赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 一章

04 父と子(挿絵あり)

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「アートルムさん。何やら前が……燃えていませんか?」

 どこまでも暗黒が広がる森の中。そこを外套に身を包んだ三人が歩いていた。そのうちの一人が反応し、呟く。

「何かくる」
「え?」

 蹄と獣の息遣いに、先頭の人物が足を止める。周囲にいた残り二人は鞘に納めていた剣を引き抜いた。

「止まれ!!」

 その言葉には肌をビリビリさせる語気があった。前からこちらに向かって走ってきていたリーゼロッテ達は思わず動きを止める。

「我々は王国兵の者だ!! 君はあの村から逃げてきたのか!?」

 王国兵、の言葉にリーゼロッテは青ざめた。咄嗟に赤ずきんを深く被る。その仕草にリーダーらしき奥の人物は眉を顰めた。

「アートルムさん! 馬鹿でかいオオカミがいます!」

 リーゼロッテの隣には獣の顔に皺を寄せ、唸り声をあげるアレクの姿がある。目の前の光景を見て、リーダーは外套で見えない顔のまま「……ほう」と口角だけをあげた。

「これはラッキーだな。あちらから来てくれた。手間が省ける」

 何をする気だろう。リーゼロッテが体を強ばらせた矢先、球形状のものが投げ込まれた。

「っ、避けて!!」

 咄嗟にアレクと左右に分かれて避ける。が、その爆風でリーゼロッテはクリフから振り落とされた。素早く受身を取り、咳き込む。その際に顔を隠していた赤ずきんが取れてしまった。

「やはりそうか」

 だが、そんな暇も与えないとばかりにリーダー以外の二人が斬りかかってきた。矢を放ってる時間はない。持っていた解体用の剣鉈で受け止めようとするが、その力に押され、弾き飛ばされた。

「なっ……!」

 切っ先はリーゼロッテの剣鉈を弾き飛ばした後、大木を切り倒す。その威力に声を失った。こんなの、規格外だ。同じようにギリギリ避けた狼姿のアレクもこれには驚き、耳を伏せる。

「手配中のリーゼロッテ・ヴェナトルだな。このまま邪魔をするなら消えてもらう」

 リーダーの言葉にリーゼロッテは顔を歪める。やはり、王国兵も自分を知っていたか。ギルドハンターにも追われているのに王国兵まで入ってきたら命がいくつあっても足りない。まともに戦っても勝てる相手じゃなさそうだ。隙を見て逃げるしかない。そう目線をアレクに送ってみれば、アレクはすっかり縮こまってしまっている。

「アレク……?」

 先程まであんなに強いように見えたのに。今では子犬のようだ。ギラついた青目はいつの間にか戦意喪失している。

「なんだコイツ。見た目の割に大したことないんだな」

 舐めた口調でアレクを襲った兵士が再び剣を構える。それを見たリーゼロッテは瞬時に察知し、新調したばかりの弓を構えてから素早く矢を放った。コンッ、振り上げた剣に一瞬だけ何かが当たった感覚がし、それ以降動かなくなる。

「あ?」

 兵士が不思議に思って見上げてみれば、何やら束ねた蜘蛛の糸が網のように剣と近くの木に絡まっていた。一瞬とは思えない正確な狙いだ。

「なんだこれ……くそっ! 離れねえぞ!」
「蜘蛛糸の玉。または、牽引糸。重ねればその分強度は増す。ちょっとやそっとじゃ引きちぎれない。ましてやその角度で止められたら力も入らない」

 目線が逸れ、油断したすきに素早く落ちた剣鉈を拾い、リーゼロッテは怯えたアレクの前に立つ。

「この狼は関係ない……! 狙うなら私だけにすればいい」

 自分のことで誰かを巻き添えにするのは嫌だと、リーゼロッテが声を張る。が、それを見ていたリーダーは「はあ?」と呆れたように息をついた。

「私たちの目的がお前だとでも思っているのか?」

 言葉の意味が分からずしばらく声が出なかった。歩み寄るリーダーにリーゼロッテは警戒して弓を構える。足止め用に蜘蛛糸の玉は何個かあるが、あまりここで消費したくない。どうする? そう考えた直後の事だった。

