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いざ、フィンなんとか王国へ
ルイス・シャルム①
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今日はヨダレ顔を見せる前に、肉球スタンプで起きることができた。マリアがいくら気にしてない風であろうと、そんなマリアに甘えてはいけない!
今日のドレスは純白ではないが、純白に近い薄いクリーム色だった。胸元から肩まではレースで覆われ腕は出ている。レースも花模様で胸元が華やかだ。ちょっと、ウエディングドレスぽいなぁと思いながら支度を済ませて、白いレースのリボンをつけたリチェ様を抱いて姿鏡を見た。うーん、ちょっとばかり同化してない?と首を傾げるとマリアはまた無言で有無を言わさな視線を鏡越しにこちらに向けてきた。
はい。マリアには逆らいません。トホホっとやりきれない気持ちになったが、今日が終われば明日は自由日だ。久しぶりに1人の時間を満喫できる。少し気分が良くなった私は隣の部屋の扉を開けた。
ルイスはすでにソファーに座って待っていた。銀色の髪の毛が朝日でキラキラ光って、神々してくて目が眩しい。目線を少しそらしながら対面側のソファーに座ってリチェ様を隣にそっとおろした。
「おはようございます。マイカ様。聖獣様」
「おはようございます、ルイス。皆さんリチェ様と呼んでおりますので、貴方もそのように」
「ありがとうございます。では今後はリチェ様とお呼びいたします。それと、お久しぶりでございます。ここの生活には慣れましたでしょうか?」
「ええ。マリアがとっても有能で何不自由なく暮らせています」
「それはようございました。では、朝食の時間ですので移動いたしましょう」
そう言ってルイスは私のソファー側に近寄り手を差し出してきた。私はその手にそっと手を置いてエスコートされながら移動した。このエスコートされる事もずいぶん慣れた。しかもルイスはここに来て初めて会った相手だった事もあって、他の男性達よりは安心して手を委ねることができた。
朝食は2人とも黙々と食べて、一階の広間に移動した。ルイスは何も言わずに防音魔法をかけたようでソファーに座ったと同時にふわっと温かいものに包まれた。マリアはいつも通りお茶とベルを置いて部屋から出て行った。リチェ様は満腹になって更に眠気がきたのか、私の隣で大きな欠伸をした後に丸くなって寝たふりという名のうたた寝を始めた。その様子をルイスは見つめた後、私に目線を向けてきた。相変わらず無表情だ。
「リチェ様とマイカ様はお互いに会話ができるとアーサー殿下よりうかがっております。どのように意思疎通されているのですか?」
「心の中で会話をしています」
「なるほど。念話のようなものでございますね。ぜひ、私も神より遣わされたリチェ様とお話ししてみたいものでございます」
「話はできなくても、触ったり撫でたりするとこはリチェ様が許可すればできますよ」
「…さようでございますか…。気に入っていただけるように精進いたします」
ルイスは何かを決心したように頷いた。かなり動物好きなのだろうか。リチェ様のことだ、美味しいものを貰ったり、着飾ってもらえたら許可しそうな気がする。チラッとリチェ様を見ると『マイカさんが信用信頼した相手なら触ってもいいです』と返答が返ってきた。
なるほど。リチェ様の判断基準は私に害があるかないか、また私が好意的かという部分が一番の判断基準のようだ。この事はルイスにも他の男性達にも伝えない方が良いだろう。そう思った私はカップを手に取りお茶を飲んで話題を変えるために口を開いた。
「そういえば、他の方々の時から感じていたのですが。皆様、私と過ごした時間のことを共有していらっしゃるようですね」
「ええ。アーサー殿下より提案で、その日過ごした際に得られた情報を共有することになりました」
「なるほど…」
「個々それぞれが皆で共有しなければならないと感じた情報だけでございますので、全ての会話などが筒抜けではございません。その点はご安心ください」
「そう…ですか。それは少しだけ安心しました」
「セザール様はただ、マイカ様は素晴らしい女性だと絶賛するだけでございました」
あの、下ネタ変態脳筋男は伝達事項も脳筋だったようだ。少し呆れながら、流石にほぼ下ネタ会話をしてましたなんて報告しなかっただけ褒めてやるべきだろう。ふっと笑ってカップをソーサーに戻した。ルイスは少しだけ真剣な顔で話しかけてきた。
「皆様と過ごされて、現段階ではどのようにお考えですか?」
「そうですね。現段階ではまだ具体的には決めておりません。ただ、子供を強く望んでいるかどうかも判断基準にしたいとは思っております。生まれてから大切に育てていただきたいからです」
「さようで…ございますね。子供とは大事に育て慈しむものでございます。マイカ様の考えはもっともでございます」
一瞬、瞳が暗い色に染まったがすぐにいつも通りに戻ったルイスはこちらの意見に同意するように頷いた。ルイスも何か抱えているものがありそうだ。しかし、まだそこまで親しくない。あまり踏み込まないようにしようと決めた。
「では、皆さんと初めは同じように形式的にお話しすればよろしいでしょうか」
「ええ、では年齢と家族構成を教えて下さい。お仕事は知ってますので」
「年齢は53でございます。妻は正室1人側室4人でございます」
「意外に奥様方の人数が多いのですね」
「ええ、正室は父が決めた相手です。しかし、その他の妻達は私と結婚したいとと希望してきた人々の中から、こちらが提示した条件でもいいと納得した女性達が嫁いでおります」
あまり踏み込まないようにしようと決意した矢先。ルイスは聞かねば気になる事をサラリと言い放った。流してしまうこともできるが、子供に何か悪影響があってはいけない。聞くべきか、聞かない方がいいのかと迷いながらも私はルイスに話しかけた。
