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一章
82.想い
しおりを挟む今はとにかく楽になりたかった。
寂しい隙間を埋めて欲しくて、彼を引き止めたのだ。
間違っているのでは?
とても恐ろしい過ちを犯しているのでは?
ダリアを裏切ることになる。
·····そもそも信頼関係さえないのに、"裏切り"とは成立するのだろうか?
彼を愛していることは自分の勝手だ。
「う」
ミチルはただすすり泣いた。
卑しい想いのはけ口は涙だった。綺麗なんかじゃない。
月光に靡くマントが床へ落ちる。
いつかと同じように、シャツの中へ閉じ込められる。
夜の空気が頬を撫でた。
望んでいた安らぎを手に入れられる気がした。
「やっぱり嘘みたいだ」
「·····うそ·····?」
寂しくてたまらなかったはずだ。
彼の腕の中はとても落ち着く。ぼんやり中を見つめていると、胸が締め付けられてしまいそうな囁きがうなじへ解いた。
「君の涙は綺麗だけれど·····───誰かのせいで泣く姿を見るのは、辛いよ」
(どうして?)
胸の奥にヒビが入るみたいな痛みに襲われた。
けれど嫌な痛みではない。
「知りたいんだ。君のこと、全て知りたい」
臆病で惨めな恋心も、寂しさも恐怖も、見透かされて理解されることを望んでいたのかもしれない。
「君を愛してる」
初めはただの好奇心だった。
権力争いや古臭いしきたり、他人の視線、万能の"ルシフェル"に目が眩んだ女たちの醜い争い。
全てが自分にとってはくだらなくてどうでも良い事だった。
あくびが出るほど退屈な日々を繰り返していた頃、欠損品の獣人が、自分を食らうはずの化け物に恋をした。
哀れだと思っていた。
───彼の想いに触れるまでは。
ところで、ダリア達とは異母兄弟だ。
若い頃のサタンは1人の女を愛し、彼らより先にこの自分が産まれた。
冷徹非道で合理的なサタン。
支配と権力に溺れ、その為ならば手段を選ばなかった先祖は、なぜ自分という過ちを残したのか?
不思議で仕方がなかった。
彼を不完全にした愛とは何か?
科学的にも合理的にも説明のつかない現象だ。
ダリアを愛するミチルを可哀想に思った。
利用され虐げられるのは当たり前の事。所詮家畜にも劣る非力な生贄が、期待を抱いては恐怖に挑み、小さな体を傷つけた。何度も涙を流したり、かと思えばダリアを想って熱を灯す。
とても不可解だ。気がつけば彼から目が離せなくなっていた。
これが愛なら、とても皮肉なものだ。
自分を犠牲にすることが愛なのか?ならばなぜ、それは存在するのか。
ある日、想い人に傷つけられて静かに涙を流すミチルが、そっと身体をかたむけてきた。
ミチルは自分をダリアと重ねた。
白い頬は赤く染って、唇は可哀想なほど震えていた。今にも壊れてしまいそうなのに、安堵したように鼻を擦り付けてきた瞬間を今も覚えている。
こんなに遊びがいのある玩具を放置するなど、つまらないダリアにはあまりに勿体ない。
初めて欲しいと思った。
「·····ピアニストなの?」
彼だけが、第二皇子でないルシフェルを知っている。
ミチルは名誉や肩書きさえない自分に名前をつけた。
日に日に嫌な気分が募った。
彼が他の誰かを思うのは気に食わない。その誰かを自分に重ねてあんな顔をするのは忌々しい。ならばいっそ、自分のものにしてしまおうと決めた。
───自分なら、決してミチルを傷付けたりはしない。
彼だってその方が幸せなはずだ。
犠牲を払うだけの愛など価値がないと今にわかるだろう。
「君を愛してる」
幼い瞳がめいっぱい見開かれて、困ったように視線を惑わせる。
ずり下がったランジェリーがとても情煽的だ。再び抱き寄せようかと思うが、意気地ない小動物からは警戒心が伺えた。
しかし、この匂いはごまかせない。
「君を傷つけないと誓うよ」
ダリアなんてやめて自分の元に来ればいい。
もう悲しい思いはしなくて済むだろう。
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