「待ってぇや!!」

 二組の間に飛び出してきたのは、二つ結を揺らすリサの姿だ。目の前に立った人物の登場に、リーゼロッテとアレクは目を見張る。

「リサ……なんで……」
「ごめんなあ、リーゼ」

 顔を横にするようにして、リサはリーゼロッテの方を振り向く。

「うち、別れの時怖くなって何も言わへんかった……大切な友達を、敬遠するようなことして……最低なヤツやわ……」
「リサ……」

 眉を下げるリーゼロッテを涙目で見つめながら「そっちの狼はアレクやな」とリサが涙を拭う。

「やっと……出てきてくれたんね。これもリーゼのおかげや……」

 安心するかのような、落ち着いた声色。涙を浮かべたまま、リサはその橙黄色の瞳を細める。狼の自分を前にして動じず、自分だと確信の持ったリサにアレクは動揺しているようだった。

「うちは真実を知っとったのに、立ち向かう勇気があれへんかった……村長の顔色ばかり伺って、立場を気にして、こそこそ会いに行くことしか出来ひんかった卑怯者や……ほんますまんかった、アレク」
「……がうっ」

 そんなことない、とばかりにアレクから短く声がした。村長に逆らえば村に居ずらくなってしまう。そんな中でも檻の中にいる自分を鼓舞して、飯まで持ってきてくれていたのだから、リサには感謝しかない。リサはキッ、と目の前を睨みつけると、持っていた火縄銃を空に放った。当てる気のないものとはいえ、無差別なそれに王国兵たちが思わず後ずさる。

「二人ははよ遠くに逃げてぇや! ここはうちが何とかする!」
「で、でも……!」

 戸惑う一人と二匹に「させるか!」と王国兵が剣を構える。が、剣先にいるリーゼロッテの前にリサが両手を広げて立った。「ぐっ」小さな呻きと共に王国兵の手が止まる。

「そうやんな。王国兵が、か弱い一般市民に手なんか出したら一大事や」

 今のうちに、とばかりにリサが後ろに目線だけを送った。ありがとう、リーゼロッテは小さく放ち、クリフを走らせる。リサが命懸けで足止めしているのに、無駄にする訳には行かなかった。アレクもリサを名残惜しそうにみつめながら、リーゼロッテに続く。

「くそ……逃げられる……!」

 焦る王国兵の前にリサはしつこく阻み続けた。「アレク! リーゼ!」と背中を向けながら声を張る。

「絶対に逃げ延びるんやぞぉ!!」

 力強い声にリーゼロッテとアレクは背中を押され、振り返らず前だけ見て走り続けた。

「……また、どこかで会おな」

 はるか遠くへ走り去っていく二人に届かない声で、リサは笑って言ってみせた。





「……この辺までこれば大丈夫だろう」

 天を仰ぎ、黒狼は周囲を見回して止まる。貴方、その状態で話せるの? と続けてリーゼロッテもクリフの速さを緩めていき、少し離れたところで降りた。

「……悪い。怖がられると思って話さなかった。だって不気味だろ?」
「そんなことない! 凄い……動物と話しているみたいで……」

 昔から夢だったんだよな、なんてリーゼロッテがついつい頭を撫でる。人間だということを忘れているのかと少し照れくさい気持ちになりながらも首を振り「やめろ!」とそっぽを向いた。

「……リサ、大丈夫かな」

 募っていた不安に我慢できずリーゼロッテから漏れ出た言葉。不安なのはアレクも同様だったが「あいつはタフだから大丈夫だ」と振り切る。

「親父の拳骨をくらってもピンピンしていたぐらいだしな……だから、そんな顔するな」

 眉を下げ、俯きながら「……うん」とリーゼロッテは僅かに首肯させる。本当は、嬉しかった。悪魔だと距離を置いて、そのまま別れるつもりだったのに。最後に助けに来てくれて。思わず涙が滲む。