「そ、その条件…とは?」
「お恥ずかしいのですが。私は女性が苦手なのです。いえ、女性というよりも自分以外の他者が苦手なのです。そのため手袋をしなければ人に触れる事もできず、人が触った物も触ることができないため、私は朝起きて寝るまで基本的に手袋をつけて生活しております。条件とは簡単に言えばそれに関する事でございます」
この世界の男性達は基本的に手袋をつけて私と接していた。そういうものだろうと気にしてなかった。しかし、ルイスは礼儀や正装、服装などといった観点ではなく…潔癖な性質から手袋をつけているようだ。
ふと、ルイスの手元を見ると、現在は素手である。そのことに気がつた私はルイスに質問した。
「今、手袋はしてない様子ですが…」
その質問を聞いたルイスは、私の顔を見つめて少しだけ表情を緩ませ微笑んだ。
「はい。マイカ様は神と同等。つまり神聖な存在でございます。穢れなき存在。尊き存在。マイカ様は私が触れても私を穢さない存在でございます。なので…今日は手袋を外してみようと思い、こうして外しております。外してもいつも感じる嫌悪感や忌避感、外したことでの不安感などもありません。さすがでございますね」
ルイスは神をかなり神聖な存在だと認識している聖職者のようだ。これは、ある意味…宗教家としては狂信者の部類に入るのでは?とリチェ様に目線を向ける。その視線に気がついたリチェ様は少しだけ目を開けた。
『ルイスはずっとリーン神を信じて、一人で祈祷してました。今いる神官の中で一番信仰心がありますよ。仕事熱心というべきか…とってもうるさいサイレン鳴らしたのもルイスです』
『ねぇ、仕事熱心というか…狂信的じゃない!?大丈夫?!』
『大丈夫ですよー。そもそも人というものは信仰を生きる目的のヨスガにする人もいるじゃないですか』
『うっうう…そうかもだけど』
リチェ様からの返答を聞いて、グッと言葉を詰まらせた私は目線をルイスに向けた。ルイスは私とリチェ様が会話していることを察してか、何も言わずに微笑んだまま佇んでいた。彼は私とリチェ様の会話風景も神聖なものに見えているのかもしれない。
「そう、ですか…。私に素手で触れても大丈夫ということですね」
「ええ。しかしご安心ください。私のような穢れた存在が軽々しくマイカ様やリチェ様に触れてはいけません。然るべき時以外は触れることはございませんのでご安心ください」
それを聞いて安心していいものか、判断はつかない。しかし、線引きをして接してくるのとは理解できた。気を取り直して、夫婦関係などを聞いてみようと話しかけた。
「では、話を戻しますが。奥様方との関係はどうでしょうか?」
「正室とは事務的に会話をする程度でございます。閨も一ヶ月に一回ぐらいでしょうか。側室達とは基本的に閨を共にすることが多いため、会話は多いような気がします。事が済めば自室で眠りますので、朝まで共にいたことはございませんが…」
正室とはドライな関係なようだ。正反対に側室達はルイスを慕っているのだろう。そしてルイスも彼女達の要求に応える誠実さは持ち合わせているようだ。なかなかここの夫婦関係も複雑そうだなと考えながら私は質問を続けた。
「子供が生まれる事について奥様方はどのように話されてますか?」
「正室は子供を産む義務がなくなった事で今後は閨も共にせず、離縁は我が家との契約上できないため離れで暮らしたいと希望しております。私も彼女の意思を尊重しようと考えております。側室達は私の血が流れた子供の世話ができることを喜び、子供用品や子供部屋を4人で楽しそうに準備しております。正室は子供との触れ合いについては、まだ考えたいと申しておりましたので、子育て等は側室達が率先して関わっていくかと思われます」
「随分と奥様達の間で落差がありますね。理由があるのですか?」
「正室は…生家の事情で嫁いで来た女性でしたので、私の条件や状況を婚姻するまで知りませんでした。嫁いでから知った事でお互いに歩み寄れないまま35年経った結果でございます」
「ルイスは歩み寄る努力をしたという事ですか?」
「ええ、自分なりには。それを踏まえて、側室達は初めから説明をして納得した者を娶った次第でございます」
なるほど。私の知人に〈結婚してから騙し討ちのようなことされた〉という夫婦がいた。確かその夫婦は新婚時からかなり険悪なムードで3年ほどで離婚した気がする。離婚するまでも騒動はあったが、縁が切れたと聞いた時は友人としてもホッとしたものだ。
そう考えると、離縁も出来ず義務として夫婦関係を続けていた正室の心労はすごかっただろう。ルイスは5人の中で一番まともそうだと思ったが、逆に5人の中で一番他者に対して無関心な気がする。うーんと唸っているとルイスが話しかけてきた。
「子供のことを心配されているのですか?ご安心ください。マイカ様の血が流れた子供は神の子。大事に大事に…お育ていたします」
「そ、そんなに私は神聖な存在ではないですよ?ご飯を食べて笑って怒って泣いて、排泄だってします。人間と同じです。というか、人間です。ルイスと同じ生きた人間です」
「ええ。そうであっても、私からすると私達とは違う存在でございます。こう思う私を受け入れてはくださらない…と?」
ルイスは眉を八の字にして、悲しそうな顔で見つめてきた。無表情なタイプかと思っていたが、意外と表情豊かだ。
しかしながら、絆されてはいけない。私は人間であって神ではない。そのような存在だと思うことは自由だとしても、逸脱した思想は危険だ。ルイスには釘を刺して、意識改革をしてもらう必要がありそうである。ずっと悲しそうな顔をしたルイスに対して、真剣な顔をして話しかけた。
