鬼神伝承

時雨鈴檎

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第五章

道しるべ

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切り立った岩場を、自分よりも大きな男を二人を尾で抱え上げ、たんたんと、滑り降りていく。そのまま一日中走り続けた。

「離せ!あいつが殺されるのを黙ってろっていうのか!」
「煩い!彼女の気持ちを汲め!馬鹿者」
何度目かわからない壬生叫びは、随分と掠れていた。
門桜が走り出してからちょうど太陽が同じ場所まで上った頃、壬生を地面に投げ捨てた。勢いに倒れこむ壬生上へのしかかると、怪我を負わせない程度に軽く、しかし痛みを与える程度には強く、頬を叩く。
「いい加減にしろ!彼女は、なんて言った!お前が戻って犬死して喜ぶのか!」
その言葉に顔をそらして、黙る壬生の胸ぐらを掴む。
「おい、そのくらいに……」
「運が良ければ勝てるなんて、可能性すら存在しない!そんな甘い相手じゃないんだ……絶対に今の私たちでは勝てない」
慌てて仲裁に入ろうとする戦鬼を、止めるようにちらりと見てから、壬生を見下ろすと、静かに呟く。
「ほんの少しの勝機すらない、それを彼女も理解してた。だから逃げろと言ったんだ。それだけ、シシィにとってお前は大切だった。……それがわからない君じゃないでしょ」
絶対にかなわない敵を前にして、逃げるという選択肢以外に選べない悔しさ。もしここに空牙がいればきっと違う道もあった。それくらい自分達には力がない。
門桜の言葉に、大人しくなった壬生が、静かに門桜の震える腕を掴む。「すまない」小さく呟いて体を起こせば、門桜も壬生の上から退いた。

「二人とも……大丈夫か?」
静かになった二人に、おずっと声をかけた戦鬼に、門桜は、少しばつが悪そうに目を細めると頷く。片頬を赤く腫らした壬生も力なく少し笑みを浮かべた。
「戦鬼も、悪かった……な」
壬生の言葉に首をかしげた戦鬼は、言い争いが終わったのかとほっと息をつく。
壬生が走ってきた方角へ目を向けても、あれ程大きく存在感のあった山は、かけらも見えない。
「こんなに、離れる必要はあったのか?」
壬生の小さな呟きに、門桜は「これでも正直不安だ」そう頷く。もう気配も辿れないほど遠い。全く息を切らした様子はなかったが、それでも疲れの色が見える門桜は、それだけの距離をひたすら走り続けた。
今の、妖狐の姿を誰かに見られたらまずい、そう思いながらも、降りてきた彼れら、こちらを見ていた神の使いへの危機感が、門桜の頭から離れず。ここまで足を動かさせた。

「あの時一番後ろにいた奴……彼れが一番怖い。何を考えてなぜ私たちを見ていたのか……わからない。その割に追ってくる事すらしなかった。」
ひとまず、出来るだけここからは離れたほうがいいと門桜は立ち上がり座り込んだままの壬生を見下ろす。
「君はどうする?このまま、そこでうずくまってるつもり?それとも……」
「行くさ。お前らといれば、いずれもう一度奴らと相見えるかもしれねぇだろ」
今あの場所には戻れないのなら、奴らが倒せるほど強くなればいい。こんな悔しさを抱えて、目を背けてられるかと眉を寄せる。
「勝てない相手に、負けて死ぬならともかく、逃がされて生き延びるなんて……こんな、情けねぇことはねぇ」
最期のシシィの顔を振り払うように首を振ると、門桜を見上げ立ち上がった。
「それに、"今の私達"に倒せねぇのならいつかは倒せるようになれるんだろ?あの旦那はあいつらとやりあえる。なら、俺もあれくらい強くなりゃぁいい、お前らにも付き合ってもらう」
「人間をやめる気?」
「壬生ならやりそうだな」
壬生の言葉にじと、と呆れた顔をする門桜と、頷く戦鬼にからりと笑う。
「そりゃいい、人間やめちまうか」
少し明るさを取り戻した壬生が、悪態を吐く門桜と、素直に頷く戦鬼に、冗談交じりに笑い声を上げた。

「そういえばそれはなんだ?」
立ち上がった壬生手元で、動きに合わせてカラカラと鳴る軽い音に、戦鬼が首をひねる。そういやと壬生が持ち上げたのは、別れ際にシシィに押し付けられた、黒い金属と、純度の高い透明な水晶で間を塞ぐ、火を入れる扉のないカンテラ。
「あいつが最後にこれを持っていけと……大事なもんだって話は聞いてたけど、何なのかはわからん」
また思い出し渋い表情を浮かべ、顎に手を触れた壬生の横で、門桜が「それは!」と目を見開く。
「うぉ……これが、なんだってんだ?お前知ってんのか」
「導のカンテラ!なんで、シシィが……」
カンテラを持つ壬生の手を掴むと、これならもっと遠くへ行けると目を細める。何故持っていたのか眉を寄せるも、すぐ浮かべた安堵したような門桜の様子に「導のカンテラ?」と壬生と戦鬼が重ねて尋ねた。

