその場で派手に倒れた。前から歩いてきた奴等に足を引っ掛けられたらしい。足をかけた張本人達はケラケラと笑いながら彼を囲う。
 ああいう連中は本当にどこにでもいるんだなと、つい最近経験したリーゼロッテが青筋を立てた。悪魔の男は立ち上がり、派手に顔から倒れたことで垂れてくる鼻血を拭いながら睨みつける。

「あ? なんだよ。文句あんのか?」

 脅すような態度に怯まず、そのまま顔の前で腕を構えた。まさか戦う気だろうか。そんな無謀なことをと、リーゼロッテが思わず飛び出そうとしたが、アレクに引き止められた。

「おい約束! もう忘れたのか」
「でも……」
「大丈夫だって。あれだけ立ち向かう姿勢があるなら自信があるんだろ?」

 適当な流しに無理やり納得し、確かにそうかもしれないと再び目線を上げた。が、その直後、悪魔の男の顔面に勢いよく拳が入る。めりめりと鼻に直撃し、リーゼロッテは額を抑えるように目元を隠した。

「あー……やっぱだめだったか」

 悶え苦しむ悪魔の様子に、アレクは顔を歪めた。なんだこいつ弱え! と崩れ落ちて蹲る悪魔の男を二人組が蹴りつける。見ていられなかった。
 非力なのに、まるで自分は誰よりも力があると思っているのだろうか。本当に変な人と考えつつも、切り替えるように首を振る。

「おい、君たち……何をしているんだ?」

 その声にハッとして顔を上げる。喧嘩売りの二人組と悪魔の男の前に現れたのは、父親のような筋骨隆々の男の姿。見た目からして三十後半だろうか。しっかりと髭を剃った穏やかな顔つきとは違い、その腰には二本の片刃剣が収められている。リーゼロッテは直感で本物の「ギルドハンター」なのだと理解した。

「……悪魔か。ここは任せてくれ」

 いつの間にか気絶している悪魔の男を軽く持ち上げ、近くにいた馬にうつ伏せの状態で乗せた。体の後ろで腕を組ませるように縄で縛り「今後は彼らに近づかないように」と忠告してギルドハンターが歩き出す。

「よし、追うぞ」

 ぼうっと考え込んでいたリーゼロッテはその声にハッとし、アレクに続いて駆け出した。早速チャンスが舞い込んできたかもしれない。
 街から出た後もしばらく木々に囲われた小道が続いた。リンモエテの特殊な森とは違って、どこにでもあるような雑木林だ。そこを慣れた様子でギルドハンターが歩いていく。

「……おい。いつまでついてくるつもりだ?」

 踏み出した一歩を止めて、真正面を向いたまま声を出した。自分たちのものではない。威圧するような低音に木の陰に隠れていた二人はぞわりと背中が震えた。

「舐められたもんだな。俺はギルドハンターだぞ。つけられていることを把握するぐらい朝飯前だ……出てこないなら、こちらから向かってもいい」

 ザッ、と靴底が土に掠れる音がした。方向を変えたのだろう。木を背にしながらリーゼロッテはギルドハンターの言葉に焦り、俯く。このままではアレクと共に見つかってしまう。考えている間にも足音はザッザッザッと、変わらない速さでこちらに近づいてくる。迷ってる暇なんてなかった。

「……ねえ、アレク」

 目の前で同じように息を潜めているアレクに、強ばった顔で無理やり笑顔を作った。声をかけるリーゼロッテの頬には冷や汗が見える。

「貴方のこと、信じてもいいんだよね?」

 いきなりなんだと眉を顰めるアレクの前で立ち上がる。その体は僅かに震えていた。何をする気だ、アレクは抜け落ちるような声で呟く。

「クリフのこと、頼んだよ」

 ここで見つかったりしたらそもそもの計画が失敗してしまうかもしれない。真実を知るためにも二人して捕まるわけにはいかなかった。前は一人だったけど今は違う。信じたい人が傍にいる。ゆっくりと木の影から姿を現し、小道へと出た。

