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20 イサーク視点~1~
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初めて会った時、豊穣神ウカの天使が地上に舞い降りたのかと思った。
学園で親しくなった商家の息子から家に遊びに来ないか、と誘われ向かった家に彼はいた。
庭に面したベランダに立ち、私を目にするとふわり、と花がほころぶ様に笑った。
その瞬間、全ての時が止まったかのようだった。今、この空間には私と彼だけで、その他の何もかもを感じる事が出来ない。それ程の衝撃だった。
「弟のウォレンだ」
「嘘だろ? 天使だ」
「何を言っているんだ。正真正銘、俺の弟だよ。最近Ωと判明したんだ」
だからαとは接触しないように言い付けられている。そうファリオンに説明され、私は彼の元へ駆け出したい衝動を飲み込むしかなかった。
その日から何かと理由を見付けては、私はファリオンの家を訪れた。ただ一目、遠くからでも良い、ウォレンに会いたかった。
ベランダの上だったり階段の踊り場だったりと、離れた場所からではあるが私に微笑みながら挨拶をしてくれるウォレンに会えるだけで胸が締め付けられ、苦しくて……だが、幸せだった。
彼に会う度に不思議と香って来る甘酸っぱいマンダリンと良く似た香りに、何度このまま連れ去ってしまいたい、と理性が焼き切れそうになったか。
恋だとか愛だとか、そんな物を考える余裕すらない程に私はウォレンに惹かれていた。
「ウォレンには婚約者がいる。相手はジェントリ階級の家の長男だ。所詮、政略結婚ってやつだな。どうする?」
「どうする……とは?」
その話をファリオンからされた時は氷の湖に落ちたかの様に全身が一瞬で冷え、心臓が凍り付いたかの様だった。
「伯爵家なら余裕で勝てるだろ。うちの父は大層金と権力に弱くてね。伯爵家からの要望なら一も二も無く鞍替えするんじゃないか? ……好きなんだろ? ウォレンの事が」
「!!!」
「バレバレなんだよ。で? どうする? 俺は別に反対はせんぞ。お前が俺の義弟になるだなんて、これほど面白い事もなかなか無いだろう」
悪友に相応しくニヤリ、と笑うファリオンに私は即答出来なかった。
ファリオンからその話を聞くまで恐ろしい事に、私は将来ウォレンと結ばれるのだと信じて疑っていなかったのだ。
ウォレンはまだ幼い、それにΩと言う事で学校には通わさず家庭教師を付けていると聞いていた。家でも家族以外のαは近づけない徹底ぶり。だから誰にも奪われないものだと安心していた。
もう少し……少年から青年に近くなった頃、私の気持ちを打ち明け、我が家へ迎え入れようと考えていたのだ。
その事に気が付いた瞬間、頭に鉛球を撃ち込まれた様な衝撃だった。
今にして思うと、なんて傲慢で独り善がりだったのかと、我が事ながら虫唾が走る。
十になるかならないかの子供相手に勝手に懸想し、相手の気持ちも知らぬまま囲い込もうとしていたのだ。
それは、あまりにもおぞましく感じた。
私の好意はウォレンの尊厳を無視した愛だ。
「政略結婚ならば、それ相応の意味があるんだろう。私が……私が、割り込んで良い事柄じゃない」
そして、私は逃げた。
それ以降、私がファリオンの家に行く事は無くなった。
私の醜い愛を押し付けてはウォレンの笑顔を壊してしまう。政略結婚の相手の方が、お互いを尊重し合いウォレンは幸せになる。
そう、自分へ言い訳を並べて……
離れさえすれば、ウォレンに会いさえしなければ、この想いも少しは薄れると思っていた。だが、私の望みも空しく、一片たりともウォレンの事を忘れる事は出来なかった。
それは、私が成人し、学園も卒業し、急死した父の後を継ぎ伯爵になっても、変わらず私のウォレンへの気持ちは色褪せ無かった。その事にどれ程苦悩したか。
恋人も特別な関係の相手もいらない。当然、結婚もしない。跡継ぎは親戚から養子を取る。
そう宣言し、自ら逃げたくせに往生際の悪い私は、自分の気持ちを誤魔化す様に馬車馬のように働き続けた。
それなのに……なんだ! この手紙は!!!
今朝届いた速達の手紙を何度も何度も読み返す。だが、何度読み返したところで内容は変わらない。
ウォレンが、結婚後一年も経たずして相手の不貞により離婚された……と。
どういう事だ!!
手紙に書かれていた離婚に至った経緯と、今のウォレンの状況は最悪と称する以外の何ものでも無い。
なぜ、ウォレンがこんな目にあっている! ……ウォレンは、私の利己主義な愛から離れて平穏に、幸せに暮らしているんじゃないのか?
