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手を出したら負け

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 家が整ったことで、やっと落ち着いた生活ができるようになった。

 日曜日は子供達は宿題をしたり、新しく届いたテレビを設置してからは兄弟仲良くゲームを始めた。

 私は自分の部屋を掃除して整えたり、仕事を始めてから毎日できないお風呂の掃除を念入りに行った。部屋の掃除をしていると、ゲームをしながら翔が話しかけてきた。

「トイレとお風呂掃除ぐらいは俺たちできるから、後で教えてよ」

「うん、俺やるよー」

「……ありがとう!」

 子供達の提案はとても嬉しかった。きりが良いところで2人は手を止めて私からお風呂やトイレの掃除道具の場所、掃除の仕方を習った。2人はジャンケンして週替わりでトイレ掃除の人とお風呂掃除の人を決めたようだ。

 来週はトイレが翼。お風呂が翔の担当となった。

「あ、お小遣いも渡さなきゃね」

「んー。友達と遊びに行く時だけとりあえず欲しいかな。最近は買い食い行くこともないし、おじさんの家に入り浸ってるから」

「にーちゃんがそれなら、俺もそれでいいよ」

「あらそう?じゃあ、必要な時は教えてね」

 子供達は遠慮しているのだろうか。貴史がいた時より聞き分けがいい。我慢させてはいないだろうかと不安に思いながらも、私は久しぶりのゆっくりした休日を楽しんだ。

 夕食のグラタンは、キョウが美味しい美味しいと人一倍はしゃいで食べていた。翔も負けじと美味しいと言うし、翼は翔の真似をする。美桜ちゃんと私は笑ってその様子を眺めた。

「ごちそうさま。じゃ、俺たち帰るね」

「お邪魔しました」

「うん。じゃあ、また明日からお願いします」

「おう。任せろ。男達よ、また明日な」

「「バイバーイ」」

 キョウと美桜ちゃんは片付けを手伝ってくれてから502号室へと帰って行った。翔も翼もかなりキョウに懐いていた。


 そんな生活を続けているとあっという間に夏休みが終わった。翔は8月になると時折友人と遊びに出かけた。宿題はキョウの家で集中して行ったため、テキストは終わって読書感想文などだけになったようだ。残り少なくなってことでちょくちょく家を空けるようになった。

 翼は美桜ちゃんとポスターを書いたり、自由研究をしたりと楽しく過ごしたようだ。ただし、自由研究は共同ではなく個別でしたようだ。おそらく…ちょっと恥ずかしいのだろう。

 キョウはとても面倒を見てくれて、我が子達は夏休みの間にいろいろな料理を教えてもらったようだ。時折帰ってきた私に昼ごはんの残りを渡してくることもあった。美味しいと言って食べると2人とも嬉しそうに笑う。それがまた可愛いかった。


 3人で始まった新生活。そして、子供達は相澤から神崎に変わってから初めての学校が始まった。

 学校が始まって、週の半ばになった頃の午後に学校から電話がかかってきた。

「神崎さん。小学校から電話です」

「ん?なんだろう。はい。お電話変わりました。神崎です」

 電話に出ると、少し低い男性の声が聞こえてきた。

『お忙しいところ申し訳ございません。私、翼くんの担任の向坂こうさかと申します。実は…』

「ええ!?わ、わかりました」

 向坂先生からの電話に心臓がバクバクと鳴った。受話器を置いて、ガチャっと電話を切ると私は急いで社長の元へ向かった。

「社長!急で申し訳ないのですが、早退をさせてください」

「ん?どうしたの?」

「えっと、なんでも下の子が喧嘩してお友達に怪我させちゃったみたいで…」

「あら、それは大変。オッケー。早退で受理するから早く行ってあげて」

「はい!失礼します」

 社長は仕事をしながら私に目線を向けると、早退の許可を快く出してくれた。私はペコペコと頭を下げて、周りの人たちにも謝りながら急いで小学校に向かった。

(急にどうして。今までこんなことなかったのに)

 早く行かねばという気持ちが前に出て、私は早歩きで駅に向かって電車に飛び乗った。ずっとずっと心臓がバクバクと鳴っている。翼が心配でたまらなかった。

 小学校について職員室に入ると、左頬を赤くした翼と両頬を赤くして下唇を切ったのか絆創膏をつけた男の子、そしてその子の母親と思しき女性、担任の向坂先生が集まっていた。

