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聞きたくない三拍子

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 夕方。夫の貴史が帰ってきた。

「ただいまー」

「おかえり」

 何食わぬ顔でいつの通りの口調で室内に入ってきたが、私はチラッと目線を送ってから軽く声をかけて夕飯の準備を続けた。翔は翼とゲームをしながら父親に声をかけてるが、視線はテレビ画面だった。

「今日の晩飯なに?」

「カツ丼」

「やった。楽しみ」

 貴史はあんなことをしていたくせに、何もしてませんという顔で態度で私たちに接していた。

(毎回こうやって、土曜に帰ってくるたびに接してたんだな。よく考えれば第三土曜に帰ってきた時はやたらとスキンシップが多かったっけ。それが嬉しく思ってたけど、よく考えれば妻へのご機嫌伺いだったんだろうな)

 今までの態度にパズルのピースがはまるように理解してしまった私の心はさらに冷えていった。

 食卓を4人で囲って、夕飯を食べる。いつも通りだけど、いつも通りじゃない。いつも通りにしたくても、私もまだまだ未熟なのだろう。次男の翼は私の態度が父親に冷たいことに気がついてしまったようだった。

「ママ…」

 貴史が一番風呂に入っている間に、眉尻を下げた翼が洗い物が終わってリビングのテーブルでコーヒーを飲んでいる私に声をかけてきた。

「ごめんね、翼。いつも通りにしなきゃって思っても、ママは機械じゃないからできなかったや…」

「…俺、おれ…」

「…ママはパパと離れるけど、翼と翔はママと一緒。それだけは絶対変わらないから」

「………やだよ、俺…4人がいい…」

 ボロボロと泣き始めた翼の心を思うと辛かった。でも、子供達のためにと思って貴史に接していても私の態度はさらに子供たちを傷つける気がする。そっと翼を抱きしめていると、翔がやってきて翼に声をかけた。

「翼。ママを困らせちゃダメだ。これから毎日あんな夕飯を食べ続けたいのか?俺はごめんだ。何も知らなかった頃のように笑顔でおいしく食べたい。あんな…」

「うっうう。そんなの、わかんないよぉ。やだよー」

 まだまだ心が幼い翼は声を上げて泣き始めた。それを慰めていると、湯上がりの貴史がリビングに入ってきた。

「おーい、次のやつ………」

 3人の雰囲気が悪いことに気がついた貴史は私に視線を向けて「言ったのか」と責めるような目で見てきた。

 私はその視線を受け流して、翔と翼に声をかけた。

「今日はにーちゃんが一緒に入ってくれるって。やったねぇ」

「ちっ。しゃーなしだ。翼、いくぞ」

 翼はぐずぐずと鼻を啜りながら涙を拭って、私や貴史に目線を向けずに俯きながら翔に手を引かれて去っていった。

「おい。2人に言ったのか」

 子供達が去ったのを確認してから、貴史は怒ったような顔で私に怒鳴りつけてきた。

「詳しくは言ってないわよ。でも、貴方ってバカよね。翔に見られてたのよ」

「は…」

 私はテーブルの上のスマホを起動して、保存しておいた写真を見せた。翔が目撃した写真だ。

 女性の体型や髪型からしてまず菜々子さんだろう。2人で仲良く腕を組んで通りを歩いている様子だった。翔は顔をうまく写してくれていたようで、貴史の顔がバッチリ写っていた。

 貴史は私のスマホを引ったくるように奪うと、「嘘だろ」と呟きながら私の向かい側の席に座った。私はスマホを取り返すと、その画面を消して動画を起動すると画面は映さずに2人の声だけを記録し始めた。

「念のために動画で記録するわね」

「…そんなこと必要ない」

「必要よ。辻褄が合わないことを言われたくないもの」

 私が冷たい声で返答すると、貴史は深いため息をついた。

「別れるからね。2人は私が引き取るわ」

「はぁぁ!?なんでだよ」

「子供の心も傷つけてる男と暮らすなんて、無理よ。知られていないなら、私の中で消化できるならば、このまま過ごしてた。でもね、翔は2週間前には貴方達の関係を知ってしまったのよ。2週間よ?あの子の心がどれだけ苦しんだか、わかってる?」