「やっと、出てきたか。素直なやつは嫌いじゃないぜ、お嬢さん」

 話しかけるギルドハンターは遠くで見るよりもずっと大きく見えた。真っ向から風が吹き、リーゼロッテの赤ずきんが取れる。けれどもしっかり、目を合わせた。

「お前……ルトレア街の悪魔だな? まさかこんなところにいたとは……ノコノコ出てくるとは大した度胸だ」 

 顎に手を添えて感心するギルドハンターの様子に無駄だと分かりながらも「話が、あります」と声に出す。緊張が伝わる言葉の間合いだ。

「へえ、こちらの言語を話せる悪魔がいるとは驚きだ。だが悪いね……お前らの質問に答える義理はねえ。特にお前には」
「……っ、なぜそんなに悪魔を憎むんです!! さっきだってなにも……」

 最後の言葉に違和感がありながらも、声を張る。だが、話は聞かないと言った感じで脅すように片刃剣を構えられ、強ばった。

「俺に勝てたら教えてやるよ」

 仕方がない、とリーゼロッテは弓を構えた。ギルドハンターが素早く踏み出す。瞬時に素早く矢を放ったが、軌道を読まれ横に逃げられると、最低限の動きでジグザグに迫られる。間合いを詰められて危機を感じると、咄嗟に片手で解体用の剣鉈を取り出し、突き出されたギルドハンターの片刃剣を受け止めた。
 キンッ、と冷たい刃の音が二人の間に鳴った。なんて力だろう。その圧倒的な力にかなわず、すぐさま受け止めた剣鉈ごと腕を払われた。バランスを崩すがリーゼロッテは諦めない。しっかりと剣鉈を手にしたまま、転がるように後退する。が、見上げた先で蹴りつけられ、更に後ろへと飛ばされた。弓が自分から離れ、仰向けで呻き、殺意を持って突きつけられる片刃剣に寝返りを打つようにして避ける。

「はあ……っ」

 得意な弓が使えないのは辛い。近距離攻撃はもしもの為にと父に教えられていたが、ギルドハンターにそれが通じるはずもない。ふらつきながらも素早く立ち上がり、ひたすら一方的に避けることを繰り返していると、ギリギリで首元を掠めた際に紐が切れ、父の形見である角笛を落とした。

「あっ……!」

 気が逸れた瞬間、目の前にまで来ていたギルドハンターが柄の部分でリーゼロッテの鳩尾を強く突いた。かはっ、と嘔吐くような感覚と共に視界が歪む。震えながら何とか耐えようとするが、がっくりと力尽きるように意識を失ってギルドハンターの腕にもたれ掛かった。

「リ……っ!」

 見ていたアレクが思わず飛び出そうとするが、クリフに青い外套を咥えられ引き止められた。一番飛びつきたいのはクリフのはずなのに。

「お前……っ!」

 そうこうしている間にギルドハンターはリーゼロッテを肩に担ぎ上げた。自身を囲う木々に向かって「おい」と声をあげる。

「まだ他にいるだろ? そいつに忠告する。こいつの勇気に免じてお前には手を出さないでおいてやるよ。一千万ともなれば見逃しても釣りが返ってくる。もうこいつには関わるな。もし追ってきたら、命の保証はしないぜ」

 そりゃあそうだろう。居場所がバレているともなれば自分の存在にも気づいていたはずだ。リーゼロッテが敵わなかった相手に自分はどう勝てばいい。出てこなければ見逃してくれる。そんな甘い言葉に体が強ばり、アレクはその場で固まった。自分ならクリフを振り払える。それでもその選択をしようとはしなかった。

「じゃあな、負け犬」

 言葉が心臓をヒヤリと麻痺させる。何も動けずに、アレクはリーゼロッテが連れてかれる足音をただじっと聞いていた。







 玉響の安息が心地いい。薄らと目を開けてみれば眩い光が視界を白くし、気怠さもあいまって再び眠りに落ちようとした。次の瞬間、人の手で顔を横に固定され、かと思えばナイフを突き刺したような強烈な痛みが首の横に襲いかかかる。

「ぅあ゛あああ?!」

 肌を焼き焦がすのに似た感覚は皮膚の下を這う動脈にまで伝わり、手足を叩きつけるようにしてのたうち回った。産声のような声に意識を覚醒させ、リーゼロッテはキョロキョロと目だけを動かす。

