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第22話
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シェリルが倒れて二日目。まだ彼女が目覚める気配はない。
呼吸は規則正しく聞こえ、表情も穏やかで苦しみを与えている状況ではないと思われる。
医師も、心音、呼吸音、脈拍など数時間置きに観察してくれ、その度に「問題ないですよ」と教えてくれる。
でも、シェリルは目覚めない。
フィリオスは仕事を休み、シェリルの部屋で彼女の傍から離れずにいた。いつ目覚めてもいい様に、彼女の瞳が一番に捉えるのは自分であって欲しいと願いながら。
シェリルの頬を撫で、額に掛かる髪の毛を整える。眠っている彼女にしていい訳ではないだろうが、そっと唇に口付ける。柔らかで、温かで。彼女がちゃんと生きている事を教えてくれる。
ただ目覚めないだけで。
胸を締め付けられフィリオスの表情は曇る。目の前に愛しいシェリルが居るのに、彼女の瞳は自分を写さない。それがただただ、悲しくて寂しかった。
「シェリル…。俺の、シェリル…」
シェリルに聞こえる様に、そっと呟く。こんなにも愛しているのだと心を込めて。
◆◇◆◇
フィリオスがシェリルの部屋で昼食を摂り終え、ファルマ、リーナが食器などの片づけをしていると部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します、フィリオス様。今お時間宜しいですか」
執事の声が聞こえ、リーナが扉の傍に控えた。
フィリオスが頷くのを確認して扉を開けると、そこには少し息を乱した執事が立っていた。
「お寛ぎの時間に申し訳ありません。只今、玄関ホールにアリシア様がいらっしゃっております。いかが致しましょうか」
フィリオスの表情が変わる。一気に感情を乗せていない顔になった。
「指示してあっただろう?お帰り頂いてくれ。俺は一切会うつもりはないし、話す事などない」
「はい、承知しております。ですが、いくらこちらはそのつもりが無いと伝えても帰って頂けなくて…」
フィリオスの表情は更に暗く不機嫌なものになる。
「わたくしが参りましょうか」
ファルマがフィリオスに問う。フィリオスが驚いているのが解る。
「わたくしの様なメイドが対応するのは宜しくはないでしょうが、フィリオス様とまだ婚約中に何度もお会いしお話もさせて頂いております。わたくしの方からもお帰り頂ける様、お伝えしてみます。余計な事は一切喋りませんので」
ファルマが「お任せください」とフィリオスに真剣に言う。フィリオスは少し考えたが、ファルマを信頼しているので今回は対応してもらう事にした。
「すまない、頼む」
フィリオスが申し訳なさそうに言葉にすると、ファルマがにこりと笑顔を向け、執事と共に部屋を出て行った。
「アリシア様、お待たせ致しまして申し訳ありません」
ホールのソファに座り落ち着かない様子のアリシアにファルマは話しかけた。
「ファルマ!お久しぶりね…」
アリシアが見知った顔のファルマを見て顔を綻ばせる。ソファから立ち上がり、ファルマに近づいた。
「お久しぶりでございます」
「元気にしてた?いつぶりかしら…1年くらいになるかしらね」
「そうですね、そのくらいにはなりますか」
「…貴女が此処に来た、という事はフィリオス様は会ってくださらないって事なのね…」
ファルマの顔を見て喜んでくれはしたが、状況からみて自分の望みは叶えられないと悟った様で、アリシアの表情は一気に落ち込んでいった。
「そうですね、フィリオス様はお忙しくされておりますので」
「…でも、父が仕事は休んでいるって…」
アリシアの父から情報を受け取っているならば、どういう理由で休んでいるかは知っているのだろう。
「…その、滞在している女性が…、倒れられたと伺ったの」
「はい」
「わ、私のせい…だと、思ってて…」
「どうぞ、お気になさらずお帰りになってくださいませ」
「えっ?ファルマ?」
「フィリオス様がそう望んでおられますので、どうぞお引き取りください」
ファルマは見逃さなかったのだ。アリシアが一瞬笑みを零したのを。
「お見舞い申し上げたかったのだけど…」
「いえ、その必要はございません。どうぞこのままお帰りください。もちろん今後も必要ございません」
ファルマは以前のフィリオスと婚約中のアリシアとは、よく顔を合わせていた。
フィリオスの屋敷にアリシアが訪れ、庭の花々を見ながらお茶をする、というのが定番だった。その席でお茶を淹れて二人に出していたのがファルマで。フィリオスとアリシアが会話しているところに、二人がファルマにも話題をよく振ってくれ、アリシアとも話す様になったのだ。