「………」

「この生活が壊れるのが怖くて、一人で抱えてたの。だから私が帰ってきてから様子が変なことに気がついて、教えてくれたわ。私も子供達のことをちゃんと見てなかったって反省した。でもだからこそ、もう一緒にいられないと思ったの。貴方の行動でここまで壊れてるのに、貴方はそれを直せるの?」

「そ、それは…」

 貴史は真っ青な顔のまま私を見つめていた。後悔や懺悔の色を瞳に宿していたが、その様子を見ても私の心は冷たいままだった。

「違うんだ!そんなつもりはなかったんだ!俺は家族を愛してて…それに、俺の愛は香織だけのものなんだ」

「不倫する人って、〈違う〉〈そんなつもりはない〉〈貴方だけ愛してる〉って本当に言うんだね。前にママ友がそんなこと言ってたけど、私が現実でその三拍子を聞くことになるなんて、皮肉」

 ハンっと鼻で私が笑うと、貴史は私の心が離れていることに気がついたのかブルブルと震え始めた。

「とりあえず弁護士を探そうかな。独身時代の貯金もまだあるし。離婚は絶対するから。あと、貴方は実家に帰ってくれる?私と子供の精神衛生上悪影響だから。お義母さん達には何故追い出されたか正直に言ってね。それぐらい誠意のある行動をしてくれないと。嫁いびりもない、いい義実家だったけどもうお別れね。私の両親には私から連絡するから。今日の夜は荷物まとめて、出てってくれる?」

「ま、まってくれ」

 私が捲し立てるように次々と言葉を紡ぐと、貴史はどんどん顔を青ざめていった。

「これが貴方の不倫の代償。貴方ができることは、私と子供達が幸せに暮らせるように誠意を見せて、対応することよ。荷物まとめながらよく考えて」

 私はそれだけ言うと動画を停止させて、呆然としている貴史を置いてリビングを後にした。ちょうど息子達はお風呂から上がったところのようで、お風呂場につながる扉前で2人廊下で立っていた。

「ママ…」

「おじいちゃんの家にパパには行ってもらうことにしたわ。家が近くてよかったわよね。ママはお風呂入るから、二人は…もう部屋に行きなさい」

「…わかった」

 不安そうな翼の手を掴んで翔は歩き始めた。お風呂の中で子供同士で何かを話したのか、翼は何も言わずに翔に手を引かれて部屋に入っていった。

 二人の姿が見えなくなってから、私もお風呂に入った。

「はぁ…辛い」

 貴史の前では心が固まって冷たくなるから、少しだけ冷静になれる。でも離れると子供達への申し訳なさや、自分の不甲斐なさで心が痛くて今日もお風呂に入りながら静かに涙を流した。

 貴史は私の指示通りに荷物をまとめて、義実家に帰ったようだった。私がお風呂から上がっても気配がなかった。スーツが1着とネクタイとシャツが何枚か、あと下着などが箪笥からなくなっていた。土曜に使っていた旅行鞄の中身を入れ替えて行ったようで、洗濯機にはあの日見たスポーツウェアが入っていた。

「見たくもない…これももってけよな」

 見たくもない光景が頭に浮かんで心が荒む。洗濯する気もおきなくて、私は明日の私に任せるとこにした。

 子供達に声をかけてから、私は夫婦の寝室に入ってベッドに潜った。

「とりあえず…キョウに弁護士のこと相談しようかな」

 キョウに頼るのは本当はダメだろうけど、一人で全てこなす気力が湧いてこなかった。

[夫は実家に行った。長男が不倫の現場を見てて写真で撮ってた。それもあって私は離婚することにする。弁護士の紹介ってお願いできる?]

 私がそう連絡すると、すぐに返信が帰ってきた。

[もちろんだよ。こっちも離婚すると思う。10歳の娘は俺が引き取ろうと思ってる。実は俺、あれから転職して在宅仕事になったんだ。家で子供の世話をよくしてたから、親権は取りに行くつもり。だから一緒に相談に行こう。知り合いにいるんだ。ナナも知ってる人だよ。また連絡するね]

 私の知ってる人って誰かな。そんなことを考えながら[わかった]とだけ返事を返して枕元にスマホを置いて目を瞑った。

 明日はとりあえずアフターピルだ。何をしようかと頭で予定を立てながら、私は眠れない夜を過ごした。
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