「……っ、あれ。クリフどうしたの……?」

 ふとなにかに気がつき、リーゼロッテが涙を拭いながら振り返る。見れば、クリフが必死に自身の外套を咥えて、離れさせようとしていた。その黒い目はじっと黒狼を捉えている。

「そいつは主人と違って警戒心が強いな」

 賢いやつだと、僅かに首を動かして呟く。自分の天敵である動物ともなれば警戒して当然だ。落ち着かせるようにリーゼロッテは「大丈夫だよ」と声をかけながらクリフの顎下から頭までを撫で上げる。

「……正直。その姿になった時、襲われるかと思った」

 申し訳なさそうに話す。あの檻を壊して遠吠えを後ろでされた時、本能のようなものが鼓動を早くさせて立ち竦んだ。動くのが遅れたのもそのせいである。俺もだ、耳もしっぽも垂れた状態で黒狼は力なく返した。

「今まで自分の意思でこの姿になれたことがなかった。いつも意識が飛んで、誰彼構わず人を襲っていた」

 幼い頃から記憶が抜け落ちることが多々あった。その度に気がついたら相手は大怪我をしていて、母と共に村から追い出されるを繰り返していたのだ。

「なんでだろうな……でも、また母さんみたいに失いたくなかったんだ。必死で助けてくれるやつを……」

 遠い目で話す黒狼に「そっか」とリーゼロッテは目を細めた。 向き合い、警戒するクリフを置いて、ゆっくりと歩み寄る。

「助けてくれてありがとう……アレク……なんだよね? そういえばまだちゃんと名前聞いていなかった」
「それは俺のセリフだ」

 まだ名乗られていないと、黒狼は呆れたように言う。そうだった! と思い出すリーゼロッテに、分かりもしない相手をよく助けたなんてアレクが感心した。

「私の名前はリーゼロッテ・ヴェナトル。こっちは相棒のクリフだよ。男の子なの」
「リーゼロッテとクリフ、か……まあ、いいや。改めて、俺はアレクだ。アレク・ルーナノクス」
「へぇ……なんか……」

 その言葉とほぼ同時にアレクの体が脱力した。視界が遠のいていく感覚にその場で崩れ落ち、どんどん人の姿に変わっていく。先程の獣化で服が弾け飛び、全裸だ。その姿と、倒れたことが二重になってリーゼロッテが小さく悲鳴をあげる。

「ちょっと、大丈夫……!?」
「大丈夫……ただの、エネルギー切れだ。なにか食い物……あと服……」

 そういえばひと月もほぼ何も食べていないんだったけと、リーゼロッテは慌ててクリフに乗せていた袋を探った。






「ふう、食ったくった」
 焚き火の温かい光に照らされて、ブカブカの服を着たアレクが満足そうに腹を摩った。買ったばかりの食料をだいぶ食べられてしまい、近々また調達しないとなとリーゼロッテはため息をつく。

「流石にあと数日でくたばるところだった……」
「その方が嬉しいんじゃないの」
「狼は二枚舌で正直者が多いんだよ」

 矛盾していると思ったが特に突っ込むこともなく「ふうん」と水筒からコップに水を移した。コポコポと注ぐ音が鳴る中「嫌だったら言わなくてもいいけど」とリーゼロッテが口を開く。

「あなたの体の怪我、どうしたの」

 ピクリと、アレクの指先が動いた。狼から姿が戻って倒れた時に全身についたおびただしい数の殴打痕をリーゼロッテは目にしていたのだ。とはいえ、別に気にする様子もなくアレクが「普通に。捕まっている時に村の人間につけられただけだ」と返した。

「そっか……それは、散々だったね」

 他人事でしかない、悲哀の言葉。けれど、罪を着せられて、あんなところにひと月も飲まず食わずで閉じ込められているのは流石に酷い。それも、ずっと動けないことをいいことに体を痛めつけるなんて。自分だったら到底耐えられないだろう。まあな、とアレクがせせら笑いながら首の後ろを抑える。

「……リサとはどうやって知り合ったんだ?」
「付近の森にフォレストファングって魔物が出てたの……それを狩りに行ったら……」
「へえ。あいつがな……親父のようにでもなるつもりなのかな。あいつ親父大好きだし……狩りに出たことないくせに急にどうして」
「聞いてないの? リサのお父さん……そのフォレストファングに……」

