赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 一章

01 ひとりと一匹の旅立ち(挿絵あり)

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 埋葬した翌日の事。リーゼロッテは家を出る事にした。以前から聞いていた悪魔狩りを自身で体験して、それに対する疑問が確かなものになったためだった。世界に広がる「悪魔狩り」が一体何なのか知るために。そしてもう一つ、父が最後に言っていた言葉を思い出したのだ。

『きっどまた、お前を捕らえ゛にぐる』

 捕らえに来たギルドハンターについては未だに確信が持てていない。それでも大好きな父が死の間際で言っていたのなら、そうだと信じるしかなかった。今の自分には判断できるだけの情報がない。だから、それを確かめるためにも家を出るのだ。
 父との思い出が詰まったこの家を離れるのは、心苦しいものがある。けれどその反面、思い出によって涙が止まらないことも事実。自分を守ってくれた父の死を無駄にはしたくなかった。
 家にある使えそうなものを粗末な布の肩下げに入れて、無言で準備を進める。ふと、その視界の端で入るなとよく言われていた父の部屋が目に止まった。今となっては主人がいなくなって、出入りされることもなく寂しげだ。なんとなく導かれるように足を運び、軋む音を立ててゆっくりと扉を開く。

「……わあ」

 部屋に足を踏み入れて、真っ先に感嘆が漏れる。部屋の天井まである戸棚にはこれまで取ってきたであろう獣の骨や、それで作ったオブジェなどが沢山飾ってあった。父が作ったオブジェを見たことはあったが、こうして並べてみると圧巻させられるものがある。

「……父さん、そういえば作るの好きだったもんな」 

 少しガサツなところがあっても、棚の隅に行くにつれて上達が見える。今となっては職人もびっくりだ。確か、作業道具で自分が怪我をしてから目の前で見せてくれなくなったんだよななんて、そんなことを懐かしんでいると、机の上になにやらキラリと光るものを発見した。気になって恐る恐る近づいてみる。

「角……笛?」

 外から漏れ出る光に反射していたのは、ツヤツヤに磨かれた角の一部のようだった。恐らく角骨の一部を取り出し、削って形にしたのだろう。自分の人差し指ほどの長さで、紐のようなものに繋いでいる。その下には羊皮紙があり、父の字が描き綴られていた。


一人前、おめでとう
昨日は、大切なネックレスを壊してしまって悪かった。
代わりと言ってはなんだが、俺がお守りにしていたものでネックレスを作った。
もし、リーゼがいつか遠くに行ってしまっても、こいつがきっと守ってくれるだろう。

お前の幸せを願っている。
愛してるよ、リーゼロッテ


 決して口に出すことはない、不器用な父の字。そういえば、助けに来てくれた父は目元に隈が浮かんでいた。きっと、徹夜でこれを作って磨いて、渡すつもりだったに違いない。

「なんでっ、……私……っ」

 脱力するようにリーゼロッテはその場で膝をついた。
 きっと何事もなければ、夕飯時に渡していたに違いない。それを受け取って、お互いにこの前の事を謝って、そしてまた翌日からは一緒に狩りをして……そうやって平凡で幸せな毎日を過ごしていくはずだった。たとえ自分の夢が叶わなくても、父と笑顔で過ごせる未来があると信じていたかったのに。失った後に父に愛されていたことに気づくなんて、なんて自分は馬鹿なのだろう。 
 首飾りを胸の前で握りしめ、涙がまた溢れそうになった。けれどもぐっと奥歯を噛んで耐える。今の自分に嘆く資格なんてない。もう泣いても慰めてくれる暖かい手はどこにも、いないのだ。

 鼻をすすり、滲んだ涙を拭って立ち上がる。父の作った首飾りを首から下げ、窓の外を見つめた。また捕らえに来るという奴らに捕まるわけにはいかない。父の無念を晴らすためにも自分は生きなければいけない。そう覚悟を決め、部屋を出ていった。 



