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一章
105.じゃれ合い
しおりを挟むこの時期は偉大だった。他人であれば、このアヴェルさえ安心感を与える相手になるらしい。
無性に心細くて不調な時期にこんな心地良さを覚えるとは思ってもみなかった。
「·····」
少し距離を詰めてみる。
味気ない石鹸の匂いがした。
もっと温もりを感じたら、どんな気分だろう?
手を伸ばすのは躊躇われて、身体をくっつけてみる。
固い胸板が上下しているのが感じ取れる。
大きくて怖いだけだと思っていたが、今ばかりは救われる。
ミチルは彼の上腕に頭を乗せ、続いて手首を引きずった。
本当は胸の上に置きたかったのだが、力尽きて口の辺りに落ちてくる。
ずっしりして苦しい。
「ん、ん」
もがいていたら、アヴェルが身動きしたおかげで、腕はちょうどいい場所に落ち着いた。
「いつも黙りだよな」
喉元に触れた手に、息を吸い込む気配を感じる。
しかし半開きの口元は無言のままだ。
「あいつとは会話したんだよな?」
この小さな口が、彼になにか告げようとパクパク動いたらしい。
結構可愛い声をしている。名前さえ呼ばれればなんでも言うことを聞いてやれるほどあざといのだ。
それが他人に一生懸命行使されたと思うと、妬まずにはいられなかった。
不機嫌が顔に出ていたらしい。
ミチルはビクリと震え、瞳孔には恐怖心を覗かせる。
(ああ、クソ)
「やめだ」
別に怖がらせたい訳では無い。
よく分からないが、どうやら体調が優れないみたいだ。
できることがあるなら支えてやりたい。
そう思って知ろうとしたが、ミチルが望まないなら本末転倒だ。
体調が良くないのに抱く訳にも行かず、しかし何をしても怖がらせてしまう。
「寝る」
彼の隣に大の字で寝転ぶ。
ベットの中はいやらしい獣人の匂いがした。
この状態で襲わない自分の理性には拍手を送りたい。
しばらくして肩口をつつかれた。
「アヴェル·····」
ミチルが自ら言葉を発するのは珍しい。
どんな顔をして名前を呼んでいるのか。見てみたいが、目を開けたら逃げ出すだろう。
アヴェルはたぬき寝入りを続けた。
ベットに温もりが転がり込んだ。
「·····?」
考えるより先に、少しずつ距離を詰めてきた相手が、ぴっとりと身体をくっつけて擦り寄ってくる。
「·············································?」
アヴェルの思考は完全に白紙になった。
何度か見たミチルの夢というには、あまりに頭が冴えている。
一体何をしてるんだ、この小さい獣人は。
俺が誰だかわかっているのか?
獲物相手に、情けなくも恐る恐る薄目を開ける。
こぼれ落ちそうな目を細めて、胸元に寄せた頬はほんのり色付いている。
抱き潰して全て暴いた時でさえ見たことの無い表情だ。
こんなに気を許した顔を初めて見た。
気を取られていたせいで、手首を握られた刺激に飛び上がりかける。
「??????」
今度は何をするつもりだ。
好き勝手に持ち歩かれた手は、重さに耐えきれず途中でミチルの頭上に落ちる。
間一髪で衝撃を緩和する。
口と鼻を塞がれたミチルは慌てもがいていた。
眠っている振りを続けながら手をどかしてやる。
「ん、ん」
やっと落ち着いたらしい。相手は満悦そうにまた頬を寄せてきた。
自分はと言えば、完全に起きるタイミングを失っていた。
なんだこの、憎らしいほど愛らしい生物は。
理性の限界を超えて保っているために、彼に触れていない方の手がわななく。
気を抜いたら襲いかかってしまいそうだ。
(いや、耐えろ俺)
何故か分からないが、無防備に甘えてきている姿など、この先なかなか見ることが出来ない。
軽すぎる体重がもどかしい。
もう少し身体を寄せてくれないだろうか。
「····················」
やはりダメだ。これ以上身体を寄せられたら確実に襲ってしまう。
煩悩との争いに四苦八苦していると、ピンクの瞳がそっとこちらを見上げた。
これが本当に同じ男なのか?
ミチルという生態自体を疑っていると、当の本人は大口を開けて、みるみるうちに青ざめてゆく。
「あ」
ミチルだけに意識を奪われて、寝たフリを忘れていた。
「お前」
「ニャァ」
びっくりしたのか、ひと鳴きしたミチルが逃げ出そうとする。
「待て、待て」
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