 意識もせずに声色を落とすリーゼロッテにアレクの動きが止まった。「死んだのか……?」目を見開き驚く様子を見るに、アレクには伝えていなかったようだ。ただ頷いて答えるリーゼロッテに「そう……か」とアレクは目を伏せる。確かにココ最近元気がないようにも見えたが。まさか、そんなことになっていたなんて。
 見るからに戸惑うアレクに、きっとリサの性格上、心配させまいと黙っていたのだろうなんて、リーゼロッテは想像した。出会った時から明るい子だと思っていたが、それも悲しみを見せないように振舞っていただけなのかもしれない。本当に強い子だ。

(私にはできないや……)

 それから何となく気まずくなり、しばらく沈黙が続いた。近くの川で汲んできた水を沸かし終え、少し冷ますように夜風に当てる。その様子をアレクが頬杖をつきながらじっと眺め「……そういえばお前、大丈夫なのか?」と切り替えるように声をかけた。

「何?」
「いや、さっき思いっきり流電石の檻を掴んでいたろ? 普通なら死ぬし……少し触った俺でさえこれだ」

 いてぇ、と言ってパッと手のひらを開いてみせる。川で体を洗った時に十分冷やしていたが、それでも蚯蚓脹れのように赤くなり、痛々しい火傷が刻まれていた。

「大丈夫、軽傷だから。昔から怪我の治りが人一倍早いの」

 先日額に作った怪我でさえも、既に塞がっていた。まだ体は少し痛むが、そのうち治るだろう。

「はあ、治りが早いって言ってもなあ」

 手を何度か軽く握りしめ、眉を顰めるアレクに「貸して」とリーゼロッテが近づいた。放置すると怪我が悪化する。そう言って手を取り、持っていた包帯でぐるぐるに巻いていった。

「……お前の手、冷てえ」
「貴方が熱いだけ。火傷に丁度いいでしょ」

 そう答えるリーゼロッテをアレクは無言で見つめる。首輪のような赤い痕。首から下げた角笛。手は確かに包帯が巻いてあったが、あの長時間触っていたことを考えればかなりの軽傷だ。疑問に思ったが、まあこういう人間もいるかもしれないと、深く考えることをやめた。

「それ」
「え?」
「……いいネックレスだな」
「でしょ? 父さんからの贈り物」

 大切なのと一言付け足し、リーゼロッテは手を動かした。しっかりと隙間なく巻かれたそれにアレクは感心して鼻を鳴らした。

「お前、巻くの上手いな。なんか慣れてる」
「まあね。父さんの手当とかしたことあるから。しばらく安静にして」

 言われなくたってそうするよと息をつき、治療された手を軽く動かす。そのまま前に伸ばし、焚き火の向こう側に座るリーゼロッテに翳しながら「なあ」と一言放った。

「お前ってなんで旅してるんだ? あー……ほら、今言っていた父親とか、年頃の娘なんて可愛いもんだろ? 可愛い子には旅をさせよとは言えど、手元に置きたいとかあるんじゃないのか」

 お湯の入ったコップを手に、リーゼロッテが止まる。やっぱり触れるのは不味かったかなとその様子を見て「まあ、言わなくてもいいけどさ」と気まずそうに天を仰ぐ。殺された、リーゼロッテは短く切るように返した。

「……父さんは私を庇って死んだの。ギルドハンターの手から命懸けで守ってくれて……」

 コップを両手で掴み、俯く。お湯に映った自分の表情は暗く、悔しそうに左右非対称に歪めていた。その声に視線を戻したアレクが「わ、悪い」と慌てて謝る。リサの父の死を知ったあと故、余計に繊細になっていた。別に気にしていないよと、込み上げてきた怒りや悲しみをお湯と共に喉に流し込んだ。体が少し温かくなったような気がして、肩の力が抜ける。