「ルイス。よく聞いてください。私は神と等しい存在だったとしても、神ではありません。貴方と同じ人間です。ですので、私を神格化しないでください。1人の女性として接してください。そして、私を通して神を見るのではなく、私個人を見てください。私達の子供も同様です。神の子ではなく、貴方の子です」
「し、しかし」
「でもも、だっても、しかしも聞きません。これは決定事項です。信仰することも、考えることも本来は自由です。しかし、私自身にも考えや意思があります。貴方はもっと他者に対して関心を寄せるべきです」
ぴしゃりと言い放つと、ルイスは呆然とした表情になった。拒否されたと感じたのかもしれない。少し言い過ぎただろうかと心配になりルイスに声をかけようとした瞬間にルイスが急に立ち上がった。私はびっくりして体を揺らし、目を見開いてルイスを見上げた。
「で、では。マイカ様は…マイカ様は…。私の……いや。私と…同じ。人間だと?私が触れてもいいと?こんな穢れた私が触っても穢されないのではなく、貴方も穢れると…そういう事でしょうか」
目が据わった表情で私を見下ろしてルイス言った。穢れや、穢されるという意味合いは理解できないが、同じ人間であるという点はその通りであると同意の意味を込めて小さく頷いた。それを見たルイスはツカツカと歩いてこちらに近寄り私の右腕を掴んだ。そしてグッと自分の手前に引き寄せると私を立ち上がらせた。
引っ張られるように立ち上がらせられた私は少しよろけたが、ルイスは腕を掴んでいない片方の手で腰辺りを支えた。まるでダンスをするために組み合わさった男女のようだ。
ルイスはアーサー殿下と同じぐらいの身長だ。見つめるのに少しだけ目線を上げると、熱がこもった紫の瞳をしたルイスと目があった。そしてこちらが驚いている間にルイスは私のむき出しになった肩に口づけを落とした。
「ああ、マイカ様が…私に…穢されて。ふふ、ふふふ。良いですね。綺麗なものを穢す事がこれほど…素晴らしいとは」
肩から顔を離して私を見つめるルイスは恍惚とした表情をしていた。
え!?何!?怖い!と思った瞬間、ルイスに腰辺りをグッと引き寄せられお互いの顔が近づき、頬と頬が触れ合いそうになった。そしてルイスは耳元で低い艶やかな声で囁いてきた。
「マイカ様がそう仰るならば、マイカ様自身に関心を向けさせていただきます。そして、肌と肌が触れ合っても私は貴方に嫌悪感を抱かないようです。神と同等の認識でなくても触れ合えました。これは貴方に関心があるからと言えませんか?」
話終わるとルイスはスッと体を離した。そして唖然としたまま固まった私をルイスが座っていたソファーへエスコートして導くと、一つのソファーでお互い向き合う様に座らされた。
紫の瞳には熱がこもったままだ。その熱がどんな感情からくるものなのかは、わからない。しかし、私の言葉でルイスの中の何かに火をつけたことは見て明らかだった。助けを求めるようのリチェ様にチラッと目線を向け、心で助けを叫ぶ。しかし聞こえてないのかリチェ様は無反応だ。またうたた寝という名の熟睡している。
救援はない。守護石は役に立ってない。恐怖から体が震える。どうしようどうしようと焦りながら、目線は合わせたままソファーの端に寄って後退した。ルイスは相変わらず私を獲物を見つけた獰猛な獣のように見つめている。そして私に手を伸ばしてきた。
襲われる!と思ったと同時に目を瞑ってしまった。しかし、すぐにルイスが「いたっ」っと声を上げた。何が起きたのだろうと恐る恐る目を開けると、私に伸ばしていた手を引っ込めて、ルイスは驚いた表情をしながらこちらを見つめていた。
何が起こったかわからない。しかし、襲われる危機から脱したのかもしれない。逃げ出すなら今のうちだ!と思った私はその場から逃げ出し、リチェ様が寝ているソファーの後ろまで走ってルイスから身を隠した。すると、ルイスは急にあははははっと愉快そうに笑い始めた。
「ああ。素晴らしい…。マイカ様はやはり聖なる存在。貴方を本当の意味では穢すことはできない。くくく。本日はこれにて下がらせていただきます。私自身も今このまま一緒にいるとマイカ様に何をするかわかりません。また後日会える日を楽しみにしております。それでは」
上機嫌な声でルイスは私に声をかけてソファーから立ち上がると軽やかな足取りで部屋から出て行った。
部屋からルイスの気配が消えたことに安心した私はソファーの背もたれにズルっともたれて崩れ落ちた。
怖かった。何かに護られなければ…あのままもしかしたら襲われていたかもしれない。安心してポロポロと涙をこぼしていると、部屋の中に誰かが入ってくる気配がした。ハッとして涙を拭くと体を守る様に身構えた。
「マイカ様?」
すると心配そうな声で呼びかけるマリアの声がした。マリアの声を聞いて安心した私は駆け寄る様に声がした方向に走り出し、現れたマリアに飛びついてぎゅうっと抱きしめた。
マリアからはとても安心する匂いがした。私よりも小柄で背が低いマリアを抱きしめていると、またポロポロと涙が溢れてきた。私が泣いている様子に気がついたマリアは一瞬驚いた様に体を揺らした後、しばらくそのまま抱き枕になってくれた。
「ニャー」
グスグスと泣いているとリチェ様の鳴き声が聞こえ、マリアから離れてリチェ様に勢いよく飛びついた。
「こんのぉぉぉ!!!また寝てた!!」
泣き怒りながらリチェ様の両耳を軽く引っ張った。リチェ様はやめてぇっと体をくねらせながら「ニャー」と鳴いて話しかけてきた。
『え?え?ルイスに何かされたました?』
「何かというか、押しちゃいけないもの押しちゃって…」
『あー…なるほど…。マイカさんの対応ミスですね!』
「それでも!リチェ様が寝てなかったら、もっと状況は良かった!!」
リチェ様の両脇に手を差し入れ抱き上げるよ、そのままリチェ様の体をブランブランっと左右に揺らした。
『わっわわ。それは、ごめんなさーい。謝るから謝るからぁ』
「謝って許されると思うな!」
