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君と1〜9

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 病院から連れ帰ってもらい、すぐに風呂場に連れ込まれて体を猫用シャンプーで体を洗ってもらった僕に亜弥ちゃんは唐突に告げた。

「猫ちゃん。君の名前は一郎です」

「に、にゃあ(い、いちろう…)」

 僕たちは二人で住むはずだったペット可2LDKの部屋にいた。そう、【僕】の体が無事だったならば明日入籍して二人住むはずだった部屋にだ。

 いや、実際にはすでに二人で住んでいたので【僕】の家ではある。だが結婚を機にやっと人生が交わって共に生きていくと言う意味では明日からがスタートだった。

 猫を飼うことも決まっていたし、入籍後に二人でペットショップに行く予定もあった。事前にキャッタワーやトイレ、餌、ブラシ、シャンプー等。猫を飼うために必要な道具は全て揃っていた。

 だからすぐに僕を洗うことができたし、僕を飼うと言っても家族は反対しなかったのだ。

「一郎」

(亜弥ちゃんって名付けのセンスない)

 呼ばれたので近寄れば亜弥ちゃんに抱き上げられた。ドライヤーで乾かされた毛皮は【僕】の血液も泥も綺麗さっぱり無くなってふわふわだ。

 僕を持ったまま亜弥ちゃんはテレビの前のソファーに移動するとドスっと音を立てて座った。

 そして僕の体に顔をくっつけると、小さく肩を震わせ始めた。僕の体がしっとりと濡れてくる。彼女は小さく嗚咽を漏らし始めた。

「うっううう。逝くなら…明後日にしてよ、バカハゲおたんこなす新太!!!!!」

 亜弥ちゃんはそれだけ言うと声を殺して泣きはじめた。僕は抱きしめたかったし、側にいるよと伝えたかったが今の体では何もできない。だからされるがまま、その場から逃げずに亜弥ちゃんの涙拭きタオルになり続けることにした。

 しばらくすると亜弥ちゃんはグズグズズビズビ音を立てながら僕を手放し、フラフラしながら浴室へと消えていった。

 僕はただその背中を見送ってから、この体の本能なのか毛並みが気になって仕方なくなったため猫生初の毛繕いをした。

 亜弥ちゃんは入浴していたようで、しばらくするとしっとりと濡れた髪のまま僕がいるリビングへ戻ってきた。

「一郎、寝るよ」

「にゃぁ(髪の毛乾かしなよ)」

「何?その目は。髪の毛が濡れてるし、その滴が毛皮につくからやめろ?ってこと?じゃあ、ちょっと付き合って」

 僕がジトーってした目で見つめている理由をなんとなく察した亜弥ちゃんは、僕を連れて洗面所までやってきた。そして僕を床に下ろすと髪の毛をドライヤーで乾かしはじめた。

「一郎、いる?」

 ブォーっと音を立てながら亜弥ちゃんは下に目線を向けてくる。僕はいるよと返事をするために亜弥ちゃんの足に頭を擦り付けた。

「一緒にいてね」

 僕の様子を確認した亜弥ちゃんは少しホッとした顔になると、また髪の毛を乾かし始めた。

 入浴する時に側から離れたはずなのに、髪を乾かす時は離れたくないという様子を不思議に思いながらも僕は安心させたいがために亜弥ちゃんの足に頭を擦り続けた。
 


 こうして、僕と亜弥ちゃんとの生活が始まった。


 そして、すぐに第一幕を閉じた。




 亜弥ちゃんは猫を飼うのは初めてだったわけで…

 僕も猫生が初めてだったわけで…

 
 猫にとって危険なものとは何か!を理解していなかった。




 一郎であった僕は亜弥ちゃんと暮らして1ヶ月目に、ローテーブルの上にあった亜耶ちゃんの夕食。玉ねぎたーっぷりのハンバーグを食べてしまった。だってほら、【僕】の大好物だったから…。

 亜弥ちゃんも「こら!」とは言ったけど、美味しそうに食べてる僕を眺めて幸せそうだった。そして食べてしばらくしたら、僕はゲーゲー吐いてパタリと倒れた。

 朦朧とする意識の中、亜弥ちゃんが泣き叫びながら診てくれる動物病院を探してる声が聞こえ僕の意識は無くなった。


 次に目を覚ましたら、知らない草むらの中だった。ハッとしたのも束の間、僕の頭の中では「亜弥ちゃんが心配してる!」そのことだけだった。

 闇雲に走って、でも何かに導かれるように走って走って走って。気がついたらよく見たことがある建物にたどり着いていた。

 外はもう真っ暗だし、走るには足が痛いしで僕は建物の入り口の前でばたりと倒れた。

 次に気がついた時はあったかい何かに包まれており、目を開ければ目の前に涙を溜めた亜弥ちゃんが見えた。

「にゃ…ぁ…(亜弥ちゃん)」

「ああ、起きたのね。よかった…。ご飯食べられる?子猫ちゃん。一郎が食べてたカリカリはまだ食べられないよね…。あ!液体のおやつならいけるかな」

「にゃぁ……?(一郎は僕の名前でしょう?)」

 重たい瞼を一生懸命開けながら亜弥ちゃんを見つめると、彼女は涙目で優しく微笑んでくれた。そして、目の前から一旦いなくなって何かを手に取って帰ってくると人差し指に美味しそうな匂いがするものをつけて差し出してきた。

