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《1》社畜、転生☆

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目を覚ました先に、高い天蓋があった。

起き上がろう、と、身体に力を入れる。
車に轢かれたはずだが、痛みはどこにも感じられなかった。



「·····?」



豪奢な部屋は西洋貴族の屋敷を思わせた。
事故の後の記憶が一切ない。呆然と部屋を見回していると、扉が二度ノックされた。


「おはようございます、ノワお坊ちゃま。今日は良いお天気ですよ」


入ってきたのは、メイド服姿の女性。

恐らく自分に向けられた言葉だ。
こういうシチュエーションに覚えがある。


羽毛を跳ね除ける。
ガウンの隙間から、産毛ひとつ生えていない脚がのぞいた。
 

────これは、一体、誰の身体だ?


ノワと呼ばれた人物は、大人等身大の姿見を前に、暫く言葉を失った。

鏡の向こうに幼い少年がいた。
艶やかな髪に、陶器のように白い肌。ふっくらとした唇は薄桃に色づき、瞳は濡れた黒。
口を開くと、鏡の向こうの少年も、同じくぱかりと口を開けた。

ここは天国で、事故死した自分は天使になってしまったのだろうか?



「まあ、お坊ちゃま!スリッパを履いてからお立ちになるよう何度も申し上げているではありませんか!」



朝日に照らされる小さな主人に見とれてから、メイドは思い出したように声を上げた。



「·····すみませんが、ここはどこで·····あなたは誰ですか?」



状況が全く呑み込めない。
自分自身聞いたことの無い言語を話しながら、彼女を振り返る。



「お、お…」

「?」

「奥様ぁぁ!!!坊ちゃんがぁぁ!!」

「うわっ」



女性は叫びながら部屋を出ていってしまった。
思わず耳を塞いだ手で、続いて頬をつまんでみる。


「····痛い」


感覚がある。
叫びたいのはこちらの方だが、一周まわって冷静な心境だ。


春川裕太。彼女いない歴イコール年齢の冴えない独身男で、帰宅途中、車に撥ねられ意識を失った·····はず。

これが所謂転生というものだろうか。他人事のように考えながら、今一度鏡を振り返る。

中性的で可愛らしい少年には、見覚えがあった。


『ノワお坊ちゃま』


どうやらこの身体の持主の名前はノワで、金持ちの息子。
そして先程のメイド服を来た女性にも、この部屋にも、既視感がある。



『パトリック····貴様だけは許さぬ!この手で、想像を絶するほどの苦しみを与えてやる!』

『ノワ・ボース・パトリックを1000回の鞭打ちの刑に処す。打ち終わるまで、死に絶えようが手を止めるな』

『──罰としてお前の身分を剥奪し、終身刑に処す』


前世で密かにハマっていたあるゲーム。
その数々のエンディングやイベント中のセリフが、走馬灯のように頭の中を駆け抜けてゆく。


「主治医をお呼びしました」


震え声で言う執事に、自分の名前を伺う。
彼は半ば放心したように答えた。


「ノワ・ボース・パトリック伯爵令息でございます、坊ちゃま·····」


「──ノワ!」


立て続けに、美しい夫人が部屋へ飛び込んできた。

大きな瞳には涙が溜まっている。
彼女は今にもこちらに突進してきそうな勢いだ。

春川は思わず後ずさった。


「あ、あなたは·····?」


つぶやきを合図に、彼女の後ろを着いてきた老若男女の軍は、皆氷のように固まった。


「あぁ、ノワ!お母様を忘れてしまったの?」


ギャーギャーと騒がしくなる部屋の渦中、ノワ──否、春川裕太は、やっと転生の事実を確信したのだった。

























ノワ・ボース・パトリック。

乙女ゲームのどのルートへ進んでも登場する悪役令息の名だ。

主人公を愛するあまり、彼女の悪い噂を流して周りから疎外させようとしたり、脅して交際を迫ったりと、姑息な真似をするキャラクター。
ハッピーエンディングでは必ずと言っていいほど制裁を受け、拷問の末に死刑。
バッドエンディングでも事件の巻き添えをくらい死亡。はたまた主人公の敵討ちとしてやはり攻略対象に罰せられたり、刺し殺されたり。

誰のルート、どのエンディングでも、死亡が確定している最低の悪役。


イケメンロマンス───通称イケロマは、今話題の大人気乙女ゲーム。
物語は、没落貴族の主人公が、借金の肩代わりに学園へ下女として働きに出るところから始まる。彼女は後に聖女の力を宿し、紆余曲折の末攻略対象と結ばれるというファンタジー系恋愛ゲームだ。


なぜ20歳の会社員(男)がこんな事を知っているのか?


それは春川裕太が、三度の飯より『イケメンロマンス』が好きな隠れ夢男子だからである。

別に男が好きだとか、ゲイという訳では無い。

ゲーム中に繰り広げられるロマンティックなラブストーリーは、男性向けの恋愛ゲームとは違い、また春川裕太の人生とも無縁なものだった。

小学、中学、高校を卒業後企業に就職し、恋愛や青春とは程遠い人生を送ってきた。
そんな彼の週末の密かな楽しみこそ、イケメンロマンスだった。


(これが、自分·····?)


暫くすると、脳内にはノワの記憶が刷り込まれてきた。

摩訶不思議な出来事だが、このとおり自分はノワに転生してしまったらしい。

身体を撫で上げ、滑らかな肌に感嘆のため息を漏らす。
はたから見れば自分の体を撫でて悦ぶ変態だが、勿論周りの目など気にする余裕はない。

そして驚いている場合でもない。
今のノワは十歳。ゲームが始まるのは、ノワが18になる春だ。

このまま物語が進めば、自分に待つのは死を伴うバッドエンドのみ。


「いやいや·····こんな美少年をこの世から抹消するなんて、天罰が下るぞ·····」


鏡の向こうに見とれながら呟く。本来ならば悲愴的であろう状況だが、ノワの拳は強く握りしめられた。


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