「……それで、私。襲ってきたギルドハンターと、父さんを殺したことになってて。手配書が出てるの」

 さっき村全体を上げて自分を捕らえに来たのもそう、と正直に話す。隠すべきことじゃない。元より全部話すつもりでいた。きっと彼も疑問に思っていたんだろうし、と先程から遠回しに聞き出そうとしていたのを思い出す。

「は、はあ。もしそれが本当なら、お前が悪いわけじゃないだろ? 第一、そこまでして追ってくる理由も分からねえし」

 コップを掴んでいた両手に更なる力を入れた。しばらく間を開けてから「貴方は悪魔って知ってる?」と小声で呟く。

「あ? ああ……受胎せずにこの世界に産み落とされた存在のことだろ? なんだよ急に」
「……私なの」

 私がそうなの、とリーゼロッテは小さく呟いた。突然の告白に一呼吸開けてから「本当か?」とアレクに未だ疑いの目を向けられ、無言で頷く。

「で……でも悪魔って意味不明な言葉を話すだろ? 何言っているか分からないというか……それなのにお前とはちゃんと会話が出来る」
「それは……多分前の私もそうだった。幼い時に私の父さんに森で拾われて、言葉を覚えて言ったんだと思う……」

 今思い返せば、父はそこから数年ほど他の人に会わせようとしなかった。きっと悪魔だという認識が彼の中にもあったのだろう。もし、あの時見つけてくれたのが父じゃなかったらと考えると、震えが止まらなかった。

「……貴方は? これからどうするの? 私は今言った通りだから……近くにいない方がいい」

 リサでさえも聞かされた時あの反応だったのだ。最後、助けに来てくれたのは嬉しかったが、冷静に考えてそれが一般的かと言われるとそうではない。案の定、目の前の人間が悪魔だという事実に戸惑っていたアレクは肩を揺らした。曇った表情で目線を外し「あー……」と次の言葉を探す。彼女に関わったら巻き添えを食らって面倒になる。真っ先にそう悟ったが、しばらくして「まあ、俺も似たようなもんだしな」と呟いた。

「今更、あの村には戻れないし戻る気もない。母さんも死んで、生きる意味も失って……それでもお前に救われたんだ。だから、お前について行くのは……駄目、か?」

 気まずそうに提案するアレクに「ダメだよ」とすぐさまリーゼロッテが答えた。思わず前屈みになって「なんでだよ! そこはいいって言うところだろ」と声を張り上げる。言いたいよ! 声を張り上げ返し、リーゼロッテは震えた。

「……事の重大さを分かってない。私といたらさっきみたいに追われることがある。街でだってコソコソしなくちゃいけない。一緒に来てなんて、言えるわけがない」
「だから! 俺もどうせ肩身の狭い身だ。お前のように追われる可能性だってある。だったら、追われる者同士、協力するのがいいだろ」

 目を伏せてまた無言になるリーゼロッテにアレクは呆れたように深くため息をついた。あのさ、と切り出して頭をかく。

「第一お前、なんでそれ俺に言ったんだよ。俺が告げ口してお前をギルドハンターに差し出すかもしれないとか考えなかったのか?」

 その言葉にリーゼロッテがハッと顔を上げた。やっぱり考えていなかったのかなんて肩を脱力させる。警戒心が強い割にはガバガバだ。



「……信じたかった」



 数秒間を開けてからぽつりと泣きそうな声がして、焚火の向こう側に座るリーゼロッテを見つめる。三角座りの腕を強め、目には大粒の涙を溜めていた。

「今までは傍に父さんがいたのに、もうどこにもいない……あの日から色んな人に裏切られて。それでも誰かに受け入れて欲しかった。だから、優しくされたらどこまでも信じたくなる。だけど……また裏切られたらどうしようって……」

 きっと、リサに対してもその想いがあったのだろう。自分に優しくしてくれる。受け入れて欲しい。でも、自分といたら迷惑をかけてしまう、そんな矛盾だ。
 顔を立たせた膝上に乗せ、涙ながらに訴える。今にも消えそうな声に、こいつはずっと寂しかったんだなとアレクは悟った。自分を助けた時は強い奴だと思っていたが、案外そうでもないらしい。「あー、めんどくせえ!」とその場から立ち上がった。