「ほら、食べな。病院の先生からは栄養失調と疲労って言われてるし何か食べないと疲れも取れないよ。見つけてから丸一日寝てたし…」

(栄養失調?そうか…だからこんなに体が重いのか…)

 自分の体が重たい理由を理解した僕は人差し指についた液体をぺろりと舐めた。口に広がる味は以前食べた懐かしい味で僕は夢中になって舐め始めた。

「あは、あはは!くすぐった。はいはい、わかったわかった。まだまだあるからね」

 ベロンベロンと名残惜しそうに指を舐めれば亜弥ちゃんは楽しそうに笑った。そして美味しいものを僕にまた差し出し、僕はまた夢中になって食べた。

「ふふ。可愛い。無知で一郎を殺してしまった私に君を飼う資格はないだろうけど…。なんだか君を見てるとどうしても一緒にいたくなっちゃう。ねぇ、一緒に住まない?」

 もちろんだよ!という気持ちを込めて僕は顔を上げると、亜弥ちゃんを見つめ2回ゆっくり瞬きをした。

 それを見た亜弥ちゃんは大きく目を見開くと、涙を溜めながら嬉しそうに笑った。

「君は次郎ね。次郎、たくさん食べて元気におなり。君の虎柄模様とても素敵ね」

 亜弥ちゃんは僕の頭を撫でると優しい声で新しい名前をくれた。

 だけど今回の体はどうも弱くて、僕は亜弥ちゃんの必死の看病も虚しく名前をもらって1週間後に意識がなくなってしまった。



 それから目を覚ますたびに亜弥ちゃんの元へと向かった。

 なぜかいつも亜弥ちゃんがいる場所がわかった。

 3回目は三郎。毛皮はまた茶トラ。意識がはっきりした時にはすでに体がある程度大きかった。一郎や次郎に比べて丈夫だったけど、その分いつもはしゃぎまくっていた。医者には推定1歳と言われていた三郎はとてもヤンチャだった(自分でも振り返ってそう思うほどに…)

 それがまた悪かったのか…。亜弥ちゃんがとある真っ黒い虫を退治するために置いた黒い物体で遊んでいて、その中身が飛び出た拍子にソレをゴクッと飲んでしまった。悲しいかな、亜弥ちゃんと暮らして5年で幕を閉じた。

 4回目は四郎。毛皮は白黒。意識がはっきりした時には三郎と同じように体が大きかった。猫として生きてきた時間も長かったようで、雌猫の上に乗っかってるタイミングで記憶を取り戻した。そして慌てて亜弥ちゃんの元へ駆けつけ無事に潜入。推定3歳と医者に言われた四郎は亜弥ちゃんと一緒にいられたのがその後3年間。つまり6年で生を閉じた。

 5回目が五郎(サバトラ)、6回目が六郎(白)、7回目が七郎(キジトラ)、8回目が八郎(ミケ)。亜弥ちゃんの元へ駆けつけるタイミングはバラバラだったが、結局それぞれ6年未満しか生きられなかった。


 その間に亜弥ちゃんは転職や引っ越し。もちろん【僕】の法事やお墓参り。【僕】の家族との交流や友人達との交流などをしていた。



 彼女はずっと独身だった。


 正直記憶が戻るまでの間はわからないが、僕が駆けつけた時には男の気配なんてものはなかった。


 
 そして9回目が九郎(黒)。

 そう今の僕だ。

 九郎になった僕は子猫の時から意識を取り戻し、すぐに亜弥ちゃんのところへ駆けつけた。その頃にはもう亜弥ちゃんは70代で仕事も辞めて年金暮らしだった。

 草が生え花が咲く庭がある一階のアパートに移り住んでいた亜弥ちゃんのほんのすぐ近くで生まれたのはとても幸いだった。しかもすぐに記憶も戻った。

 びっくりしてる亜弥ちゃんを尻目に僕は部屋に上がりこんだ。我が物顔で座布団の上で座って2回ゆっくり瞬きをすれば、亜弥ちゃんは嬉しそうに笑って僕を歓迎してくれた。

 そう。亜弥ちゃんがすぐに僕を招き入れてくれるのもこの合図をすればこそだった。なぜこの合図をすると驚くのか。一郎の頃からわからないが、僕がきた合図になっていることは理解できていたから僕はいつもこの合図を送った。