リチェ様をブランブランの刑に処している様子を見ていたマリアは、離れても良いと判断したのかテキパキとテーブルの上を片付け始めた。
マリアがいてもリチェ様と声を出して話していることに気がつかないままリチェ様に文句を続けた。
『で、何があったんですか?』
「なんか、あの人…物凄く私のことを神格化した存在だと思っててさ。私は人間ですよー、貴方と同じですよーって伝えたら…」
『伝えたら?』
「貴方を穢しても良いのかって言ってきて」
『うんうん』
「穢すってことも、私のことを神としてではなく、潔癖ルイス的表現として人間として扱うって意味かと思ったら…」
『思ったら?』
「ガバッと…襲われそうに…」
『でも襲われなかったと』
同意の意味を込めて頷くと、リチェ様をソファーに下ろした。リチェ様は降ろされた場所でちょこんっと座ったため、その隣に座ってリチェ様を見つめた。リチェ様は何か考えてから話しかけてきた。
『襲われなかったのはなぜですか?』
「その瞬間、なんか怖くて咄嗟に目を瞑ったらルイスが痛がってて…」
『ああ。なるほどわかりましたよ!それはマイカさん自身の心に反応してルイスを守護石が弾いたからだと思います!』
「この使えない石が?」
『確かに好意には反応しません。しかし、マイカさん自身が身の危険を感じている場合は相手側が好意を持っていたとしても、害がある存在とみなしてマイカさんを護ろうとするんです』
「ええ、じゃあ今までは私が好意的だったっていうの!?」
『いえいえ。それはあくまでマイカさんが危険な時の判断基準です。マイカさん自身が好意を抱いていないとしても、避けたい相手であると思わなければ守護石は動きません。また、マイカさんが予期せぬ場合もそれに然りです。例えば驚いて転けたマイカさんをアーサーが咄嗟に手を出して体を支えたとします。そのような行動では守護石は相手を攻撃することはないのです。ただし悪意を持ってその行為をした場合は守護石がマイカさんを触らせない様何らかの形で助け、相手を攻撃します』
「う、うーん。つまり…私が嫌だと思ったら攻撃するってこと?」
『はい』
つまり、私が怖がって拒否をしたため守護石が何らかの形で攻撃し、ルイスは私に触るとこができなかった。と、いうことだろう。役立たずだと思っていた守護石はちゃんと仕事をしていたようだ。ひとまず、襲われてしまう可能性は薄いことがわかった私は安心して体から力が抜けた。その様子を見ていたリチェ様はさらに説明を続けた。
『さらに付け加えれば、守護石はあらゆる攻撃から身を守ってくれます。例えば異常状態!ご飯に毒がもられても、摂取した瞬間に守護石が毒を中和します。精神を操ろうとする魔法、例えば魅力とかですね。それにもかかりません。ちゃんと役には立ってるのです!』
リチェ様はえっへんと鼻を鳴らすと私の膝の上に乗ってきた。
『ですから…私が目を離しても安心して下さい!』
「いやいや、安心できないわよ!」
リチェ様の前足をペチンっと叩くとリチェ様はガックシと肩を落とした。
『そんなぁぁ。守護石は私より頼りになるはずですぅ』
「だって、守護石が判断できない状況の護りが薄いじゃない。そこを補うのがリチェ様でしょう!」
『えー』
「えー、じゃありません。ちゃんと仕事しない猫には昼も夜も明日の朝もご飯抜きです。ね!マリアもそう思うでしょう?」
「左様でございますね」
マリアはテーブルの上に新しく淹れ直したお茶を並べながら、表情を崩さず首を縦に振って同意した。それを見たリチェ様はマリアの側によって媚びる様にニャーニャー鳴いたが、マリアはそんなリチェ様を見て少し表情を崩しただけで意見を変えなかった。そんな2人のやりとりをみて、私はふふっと鼻を鳴らし笑った。
「マリアもこう言ってるし…うたた寝する事をやめるか、ご飯を食べないか…さー!どっちにする!?」
『う、うう。動物虐待ですよぉ』
「ふん。この五日間でちゃんと起きてたのは警戒してたダリオン様の時ぐらいだったわ。それ以外は寝てたじゃない」
『そんなことないですぅ。起きてましたぁぁぁあ!』
「言い訳言い訳。ふーんだ」
腕を組んでそっぽむくとリチェ様はピョンっとテーブルからソファーに飛び乗って私の体に頭を擦りつけ始めた。可愛いけど、ここで曖昧にしては今のままだ。心を鬼にしてそのまま無視してると、こちらに反応がない事で諦めたリチェ様はボソッと『ご飯食べたいです』と呟いた。その声を聞いて私はニンマリ笑って振り返ってリチェ様を見つめた。
「じゃ、明後日からお願いね?ちゃーんと起きてね。わかった?」
「ニャー」
マリアにも聞こえる様に同意の旨をリチェ様は鳴き声で返した。私はマリアに目配りすると、マリアは一つ頷いてからドアの近くに移動して控えるように立った。
「あれ?そういえばマリアはどうして中に入ってきたの?」
「神官長様より本日は急な予定が入ったため退室するとお聞きしたためでございます」
「そっか…」
返答をした後にマリアが用意してくれた温かなお茶で一息ついた。そしてお茶の表面に映る自分の顔を見つめながらルイスのことを考えた。
なぜあそこまで豹変したのだろうか…。5人の中で一番安全であると考えていた相手は狂気を隠し持っていた。ルイスがリーン神に傾倒している理由も、穢すとか穢されるという表現をする理由と同じなのだろうか。
考えても答えは見つからない。しかし、いつか必ずルイスの子を産む必要がある。彼は子供を腕に抱いた時、どう反応するのだろうか。私が滞在している間に様子を見るべきではないだろうか。と、いうことは…前半の順番の方がいいのがしれない。
うーんうーんっと唸って映った自分と睨めっこするが心はスッキリしない。
悶々としたまま昼食と夕食、寝る前のルーティンをすませた後にベッドに潜ってリチェ様に話しかけた。
「ねぇ、リチェ様。明日は今後の話し合いをしない?」
『いいですよ。現段階でどうするか話し合いましょうか』
