麗しい夫を持った妻の苦悩。押しかけ妻の自覚はありますが浮気は許しません。

沙橙しお

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8.予想外に幸せ

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 完遂された初夜から目覚めると部屋の中はすっかりと明るくなっていた。目だけで窓の外を見れば太陽が高い位置にある。昼過ぎかもしれない。体の左側が温い。顔の向きを変えるとそこにはドアップでメイナードの顔があった。

「ひええぇ~」

 碧い瞳がうっとりとエルシィを見ている。もしかして寝ている姿をずっと見ていたの?

「おはよう。エルシィ」

 メイナードはキラキラしい笑顔を向けるとエルシィのおでこにちゅっと口付けた。

「あ、う、え、い、あ、おはよう……ございますぅ」

 不意打ち! 恥ずかしい。たまらなく恥ずかしい。逃げたいがなんとエルシィは全裸のままだった。寒くはなかったけれどなにか着せておいて欲しかった。メイナードがくすりと笑うとベッドから下りガウンを羽織る。

「お腹が空いただろう。今、食事を用意させる」

 合図をするとジャスミンが入室しテーブルの上に美味しそうな食事を並べていく。いつ起きるか分からないエルシィのために準備をして待っていてくれたようだ。申し訳ない。
 メイナードがエルシィの体を起こしてくれた。目が覚めた瞬間から気付いていたが喉がガサガサで体中が怠いしあらぬところが痛い。自力で起きるのはしんどそうだったので助かる。感謝しそうになったがこの状態は彼のせいだ。エルシィは性行為どころか口付けですら初めてだ。素人中の素人相手に手加減しないとは鬼畜すぎる。甘んじて世話を焼かれよう。そのままガウンを着せてもらう。メイナードはエルシィを優しく抱き上げソファに連れて行った。

 そしてニコニコと隣に座るとまずは水を飲ませてくれる。さすがにコップくらい持てる。

「あの自分で飲めますから」

「いいから。私がしたいんだ」

「……」

 もういいや。されるがままに水を飲ませてもらう。喉が潤うと生き返った気持ちになる。次にメイナードはスプーンを取りスープをすくってエルシィの口元に寄せる。これはまさかずっとあーんされるってこと? 子供じゃないんだからと一応抵抗を試みる。

「あ、大丈夫です。自分で食べられますから」

「いいから」

「でも……」

「これはオールストン公爵家で代々決められている初夜の翌日の夫の務めだ。いいね」

「本当ですか?……」

 疑わしく思いメイナードの目をじっと見る。彼は一片の疑念も抱かせないような爽やかな笑みを浮かべる。

「そうだ」

 高位貴族のしきたりって不思議だ。何度かこのやり取りを繰り返しながら結局はお世話されながら食事が終了した。焼きたてパンはふわふわで最高だった。ジャムもバターもサラダも果物も素晴らしい。新婚早々の夫にここまで構われていたら緊張で喉を通らなさそうだが、昨夜の気怠さの残る体と物凄い空腹に屈し美味しく完食できた。側で見守るジャスミンの生暖かい視線はまるっと無視する。そのあとは食後のお茶を飲みまったりと二人で過ごした。

「メイナード様。今日のお仕事は大丈夫なのですか?」

「結婚式の翌日から仕事をするほど無粋ではないよ。妻とゆっくり過ごすために仕事は片づけておいた」

「そ、そうなんですね」

 お金のために娶った妻なのにとても大切にされてるように感じる。
 はっ!! これで絆されてはいけない。エルシィはよろよろの足で自分の部屋の机から一枚の紙を持って来てメイナードに手渡した。あらかじめ準備しておいたものだ。

「メイナード様。こちらをよく確認してサインを頂けますか?」

「いいよ」

 彼は受け取ると目を通しサラサラとサインをした。

「これでいいかい?」

「……何か質問はありませんか?」

 いいんですか? 彼は何の迷いも見せずにサインをしてしまった。これはこの結婚に係る誓約書ですよ。それもエルシィの一方的な要望が記されている。違反すると大変ですよ?

 その内容は――。

 一.エルシィを妻として、女主人として蔑ろにしないこと。
 二.公爵家当主として愛情をもって嫡子を儲ける努力をすること。
 三.愛人は作らない。浮気もしないこと。

 これに違反した場合は持参金と支援金の総額の十倍の金額を即日慰謝料としてエルシィに支払うこと、である。

「いいも悪いも、全部普通のことだ。どれも必ず実行するから明記するほどのことではないと思うが、これでエルシィが安心できるならいくらでもサインするさ」

「……ありがとうございます」

 まあ確かにとも思う。明記するほどじゃなかったかあ。いや、なにごとも保険が必要だ。慰謝料の金額はとんでもない額なので払うとなるとオールストン公爵家が傾く。そこまでして浮気はしないはずだ。
 そうしてエルシィの結婚生活は順調にスタートを切った。

 夫に大切にされ使用人には丁重に扱われる。メイナードはドレスや宝石も惜しまずに買ってくれる。部屋は綺麗だし食事は美味しい。使用人も料理長もエルシィに心を砕いて仕えてくれる。なんならこのままだと太る危惧すらある。
 そして夫がとにかく優しい。今もエルシィの目の前には彼からの贈り物がたくさん並べられている。

「こんなにたくさん、ですか? 多すぎませんか?」

「新妻に贈るにはまだまだ少ないよ。エルシィは控えめだな。公爵夫人なら必要なものだ」

「はあ……」

 クローゼットも宝石箱もいっぱいだ。もしかしてオールストン公爵家では一度使ったら二度は使わないというしきたりがあるのかも。生きてる間にもらったすべてを使いきれるか心配だ。

「そんなのありませんよ。旦那様が浮かれて奥様にプレゼントをしているだけです。受け取るのも奥様の仕事ですよ」

 ジャスミンに言われるとそうなのかと納得した。公爵夫人の仕事には夫からのプレゼントを受け取るのも含まれているらしい。メイナードは休みの日はエルシィと散歩したり買い物へ行ったりしてくれる。女主人としての仕事は執事とジャスミンが丁寧に教えてくれて捗っている。文句なしの新婚生活だ。

 でも……エルシィはメイナードが自分を大切にしてくれている理由が分からなかった。持参金と支援金のためといえばそれまでだが、お金のためだけというには片付けられないほど大切にしてもらっている。まるでエルシィを心から愛しているかのように――――。
 ないないないないない!

 我に返り己の自惚れを否定する。確かに愛しているとは言われるがリップサービスだ。(ベッドの上での言葉は信じてはいけない)

 エルシィは気が強そうだとかしっかりしてそうとは言われるが、庇護欲をそそられるとか守ってあげたくなるとはついぞ言われたことがない。世間一般的な愛され女子には該当しない。となると彼は特殊な好みを持っているのかもしれない。

「まあ、いいか」

 このままなら両親のように素敵な夫婦になれる。

 エルシィはすっかり安心して新婚生活を満喫していた。




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