「世界の端をその目で見たことは?」
「あ?そこまでは行ってねぇがその近くの村までは、なんだ突然」
門桜は、壬生からカンテラを受け取ると、まさかまだ残っていたなんてと、手元で転がしながら小さく呟く。
「世界の端?」
「あぁ、そうかお前は知らんか。世界の端ってのは、読んで字のごとく、この世界が途切れてる場所だ。広いとはいえ、無限に広がってるわけじゃねぇ。地図の端みたいに、世界にもこれ以上進めねぇってどんつきがあるんだ」
戦鬼の疑問に答えた壬生が、そことこれが関係あるのか?と首をかしげた。
門桜が静かに頷くと、耳とがするりと隠れてカンテラを掲げる。
「世界の端っていうのは、いわゆる超えられない領域の事。その先にもまだ世界は広がっている」
机に広げた地図をそのまま、立体的に作り変えたように広がっているわけではなく、人々は大きな球体の大地の上に立っている。まっすぐ進み続ければまた元の場所に戻ってこれる。ただ途方もないこの広い世界は、一周回る事すら容易ではないが、時間という制限を取り払っても、決して踏破できない障害がある。それが世界の端。

門桜の言葉は、板状の地の上にあるものであるという、壬生の中にある世界の当たり前を崩す。
寸断された底の見えない谷。
着水地点の見えない滝。
頂の見えない、高い崖。
先の見通せない霧に覆われた森。
舵の効かない大荒れの海域。

端の領域は足を踏み込無事なかれ、さすれば多くを失う。

言葉
姿
理性


死んだ方がいいのではという姿で、戻ってくるものもいる。だが、そのどれもが自らの意思で帰ってきたわけではない。物だけが帰ってくることもある。
川伝いに流れ着く。
海に打ち上げられる。
そうして、端に行った誰かわからない者たちの手記を頼りに、話が伝わってきた。
そもそも、端に行けば行くほど、魔物の数も強さも桁外れになる上に、地殻の変動や、異常気象が多く、資源も乏しい。人が住むにはあまり向かないため、行こうと思うものも殆どいない。そのため、人が住める限界の場所にある村や街は最果てと呼ばれ、壬生もそこまでしか行ったことがない。
世界の端に落ちるから、人々は神の怒りに触れ歪な形になってしまうのだと、それが共通の認識のはず。

「球だぁ?んなこと言ったら反対側の奴らは逆さまじゃねぇか!」
「あぁ、うんそうだね……反対側からすれば私たちが逆さまだよ、私も本当かどうかは知らないけど、行き止まりが滝や崖なら世界が切れてると納得できるけど、森や海だとまだ先があるのに突き当たりって言われるのは変じゃない?それに、世界がそうであるとあまりにも全てに浸透しているものは、疑った方がいい。大体都合よく操作されてるから。言葉と同じようにね」
言うと思ったと言う顔で門桜が、ため息を吐く。何処に行こうと、地面が下で空が上そう言う力が働いていると上下を順番に指差した。
信じられないと言うように首を振る壬生に対して、戦鬼はピンときていないのか、首をかしげる。
「その行き止まりより先にまだ道が広がってるだけじゃないのか?」
戦鬼の言葉に、納得しきれない壬生が、頷く。
「太陽や月は?どこに沈んでる?」
「そりゃ、端だろ?」
「踏破できないほどの距離にあるのに沈む姿がなんで見えるの?そもそも月の大きさは、どの位置にあっても同じだよ。端に近づいてるなら大きくなるでしょう?」
「月も太陽も沈む時と、登る時は大きくなってないか?」
戦鬼がそうだっただろうかと首を傾げてから空を見上げる。
「それに、ずっと平行に続いて。突然沈むってのも変な話じゃない?なにより、まっすぐなら、太陽は真上に来た頃にはものすごく大きくないといけないよ。球体なら、どこだろうと距離は一定になる。沈んだように感じるのは地面の下側に移動しているから」
作った拳のまわりを、円を描くように動かせば、丁度斜め下で手を止め、手の甲からだとこの位置は見えなくなるでしょと示した。

「わかったような、わからんような……で、その話とそれの関係は?」
門桜に手渡したカンテラを指差して、壬生は腑に落ちない顔をする。
「境界……世界の端を抜けることは、負荷が強く様々な弊害がある。だから不可能に近い。けど、向こう側へ行く手段がないわけじゃない」
「向こう側に行くのに、これ……か?」
門桜の手元を見た壬生と戦鬼は、使い方がわからないなと顔を見合わせて首をひねる。
「メアゴーストの商い通りを覚えてる?」
かつて、一度だけ遭遇した異形の街の一角の名を出した門桜は、目を細めた。
以前に、入れば二度と出られない迷宮につながると避けた闇の濃い場所。このカンテラがあれば迷わずメアゴーストの街へたどり着ける。メアゴーストの街は世界の端の中に存在していた。
だからたどり着けない街。影の迷宮を通らなければならなかった。

「迷宮での道しるべになるから、導のカンテラ。これがあるなら、あそこを抜けて別の場所から出れば、向こう側にいける。商い通りへ行こう」
「行こうったって、何処に出てるか探さねぇとだろ、そんな簡単じゃねぇ」
あれだって偶々で、壬生にとっては初めての遭遇だった。それだけ、確率の低い場所をまるですぐに尋ねれるかのような門桜の言葉に、簡単に言うなと眉を寄せる。
「もう一つ何処からでも出入りできる場所がある」
門桜が戦鬼へ視線を向けてから、君は知ってるはずだと言うように笑うと、壬生を見た。
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