「すみません。神崎翼の母です」

 ハァハァと息を切らして中に入ると、向坂先生が駆け寄ってきた。

「翼くんのお母さんですね。では皆さん揃ったようなので、隣の応接室へ…」

 向坂先生に促されて怪我をした子供と少し怒った顔の女性は隣の応接室へと移動した。翼は下を向いたまま動かない。私は翼に近寄って声をかけた。

「翼」

「俺、悪くない」

「そう。とにかく何があった聞かなきゃだから移動しよう。ママは翼を信じてるからね」

 翼の手をぎゅっと握って向坂先生に促されて応接室に2人で移動した。入って用意されたテーブルの椅子に座ると、相手側の女性が怒った口調で話しかけてきた。

「おたくの息子さんが急にうちの子供を殴ったそうですよ。顔をこんなに真っ赤に腫らして…下唇まで切って。息子さんに抵抗しようと殴り返してしまったそうですが、正当防衛です。此方に非は無いと思っています」

「まぁまぁ。直己なおきくんのお母さん落ち着いてください。まずはなぜ翼くんが直己くんを殴ってしまったのか、それを確認しなければなりません。翼くん。どうして手を出しちゃったのかな?」

「………」

 相手側の母親の剣幕はすごかった。捲し立てるように言われて身を縮こませた翼は、向坂先生の問いかけに対して何もいえずに黙ってしまった。私は翼の肩にそっと手を置いて優しく話しかけた。

「話せないこと?」

 翼は黙ったままだ。どうしようと思い向坂先生に目を向けるが、向坂先生も困り顔だ。相手側は怒った状態だし、直己くんと呼ばれた男の子は痛々しい。そんなタイミングで翼がポツリと呟いた。

「俺、悪くない」

「なっ!どういう教育をされているのですか!!殴ったことを悪くないだなんて!!」

「すみません。すみません」

 それを聞いた相手側の母親は激昂した。私は謝る以外に思いつかず、ペコペコと頭を下げると翼はそれを見て下唇を噛んだ。

「翼くん。言いにくいことなのかな?でもさ、このままだと翼くんが何を思ってどうしてそうなったかがわからず終わっちゃうよ?理由もなく翼くんは人を殴るの?」

 翼は向坂先生の言葉に俯きながら首を横の振った。向坂先生は翼に優しく話しかけながら隣にしゃがみ込むと顔を覗き込んだ。

「翼くん。自分が悪くないと思っているならその理由を言わないと伝わらないよ。直己くんのお母さんはさ。大事に大事に育てた子供が誰かに傷つけられ、悲しいから怒ってるんだよ。翼くんのお母さんも翼くんのほっぺたを見て悲しんでると思う。本当に何も言わなくていいの?」

 向坂先生が諭すように話しかけると、翼は顔を上げて涙目で私の顔を見た。そしてまた俯くと小さな声で話し始めた。

「昼休みに…直己くんが他の男子と話してたんだ。俺の名前が変わった事について。パパがいないやつは…だめだとか…。ママが悪いからパパがいないだとか。片親はどうだとか…笑って…話してて…それを聞いたら、頭の中が真っ赤になって…」