「……とりあえず、お前が何を言おうと俺はついて行くからな。第一、お前の警戒心のなさを放っておいたらこの先確実に早死にするぞ」

 流石に恩人に死なれるのは気分が悪いし、なんだか放っておけない。それでもまだ「でも」と抗うリーゼロッテにアレクはムッとして歩み寄った。

「俺はお前が悪魔だろうがなんだろうが気にしないし、俺だって半分化け物だ。自分を助けてくれた人間を裏切るなんて恩知らずなことはしない。例え、狼でもな。お前は一度俺のことを信じてくれたろ。なら、もう一度俺を信じてみろ。今度からは俺がお前の傍にいる……リサの代わりにな」


 真剣な目でじっと見つめ手を差し出すアレクにリーゼロッテは目を見開く。本当に、信じてもいいのだろうか。また、裏切られたらなんて考えてその手を取るか迷った。何度か空中で指先を動かした後にちらりとアレクを見上げてみれば、変わらず真っ直ぐと自分を見つめてくる青の双眸がある。そんな目をされたら本当に信じたくなってしまうじゃないか。
 震えながらその手を取ってみれば、すぐさま引っ張られ、その場から立ち上がる。よしといった感じで目の前の青年は八重歯を剥き出しににっと口角を上げた。

「改めて。これからよろしくな、リーゼロッテ」

 二人の黒髪が、少し暖かくなった夜風によって揺れた。まだ、分からない。いつか裏切られるかもしれない。それでも今はただ、その温かな手が心地よかった。うん、とリーゼロッテが掠れた声で答える。

「よし……今日はもう寝るか。少し寝たらここを発とう。またアイツらが追ってくるかもしれない」

 流石に結構離れたがなんて、準備を進めるアレクの後ろをリーゼロッテはじっと見つめ「そうだね」と返す。いつも一人と一匹の旅だったから、他に誰かいるのが不思議な感じだ。

「で、お前はどうやって寝るんだ?」
「いつもクリフに寄りかかって寝てるよ」

 貴方もどう? と問いかける。弓と同様、クリフの毛並みも毎日欠かさず整えているので自信があった。確かに地べたで寝るよりはいいとアレクは考え「そうさせてもらう」と近づいた。が、クリフは身を低くして鼻息を荒くし、威嚇の体勢に入る。そういえば警戒されていた事をすっかり忘れていた。

「あー……人間の時もダメか。しばらくはクリフに認めてもらえるように頑張らないとね」

 それなら仕方がないと、その場に座り込むクリフにリーゼロッテが寄りかかった。首をリーゼロッテの方に倒すクリフは少し離れたところで棒立ちしているアレクをじっと見つめ、鼻で笑うように息を吐く。

「こんの……っ、くそ馬ぁ……」

 覚えていろよと呟き、アレクは睨みつけながら焚き火の反対側で横になった。次の日背中を痛めたのは言うまでもない。





「くそっ……待ちやがれ!」

 ガルルっ、と言葉の終わりに呻き声をあげる。大きな黒狼が追うのは小さなうさぎの姿だった。地面を滑るように擦り、倒木の間や段差などを使って細かな方向に進路を変えるそれの尻を追いかけていく。

「岩……! ラッキー」

 しばらく追いかけっこを続けていくうちに目の前に岩壁が現れた。これで追い詰められると安心するもつかの間。
「いっ!?」
 スピードを緩めるのが遅く、黒狼はそのままの勢いで岩壁に突っ込んだ。うさぎは素早く避け、倒れた狼の体をわざとらしく踏みつけてから反対方向へと逃げていった。目の中に星を飛ばしながら、フラフラと離れる。