リチェ様の返答を聞いた私は頷いてから目を瞑った。
すぐには寝れなかったが、リチェ様が私の額をペロッと舐めた後に急に眠気が来てぐっすり眠った。
今日のドレスは純白ではないが、純白に近い薄いクリーム色だった。胸元から肩まではレースで覆われ腕は出ている。レースも花模様で胸元が華やかだ。ちょっと、ウエディングドレスぽいなぁと思いながら支度を済ませて、白いレースのリボンをつけたリチェ様を抱いて姿鏡を見た。うーん、ちょっとばかり同化してない?と首を傾げるとマリアはまた無言で有無を言わさな視線を鏡越しにこちらに向けてきた。
はい。マリアには逆らいません。トホホっとやりきれない気持ちになったが、今日が終われば明日は自由日だ。久しぶりに1人の時間を満喫できる。少し気分が良くなった私は隣の部屋の扉を開けた。
ルイスはすでにソファーに座って待っていた。銀色の髪の毛が朝日でキラキラ光って、神々してくて目が眩しい。目線を少しそらしながら対面側のソファーに座ってリチェ様を隣にそっとおろした。
「おはようございます。マイカ様。聖獣様」
「おはようございます、ルイス。皆さんリチェ様と呼んでおりますので、貴方もそのように」
「ありがとうございます。では今後はリチェ様とお呼びいたします。それと、お久しぶりでございます。ここの生活には慣れましたでしょうか?」
「ええ。マリアがとっても有能で何不自由なく暮らせています」
「それはようございました。では、朝食の時間ですので移動いたしましょう」
そう言ってルイスは私のソファー側に近寄り手を差し出してきた。私はその手にそっと手を置いてエスコートされながら移動した。このエスコートされる事もずいぶん慣れた。しかもルイスはここに来て初めて会った相手だった事もあって、他の男性達よりは安心して手を委ねることができた。
朝食は2人とも黙々と食べて、一階の広間に移動した。ルイスは何も言わずに防音魔法をかけたようでソファーに座ったと同時にふわっと温かいものに包まれた。マリアはいつも通りお茶とベルを置いて部屋から出て行った。リチェ様は満腹になって更に眠気がきたのか、私の隣で大きな欠伸をした後に丸くなって寝たふりという名のうたた寝を始めた。その様子をルイスは見つめた後、私に目線を向けてきた。相変わらず無表情だ。
「リチェ様とマイカ様はお互いに会話ができるとアーサー殿下よりうかがっております。どのように意思疎通されているのですか?」
「心の中で会話をしています」
「なるほど。念話のようなものでございますね。ぜひ、私も神より遣わされたリチェ様とお話ししてみたいものでございます」
「話はできなくても、触ったり撫でたりするとこはリチェ様が許可すればできますよ」
「…さようでございますか…。気に入っていただけるように精進いたします」
ルイスは何かを決心したように頷いた。かなり動物好きなのだろうか。リチェ様のことだ、美味しいものを貰ったり、着飾ってもらえたら許可しそうな気がする。チラッとリチェ様を見ると『マイカさんが信用信頼した相手なら触ってもいいです』と返答が返ってきた。
なるほど。リチェ様の判断基準は私に害があるかないか、また私が好意的かという部分が一番の判断基準のようだ。この事はルイスにも他の男性達にも伝えない方が良いだろう。そう思った私はカップを手に取りお茶を飲んで話題を変えるために口を開いた。
「そういえば、他の方々の時から感じていたのですが。皆様、私と過ごした時間のことを共有していらっしゃるようですね」
「ええ。アーサー殿下より提案で、その日過ごした際に得られた情報を共有することになりました」
「なるほど…」
「個々それぞれが皆で共有しなければならないと感じた情報だけでございますので、全ての会話などが筒抜けではございません。その点はご安心ください」
「そう…ですか。それは少しだけ安心しました」
「セザール様はただ、マイカ様は素晴らしい女性だと絶賛するだけでございました」
あの、下ネタ変態脳筋男は伝達事項も脳筋だったようだ。少し呆れながら、流石にほぼ下ネタ会話をしてましたなんて報告しなかっただけ褒めてやるべきだろう。ふっと笑ってカップをソーサーに戻した。ルイスは少しだけ真剣な顔で話しかけてきた。
「皆様と過ごされて、現段階ではどのようにお考えですか?」
「そうですね。現段階ではまだ具体的には決めておりません。ただ、子供を強く望んでいるかどうかも判断基準にしたいとは思っております。生まれてから大切に育てていただきたいからです」
「さようで…ございますね。子供とは大事に育て慈しむものでございます。マイカ様の考えはもっともでございます」
一瞬、瞳が暗い色に染まったがすぐにいつも通りに戻ったルイスはこちらの意見に同意するように頷いた。ルイスも何か抱えているものがありそうだ。しかし、まだそこまで親しくない。あまり踏み込まないようにしようと決めた。
「では、皆さんと初めは同じように形式的にお話しすればよろしいでしょうか」
「ええ、では年齢と家族構成を教えて下さい。お仕事は知ってますので」
「年齢は53でございます。妻は正室1人側室4人でございます」
「意外に奥様方の人数が多いのですね」
「ええ、正室は父が決めた相手です。しかし、その他の妻達は私と結婚したいとと希望してきた人々の中から、こちらが提示した条件でもいいと納得した女性達が嫁いでおります」
あまり踏み込まないようにしようと決意した矢先。ルイスは聞かねば気になる事をサラリと言い放った。流してしまうこともできるが、子供に何か悪影響があってはいけない。聞くべきか、聞かない方がいいのかと迷いながらも私はルイスに話しかけた。
「そ、その条件…とは?」
「お恥ずかしいのですが。私は女性が苦手なのです。いえ、女性というよりも自分以外の他者が苦手なのです。そのため手袋をしなければ人に触れる事もできず、人が触った物も触ることができないため、私は朝起きて寝るまで基本的に手袋をつけて生活しております。条件とは簡単に言えばそれに関する事でございます」
