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〖32〗青い世界

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「なんだ·····?まさか····やめろ!!!」


ヴィンセントの声が聞こえたのは、既に真っ青な世界へ飛び込んだ後だった。

水圧に押され、全身が重く沈んでゆく。

海水を飲み込んでしまい、息が出来ない。
ぼやけてゆく視界の端で、赤い炎が揺れていた。







シオンが消えた海を呆然と眺め、ヴィンセントはその場に座り込んだ。


「はぁ·····はぁ·····そんな·····いや、嘘だ·····そんな·····」


ブツブツと言いながら頭を抱え込む。
背後でオロオロしていた奴隷商人は、遠慮がちに彼へ声をかけた。


「ヴィンセント様、お気の毒ですが、彼はおそらく·····」


海のど真ん中。
強い波にさらわれ、意識を保てたとしても、ここ一帯には凶暴な人喰い鮫の餌の縄張りだ。

人間など、ひとたまりもない。



「いいや、彼は生きている·····」


「えぇ」


ヴィンセントが震えた声でつぶやく。

困惑する周囲の様子などはどうでも良いようだ。彼は拳を握りしめ、立ち上がった。


「何としてでもあの賎しい盗人から、シオンを救い出さなければ!」


世界屈指の資産家、ヨハン・ヴィンセント=カーネギーは、まさにこの瞬間、シオンの奪還を決意する。

彼に続いた船の汽笛は、妙に呑気だった。




























乾いた風が頬を撫でてゆく。

ゆっくりと目を開くと、真上には満天の星空が広がっていた。

遠い波音が心地よい。
重い体を持ち上げたシオンは、呆然とした。

すぐ先に、さざめく海。

背後を振り返ると、砂浜に続き、鬱蒼とした森が広がっていた。


「よぉ、起きたか」


声のする方を振り返る。
片手に酒瓶を持ったリアムが、少し離れた所へ腰掛けた。

天国かどこかかと思ったが、どうやらまだ、生きているようだ。


「久々に死ぬかと思ったぜ」


彼は今回のような危機が初めてではないらしい。
リアムの方を窺ったシオンは、「あっ」と声を上げた。

左腕のシャツから赤色が滲んでいる。


「怪我、してる」

「あ?」


ただのかすり傷だという彼。
自分を助けたために出来た怪我だ。

シオンは少し考えた後、スリーパーの袖を裂き、リアムへ近寄った。


「·····」


彼は1度こちらを見下ろしたものの、直ぐにふいと視線を外す。

好きなようにさせてくれるようだ。

シオンは傷口に布を当て、思いとどまった。
汚れを落とした方が良いが、ここには海水しかない。

しばらく考えた後、患部へ顔を近づける。
舌に唾液をからめ、そっと傷口を拭う。
少ししょっぱい。海水と、鉄の味がした。

突然、顔に生ぬるい液体をかぶった。

リアムが、手に持っていた酒瓶をひっくりかえしたのだ。

きつい酒の匂いがした。

斬新なアルコール消毒か、はたまたこの唾液があまりにも不快だったのか。どちらにしても、口で言ってくれれば良いのに。
シオンは脳内で悪態着く。


「続き、早くしろ」


リアムが面倒そうに言う。

シオンは慌てて手当を再開しだした。
少しきつめに布を結ぶ。幸い、傷はそこまで深くなさそうだ。



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