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《76》うしろ
しおりを挟む「·····?」
背筋が凍りつく。
彼は、こんなにも冷たい表情をする人間だっただろうか?
「この俺が、誰の許可をとる必要があるってんだよ」
豹変したフィアンに戸惑った時、すぐ後ろから、吐き捨てるような声音が告げられた。
鉄の匂いが鼻腔を掠める。
振り向くと、ソファの背もたれに手をかけたリダルがいた。
気配すら感じなかった。
それよりも、皇族に対しなんという口の利き方。
ノワは失神しかけた。
「相変わらず礼儀がなってないな·····野蛮な血のせいか?」
(····野蛮な血····?)
首を傾げる。
睨み合った二人の視線はいよいよ氷点下の火花を散らしそうだ。
今のリダルは変装をしていない。
フィアンは彼の正体を既に知っているようだった。
2人は知り合いだったのだろうか。
ノワは「ええと」とわざと明るい声を出した。
全身に凄まじい殺気を感じる。
よく分からないが、何かとてもヤバイ空気だ。
禍々しい雰囲気を打破しなければ。
「フィ····皇子殿下!彼です!褒美なら、彼に」
彼らの真ん中に立ち、視線を逸らさせる。
「───ノワ」
「!」
ノワは第三者がいるために親しく名を呼ぶことを避けた。
しかしそんなノワの配慮を、フィアンは瞬時に却下したのだ。
「いいだろう。それがお前の望みなら」
フィアンがノワの目の前で立ち止まる。
しなやかな手が伸びてくる。促されるまま、差し出された手に手を伸ばした。
ノワがフィアンに触れることは無かった。
「!」
突如、手首を別の人物に引っ張りあげられる。
「わっ」
バランスを崩した身体は硬い腕に抱かれ、ローブの後ろへと乱暴に肩を押された。
広い背中に隠され、視界が暗くなる。
「·····リダル?」
目の前のリダルと、その前に立つフィアン。
この二人に、ノワの知らぬ繋がりがあったのは確かだ。それも、大分険悪なものらしい。
(皇子にこんな態度を取るなんて、とうとうイカれたのか?)
「俺と剣を交えろ」
考えを巡らせていたノワは思考を停止させた。
剣大会は中止になった。
故に、ここでフィアンと剣を交えたいというリダルの目的は明確だ。
「それが望みか?」
フィアンの問いかけに黒髪が頷く。
先程までは自分を救ってくれていた彼が、途端に最悪の敵に見えてくる。
初めからリダルは味方ではない。分かっているのに、何か勘違いしかけていた。
「そんな状態で俺に敵うとでも?」
笑んだフィアンの言葉に、ノワはこちらへ背を向けたリダルを見つめた。
依然として立ちはだかっているが、彼は盗賊たちを相手にしたあと、さらに一晩中馬を走らせたのだ。
死神のようでも、結局は血の巡っている人間であり、体力には限界がある。
知らぬ間にリダルを心配してしまっていることに気付かされ、ノワはぶんぶんと首を振った。
彼がフィアンに負ければ、問題は万事解決。応援する必要など一切ない。
「良いだろう」
フィアンがベストを脱ぎ捨てる。
「付いてこい」
(ところで、脱ぎたてのベストの匂いをぜひ嗅ぎたい·····)
よこしまな煩悩が浮かび、口元は意図せず緩む。
(いや、そんなこと考えてる場合じゃないだろ)
我ながらどうしようもない。
ふと視線を投げた先で赤い瞳と目が合った。
あわてて口元を結び、先を歩き出したフィアンの側へ寄ろうとする。
首根っこを押さえつけられた。
「ぐえっ」
「どこ行くんだよ」
リダルから先程の威圧感は消え去っていた。
いくらか安堵しながら、彼を振り返る。
「フィアン様の方に·····」
「"フィアン様"?」
柔らかくなったのは気のせいだったようだ。
フィアンに見劣りしない程の美形は、ノワの発言を聞くとたちまち不満げに歪む。
こちらの襟を掴んだリダルの腕は再びノワを背後へと引っ張った。
「お前は俺の後ろを着いてこい」
自分の前を歩かれるのがそんなに嫌なのだろうか。
随分と偉そうなこだわりだ。
嫌味のひとつも言いたいが、これ以上リダルが不機嫌になるのは避けたい。
大人しく彼の後を付いて行き、やってきたのは、先程の謁見の間だった。
玉座から扉まで数十メートルはあるだだっ広い広場だ。
リダルが鞘から本剣を抜く。
ノワは小さく叫び声をあげた。
正式な決闘でもないのに、まさか本物の剣で対戦するわけではあるまい。
冗談だろう。救いを求めフィアンを振り返るが、玉座へ向かった彼は、躊躇いなく聖剣を引き抜いた。
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