この世界の男性達は基本的に手袋をつけて私と接していた。そういうものだろうと気にしてなかった。しかし、ルイスは礼儀や正装、服装などといった観点ではなく…潔癖な性質から手袋をつけているようだ。
ふと、ルイスの手元を見ると、現在は素手である。そのことに気がつた私はルイスに質問した。
「今、手袋はしてない様子ですが…」
その質問を聞いたルイスは、私の顔を見つめて少しだけ表情を緩ませ微笑んだ。
「はい。マイカ様は神と同等。つまり神聖な存在でございます。穢れなき存在。尊き存在。マイカ様は私が触れても私を穢さない存在でございます。なので…今日は手袋を外してみようと思い、こうして外しております。外してもいつも感じる嫌悪感や忌避感、外したことでの不安感などもありません。さすがでございますね」
ルイスは神をかなり神聖な存在だと認識している聖職者のようだ。これは、ある意味…宗教家としては狂信者の部類に入るのでは?とリチェ様に目線を向ける。その視線に気がついたリチェ様は少しだけ目を開けた。
『ルイスはずっとリーン神を信じて、一人で祈祷してました。今いる神官の中で一番信仰心がありますよ。仕事熱心というべきか…とってもうるさいサイレン鳴らしたのもルイスです』
『ねぇ、仕事熱心というか…狂信的じゃない!?大丈夫?!』
『大丈夫ですよー。そもそも人というものは信仰を生きる目的のヨスガにする人もいるじゃないですか』
『うっうう…そうかもだけど』
リチェ様からの返答を聞いて、グッと言葉を詰まらせた私は目線をルイスに向けた。ルイスは私とリチェ様が会話していることを察してか、何も言わずに微笑んだまま佇んでいた。彼は私とリチェ様の会話風景も神聖なものに見えているのかもしれない。
「そう、ですか…。私に素手で触れても大丈夫ということですね」
「ええ。しかしご安心ください。私のような穢れた存在が軽々しくマイカ様やリチェ様に触れてはいけません。然るべき時以外は触れることはございませんのでご安心ください」
それを聞いて安心していいものか、判断はつかない。しかし、線引きをして接してくるのとは理解できた。気を取り直して、夫婦関係などを聞いてみようと話しかけた。
「では、話を戻しますが。奥様方との関係はどうでしょうか?」
「正室とは事務的に会話をする程度でございます。閨も一ヶ月に一回ぐらいでしょうか。側室達とは基本的に閨を共にすることが多いため、会話は多いような気がします。事が済めば自室で眠りますので、朝まで共にいたことはございませんが…」
正室とはドライな関係なようだ。正反対に側室達はルイスを慕っているのだろう。そしてルイスも彼女達の要求に応える誠実さは持ち合わせているようだ。なかなかここの夫婦関係も複雑そうだなと考えながら私は質問を続けた。
「子供が生まれる事について奥様方はどのように話されてますか?」
「正室は子供を産む義務がなくなった事で今後は閨も共にせず、離縁は我が家との契約上できないため離れで暮らしたいと希望しております。私も彼女の意思を尊重しようと考えております。側室達は私の血が流れた子供の世話ができることを喜び、子供用品や子供部屋を4人で楽しそうに準備しております。正室は子供との触れ合いについては、まだ考えたいと申しておりましたので、子育て等は側室達が率先して関わっていくかと思われます」
「随分と奥様達の間で落差がありますね。理由があるのですか?」
「正室は…生家の事情で嫁いで来た女性でしたので、私の条件や状況を婚姻するまで知りませんでした。嫁いでから知った事でお互いに歩み寄れないまま35年経った結果でございます」
「ルイスは歩み寄る努力をしたという事ですか?」
「ええ、自分なりには。それを踏まえて、側室達は初めから説明をして納得した者を娶った次第でございます」
なるほど。私の知人に〈結婚してから騙し討ちのようなことされた〉という夫婦がいた。確かその夫婦は新婚時からかなり険悪なムードで3年ほどで離婚した気がする。離婚するまでも騒動はあったが、縁が切れたと聞いた時は友人としてもホッとしたものだ。
そう考えると、離縁も出来ず義務として夫婦関係を続けていた正室の心労はすごかっただろう。ルイスは5人の中で一番まともそうだと思ったが、逆に5人の中で一番他者に対して無関心な気がする。うーんと唸っているとルイスが話しかけてきた。
「子供のことを心配されているのですか?ご安心ください。マイカ様の血が流れた子供は神の子。大事に大事に…お育ていたします」
「そ、そんなに私は神聖な存在ではないですよ?ご飯を食べて笑って怒って泣いて、排泄だってします。人間と同じです。というか、人間です。ルイスと同じ生きた人間です」
「ええ。そうであっても、私からすると私達とは違う存在でございます。こう思う私を受け入れてはくださらない…と?」
ルイスは眉を八の字にして、悲しそうな顔で見つめてきた。無表情なタイプかと思っていたが、意外と表情豊かだ。
しかしながら、絆されてはいけない。私は人間であって神ではない。そのような存在だと思うことは自由だとしても、逸脱した思想は危険だ。ルイスには釘を刺して、意識改革をしてもらう必要がありそうである。ずっと悲しそうな顔をしたルイスに対して、真剣な顔をして話しかけた。
「ルイス。よく聞いてください。私は神と等しい存在だったとしても、神ではありません。貴方と同じ人間です。ですので、私を神格化しないでください。1人の女性として接してください。そして、私を通して神を見るのではなく、私個人を見てください。私達の子供も同様です。神の子ではなく、貴方の子です」
「し、しかし」