「今すぐ出かける! 長距離用の馬車を用意しろ!! 二~三日で戻る」
「領主様!? お待ちください!!」
居ても立ってもいられず、馬車を走らせる。行く先は手紙を送って来たファリオンの元だ。
彼とはウォレンの事があった後も気の合う親友として交友を深めていた。それは学園を卒業後も続いていて、彼からウォレンの近況などは聞いていた。
それなのに……
「これは一体、どういう事なんだッ!!」
挨拶も無く胸倉を掴み上げる私にファリオンは溜息一つで諫めると、詳細な現状を語る。
その内情を聞く内に、沸々と怒りが燃え上るマグマになって湧き上がって来る。
ウォレンを裏切った元夫も妹も、ウォレンを切り捨てようとする両親も、とてもでは無いが許せるものでは無い!! だが、それ以上に許せないのは、私自身だ。
なぜ、私はあの時諦めたのか。なぜ、逃げたのか。私が怖気づかなければ……
後悔と自己嫌悪の念に苛まれる。
「それで? お前は何をしにここに来たんだ?」
ウォレンに似ていてウォレンに似ていない、冷めた鋭い目でファリオンが私を見る。
私を見定め様とするその目に、緊張感が走る。
いつも軽口を叩き、ふざけた態度を取る事も多いファリオンだが、いざという時は的確迅速に行動する辣腕な男だ。今回のウォレンの事も、兄として看過出来無いと怒りを見せていた。そんな彼が私に連絡したのだ。
一度は逃げ出した、この私に……
そんな私が、ここに来た理由。それは……
「ファリオン……ウォレンに結婚を申し込みたい」
ファリオンに頭を下げ、ウォレンと直接会って話をしたい、と言えば彼は即座に動いてくれ、翌日の夕方には場を設けてくれた。
約十年振りに会ったウォレンは、愛らしい少年から美しい青年へと成長を遂げていた。
ただ、体は痩せ細り、手首は簡単に折れそうに細く、触れた手も骨ばってカサついていた。
あれだけの事があったのだから、やつれてしまうのは分かる。だが、この決して健康そうには見えない痩せ方は一日二日のものじゃない。この姿を見る限り、幸せな結婚生活じゃ無かったんだろう。
しかも、昔の様にふわり、と笑う事は無く、どこか困った様な疲れた笑みを浮かべていた。
その姿に、胸が抉られる。苦痛に歪みそうになる顔に無理矢理笑顔を張り付け、ウォレンへ私の思う全てで語り掛けた。
今度こそ、私の嘘偽りのない言葉で……
「イサーク・コルトハークの名に誓って、ウォレンをこの家から連れ出し、君を害そうとする者全てから守るよ」
学園で親しくなった商家の息子から家に遊びに来ないか、と誘われ向かった家に彼はいた。
庭に面したベランダに立ち、私を目にするとふわり、と花がほころぶ様に笑った。
その瞬間、全ての時が止まったかのようだった。今、この空間には私と彼だけで、その他の何もかもを感じる事が出来ない。それ程の衝撃だった。
「弟のウォレンだ」
「嘘だろ? 天使だ」
「何を言っているんだ。正真正銘、俺の弟だよ。最近Ωと判明したんだ」
だからαとは接触しないように言い付けられている。そうファリオンに説明され、私は彼の元へ駆け出したい衝動を飲み込むしかなかった。
その日から何かと理由を見付けては、私はファリオンの家を訪れた。ただ一目、遠くからでも良い、ウォレンに会いたかった。
ベランダの上だったり階段の踊り場だったりと、離れた場所からではあるが私に微笑みながら挨拶をしてくれるウォレンに会えるだけで胸が締め付けられ、苦しくて……だが、幸せだった。
彼に会う度に不思議と香って来る甘酸っぱいマンダリンと良く似た香りに、何度このまま連れ去ってしまいたい、と理性が焼き切れそうになったか。
恋だとか愛だとか、そんな物を考える余裕すらない程に私はウォレンに惹かれていた。
「ウォレンには婚約者がいる。相手はジェントリ階級の家の長男だ。所詮、政略結婚ってやつだな。どうする?」
「どうする……とは?」
その話をファリオンからされた時は氷の湖に落ちたかの様に全身が一瞬で冷え、心臓が凍り付いたかの様だった。
「伯爵家なら余裕で勝てるだろ。うちの父は大層金と権力に弱くてね。伯爵家からの要望なら一も二も無く鞍替えするんじゃないか? ……好きなんだろ? ウォレンの事が」
「!!!」
「バレバレなんだよ。で? どうする? 俺は別に反対はせんぞ。お前が俺の義弟になるだなんて、これほど面白い事もなかなか無いだろう」
悪友に相応しくニヤリ、と笑うファリオンに私は即答出来なかった。
ファリオンからその話を聞くまで恐ろしい事に、私は将来ウォレンと結ばれるのだと信じて疑っていなかったのだ。
ウォレンはまだ幼い、それにΩと言う事で学校には通わさず家庭教師を付けていると聞いていた。家でも家族以外のαは近づけない徹底ぶり。だから誰にも奪われないものだと安心していた。