ファルマからすれば、当時のアリシアは本当にフィリオスとお似合いだった。だからフィリオスと婚約破棄となった時には彼女に同情し、フィリオスの考えている事が理解出来ずにいた。
だが、フィリオスがシェリルを屋敷に招いた時に聞かされたシェリルの事情と、フィリオスの想いが切なくて。
同じ女としてはアリシアにはかなり同情する。だけど、あの二人の傍で二人の様子を数か月見てきた者とすれば、今はフィリオスとシェリルが幸せになってくれればと願う様になっていた。
そういう風に自分の考えが変わっていった事にも、戸惑いはあったけども。それを覆す噂を耳にしていたから、フィリオスにはアリシアが相応しくないと考える様になっていた。
(シェリル様に危害を加える為に、復縁の噂を流し事実に仕立てあげようなんて)
出入りの商人の話を全て鵜呑みにする訳ではないが。ファルマの身内がアリシアの屋敷の使用人なんて、アリシアはきっと知らないだろう。商人に金を握らせ、噂をあちこちで流す様に指示している場面を、見ている者が居るのも気付いていない。普段からチクチクと小言を言い、使用人の間では疎まれているなんて知っているのだろうか。
それを知った当時は、アリシアの外見、所作、言葉遣いなどから想像出来なかったのもあって、フィリオスにも特に報告はしていなかった。
だけど、今確信した。
アリシアはシェリルに危害を加える可能性がある。心配する素振りを見せながら笑みを零すなんて。
それが、ファルマの考え過ぎだったとしても、警戒するに越したことはない。
「アリシア様がお帰りです。お連れして差し上げてください」
「ファルマ…っ」
何かを言いかけたアリシアだったが、ファルマの気迫に押された形でホールから外に連れ出された。
「また来させて頂くわ」
「その必要はございません。今後はこの場にもお入りになれません」
より一層、ファルマの気迫と声音が冷たい。アリシアは黙って馬車に乗った。
扉が閉まるのを確認し、家令や執事にその場を任せ、ファルマはシェリルの部屋に戻って行った。
(フィリオス様のやり方には落ち度はある、それは理解できる。だけど、シェリル様は何一つ悪くない。そして望まれているのは…フィリオス様の傍に居られる事。その願いは叶えて差し上げたい)
シェリルの為に、ファルマは自分の出来る事をしようと改めて誓っていた。
呼吸は規則正しく聞こえ、表情も穏やかで苦しみを与えている状況ではないと思われる。
医師も、心音、呼吸音、脈拍など数時間置きに観察してくれ、その度に「問題ないですよ」と教えてくれる。
でも、シェリルは目覚めない。
フィリオスは仕事を休み、シェリルの部屋で彼女の傍から離れずにいた。いつ目覚めてもいい様に、彼女の瞳が一番に捉えるのは自分であって欲しいと願いながら。
シェリルの頬を撫で、額に掛かる髪の毛を整える。眠っている彼女にしていい訳ではないだろうが、そっと唇に口付ける。柔らかで、温かで。彼女がちゃんと生きている事を教えてくれる。
ただ目覚めないだけで。
胸を締め付けられフィリオスの表情は曇る。目の前に愛しいシェリルが居るのに、彼女の瞳は自分を写さない。それがただただ、悲しくて寂しかった。
「シェリル…。俺の、シェリル…」
シェリルに聞こえる様に、そっと呟く。こんなにも愛しているのだと心を込めて。
◆◇◆◇
フィリオスがシェリルの部屋で昼食を摂り終え、ファルマ、リーナが食器などの片づけをしていると部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します、フィリオス様。今お時間宜しいですか」
執事の声が聞こえ、リーナが扉の傍に控えた。
フィリオスが頷くのを確認して扉を開けると、そこには少し息を乱した執事が立っていた。
「お寛ぎの時間に申し訳ありません。只今、玄関ホールにアリシア様がいらっしゃっております。いかが致しましょうか」
フィリオスの表情が変わる。一気に感情を乗せていない顔になった。
「指示してあっただろう?お帰り頂いてくれ。俺は一切会うつもりはないし、話す事などない」
「はい、承知しております。ですが、いくらこちらはそのつもりが無いと伝えても帰って頂けなくて…」
フィリオスの表情は更に暗く不機嫌なものになる。
「わたくしが参りましょうか」
ファルマがフィリオスに問う。フィリオスが驚いているのが解る。
「わたくしの様なメイドが対応するのは宜しくはないでしょうが、フィリオス様とまだ婚約中に何度もお会いしお話もさせて頂いております。わたくしの方からもお帰り頂ける様、お伝えしてみます。余計な事は一切喋りませんので」