「でもも、だっても、しかしも聞きません。これは決定事項です。信仰することも、考えることも本来は自由です。しかし、私自身にも考えや意思があります。貴方はもっと他者に対して関心を寄せるべきです」
ぴしゃりと言い放つと、ルイスは呆然とした表情になった。拒否されたと感じたのかもしれない。少し言い過ぎただろうかと心配になりルイスに声をかけようとした瞬間にルイスが急に立ち上がった。私はびっくりして体を揺らし、目を見開いてルイスを見上げた。
「で、では。マイカ様は…マイカ様は…。私の……いや。私と…同じ。人間だと?私が触れてもいいと?こんな穢れた私が触っても穢されないのではなく、貴方も穢れると…そういう事でしょうか」
目が据わった表情で私を見下ろしてルイス言った。穢れや、穢されるという意味合いは理解できないが、同じ人間であるという点はその通りであると同意の意味を込めて小さく頷いた。それを見たルイスはツカツカと歩いてこちらに近寄り私の右腕を掴んだ。そしてグッと自分の手前に引き寄せると私を立ち上がらせた。
引っ張られるように立ち上がらせられた私は少しよろけたが、ルイスは腕を掴んでいない片方の手で腰辺りを支えた。まるでダンスをするために組み合わさった男女のようだ。
ルイスはアーサー殿下と同じぐらいの身長だ。見つめるのに少しだけ目線を上げると、熱がこもった紫の瞳をしたルイスと目があった。そしてこちらが驚いている間にルイスは私のむき出しになった肩に口づけを落とした。
「ああ、マイカ様が…私に…穢されて。ふふ、ふふふ。良いですね。綺麗なものを穢す事がこれほど…素晴らしいとは」
肩から顔を離して私を見つめるルイスは恍惚とした表情をしていた。
え!?何!?怖い!と思った瞬間、ルイスに腰辺りをグッと引き寄せられお互いの顔が近づき、頬と頬が触れ合いそうになった。そしてルイスは耳元で低い艶やかな声で囁いてきた。
「マイカ様がそう仰るならば、マイカ様自身に関心を向けさせていただきます。そして、肌と肌が触れ合っても私は貴方に嫌悪感を抱かないようです。神と同等の認識でなくても触れ合えました。これは貴方に関心があるからと言えませんか?」
話終わるとルイスはスッと体を離した。そして唖然としたまま固まった私をルイスが座っていたソファーへエスコートして導くと、一つのソファーでお互い向き合う様に座らされた。
紫の瞳には熱がこもったままだ。その熱がどんな感情からくるものなのかは、わからない。しかし、私の言葉でルイスの中の何かに火をつけたことは見て明らかだった。助けを求めるようのリチェ様にチラッと目線を向け、心で助けを叫ぶ。しかし聞こえてないのかリチェ様は無反応だ。またうたた寝という名の熟睡している。
救援はない。守護石は役に立ってない。恐怖から体が震える。どうしようどうしようと焦りながら、目線は合わせたままソファーの端に寄って後退した。ルイスは相変わらず私を獲物を見つけた獰猛な獣のように見つめている。そして私に手を伸ばしてきた。
襲われる!と思ったと同時に目を瞑ってしまった。しかし、すぐにルイスが「いたっ」っと声を上げた。何が起きたのだろうと恐る恐る目を開けると、私に伸ばしていた手を引っ込めて、ルイスは驚いた表情をしながらこちらを見つめていた。
何が起こったかわからない。しかし、襲われる危機から脱したのかもしれない。逃げ出すなら今のうちだ!と思った私はその場から逃げ出し、リチェ様が寝ているソファーの後ろまで走ってルイスから身を隠した。すると、ルイスは急にあははははっと愉快そうに笑い始めた。
「ああ。素晴らしい…。マイカ様はやはり聖なる存在。貴方を本当の意味では穢すことはできない。くくく。本日はこれにて下がらせていただきます。私自身も今このまま一緒にいるとマイカ様に何をするかわかりません。また後日会える日を楽しみにしております。それでは」
上機嫌な声でルイスは私に声をかけてソファーから立ち上がると軽やかな足取りで部屋から出て行った。
部屋からルイスの気配が消えたことに安心した私はソファーの背もたれにズルっともたれて崩れ落ちた。
怖かった。何かに護られなければ…あのままもしかしたら襲われていたかもしれない。安心してポロポロと涙をこぼしていると、部屋の中に誰かが入ってくる気配がした。ハッとして涙を拭くと体を守る様に身構えた。
「マイカ様?」
すると心配そうな声で呼びかけるマリアの声がした。マリアの声を聞いて安心した私は駆け寄る様に声がした方向に走り出し、現れたマリアに飛びついてぎゅうっと抱きしめた。
マリアからはとても安心する匂いがした。私よりも小柄で背が低いマリアを抱きしめていると、またポロポロと涙が溢れてきた。私が泣いている様子に気がついたマリアは一瞬驚いた様に体を揺らした後、しばらくそのまま抱き枕になってくれた。
「ニャー」
グスグスと泣いているとリチェ様の鳴き声が聞こえ、マリアから離れてリチェ様に勢いよく飛びついた。
「こんのぉぉぉ!!!また寝てた!!」
泣き怒りながらリチェ様の両耳を軽く引っ張った。リチェ様はやめてぇっと体をくねらせながら「ニャー」と鳴いて話しかけてきた。
『え?え?ルイスに何かされたました?』
「何かというか、押しちゃいけないもの押しちゃって…」
『あー…なるほど…。マイカさんの対応ミスですね!』
「それでも!リチェ様が寝てなかったら、もっと状況は良かった!!」
リチェ様の両脇に手を差し入れ抱き上げるよ、そのままリチェ様の体をブランブランっと左右に揺らした。
『わっわわ。それは、ごめんなさーい。謝るから謝るからぁ』
「謝って許されると思うな!」
リチェ様をブランブランの刑に処している様子を見ていたマリアは、離れても良いと判断したのかテキパキとテーブルの上を片付け始めた。
マリアがいてもリチェ様と声を出して話していることに気がつかないままリチェ様に文句を続けた。
『で、何があったんですか?』