もう少し……少年から青年に近くなった頃、私の気持ちを打ち明け、我が家へ迎え入れようと考えていたのだ。
その事に気が付いた瞬間、頭に鉛球を撃ち込まれた様な衝撃だった。
今にして思うと、なんて傲慢で独り善がりだったのかと、我が事ながら虫唾が走る。
十になるかならないかの子供相手に勝手に懸想し、相手の気持ちも知らぬまま囲い込もうとしていたのだ。
それは、あまりにもおぞましく感じた。
私の好意はウォレンの尊厳を無視した愛だ。
「政略結婚ならば、それ相応の意味があるんだろう。私が……私が、割り込んで良い事柄じゃない」
そして、私は逃げた。
それ以降、私がファリオンの家に行く事は無くなった。
私の醜い愛を押し付けてはウォレンの笑顔を壊してしまう。政略結婚の相手の方が、お互いを尊重し合いウォレンは幸せになる。
そう、自分へ言い訳を並べて……
離れさえすれば、ウォレンに会いさえしなければ、この想いも少しは薄れると思っていた。だが、私の望みも空しく、一片たりともウォレンの事を忘れる事は出来なかった。
それは、私が成人し、学園も卒業し、急死した父の後を継ぎ伯爵になっても、変わらず私のウォレンへの気持ちは色褪せ無かった。その事にどれ程苦悩したか。
恋人も特別な関係の相手もいらない。当然、結婚もしない。跡継ぎは親戚から養子を取る。
そう宣言し、自ら逃げたくせに往生際の悪い私は、自分の気持ちを誤魔化す様に馬車馬のように働き続けた。
それなのに……なんだ! この手紙は!!!
今朝届いた速達の手紙を何度も何度も読み返す。だが、何度読み返したところで内容は変わらない。
ウォレンが、結婚後一年も経たずして相手の不貞により離婚された……と。
どういう事だ!!
手紙に書かれていた離婚に至った経緯と、今のウォレンの状況は最悪と称する以外の何ものでも無い。
なぜ、ウォレンがこんな目にあっている! ……ウォレンは、私の利己主義な愛から離れて平穏に、幸せに暮らしているんじゃないのか?
「今すぐ出かける! 長距離用の馬車を用意しろ!! 二~三日で戻る」
「領主様!? お待ちください!!」
居ても立ってもいられず、馬車を走らせる。行く先は手紙を送って来たファリオンの元だ。
彼とはウォレンの事があった後も気の合う親友として交友を深めていた。それは学園を卒業後も続いていて、彼からウォレンの近況などは聞いていた。
それなのに……
「これは一体、どういう事なんだッ!!」
挨拶も無く胸倉を掴み上げる私にファリオンは溜息一つで諫めると、詳細な現状を語る。
その内情を聞く内に、沸々と怒りが燃え上るマグマになって湧き上がって来る。
ウォレンを裏切った元夫も妹も、ウォレンを切り捨てようとする両親も、とてもでは無いが許せるものでは無い!! だが、それ以上に許せないのは、私自身だ。
なぜ、私はあの時諦めたのか。なぜ、逃げたのか。私が怖気づかなければ……
後悔と自己嫌悪の念に苛まれる。
「それで? お前は何をしにここに来たんだ?」
ウォレンに似ていてウォレンに似ていない、冷めた鋭い目でファリオンが私を見る。
私を見定め様とするその目に、緊張感が走る。
いつも軽口を叩き、ふざけた態度を取る事も多いファリオンだが、いざという時は的確迅速に行動する辣腕な男だ。今回のウォレンの事も、兄として看過出来無いと怒りを見せていた。そんな彼が私に連絡したのだ。
一度は逃げ出した、この私に……
そんな私が、ここに来た理由。それは……
「ファリオン……ウォレンに結婚を申し込みたい」
ファリオンに頭を下げ、ウォレンと直接会って話をしたい、と言えば彼は即座に動いてくれ、翌日の夕方には場を設けてくれた。
約十年振りに会ったウォレンは、愛らしい少年から美しい青年へと成長を遂げていた。
ただ、体は痩せ細り、手首は簡単に折れそうに細く、触れた手も骨ばってカサついていた。
あれだけの事があったのだから、やつれてしまうのは分かる。だが、この決して健康そうには見えない痩せ方は一日二日のものじゃない。この姿を見る限り、幸せな結婚生活じゃ無かったんだろう。
しかも、昔の様にふわり、と笑う事は無く、どこか困った様な疲れた笑みを浮かべていた。
その姿に、胸が抉られる。苦痛に歪みそうになる顔に無理矢理笑顔を張り付け、ウォレンへ私の思う全てで語り掛けた。
今度こそ、私の嘘偽りのない言葉で……
「イサーク・コルトハークの名に誓って、ウォレンをこの家から連れ出し、君を害そうとする者全てから守るよ」
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