 亜弥ちゃんはずっと家にいて楽しそうに編み物をしたり、本を読んだり。時々友人が遊びに来て昔話に花を咲かせたりと穏やかに生活をしていた。

 僕はその隣で一郎から八郎までで学んだあれやこれやの危険な行為をやらないように慎重に過ごし、やっと魔の6年を過ぎて7歳になった。

 7歳の誕生日(再会日)に亜弥ちゃんとお祝いをして、沢山の茹でたてささみを食べた日はとても印象的だ。

 それさら8歳になり、9歳になり、10歳になった頃。亜弥ちゃんが倒れた。

 その日は亜弥ちゃんの友人が家に来て話をしている最中だったからまだよかった。

 たくさんの血を吐いて倒れた亜弥ちゃんを見て僕は目の前が真っ暗になった。いろんな人の声がする中、僕たちの部屋から亜弥ちゃんがいなくなった。

 寂しくて寂しくてずっと泣いた。なぜならいつも僕は待たせてばかりで、待ったことがなかったからだ。

 待つことがこんなに長いなんて知らなかった僕は亜弥ちゃんの友人たちが代わる代わる来て僕のために餌を用意したり、水を変えたりしてくれても何もできなくなっていた。ただ亜弥ちゃんの匂いがするベッドの上で丸くなっていた。

 そんな日を繰り返して3日目。お世話に来てくれた友人から「今は検査入院。手術をするかはわからないけど君が元気じゃないと、亜弥さんが泣くよ?」と言われた事で僕はやっとご飯を食べる気力を捻り出した。

 僕はずっと待った。亜弥ちゃんが帰ってくるのを。

 ずっとずっと待って、もうどれぐらい待ったかわからなくなった頃にやっと亜弥ちゃんが帰ってきた。

「九郎…ただいま。ちょっと痩せた?もうアンタもいい年なんだからご飯はちゃんと食べなさい」

「にゃぁ!にゃぁ!(おかえり!おかえり!)」

「うふふ。もう、はしゃいじゃって」

 帰ってきた亜弥ちゃんもげっそりと痩せていた。僕を抱き上げる腕が細いように感じながらも僕は会えた喜びを全身で表現した。

 それから亜弥ちゃんは家にいることになった。ただ前と違うのはあまり体を動かせなくなっていたことだ。

 基本ベッドの上で寝ており、時々苦しそうに息をする。何かに耐えるような顔になりつつ、時折ベッドサイドにある薬箱から薬を飲んでいた。

 日常的に服用する薬がたくさんたくさんあって、亜弥ちゃんは毎日毎日浴びるように薬を飲んでいた。

 見舞いにくる友人や亜弥ちゃんの家族や親戚の話をかいつまんで聞くと、亜弥ちゃんは病院に入院するべきだったようだ。だが、本人の意思で在宅ケアを選択し帰ってきたらしい。

 僕のためとは一言も言われなかったけど、きっと僕のためだったに違いない。

 だから僕は少しでも亜弥ちゃんが元気になるようにと、悪さはしないけど元気な姿を見せ続けた。

 通いのヘルパーさんにおもちゃで遊んでもらえば、様子を見てる亜弥ちゃんが笑ってくれるから全力で遊んだ。

 友人たちが見舞いにくれば、世話をしてもらえたお礼も兼ねて毎回皆の足に一度は頭を擦り付けた。その様子を診て亜弥ちゃんはいつも「ありがとう」と友人たちに声をかけていた。

 とにかく、亜弥ちゃんが笑顔でいられるよう僕なりにできることをやり続けた。

 でも、それも僕が11歳になる頃までだった。





 僕は息苦しさを感じながらもゆっくり目を開けた。隣で眠っている亜弥ちゃんの体は徐々に冷たくなっている。

「にゃぁ…(僕も愛してるよ)」

 僕はペロリと亜弥ちゃんの頬を舐めると、重い頭を上げて亜耶ちゃんの向こう側を見つめた。

 そこには【僕】と亜弥ちゃんが楽しそうに写る写真があった。

 亜弥ちゃんはずっとその写真を大事にしていた。

 時には財布の中に。

 時には手帳の中に。

 時には写真たての中に。

 亜弥ちゃんは何枚も写真を現像し、そして肌身離さず持ち歩いていた。ボロボロになったら取り替えて。でもボロボロになったものも大事に保管して。

 今見える写真は焼き増しした写真の最後の一枚だ。色褪せてしまった部分もあるけど、それでも二人が笑顔でいるのは変わらなかった。

 その隣の写真たてには一郎から八郎までの写真。コレも色褪せたものもあるけども、亜弥ちゃんはずっと大切にしてきたものだ。

(あの写真の中には加われないけど…。次があったらまた亜弥ちゃんと一緒にいたい)

 僕はそんな思いを秘めながらスッと意識を手放した。最後に聞いたのはドサっと僕が倒れる音。そして最後に感じたのは倒れた先にあった亜弥ちゃんの髪の毛の感触と優しい匂いだった。
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