「ちくしょう……うさぎってあんなに足が速いのか」
「当然でしょ。体が小さい分、小回りが聞くんだから」

 普通は罠を使って仕留めるんだよ、とリーゼロッテは呆れた様子で近づいた。いつから見てたんだよ、と黒狼になったアレクが振り返る。

「うさぎを追い始めたところから。せっかく背後から近づいたのに、あれだけ大きい足音を出していたらそりゃあ逃げられるよ」

 狩りが苦手な狼なんて初めて聞いたと、毛深い顔の辺りを撫でる。それが気持ちよくてすり寄ってからハッとし「だから触るな!」とアレクが声を上げた。

「あれぐらい……怪我してなかったら余裕だ」
「ふうん、そう。それよりご飯にしようよ。お腹すいたでしょ」

 流すように返してみせるとアレクが「飯!?」と耳をピンと立たせてしっぽをパタパタと振った。その状態だと感情が分かりやすいなんて笑いながら前に進む。

「肉! 肉はあるか!」
「ちゃんとあるよ。新鮮なやつが」

 会話をしながら森を歩き、途中で人に戻って服を着たアレクがリーゼロッテの元に向かう。

「あっ、おかえり」

 見ればそこには手を真っ赤に染めたリーゼロッテと、解体したであろう大鹿の死体があった。血が漏れだし、てらてらと光る内臓が、そのすぐ傍に避けられている。

「一応処理は終わらせたから……内臓とかも食べられたりする?」

 笑顔で振り返るリーゼロッテに、アレクはしばらくその場で固まった。青ざめ、うっと口元を抑えてから近くの茂みへと逃げる。

「えっ、なに? 大丈夫?」

 離れたところで吐いているアレクに、リーゼロッテは心配そうに声をかけた。大丈夫だと、見えないところからアレクの返事が聞こえつつも、言ってる側からまた吐いている様子だ。

「わ、悪ぃ。俺。血、苦手なんだ……なんか、嫌なこと思い出すから……」

 しばらくしてフラフラと帰ってきたアレクに困惑しつつも「ご、ごめん。知らなくて」と謝る。もしやそうではないのかと、大鹿の死体はいつも通り炎の儀を終えて、土に軽く埋めてきた。狩りが苦手な上、血が苦手な狼なんて……と、リーゼロッテが苦笑する。

「もう落ち着いた? 切り分けた肉……クリフに積んだから別なところで食べよう」

 ここはまだ先程の血が目立つし、別の肉食生物が寄ってくる可能性がある。そもそも吐いた後に食べられるのかと心配になったが、アレクは俯きながら大きく頷いた。


 先程の地点から歩き、見晴らしのいい場所で腰を下ろす。二人は向き合いながら焚き火を囲い、静かに昼飯を食べた。

「あの大鹿ってお前が?」

 串焼きにした鹿肉を噛みちぎりながら、アレクが先程のことを思い出して口にした。うん、と同じように食べながら、リーゼロッテは答える。

「そっか。お前って小さな割に結構逞しいんだな」
「小さなは余計だよ」

 子供扱いされているようで不機嫌になり、少し眉間に皺を寄せながら串焼きの鹿肉を咀嚼した。顔をあげれば先程吐いたやつとは思えないほど食べている。

「アレクはなんていうか……狼って感じじゃないね。食欲はあるけど」
「……まあな。自分でも思うし。ひと月前の事件まではずっと普通の人間として暮らしてきてたからな」

 あの体はまだ慣れないなんて、アレクが手についた肉汁をペロリと舐めた。それもそうかなんてリーゼロッテは食べ終わり、クリフに村で買ったさつまいもをあげる。

「そういえばお前ってなんでそんなに狩りができるんだ?」

 撫でているとアレクから問いかけられ、特に躊躇うこともなく「父さんに教えて貰ったの」と返した。

「ふうん。狩人だったのか」
「私と会ってからはね。その前は腕のいいギルドハンターだったみたい」

 あまり教えてくれなかったけれどと力なく笑い、焚き火越しにアレクと向き合う。その父を目指していたのに、今では憧れだったギルドハンターに追われる始末。なんだか皮肉なものだった。

「狩りの時は厳しくてよく怒られていたけど、普段は凄く優しいんだ。色んなことを知ってて、大きくて凶暴なやつもあっという間に仕留めちゃうの。かっこいいんだよ……料理はよく、失敗してるけど」
「お前は父さんが大好きなんだな……あいつと一緒」