「気がついたら殴ってたの?」

 翼は向坂先生の言葉にコクンっと小さく頷くと黙ってしまった。それを聞いた直己くんのお母さんは怒りを少し鎮めて直己くんに話しかけた。

「そんなこと言ったの?」

「………」

 直己くんは首を小さく横に振った。直己くんのお母さんは眉間に皺を寄せると私に話しかけてきた。

「嘘ついて罪を軽くしようだなんて、片親になったのも仕方ないんじゃないんですか?子供がそんなんですもの。親もそうなのでしょう?」

「な!」

 私はびっくりして固まった。翼はそれを聞いてガタッと音を立てて立ち上がると直己くんのお母さんを睨みつけた。

「ママをバカにするな!俺は嘘なんてついてない!!この耳で聞いたんだ!疑うならそいつの取り巻きに聞けばいい!!嘘つきはどっちだ!!」

 翼は興奮したのかテーブルを挟んで向こう側にいる直己くんにまた殴りかかろうとした。私と向坂先生がそれを止めさせ、直己くんは少し怯えたような顔になった。

「まぁぁぁ!うちの子が嘘をついたって言うんですか!成績も良く、友達も多くて、とってもいい子なんですよ!」

 直己くんのお母さんは直己くんを庇うように抱き寄せて怒った声で話した。

 最悪な雰囲気の中、応接室の扉がノックされた。その頃には翼も少しおとなしくなったため、向坂先生は心配そうに翼から離れた。私は力一杯翼を抱きしめた。翼は怒りと悲しみでポロポロと涙を流してフーフーと息を荒くしていた。

 向坂先生が扉の向こうで何かを話してから、誰かと一緒に部屋の中に入ってきた。

「えと、すみません。同じクラスの子で、現場を見ていたと証言してくれた子がいます。加藤さん。話せる?」

「はい」

 〈加藤さん〉と言う言葉を聞いてパッと振り返ると、真剣な顔をした美桜ちゃんと怯えた顔の数人の女の子がそこにいた。美桜ちゃんは代表なのだろうか。周りの女の子は怯えて話し出そうとしない。美桜ちゃんは此方に近寄ってくると、芯のある声で話した。

「直己くんが昼休みに友達と一緒に話してました。私達はその近くにいて、声が聞こえてきたからよく覚えてます。翼くんが相澤から神崎になったこと。それについて、こう言ってました。『パパとママが揃ってない子供はダメだ。パパがいないだなんて、ママに問題があるからに違いないよ。俺のママも言ってたもん。片親なんて卑しいって。あいつは卑しい親の子なんだよ』」

「本当にそう言ってた?みんなも聞いた?」

 向坂先生が問いかけると、美桜ちゃんの話に周りの女の子達は次々と頷き始めた。それを見た向坂先生はフーっと深い深い息を吐くと美桜ちゃん達に礼を言って部屋から出るように指示した。美桜ちゃんはチラッと私たちを見てから応接室から女の子達と出て行った。

「と、言うことで。翼くんはママを悪く言われて怒ってしまったようです。殴ってしまった、先に手を出した翼くんが悪い。それは大前提ですが、直己くんの発言が翼くんを傷つけたのは確かです。直己くんのお母さん。怒りを鎮めてください。今回のことで一方的に翼くんを悪く言うことはできないと私は判断します」

「…それ…は」

「直己くん。卑しいって意味わかってる?」

 直己くんのお母さんは何もいえない様子だ。その様子を眺めた向坂先生は真剣な声で直己くんに話しかけた。直己くんはウッと言葉を詰まらせてから小さく首を振った。

「卑しいって言葉さは、難しい言葉だけど…人のことを悪く言う言葉なんだ。褒めてる言葉じゃない。翼くんも意味を理解してなかったかもだけど、悪口を言われていることは理解したんだ。お母さんが言っていたとしても、それが全て正しいわけじゃない。君はもう少し考えるべきだったと先生は思うよ」

「ちょ、馬鹿にしてますか!?」

 直己くんのお母さんは向坂先生の言葉を聞いて、怒りの矛先を向坂先生に向けて怒り始めた。

「馬鹿にしているわけではありません。私は直己くんに人から聞いた事を素直になんでも受け止めるだけでなく、深く考えるようにと諭しただけです。ご家庭での考えの違いはあるとは思います。しかし、今回の発言は子供達どちらも傷ついてしまった。次回こうならないために、学ぶべきです」

「……ふんっ」

 直己くんのお母さんはそれ以上何も言わず、踏ん反り返ったように椅子に座り直した。直己くんはそれを見て泣きそうになると俯いた。向坂先生は直己くんに近寄ると優しい声で話しかけた。

「じゃあもう一度聞くね。翼くんが殴ってくる前に、直己くんは翼くんが怒るような事を話してた?」

「…………はい」

 直己くんは俯きながら肩を震わせて頷いた。

「ごめん。翼くん。悪口言って、ごめん」

 ポロポロと涙を流して直己くんは翼に謝ってきた。翼は涙を拭うと、頭を下げた。

「俺もごめん。殴ってごめん。言わないでって言葉で話せばよかった」

 私は翼の背中を撫でながら2人の子供を眺めた。

(直己くんは素直でいい子なんだろうな。でも、親の言葉を間に受けちゃったと。まぁ、片親家庭っていいイメージないとか見下されるとか…あるらしいからなぁ)