 肩下げと弓矢を背負い、顔を隠すため、少し大きめの赤ずきんを身につけた。ゆったりしたフードを深く被り、馬小屋の方へと歩き出す。
「クリフ……ごめんね。ずっと外に行けなくて……」
 もう二日ほどクリフを馬小屋に縛りっぱなしだ。リーゼロッテを見たクリフは何かを食べているかのように口を動かし、口周りを舐めてから、ブルルと鼻息を吐いた。その優しくもどこか憂いのある目に、戻ってこない主人の死を悟っているのだろうとリーゼロッテは感じ、抱きつくように撫でる。

「行こう……クリフ」

 体を屈めるクリフに跨り、ゆっくりと走らせた。その後どこに行くかは決まっていない。けれどきっとここではない遠くの先だ。




 未だに泥濘の多い地面に気をつけながらゆったりと山を降りていく。ひとまずリーゼロッテは、父とハンター時代の頃から付き合いがあるグレッグの元へと向かっていた。父の死を伝えると同時に、彼なら今後の助言をくれると思った為だ。

「しっかし、なんでまた、ジェラルドのやつはこんな山奥に家を?」

 人の声が聞こえ、反射的に近くの木々に隠れる。顔を覗かせてみるとそこには軽装備した人間数名とグレッグの姿があった。

「自分も森と一体化になって生活することで、いい獲物が取れるってことさ」
「はあ……行くのだけでもだいぶ大変ですね……で、なんで俺たちがこんな……」
「それは俺のセリフだ!」

 前を歩いていた人間の襟元をグレッグは鷲掴む。声を張り上げ、いつになく荒れている様子だった。

「俺は! 連絡が取れないから同行しろだなんて! あんたらと会いに行ったらジェラルドに怪しまれるだろ!」  

 ひぃ、と小さく悲鳴をあげる男に「あまり荒れないでくださいよ」と他の男が慌ててグレッグの腕を掴んだ。前に進めず、舌打ちをしてからその場で強く振り払い、目の前の弱気な男を睨みつける。 

「で、でも。元から会いに行くつもりだったんでしょう?」
「ああ。毎日欠かさず売りに来ていたのが急に途絶えて心配になったって体でな! 計画に失敗していたら、あんたらに払う金はないと思え!」  

 それは困りますよと、男は静かに訴えるが、更にグレッグは念を押すように「いいか?」と張り詰めた声で迫る。

「ジェラルドのやつはとにかく勘がいいんだ。頼むから俺の邪魔だけはするなよ。あんたらはできるだけ小屋から見えない位置で隠れていろ! 第一、こんなことになったのはどう考えてもあんたらの落ち度なのに……!」

 初めて見るグレッグの姿をリーゼロッテは怪訝そうに見つめる。いつも大人しく気さくなイメージがあったのであんな顔もするのかなんて木を背に会話を聞き続けた。

「でもを匿う人間がいるとは思いませんがね」
「それは俺を疑ってるのか? 言っとくが俺は高い金を払って魔力を可視化できる水晶をわざわざ手に入れたんだ! 奴らは体の作りが違うから魔力を保有する器官を持たない! そして俺の狙い通り、リーゼロッテはなんの反応も示さなかった!! それが何よりの証拠だ!」

 その言葉にリーゼロッテは目を見開いた。
父に踏み潰された水晶のネックレスを思い出し、息を飲む。ドクドクと鼓動が早くなり、とある想定が過ぎった。

『リーゼちゃんならきっとあいつを超えられる立派なハンターになれるさ。これはその前祝いだ。ちゃんと思いをぶつければジェラルドも分かってくれる。俺を信じろ』

 以前、グレッグから貰った言葉を思い出し、自分に起こった出来事の全てに辻褄がついた。速くなった鼓動が全身に血を巡らせ、冷たくなっていた指先に熱が戻ると、同時に冷や汗が垂れる。