「なんか、あの人…物凄く私のことを神格化した存在だと思っててさ。私は人間ですよー、貴方と同じですよーって伝えたら…」
『伝えたら?』
「貴方を穢しても良いのかって言ってきて」
『うんうん』
「穢すってことも、私のことを神としてではなく、潔癖ルイス的表現として人間として扱うって意味かと思ったら…」
『思ったら?』
「ガバッと…襲われそうに…」
『でも襲われなかったと』
同意の意味を込めて頷くと、リチェ様をソファーに下ろした。リチェ様は降ろされた場所でちょこんっと座ったため、その隣に座ってリチェ様を見つめた。リチェ様は何か考えてから話しかけてきた。
『襲われなかったのはなぜですか?』
「その瞬間、なんか怖くて咄嗟に目を瞑ったらルイスが痛がってて…」
『ああ。なるほどわかりましたよ!それはマイカさん自身の心に反応してルイスを守護石が弾いたからだと思います!』
「この使えない石が?」
『確かに好意には反応しません。しかし、マイカさん自身が身の危険を感じている場合は相手側が好意を持っていたとしても、害がある存在とみなしてマイカさんを護ろうとするんです』
「ええ、じゃあ今までは私が好意的だったっていうの!?」
『いえいえ。それはあくまでマイカさんが危険な時の判断基準です。マイカさん自身が好意を抱いていないとしても、避けたい相手であると思わなければ守護石は動きません。また、マイカさんが予期せぬ場合もそれに然りです。例えば驚いて転けたマイカさんをアーサーが咄嗟に手を出して体を支えたとします。そのような行動では守護石は相手を攻撃することはないのです。ただし悪意を持ってその行為をした場合は守護石がマイカさんを触らせない様何らかの形で助け、相手を攻撃します』
「う、うーん。つまり…私が嫌だと思ったら攻撃するってこと?」
『はい』
つまり、私が怖がって拒否をしたため守護石が何らかの形で攻撃し、ルイスは私に触るとこができなかった。と、いうことだろう。役立たずだと思っていた守護石はちゃんと仕事をしていたようだ。ひとまず、襲われてしまう可能性は薄いことがわかった私は安心して体から力が抜けた。その様子を見ていたリチェ様はさらに説明を続けた。
『さらに付け加えれば、守護石はあらゆる攻撃から身を守ってくれます。例えば異常状態!ご飯に毒がもられても、摂取した瞬間に守護石が毒を中和します。精神を操ろうとする魔法、例えば魅力とかですね。それにもかかりません。ちゃんと役には立ってるのです!』
リチェ様はえっへんと鼻を鳴らすと私の膝の上に乗ってきた。
『ですから…私が目を離しても安心して下さい!』
「いやいや、安心できないわよ!」
リチェ様の前足をペチンっと叩くとリチェ様はガックシと肩を落とした。
『そんなぁぁ。守護石は私より頼りになるはずですぅ』
「だって、守護石が判断できない状況の護りが薄いじゃない。そこを補うのがリチェ様でしょう!」
『えー』
「えー、じゃありません。ちゃんと仕事しない猫には昼も夜も明日の朝もご飯抜きです。ね!マリアもそう思うでしょう?」
「左様でございますね」
マリアはテーブルの上に新しく淹れ直したお茶を並べながら、表情を崩さず首を縦に振って同意した。それを見たリチェ様はマリアの側によって媚びる様にニャーニャー鳴いたが、マリアはそんなリチェ様を見て少し表情を崩しただけで意見を変えなかった。そんな2人のやりとりをみて、私はふふっと鼻を鳴らし笑った。
「マリアもこう言ってるし…うたた寝する事をやめるか、ご飯を食べないか…さー!どっちにする!?」
『う、うう。動物虐待ですよぉ』
「ふん。この五日間でちゃんと起きてたのは警戒してたダリオン様の時ぐらいだったわ。それ以外は寝てたじゃない」
『そんなことないですぅ。起きてましたぁぁぁあ!』
「言い訳言い訳。ふーんだ」
腕を組んでそっぽむくとリチェ様はピョンっとテーブルからソファーに飛び乗って私の体に頭を擦りつけ始めた。可愛いけど、ここで曖昧にしては今のままだ。心を鬼にしてそのまま無視してると、こちらに反応がない事で諦めたリチェ様はボソッと『ご飯食べたいです』と呟いた。その声を聞いて私はニンマリ笑って振り返ってリチェ様を見つめた。
「じゃ、明後日からお願いね?ちゃーんと起きてね。わかった?」
「ニャー」
マリアにも聞こえる様に同意の旨をリチェ様は鳴き声で返した。私はマリアに目配りすると、マリアは一つ頷いてからドアの近くに移動して控えるように立った。
「あれ?そういえばマリアはどうして中に入ってきたの?」
「神官長様より本日は急な予定が入ったため退室するとお聞きしたためでございます」
「そっか…」
返答をした後にマリアが用意してくれた温かなお茶で一息ついた。そしてお茶の表面に映る自分の顔を見つめながらルイスのことを考えた。
なぜあそこまで豹変したのだろうか…。5人の中で一番安全であると考えていた相手は狂気を隠し持っていた。ルイスがリーン神に傾倒している理由も、穢すとか穢されるという表現をする理由と同じなのだろうか。
考えても答えは見つからない。しかし、いつか必ずルイスの子を産む必要がある。彼は子供を腕に抱いた時、どう反応するのだろうか。私が滞在している間に様子を見るべきではないだろうか。と、いうことは…前半の順番の方がいいのがしれない。
うーんうーんっと唸って映った自分と睨めっこするが心はスッキリしない。
悶々としたまま昼食と夕食、寝る前のルーティンをすませた後にベッドに潜ってリチェ様に話しかけた。
「ねぇ、リチェ様。明日は今後の話し合いをしない?」
『いいですよ。現段階でどうするか話し合いましょうか』
リチェ様の返答を聞いた私は頷いてから目を瞑った。
すぐには寝れなかったが、リチェ様が私の額をペロッと舐めた後に急に眠気が来てぐっすり眠った。
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