「はっ……あ」

 眼前には鳥のくちばしのような覆面マスクをした、見知らぬ大人たちがこちらを見下ろしていた。目を覚ましたかと面倒そうに言い放ち、奴らはリーゼロッテを無理やり起こすと「さっさと菌床室に連れていけ」と押し出した。痛みに脱力して抵抗できずにリーゼロッテはただ連れてかれる。
 おかしなマスクをつけた人間と階段を下がり、陽の光から遠い地下へと辿り着いた。どこからか、ぴちゃんぴちゃんと水音がし、冷たい風を感じる。つん、と鼻の奥を刺すような湿った嫌な匂いがし、思わず顔を顰めた。

「なに……これ」


 マスクの人間が目の前の鉄格子を開けた。埃っぽい部屋のように視界がぼやけて白む。うめき声が大きくなって周囲を見回すと、顔面から鱗のようなキノコが生えた人間たちが壁にもたれかかるようにして座っていた。なんだかここに来る前に見たものと少し似ているような気がする。
 ぴくぴくと手足を痙攣させ、掠れた小さなうめき声や、ケタケタと笑う声が牢獄の中に充満している。こんな状態でも彼らはまだ生きているのか、こちらを見るなり立ち上がると、ゆっくりと千鳥足のような歩みで近寄ってきた。明らかに異様な光景だ。

「パラフェリアントポパグス。通称、人喰いダケ。奴らは動物に寄生し数を増やすと、朽ちる際に大量の胞子を出して、また別の動物に菌を感染させる。過去に村一つを地図から消した非常に危険な菌類だ。だが、奴らのキノコは人間に強い回復力を齎すと最近の研究で分かってな。お前らも一度は街で見たことあるだろ? 飲む傷薬とかさ」

 まさか本当に人の言葉を話せるとはと、マスク男が感心した様子で返す。その言葉にゾッと頭頂部から背中にかけて悪寒が走った。あの気のいい店主の事を思い出す。確か、原料のキノコの栽培に成功した、とかなんとか言っていたような気がした。
 その直後、強く背中を押され、近づいてきたキノコ人間たちと共に牢獄の中に倒れる。押し倒したその体は柔らかく、べちょべちょと粘り気のある液体のような感触だった。ひっ、と小さく悲鳴をあげて起き上がり、振り返ってみれば「良かったな」とマスク男が見下ろす。

「お前らみたいな罪深い命にもちゃんと人に役立てるって存在価値があったんだ。こうして直接命を使う事でな。うちのトップに感謝しろよ」

 マスク男はそう言葉を残し、鉄格子を閉めようとする。

「あ、うそ……待って!!!!」

 フラフラと起き上がり、リーゼロッテはよろめきながら手を伸ばして入口に歩くが、鉄格子は虚しくも目の前で完全に閉じられた。
 鉄格子を掴みながらそんな、と膝から崩れ落ちる。絶望する間もなく、閉じられたことで強く感じた湿った匂いと鼻にまとわりつく空気に激しく咳き込んだ。腕で鼻を抑え、周囲を見回しながらなるべく息をしないように心がける。けれどそれも持って数分だけのことだ。
 奴は確かに菌類と言っていた。となると空気中のこれは胞子か……どのみち吸っていたら先程自分が押し倒したキノコ人間と同じようになってしまう。それを理解すると同時に、リーゼロッテは一つ悪魔についての確信を得た。悪魔はあの「飲む傷薬」の原料となるキノコの苗床になっていたのだと。
 便利だと言ってアレクと飲んでいた自分を思い出し、えずくと、ふらつきながら部屋の隅で吐き出した。粘り気のある白濁の糸が空気中に伸びて揺れる。 
 ふと、自分の首元に父の形見がないことに気づいた。奴の切っ先を掠めた時に切れて落としてしまったのだろう。ずっと、家を出てから肩身離さず持っていたのに。もう二度と戻ってこないかもしれない。そんなことが頭に思い浮かび、気持ち悪さとこれからの自分の運命を悟ってじわりと視界が滲んだ。
 このまま、他の人達と同じようにキノコに寄生されて、自我を失ってしまうのだろうか。父さんの仇も打てず、真実も知らないまま、ただ意識があるだけの屍に……そう考えると体の震えが止まらなかった。その場で蹲り、涙を浮かべたまま膝に顔を埋める。

「助けて……」

 父がいなくなってからの、初めての弱音だった。泣き入りひきつけのように不定期な呼吸で放たれた言葉は誰の耳にも届かず、暗い牢獄に響いて消えた。
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