「ジェラルドの奴はそういう知識に疎いからな。見つかってもただ俺が送ったネックレスにしか思わない。そのおかげでここまで悟られずに計画を進められたんだ! あんたらが失敗しなければな!」

 ああ、そうか。そうだったのか。木を背に寄りかかりながら、リーゼロッテは光のない目で言葉の意味を理解する。ギルドハンターを家に送り付けたのは、あのグレッグだったのだと。噛み締めた口内に唾液が分泌されていく。耐えようと我慢していた息が泣きいり引き付きのように大きく乱れた。

「くそ……くそ……っ!」 

 悔しさばかりが込み上げ、木に拳を叩きつける。父は分からずとも、自分を危機から守ってくれていたのだ。地面を睨みつけ、持っていた弓を構える。鹿よりも捉えにくい的だが、止まっている今なら簡単に頭を射抜けるはずだ。 

「殺してやる……殺してやる……っ!」

 自分の中でのたうち回る怒りが炎のように瞳に宿る。鋭く尖ったその双眸で睨みつけ、弓矢をグレッグに向けて構えた時、それを見ていたクリフがリーゼロッテの赤ずきんを咥え後ろに引っ張った。驚きでよそ見をし、放たれた矢は自分を探す一同の近くにある木に突き刺さる。

「あ? なんの音だ?」

 グレッグと同行していたハンターの一人がその音に気がつく。なぜ邪魔をとクリフを見つめていたが、道から逸れて踏み入れてくるハンターにこのままでは自分の存在に気づかれると後込んだ。すかさずリーゼロッテはクリフに乗り、まだ後悔が残る目で一同を再度睨みつけてから、その場を去っていった。
 涙が止まらない。ここ最近は泣いてばかりだ。風を突っ切り、涙が頬の真横を通って後ろへと飛んでいく。殺してやる、その嘆きは何度も何度も繰り返された。


「……で? 結局音はなんだったんだ?」

 近くの木影を見に行ったハンターにグレッグが問いかける。それが、と手に持って見せてきたのは木の矢だ。
「状態から見ても、先程放たれたもので間違いないと思います」

「ふうん……こいつは……」

 手にとり、曲げるなどしてグレッグは質感を確かめる。固くて軽い。この山奥に群生するトッポ木で間違いないだろう。場所を案内され、その矢のささり傷をみて「なるほどな」と髭の蓄えた顎に手を当てる。
 自分たちの命を狙う人間……もし、計画が失敗し、真実がバレたとなればジェラルドが襲ってきてもおかしくなかった。だが、その矢が刺さっていた箇所の深さからみても、矢を放った人間は遥かに力が弱い。第一、ジェラルドなら、獲物に悟られるような無駄打ちはしないはずだ。

「……なあ。俺の計画は、ジェラルドにバレないよう娘を攫えというものだったよな?」
「はい。ですが計画通りに行ったかは分かりません。向かったハンターと連絡がつかなくて……」 

 威圧の感じるグレッグの言葉に、緊張した声でハンターの一人が返した。そうか、とグレッグは道を逸れ、先程までリーゼロッテがいた場所へと歩き出す。
 自分を狙った人間の足取りはすぐに見つかった。ここ最近の雨で未だ柔らかい土に靴跡がくっきりとついている。奴はどうやら馬で逃げていったらしい。ここからの距離と先程の刺さり口を見ても、矢を放った人間は身長が低い。総合してみればまだ十代の子供だというのが分かる。まさかなと、グレッグが自分を安心させる為に呟いた。

「……早く小屋に向かおう。嫌な予感がしてきた」

 リーゼロッテが去っていった方を睨みつけながら、一同はまた山の奥へと歩き出した。



 

