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第三章
《第14話》イカれてる
しおりを挟むことの過ぎ去った部屋は、嘘のように静まり返った。
姫宮は荒い息を整えながら、じっと庵野を見上げた。
先に視線を逸らしたのは庵野だった。
訳の分からぬ快感に侵された孔が、濁った水音を漏らす。
カッと目頭が熱くなる。
「腕····ほどけよ···」
絞り出すように呟くと、再び庵野の手が伸びくる。
姫宮は思わず身構えた。
きつく縛られていたタオルは簡単に外された。
「って·····」
手首が鈍く痛む。
確実に跡になりそうだ。姫宮は顔を顰めた。
こちらを見つめている庵野から、気まずさや後ろめたさは感じられない。
不自然なほど落ち着いている。
少しくらい申し訳なさそうにするとか、無いんだろうか。
自分も随分他人事に思いながら、姫宮は彼を分析した。
「先輩のことを愛しています」
庵野が言った。
ぽつりと呟くような声には、微塵の揺らぎもない。真剣な眼差しが、訴えかけるように続けた。
「本当に、こんなことをするつもりではなかったんです·····俺はただ、先輩を愛してるんです·····」
自分という存在を蔑ろにされ、他の奴と交わっていることを想像したら、歯止めが効かなかった。
きっと、イカレた奴だと思われているだろう。
無理やり襲ってきた男が、愛を囁いている。
ふざけていると思われても仕方がない。
いや、本当にイカレているのだ、きっと。
彼が愛しくておかしくなってしまいそうだ。
強姦する奴が、まともなはずがない。
「俺は、俺は·····」
姫宮は首を傾げた。
庵野の声は震えていた。
昼間は、あんなに大人びていて、気の利く後輩に見えたのに。
さっきは、カラオケ店で楽しそうにしていたじゃないか。被害者はこっちなのに、訳が分からない。
裕福な家庭に、恵まれた身体。
何一つ不自由のなさそうな目の前の相手が、苦しげに俯く。
「なあ、大丈夫か?」
庵野の呼吸が浅い。
姫宮は彼をぼんやりと見返した。
忘れていた古傷を刺激されるような感覚に似ていた。
自分を力でねじふせたはずの相手。
体格だってこっちよりもずっと大きい。
笑顔が無くなると、幼い子供みたいな目だ。
「庵野」
惨めな感情を、無理やり激しい苛立ちに変え、伏せられた庵野の視線を睨みつける。
姫宮は広い肩口に蹴りを入れた。
「馬鹿野郎。先に言うことがあるだろ」
謝罪を促す。
今の蹴りと謝罪に免じて、一応許してやる。姫宮の意図を汲み取って、庵野はぽかんとした顔をした。
蹴りには全くこたえていない様子だった。
ベットの端に正座して、慌てたようにすみませんでしたと呟く。
暫く呆然としていた彼は、ベッドをおりると深々と礼をし、改めて
「申し訳ありませんでした」
と謝罪した。
「·····も、いいよ」
姫宮は自分でも不思議なほど冷静だった。
「俺にこんなことをされて、何ともないんですか?」
なかなか図々しい質問だ。
正直、いつまでも根に持つタイプでは無いし、感情的になったところで良いところはない。
何よりも、彼の瞳は───なぜか、強く拒絶することを躊躇われた。
「明日から1週間、アリーナはお前一人で掃除しろ。それでチャラ」
風邪ひくから早く服着ろと手をヒラヒラさせる姫宮に、庵野はなぜか、不満そうな顔をした。
「俺はみずき先輩が好きなんですよ」
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