ファルマが「お任せください」とフィリオスに真剣に言う。フィリオスは少し考えたが、ファルマを信頼しているので今回は対応してもらう事にした。
「すまない、頼む」
フィリオスが申し訳なさそうに言葉にすると、ファルマがにこりと笑顔を向け、執事と共に部屋を出て行った。
「アリシア様、お待たせ致しまして申し訳ありません」
ホールのソファに座り落ち着かない様子のアリシアにファルマは話しかけた。
「ファルマ!お久しぶりね…」
アリシアが見知った顔のファルマを見て顔を綻ばせる。ソファから立ち上がり、ファルマに近づいた。
「お久しぶりでございます」
「元気にしてた?いつぶりかしら…1年くらいになるかしらね」
「そうですね、そのくらいにはなりますか」
「…貴女が此処に来た、という事はフィリオス様は会ってくださらないって事なのね…」
ファルマの顔を見て喜んでくれはしたが、状況からみて自分の望みは叶えられないと悟った様で、アリシアの表情は一気に落ち込んでいった。
「そうですね、フィリオス様はお忙しくされておりますので」
「…でも、父が仕事は休んでいるって…」
アリシアの父から情報を受け取っているならば、どういう理由で休んでいるかは知っているのだろう。
「…その、滞在している女性が…、倒れられたと伺ったの」
「はい」
「わ、私のせい…だと、思ってて…」
「どうぞ、お気になさらずお帰りになってくださいませ」
「えっ?ファルマ?」
「フィリオス様がそう望んでおられますので、どうぞお引き取りください」
ファルマは見逃さなかったのだ。アリシアが一瞬笑みを零したのを。
「お見舞い申し上げたかったのだけど…」
「いえ、その必要はございません。どうぞこのままお帰りください。もちろん今後も必要ございません」
ファルマは以前のフィリオスと婚約中のアリシアとは、よく顔を合わせていた。
フィリオスの屋敷にアリシアが訪れ、庭の花々を見ながらお茶をする、というのが定番だった。その席でお茶を淹れて二人に出していたのがファルマで。フィリオスとアリシアが会話しているところに、二人がファルマにも話題をよく振ってくれ、アリシアとも話す様になったのだ。
ファルマからすれば、当時のアリシアは本当にフィリオスとお似合いだった。だからフィリオスと婚約破棄となった時には彼女に同情し、フィリオスの考えている事が理解出来ずにいた。
だが、フィリオスがシェリルを屋敷に招いた時に聞かされたシェリルの事情と、フィリオスの想いが切なくて。
同じ女としてはアリシアにはかなり同情する。だけど、あの二人の傍で二人の様子を数か月見てきた者とすれば、今はフィリオスとシェリルが幸せになってくれればと願う様になっていた。
そういう風に自分の考えが変わっていった事にも、戸惑いはあったけども。それを覆す噂を耳にしていたから、フィリオスにはアリシアが相応しくないと考える様になっていた。
(シェリル様に危害を加える為に、復縁の噂を流し事実に仕立てあげようなんて)
出入りの商人の話を全て鵜呑みにする訳ではないが。ファルマの身内がアリシアの屋敷の使用人なんて、アリシアはきっと知らないだろう。商人に金を握らせ、噂をあちこちで流す様に指示している場面を、見ている者が居るのも気付いていない。普段からチクチクと小言を言い、使用人の間では疎まれているなんて知っているのだろうか。
それを知った当時は、アリシアの外見、所作、言葉遣いなどから想像出来なかったのもあって、フィリオスにも特に報告はしていなかった。
だけど、今確信した。
アリシアはシェリルに危害を加える可能性がある。心配する素振りを見せながら笑みを零すなんて。
それが、ファルマの考え過ぎだったとしても、警戒するに越したことはない。
「アリシア様がお帰りです。お連れして差し上げてください」
「ファルマ…っ」
何かを言いかけたアリシアだったが、ファルマの気迫に押された形でホールから外に連れ出された。
「また来させて頂くわ」
「その必要はございません。今後はこの場にもお入りになれません」
より一層、ファルマの気迫と声音が冷たい。アリシアは黙って馬車に乗った。
扉が閉まるのを確認し、家令や執事にその場を任せ、ファルマはシェリルの部屋に戻って行った。
(フィリオス様のやり方には落ち度はある、それは理解できる。だけど、シェリル様は何一つ悪くない。そして望まれているのは…フィリオス様の傍に居られる事。その願いは叶えて差し上げたい)
シェリルの為に、ファルマは自分の出来る事をしようと改めて誓っていた。
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