 子供達はペコペコお互いに頭を下げて謝りあっている。直己くんのお母さんはそれを見て少し気まずそうだ。

「よし。じゃあ、喧嘩両成敗だね。明日からは仲良くできるかな?」

「はい」

「うん」

 子供達は向坂先生の言葉を聞いて頷いた。向坂先生はにっこり笑って2人を立ち上がらせると近寄らせて握手をさせた。その時も2人はお互いに謝りあっていた。

 私は何もしないまま、話し合いは終わった。治療費については払おうとしたら、直己くんのお母さんが拒否してきた。此方にも払う気はないと言われたため、私はそのまますごすごと引き下がった。

 帰り際。直己くんのお母さんは私を見て嫌そうな顔だったが、直己くんは痛々しい顔のまま翼と私に笑顔を向けて帰って行った。

「お世話になりました」

「いえいえ。今まで問題を起こしたことがない翼くんが殴るだなんて何かあるとは思ってたんです。いつも明るくてムードメーカーなんですよ。夏休みが終わってから私の手伝いも率先してしてくれるようになって…。これから大変だと思いますが…」

「お気遣いありがとうございます。勇気を出して証言しに来てくれた女の子達にもお礼をお伝えください」

「はい。じゃ、翼くん。また明日」

「さようなら」

 向坂先生と軽く話をして私と翼は手を繋いで学校から帰路についた。


「殴るのは良くない」

「うん」

「向坂先生も言ってたけど、手を出した方が負けってのはある。どんな理由があっても他人を傷つけてもいい理由にはならない」

「うん」

「でもさ。翼はママを守ろうとしてくれたんだよね?それはとっても嬉しい。ありがとう」

「……うん」

 歩きながら翼に話しかけると、翼は返事を返しながらぎゅっと私の手を握った。

(美桜ちゃんにもお礼しなきゃな)

 歩きながら2人で通り道のケーキ屋さんでケーキを買って帰った。帰ってから、美桜ちゃんが帰ってきた頃合いを見計らって隣の部屋に伺って、キョウと美桜ちゃんに翼と一緒に頭を下げた。

 お礼としてケーキを一箱渡すと、美桜ちゃんは嬉しそうに受け取ってから口を開いた。

「翼くんのために証言したけど…本当は自分のためでもあったんだ。片親が卑しいだなんて、私もパパと2人だからムカっとしたの。でも翼くんが殴ってくれて、ちょっとスカッとしちゃった。ナナおばちゃんを守りたくてやった気持ちがわかったから…。それに証言だなんて当たり前のことだよ。翼くんは何も悪くないし」

「…うん」

「でも、次は気をつけてね」

 美桜ちゃんは申し訳なさそうな顔で返事をした翼に腰に手を当ててお説教を始めた。翼はそれを真摯に受け止めて頷いた。

「うん。ごめん、美桜ちゃん。気をつける」

 2人は夏休みの間にかなり親しい関係になったようだ。私は子供達が話している姿を眺めてから、のんびりとした顔のキョウに話しかけた。

「キョウ。ごめんね。巻き込んじゃって」

「ん?美桜が判断してやったことでしょ?俺は誇らしいけどな。気にしないで。ケーキありがとう」

「うん。じゃあ、また週末に」

「おう。またね」

 私と翼はペコリと頭を下げてその場を後にした。

 その後、翼は食後のケーキを食べながら翔にコッテリと怒られた。翼はしょんぼりしつつも反省した様子だった。最後は2人一緒にお風呂に入ったようだ。翔は父親の役目を果たそうとしてる気がする。無理させてるなと思いつつ、翼を思ってくれている様子に安心してしまう自分がいた。

 次の日。頬の赤みは引いたようだった。まだ少し痕はあるが、翼は元気よく学校へと向かった。


 キョウ達とは土曜だけ夕食を一緒にする事になった。美桜ちゃんが喜ぶのもあるが、夏休みの間に習慣になってしまったこともあるからだ。

 新学期の幕開けに騒動はあったが、その後は平和に過ごすことができた。
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