 ルトレア街からどのくらい離れただろう。ここ最近は追ってくるのではないかという恐怖もあってなかなか寝付けず、リーゼロッテはただクリフと共に走り続けた。

「クリフ、今日はここで休もう」

 スピードを落とし、近くの大きな木の近くで止まる。休憩を挟まないと動けなくなるのは、自分だけじゃなくクリフも同じだ。今日もお疲れ様と優しく撫で、辺りから枝を拾ってくると、平たい黒石で発火作用のあるカチの実を素早く削った。何度か削ってカチカチと火花が見えたかと思ったら、急にぼっと音を立てて炎が生み出される。

「あちっ!」

 肩を飛び上がらせてカチの実を枝の束に放り投げてから、慌てて息をかけた。こういう時、魔法が使えたら便利なのに、なんて火傷した指を抑えてそんなことを考える。けれどもすぐさま、グレッグの言葉を思い出し、ため息をついた。

「悪魔、か……」

 街の中で時折耳に入ってくる「悪魔」という言葉。それが何を表しているかは分からないけれど、とにかくこの世界の人達はそんな「悪魔」を忌み嫌っている。父の言う「この世界の人間ではない人」がそういう呼ばれ方をしているのだろうか。

「もっと父さんに聞いておくんだった……」

 ぱちぱちと音を立てて燃える焚き火を目にし、呟く。魔力というのは基本的にどんな人間にも存在しているのだという。その魔力が形になって表に現れたり、操れたりするのは元からの才能がある人間だけ。だから父さんはギルドハンターとしての実力はあっても、魔力を駆使する王国兵にはなれなかった。
 けれど、グレッグが言うにはそもそも自分には魔力さえもないのだという。悪魔狩りはつまり、魔力のあるものたちが魔力を持たない人間を差別し、迫害しているということなのだろうか。

「はっ、馬鹿馬鹿しい……」

 一部では悪魔だけじゃなくて、人間が絶対的権力を持ち、他種族を売り買いしているような国があると聞く。なんだか酷く冷たい世界だ。いや、そもそも世界というのはそういうものなのかもしれない。
 今分かっているのは、悪魔が世界の外れ者で、魔力を保有する器官がないということだけ。そして自分はその「悪魔」だということ。今でも信じ難いが、実際捕らえようとしてくる人間がいるため「自分は違う」のだと訴えることも出来ない。考えれば考える程頭が痛くなる。

「んっ……?」

 ふと、考え込んでいる自身の背になにか固いものが当たった。なんだと視線を背後に持っていくと、クリフが前足でかくような仕草を繰り返している。

「あっ、ごめん」

 ハッとして切り替えるように肩下げからリンゴを取り出し口前に差し出すと、クリフは分かりやすいぐらいに尻尾をパタパタと振りながら、リーゼロッテの手から直接食べ始めた。

「ん。いい子……沢山食べなよ」

 もう今のでクリフの食料は尽きた。自分は野生の獣を狩ればいいが、クリフの食べられるものはそこら辺に生えているわけじゃない。どこかの村で食料を手に入れないとと、自分も干し肉を食べながら思う。

「そろそろ街に寄らないと。クリフも屋根がある場所で休みたいよね?」

 撫でてやるとクリフは後ろ足で蹴るようにバタバタとその場で跳ねた。そうだよね、とリーゼロッテは顔から体までを撫でていく。

「明日、街を見かけたらそこに寄ろう。それまでちょっと休んで……」

 ふわあと欠伸をして瞬きする。流石にそろそろ疲れてきた。その場で座るクリフの体に寄りかかり目を瞑る。暖かくて気持ちがいい。 

「もう、私には、クリフしかいないよ……」

 ボソリとそんなことを呟く。最愛の父を亡くし、頼みの綱だったグレッグには裏切られて、もう何もかもめちゃくちゃだった。寂しさが溢れてまた泣きそうになる。それを悟ったのかクリフが擦り寄ると、いつの間にか父に撫でられる手つきと重ねてしまい、リーゼロッテは安心して眠りに落ちていった。
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