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-後宮事変-
捌
しおりを挟むちちと、愛らしい小鳥の鳴き声に、気だるげに体を起こしたリシャナは、心地よい布団の肌触りに頬ずりをしてから、数度瞬き部屋を見渡す。昨日まで寝起きしていた寝台と、箪笥程度しか置けない、小さな部屋ではない。見覚えのない部屋に、寝ぼけた頭を必死に動かす。
「そうだった……姫付きになったんだっけか……」
使用人に与えられる布団一枚すら高級品とわかるこの部屋は、蘭姫宮の侍女に与えられる個室。無論下女部屋の生活用品も相応のものばかりではあるが、それとは比べ物にならない寝心地の良さがある。しかし、これから起こるであろうめんどくさい騒ぎを考えれば、すっかり疲れの取れた体とは反対に、頭と心は重くなる。
「さて、呼び出した理由をそろそろお話ししましょうか。貴方をわたくしの専属にしたいの。貴方のその知識を貸してはくださらないかしら?」
レイハクはさも当たり前のように、両の手を合わせ、リシャナに向けて頭を下げた。それは、子を助けたいと願う母の行動そのものだろう。それともこの国を支えるものとしての責務からか。
「頭をあげてください!国母となられる方が下女に頭を下げるだなんて!」
ひっと悲鳴に近い声をあげ、慌てて椅子から降りると、レイハクより視線を下げるべく膝を床につけた。
藤姫の皇子の死が噂通りであるならば、今や子供は蘭姫の娘だけになる。それなら必然的に彼女が正妃とされるだろう。この国の母となる人だ。言葉だけならいい、あろうことか下女であるリシャナへ頭を下げる姿に、目を見開く。こんな事を許すなんてと、後ろを振り返れば楽しそうににやつく表情で、どうやらこの事は事前に話し合い済みだったようだ。
どう手に入れたのか、既に自分の性格を良く掴んでいると、隠す事も忘れて舌打つ。
「ふふ、だって大事な娘の命の恩人よ?本当ならたくさん褒美を与えたい所なのだけど…貴方にはこちらの方が喜ぶと思って」
「これって!」
顔を上げたレイハクが悪戯が成功したとでもいうように目を細めると、カジャクが後ろではなく向かい合う二人の間へ移動する。机の上におもむろに懐から紙の束を取り出すと、リシャナ側へ置いた。
リシャナは訝しみながらも、促されて紙に目を通せば、紙を握りしめんばかりに指に力を込めて、思わず席を立つ。紙は、リシャナがここに連れてこられた際に出されていたであろう書類。即ち契約書に、リシャナが連れてこられるに起因した、人攫いについての記載だった。
「実は今下女たちの洗い直しと、貴族の汚職を調べていてね、この人攫いと、数人の貴族との間に関係性が浮かんだわけだ。で、斡旋されてきたということだが、その紹介料の高さもさることながら、領民への無理な課税、帳簿の改変、さらには経費の無駄遣いまで、そして君はそこの娘として来てるわけだが、この書類もまた偽装だ、それに君は文字が読めないという嘘をついていた」
「脅しですか?」
手を貸すなら、被害者としして文字の読み書きを沈黙していた事に関しては見逃そう、そうでないならこの書類の貴族たちの仲間入りという事だろう。刑を軽くするため、どちらにせよ手を貸さざるおえない状況だというわけだ。低い声で確認すれば、肯定も否定もしないカジャクの笑みに睨み付ける。
リシャナからの不穏な空気を察したのか向かいのレイハクが慌てる。
「ちょっと!あまりいじめちゃダメよ?リシャナちゃん」
「リシャナでいいです。姫にちゃん付けで呼ばれるなど畏れ多いです」
極力、失礼にならない範囲で親しく接する姫へ距離を置く態度を示せば、残念そうな顔でレイハクがむくれる。可愛い、美人はどんな顔しても許されるんだなと思いながら、流石にその呼び方はと首を振る。
拒絶する姿勢に仕方ないと思いと思ったのか、レイハクは再び口を開いた。
「リシャナ、今無茶な契約のもとに来ている下女たちを調べています。貴女も含め、そこのリストにある少女たちは皆本人の意向のもとに改めて、後宮と下女として契約し直すか家に返すことになっています」
「この騒ぎの最中にですか?」