 膝の上で頬杖をつくアレクの言葉に「うん!」とリーゼロッテが跳ねる声で返した。

「アレクは?」
「あ?」
「お父さん、どんな人なの?」

 母親についてはなるべく避けた方がいいだろうかなんて気を遣う。が、アレクは父という言葉に険しい表情を浮かべた。眉目の間の距離を詰め、濃い顔に影がかかる。

「……えっと?」
「あいつは俺ができたと同時に、母さんの前から姿を消した。だから顔も知らない。あのクソ野郎は俺たちを見捨てたんだ」

 怒りを押し殺すように息を吐いてから、また串焼きを頬張る。地雷を踏んだのかと思ったが、やっぱり気になってしまい「お父さんは、アレクと同じように狼になれるの?」とリーゼロッテが恐る恐る問いかけた。話を聞いた限り、母親のグレースは普通の人間のようだったが。

「……まあな。親父は 月狼ルーナ・ルプスだ。人に姿を変えられる。俺の力もその影響なんだろ。よく知らねえけど」
「月狼……!」

 その言葉にリーゼロッテは大きく反応した。月狼は魔物より上位にある魔族と呼ばれる一種だ。夜な夜な人に化け、言葉巧みに人を騙し、喰らう「嘘つき狼」で有名だ。狼が嘘つきだという偏見も、この童話故である。黒く大きな体に、月のように輝く金目は美しく、それは人の姿になっても変わらないという。

(あっ……だから姓が似ているんだ)

 アレクから姓を聞いた時によく似ていると感じたことを思い出す。ルーナ・ルプスにルーナノクス。聞き覚えのない姓だし、なんとなく文字ってそうだ。そんな考えも知らずにアレクが続ける。

「母さんは本気であいつを愛してた……魔物でも、見捨てられても、本当は優しい人だから嫌わないであげてなんて言って……家族を捨てたやつがそんなわけないのに……」

 あんなやつ父親だとも思っていないなんて噛み締め、アレクはやけ食いのように一気に頬張った。喉に詰まり、涙目になりながら激しく咳き込む。

「でも、家族でしょ……?」

 リーゼロッテの言葉に、顔を伏せたまま「家族だから、なんだよ」と呟いた。

「……自分の血の繋がりがある親でも、それがいいとは限らないだろ。お前とリサには悪いが父親がいても俺は、良かったなんて一度も思わなかった。あんなやつと血が同じってだけで吐き気がする」

 普通の人間ならこんな力も持たずに済んだのに。思えばあの父親のせいで全てがぐちゃぐちゃだった。怒鳴りたい気持ちと共に口内のものを飲み込み、ふう、とため息をついてから空を仰いだ。自分とは全く違う考えにリーゼロッテが戸惑っていると「早く他のところに移動しようぜ」とアレクが立ち上がる。

「……そうだね」

 きっと彼には色々抱えているものがあるのだろうとリーゼロッテは思った。父のことを尊敬していた自分だったが、そもそも本当の父については考えたこともない。自分にとっての父親はジェラルドだけなのだから。もし、アレクの言う最低の父親なら、自分も色々変わっていただろう。今は特に、それ以上考えたくはなかった。
 さつまいもを完食したクリフを立たせ「いいこだね」と撫でる。機嫌がいいのか、しっぽを振って擦り寄ってきた。

「あ。アレク、乗ってみる?」
「はあ? 無理だってわかってるだろ」
「でも、狼の姿だと疲れるし……クリフも怯えちゃうから……」

 今ならきっと大丈夫だよ、と根拠もなくクリフの背中を撫でながら背後に回った。それで大丈夫かとアレクは眉をひそめていたが、疲れるのは嫌だしなと近づき、体を伸ばして乗り上げる。が。

「おっ……わっ、ぶ!」

 後ろが見えていないはずのクリフは何かを悟り、前足を上げて勢いをつけながら後ろ足で蹴るように体を揺らした。しがみついていたが、数秒と耐えきれずにアレクが振り落とされる。

「ん~……やっぱり、だめかあ」

 地面に転げているアレクを見てリーゼロッテは面白可笑しそうにため息をつく。だから言ったじゃねえか! 天に向かって張り上げたアレクの声が近くの枝に止まっていた鳥を飛び立たせた。
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