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第三章

《第15話》犬と蚊

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「俺はみずき先輩が好きなんですよ」

「俺は応えられないし、これを機にお前との関係を変えることもない」

「·····分かりました。では·····」


すんなり了承して、彼はおもむろに口を開いた。
みずき先輩、と、再び名前を呼ばれる。


「みずき先輩に跡を付けたのは、誰ですか。昨日は、誰といたんですか?」


そう言う庵野は、嘘のように幼く見える。
いつの間にか下の名前で呼ばれていることなどは、些細な事のように思えてきてしまって、指摘するのも面倒だった。


「しつこいやつだな。蚊に刺されたんだよ」


「蚊」


自分の言葉を反復する彼に、そーだよ、と投げやりに返す。


「俺のところに来てくれませんでした。俺の事を、忘れていたんですか?」


目の前の男は、本当にあの庵野雅だろうか?
駄々をこねる少年のようだ。
姫宮は軽く咳払いした。


「嘘ついたのは悪かったけどさ、例えば?明日他のやつに昨日何してたんだとか言われてお前に半レイプされたとか流石に言えるわけないだろ」


開き直った姫宮が言うと、庵野は理解したようで、それから、そっぽを向いた。


「だからお前にされた事は、犬に噛まれたと思って忘れてやるよ」


そう言った姫宮の語尾は、ぱりん、という、甲高い音にかき消される。 
ガラスの破片が飛び散った。庵野が手に持っていたグラスが割れたのだ。
長い指を、次々と鮮血が伝っていった。


「!お前、何して·····」

「俺への当てつけのつもりですか?」


例えばの話は、今みたいな状況のとき。
そして庵野が犬なら、前日の相手は蚊。気にしていないことを伝えるために言ったが、庵野にとってそれは逆効果でしか無かったようだ。

彼は自分のことが好きなんだ。
性やあこがれとしてでは無い。
感じていた妖しい視線は、執着や独占欲といった、歪で純粋な想いだったのだ。

姫宮は、タオルで庵野の手をつつんだ。
幸い、あまり深く切れていないようだった。


「そいつが先輩にした事」

彼は呟いた。


「俺が先輩にしていることは、変わりありませんね」


姫宮は無言で止血を続けた。


「先輩を、愛しているんです·····」

「庵野」


庵野の背を軽く叩いて、自分の学生鞄から、ティッシュと消毒液、中型の絆創膏を取り出す。

怪我の尽きない部員や自分のために持ち歩いているものだ。
まさかこんな状態で使うことになるとは思ってもみなかったが。


「"犬に噛まれたと思って忘れる"···?そんなの、あんまりだ」

「もう、いいだろ」

「よくありません。忘れて欲しくないんです」


彼は力のある声で言った。


「忘れないでください」


そしてすぐに勢いを無くす。
大きな体がうずくまる。


「もう忘れないでください···」


姫宮は、彼の背を繰り返し撫でてやった。

面倒な後輩を持ってしまったかもしれない。
"もう"忘れないで。なんて、妙な言い回しだ。

何かを恐れるように、肩口が震えている。
よく分からないから、とりあえず無言で、彼をなぐさめた。





























次の日は、庵野の家から学校へ向かうことになった。
専属運転手に世話になり、約5分ほどで学校の前までつく。


「先輩、また部活で」


ケロッとして手を振る庵野は、昨日とは別人みたいだ。
姫宮は素っ気なく返事をして、さっさと門をくぐった。

高級車なんて目立つに決まってる。
遠目からこちらを見ている生徒の視線を避けるように下駄箱を進み、廊下を歩く。
ここ2日間で、どっと疲れた。


「みぃ~ずきくんっ」


脳天気な声が姫宮を呼ぶ。
ちょうど登校してきたらしい松川が隣に並んだ。


「見たよさっきの。カリスマクンに送迎させちゃうとか、みずき君やってんね」

「そんなんじゃねえよ」


肩を組んできた松川から逃げる。
彼はわざとらしくため息をついた。


「でもさ?みずきくんはみんなのものでしょ?正直、ちょっと妬いちゃうなあ」


送り迎えくらい俺がやるけど、なんてブツブツ言っている。
姫宮は思わず笑ってしまった。


「なにでだよ?」

「そりゃもちろん、2ケツ」

「お前この前荒井のこと落としてたろ」

「逆だよ逆!俺が落とされたんだってば」


どっちでもいい。
ひとしきり笑ってから、姫宮は彼の横顔をのぞきこんだ。


「じゃあ、俺が前に乗ってやるよ」

「みずきくんが前か」


松川も可笑しそうに笑いながら前を見すえた。


「隣がいいなあ」

「それ、どうやって2ケツすんだよ」


訳の分からない冗談だが、こういう会話が面白い。
ふと、彼のスマートフォンに付けられたストラップに目がいく。
数え切れないくらいのキーホルダーが、ガチャガチャと絡まっていた。






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