人為的なものなのか、事故なのかもはっきりしないこの騒ぎの最中に、大きく人を動かすなど、何より優先すべきでは明らかにないとわかる。病とは別の要因であることは、先の書付けで彼らも理解していると思われるこの呪い騒ぎだ。それの解決よりも先にすべき事なのか、と首をかしげると、レイハクもカジャクも測ったように同じように頷いた。
「それを解決させるには、君の知識が必要だと思ったからね。急ぎこっちを片付けたのさ。もともと、これに関しては騒ぎが起きる前から私が調べていた事でもあるし、ちょうど良かっただけなんだけど」
にやりとわらう男を睨み見てやれば、途中で遮ったのはリシャナだ、と言わんばかりに首を傾げてくる。握りしめた拳を振りかぶらなかったのを誰か褒めて欲しい。
「なるほど、それがわたしへの報酬だと?」
「いや、これは君達への正当な権利だ。2年を待たず帰れる。ただこの騒ぎ収束するまでは、人を大きく動かせない。騒ぎに騒ぎを足せば更に大きな混乱をもたらすからね。だから、この騒ぎを収束されるその間、蘭姫の専属として使え、この事件の解決の為に私に力を貸して欲しい。無論、君のしたい事、欲しいものはこちらで出来るものは、準備させてもらう」
早く解決すればその分早く帰れる。さらに協力の報酬として提示された自由は、リシャナにとってとてつもない誘惑だった。ものによるかもしれないが少なくとも、調薬の自由を得られるのだ。うまくいけばこれまで値が張って手が届かなかった薬草も手に入れられるかもしれない。
「誘惑に負けた己を殴りたい……」
思い返してぼふりと枕に顔を埋めると、唸りを上げる。
でも仕方ないだろう、目の前に一番好きなものを出されたら、飛びつくしかない。そもそも帰りたい理由が、調薬がしたいに尽きるのだから。
「それに、あれを見てここまで関わることになって知らぬ存ぜぬは……無理だよなぁ」
結局のところ、しぶしぶ頷いたリシャナに手を合わせて安堵と喜びをにじませたレイハクに、負けたようなものだ。また、あの柔らかい笑み影がさすかもしれないと思えば、放っても置けない。
「あいつの準備の良さ的に、わたしが手を貸すとわかってたんだろうなぁ、やっぱり一発くらい殴っても怒られないんじゃないかな」
これが昨日のことである。その日のうちにリシャナの移動は完了し、今日この部屋で朝を迎えた。浮かんでくるカジャクの笑みに、恨みを込め枕をそれに見立てて、何度も殴る。
今日からは蘭姫付きの侍女見習いとして、働くことになる。下女から侍女への引き上げが起こらない訳ではないが、かなり珍しい事である。目立ちたくないと、それなりの理由は作ってあるのかと、接点のないリシャナが引き抜かれた理由を尋ねれば、蘭姫が遠目で気に入ったからという、至極無茶苦茶な理由らしかった。
流石にキレた。あの時殴っておけばよかったと強く今は後悔しているが、その後の周りの態度はあったがあまりいつもと変わらず、普通だった。
カジャクに連れられて、荷物の整理や諸々の手続きを進める間、女官達から向けられる、なんでこんなちんちくりんがという視線は続いたが、それでも何もいってこない。なんとも言い難い心持ちの中リシャナは、カジャクの前だったからなのか、蘭姫が異国の風変わりな姫だからあり得るのかもしれないと、思うことで己を納得させた。少なくとも、理由としてあげたカジャクの言葉は嘘ではなかったらしいし、問題にもならないらしい。本当に蘭姫が気に入ったから引き抜かれたと思われていた。
杏姫しかり、妙な姫に好かれやすいのだろうとも思われたのかもしれない。もっと違和感を持てよと突っ込みたいが、存外そういうものなのかもしれない。
「そうだ、杏姫様……」
枕を殴る手を止めて、寝台から飛び降りる。ここに付いたとあればもう、彼女と会うことはないだろう。もう大丈夫だとは思うが、落ち着いたものがまた戻ってしまうかもしれない。
「いや、もうバレてんだ。話した方がいいか……それに杏姫様も無関係とは言えないだろうし…それにもう一人の皇子の事も聞かせてもらわないと」
さっさと終わらせて、帰ろう。ついでにあの優男が嘆くよう、いい素材をせびってやろう。にやと口の端を持ち上げると、これから関わる仕事自体は、リシャナにとっては不本意かつ不謹慎ながら心が踊ってしまう。
頬をぱんっと叩けば、関わったのならばとことんやりきろうと、ここに来て二度目の、決意をみなぎらせた。
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